埋葬された願い


叶わない願いだと思っていても、貴方を見てしまう。

例え赦されないことでも、貴方との幸せを望んでしまう。

貴方の傍に居たいと思うことは罪なのだろうか?


やっぱり、狂っているのかもな。



俺は小さい頃から虐げられて育った。

「宮田」と言う苗字は、この村では重荷にしか過ぎない。

それを背負い生きてきた。

だから村の行く先々で哀れみや好奇の目で見られ、後ろ指を指され続けてきた。
そしていつの間にやら貴方とはかけ離れた、影のような存在になっていた。


仕方がないと言えばそれまでだ。

生まれた家が悪かった、と。

双子だったのがいけなかった、と。


そう言われてしまえばどうしようもなく、ただただ耐えるしかなかった。

でも、辛かった。苦しくて堪らなかったんだ。


俺だって普通の人間として生きてみたかったよ。

何度願ったか分からない。

それでも、その願いは決して叶えられることはなかった。



それならば、どうせならば乞わせてくれ。


助けて、兄さん。


どうか、私を助けてください。




神代の家から、教会宛にあの儀式とは関係は無いらしいのだが言伝てを預かった。

そしてそれを渡しに行く仲介役を宮田の家は代々請け負っている。


神代の犬……いや、忠実な下僕である宮田の家にとってそれは名誉なことであり、また誇りでもあった。

それは彼の心の中では、建前でしかないのだが。


神代家から出て、早く済ませようと足早に教会へと向かう。

そして重く聳える教会の扉を開ければ、そこにはいつものように求導師様がいた。

彼はこちらの姿を認めるなり微笑んでくれる。
それに少しだけ救われたような気がした。

だがそんな気持ちはすぐに消え失せることとなる。


「宮田です。神代の遣いで来ました」


一礼し、何時ものようにテンプレートな挨拶をする。
すると求導師は一瞬驚いたように目を丸くしたがすぐに元の笑顔に戻り、恭しくお辞儀をした。

何故だろうと思ったが特に気にせず、彼に手紙を渡すべく歩み寄り差し出した。

牧野は受け取ってから読み始めると、次第に表情を変えていった。


「すみません。……確かに」


そう言って元のように手紙を畳んで、手元に控えた。


「……では」

「あの……!」


用件は終わったため早々に立ち去ろうとすると不意に声をかけられた。

振り返ると、牧野は何時になく真剣な眼差しをしていた。

「はい……?」

何かあったのだろうかと思いながら向き直り、次の言葉を待とうとすると、牧野はゆっくりと口を開いた。

「あの……大丈夫ですか?」

突然のことすぎて意味が分からず困惑していると、牧野はさらに言葉を続けた。

「いつもより顔色が悪そうなので、どうかなさったのかと……」


ああ、そういうことか。
彼のことだから心配してくれているのだ。
きっとそうだ。


気にかけてくれていること自体は嬉しいはずなのに素直には喜べない自分がいる。

その理由なんて分かりきっていたけれど。

彼は優しい人だ。
誰に対しても分け隔てなく接することができて村人から尊敬される人だと思う。

だからこそ、宮田は彼が嫌いと言うよりもむしろ羨ましかったのだ。
彼みたいになれたらどんなに良かっただろうかと思うことがあるくらいだ。

だけど、宮田家の彼では無理だと分かっているからこそ余計に腹立たしかった。

そんな考えが表情に出ていたらしく、牧野は困った顔をしていた。


「良かったら、お休みになって行きますか?」


思いも寄らない提案だった。
まさかこんなことを言われるとは思わず、咄嗟に返事を返すことができない。

正直言うと休めるものなら今すぐ横になりたい気分だったが、流石にそこまで甘えてはいけないと思って遠慮しようかと考えていた。

しかし牧野の方はそれを見透かしたのか、優しい微笑みを浮かべながら宮田の手を取り言った。


「どうぞ」


その手はとても温かくて心地よかった。
まるで、陽だまりの中に居るかのような錯覚を覚えるほどに。

だからなのか、ついその手を握り返してしまった。


教会の中に入ると外の気温とは全然違い、とてもひんやりとしていて涼しい。
奥へと案内されるとそこは礼拝堂になっており、牧野はその前にある長椅子の一番端に宮田を座るように促した。

そしてしばらく沈黙が続いた後、牧野がぽつりと話し始めた。


「どうされたんですか? 何でも話してください」


その声音は優しく慈愛に満ちたものだった。

それならば今ここで、自分の思いを吐き出してしまいたいという考えに駆られたが、それを言った所で彼が本当に受け止めてくれるとは限らない。


「それは、求導師としての立場上の仕事だからですか……?」


思わず皮肉めいたことを口にしてしまう。
すると牧野は少し悲しげな笑みを漏らしながらも答えた。


「……これは求導師としての私の意思ではなくて、本心から貴方を心配してるんです」


家族としても、とそう付け加えた。
その言葉を聞いて、宮田は自分の胸が締め付けられるような感覚を覚えた。


どうしてこの人はいつもそうなんだ。

俺なんかにも、そんな優しさを向けることができるというのだろうか。

「……っ」

そしてその言葉を聞いて、初めて彼のことを信頼しても良いのではないかと思った。
そして今まで誰にも言えなかった苦しみを、少しずつではあるが話し始めた。


「……辛かったんです」


牧野は黙って聞いてくれた。

「ええ」

蓄積されてきた負の思いは、溢れだしその速度を加速させる。


「……俺は宮田の人間です。それは母が俺のことを抱き上げた時から決まってました。そして、親からも村の人たちからも疎まれてました。そして兄と比べられてきて、兄さんの方が皆に好かれていて、兄さんだけが幸せになる権利を持っていると……そう母からも言われて」


「……」


牧野は何も言わずにただただ宮田の話を聞くだけだった。
そんな彼に安心したのか宮田は更に続けた。

もう既に理性などというものは無くなっていたのかもしれない。
宮田は堰を切ったように喋り出す。
ずっと溜め込んできたものを一気に放出するかのように。


「でも、そんなのおかしいじゃないですか。だって、同じ双子なのに。引き取られた家が違うだけで、なんでそんなこと言われなきゃならないんですかね」


牧野は静かに耳を傾けて、時折相槌を打ちながら聞いていた。
それが嬉しくもあり、同時に申し訳なくもあった。


「宮田さんの気持ちはよく分かりますよ」


牧野はそう言って微笑む。

だが、彼は知っているのだろうか。
自分と彼の境遇の違いを。

もし知っていたとしたら、一体何を考えているのだろうか。

きっと何も考えていないのだろうなと宮田は思った。


「嘘です……あなたは何も分かっちゃいない!」


宮田はそう言い放ち、牧野のことを睨みつけた。
牧野は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに元の笑顔に戻り、首を横に振った。

違うと言いたげに。

宮田にはそう言っているように見えたが、牧野は何を考えているのか宮田には理解できなかった。


「求導師様は、いつも周りに人がいますよね。あなたの周りにはいつも誰かがいる。求導女様も、神代の御当主様や村中の人もみんなあなたを頼りにしている」


「……」


「羨ましいんですよ。あなたのことが。……いや、違う。羨ましがっている自分に嫌気がさすんです」


宮田は自嘲気味に笑うと、牧野は困った顔をしながら彼の言葉に耳を傾ける。


「今までは割り切って来れた。でも、もうそれが苦しくて。誰かに助けて欲しかった……!」


宮田は牧野から視線を外し、俯きながらさらに続ける。
牧野は彼が苦しんでいることをずっと知っていた。


「……こんなこと言っても仕方がないのは分かってます。ただの八つ当たりだということは……すみません、忘れてください」


牧野が何かを言う前に宮田はそう言うと立ち上がった。

これ以上ここに居ても意味が無いと判断したからだ。

牧野の顔を見るのが怖くて宮田はすぐにその場を離れようとした。
しかし牧野は彼の腕を掴み、宮田を引き止めた。


「あなたは私に何も分かってないと言いましたが……!」


牧野は必死に訴えた。

その声音は普段の彼からは想像できないほどに切実なものを感じた。


「あなたには、言えないですよ。私が恵まれすぎていて、辛いだなんて……! 」


牧野は宮田の目を真っ直ぐに見つめながら言った。

その瞳は微かに潤んでおり、牧野は宮田に対して怒っていた。
何故なら、宮田が牧野に抱いている感情と同じだったからである。

彼もまた、宮田が思っている以上に孤独を感じていたのだ。


宮田は牧野の言葉を聞いて、ハッとすると同時に罪悪感を覚えた。

自分が牧野の事を妬み僻み、勝手に劣等感を抱いていただけなのだ。
牧野は宮田よりも遥かに過酷な状況に置かれていたというのにも関わらず、そんな素振りは一切見せなかった。

それどころか、宮田のことまで気遣ってくれていた。


「私は周りの人に迷惑をかけないように、求導師として精一杯やってきたつもりです。だけど、それでも足りないんです。もっと頑張らないとって思って、頑張って、時には見て見ぬふりをして……それでやっとここまで来たんです!」


牧野が言っていることは事実だった。


牧野は求導師として立派に務めを果たそうと奮闘している。

それは村人たちも認めていることだった。
だからこそ牧野は、自分が不幸だとは思っておらず、むしろ幸せであると思っている。

しかし、それは牧野にとって偽りの姿であった。

牧野は本当は自分のことを愛して欲しいと思っていた。
村の人たちにも、そして誰よりも唯一の家族である弟に愛されたいと願っていた。


だから宮田が求めていることが痛い程分かった。


牧野は掴んだ宮田の腕を離そうとしない。
宮田が振り払おうとすればできたが、何故かそれができずにいた。

牧野は宮田の目を見て言った。


「私は、貴方の苦しみを分かち合うことはできないかもしれません。だけど、貴方の力になりたいんです。辛いことがあったなら、私が支えになります。だから一人で抱え込まないでください」


その目は真剣そのもので、宮田は思わず目を逸らすことができなかった。

そして牧野の言葉は宮田の心に深く突き刺さるようだった。
その声はとても落ち着いていて、まるで聖書の一説を読むかの如く静かで、とても優しくて慈愛に満ちたものだった。


「……でも宮田さん、よくお話になってくれましたね」


牧野は少し嬉しそうな顔をしてそう呟いた。

確かに宮田は、今まで誰にも悩みを打ち明けたことはなかった。
それは彼自身が誰にも弱みを見せたくないというプライドがあったからである。

しかし今は不思議とそんな気持ちは無かった。
何故だろうと考えた時、答えは一つしか思い浮かばなかった。

(この人には何でも言えるような気がする)

それが宮田の率直な想いであり、同時に牧野に対する信頼の証でもあった。

牧野は宮田のことを信頼してくれている。
それならば、自分も牧野のことを信用しようと思ったのだ。

「もう大丈夫ですよ」

牧野は宮田の手を握ると、微笑んでくれた。

「……牧野さん、ごめんなさい……」

それが宮田にとっては救いになったのだ。

牧野は彼の手を握りしめたまま、彼の目を見つめると宮田は照れ臭くなり、視線を外す。

すると牧野はくすっと笑った後、宮田に話しかけてきた。


「謝らなくてもいいですよ。私はあなたが思いをぶつけてくれただけで、嬉しいですから」


いつも通りの優しい声で。

宮田は牧野の声を聞くだけで安心した。
今まで感じていた不安が嘘のように消えていくのを感じた。

彼は今、生まれて初めて心の底からの安らぎを感じていた。

そうして牧野はそんな彼を抱きしめると頭を撫でた。
子供扱いされているようで恥ずかしかったが、それを嫌とは思わなかった。

宮田は抵抗することなく、そのまま彼の腕の中に収まった。


「もう少し、こうしていましょうか」


宮田はその温もりを感じながら考えていた。

自分はずっと誰かにこうして欲しかったのかもしれないと。

宮田は牧野に甘えるように抱きついたまま離れようとしなかった。
牧野も宮田の気持ちを察するように彼の背中をさすり続けた。


そして、ふと宮田は思う。


今まで自分を支えてくれている人はたくさんいたが、こんな風にしてくれたのは初めてだと。


牧野は自分の中では特別な存在で、他の人間とは違って、唯一無二の存在なのだと。


彼の優しさに触れる度にそう感じ、牧野の傍にいることで、自分が救われるのを感じるのだ。





そうして宮田の瞳からは涙が一雫、静かに零れ落ちた。






fin.




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