沈んでから浮き上がるまでの速度


「全く、貴女は馬鹿なんですか!」

会って早々に安吾にお叱言を頂くことになることは、なんとなく予想していたが徹夜明けの頭にその怒鳴り声は響いた。

休暇が明けて職場には部下が書き上げた報告書が溜まっていた。安吾は出張でいなく、その書面に確認の署名をすること丸一日。ようやく片付いたと思った途端の出来事であった。お叱言の原因は勿論、過日の公安への協力体制についてのことである。

「此方には片付けないといけない案件が山程あるのに、それに加えて公安へ協力するなんて正気ですか?そもそも、特務課の存在を公安の一捜査員に明かすというのが論外です。」
「そういう安吾だって織田君や太宰君の前で自身の所属を明かしたじゃない。そもそも藤原さんが種田さんに了承を取っているから合意の上よ。」

そう言い、眠気醒ましに飲んでいた紅茶に口をつけた。ああ、ぬるくなってしまっている。藤原さんが種田さんまで手回しをしていることに関してはあの一件の後に知ったことであったのだが、流石というかあの驚きも演技だったのか、と関心した。

「それに、ポートマフィアが関わっている案件を勝手に公安に動かれるよりは監視役がいる方がマシでしょう?」
「それなら尚更です!貴女は私とは違ってポートマフィアからの報復を受ける可能性が高いんですから!」

ふふ、と冗談めかしに笑いながら言ったその言葉に思っていたよりも感情を露わにした安吾に反論に戸惑う。確かにポートマフィアの報復を受ける可能性が高いことは承知の上だが、広津さんのあの様子を見る限り私の立場は思っていたよりも悪い方に転んではいないのではないかと思っている。最も、森鴎外という人の考えていることは凡人である私に理解出来る容量(キャパシティ)を超えているので測ることなど出来ないのではあるが。安吾が特務課のエージェントであることも、どうやら加入当初から知っていたようだったし。

「……私は死に急いでるわけじゃないんだよ、安吾。ただ、公安の真っ当な職員が巻き込まれて死ぬのは不本意でしょう?」

その言葉に安吾は何か言いたそうに口を開きかけたが、それが言葉になることはなかった。少なくとも、公安の職員は私達特務課よりもよっぽど信念を持って日本(この国)を守ろうとしていると私は思うのだ。だからこそ、協力を申し出た。ただそれだけである。彼らの持つ正義に恋い焦がれた、とでも言うべきか。正式にこの件は種田さん直々のご指名で私が受け持つことになったので、普段の異能者の情報収集は部下に任せ、公安との共同作業が私のメインとなりそうである。



「では、改めてよろしくお願いしますね、風見さん。」
「……こちらこそ、よろしくお願いします。」

といってもあくまで主導は公安であり、ポートマフィアからの攻撃を受けないようにする、というのが正しいところだろうか。

「そういえば、あむ…いえ、降谷さんはいらっしゃらないんですね。」
「あの人はトリプルフェイスなので、常時忙しいんです。」
「トリプルフェイスね、」

その言葉に思わず、安吾のことを思い出した。彼とて特務課の人間としてポートマフィアに潜入し、そこから更にミミック、なんて組織に潜入していたのだからその多忙さは推し量ることが出来ないだろう。降谷さんの場合は自分の所属する公安と、組織、そして安室透としての顔な訳だが安吾とどっこいどっこいな気はする。どちらも到底私には無理なものであるが。そう考えていると、風見さんの部下から連絡が入り監視対象が現場入りしたとのことであった。公安が監視していたテロ組織ーーは、ポートマフィアと爆弾の取引をするらしい。段取りとしてはテロ組織が取引を終了して、ポートマフィアがいなくなってからの確保、である。問題はその取引相手が誰かによることだ。爆弾、というぐらいだから梶井基次郎が来ると予想しているがどうなるか分からない。

『対象きました』

「来たぞ。」

物陰に隠れながら様子を伺っていると再度インカムから連絡が入ると同時に、私たちの視界にも入る。先に来たのはどうやらテログループの方だった。流石に辺りに盗聴器でも仕込んでポートマフィアにバレては敵わないので何を話しているかは分からない。ある程度の口の動きで何を話しているかの察しはつくが、まどろっこしいので異能を発動した。

「……”音収(フェアザンメルントーン)”」

金色の蝶がふわりと舞い、対象に見つからない物陰へと潜んだ。勿論異能によってその音をきくことが出来るのは発現させている私のみである、といっても第三者に聞かせる方法がなくはないのだが、めんどくさいのでやらない。

(ポートマフィアはまだ来ないのか?)
(今、車が到着したようです。)

「ポートマフィアもきたぞ」

拾った声がそういうのと同時にインカムにも連絡が入ったらしく、風見さんが小声でそう言った。車から降りてきた人間に目を向ければ雨など降っていない晴れたこの日に朱色の番傘をさしていた。ということは…

「紅葉ちゃんか…」

よりにも寄って彼女がくるのか、と嘆息をついた。私と彼女は歳が近いということもあり、比較的良好な関係を築いていた。でも、紅葉ちゃんは私が姿を消したことに関して裏切ったと思っている可能性が高い(事実だが)から万が一にでも私が姿を晒すなんていうのは避けたいところである。紅葉ちゃんが部下に指示をだし、取引をしているのが見える。その後、無事に紅葉ちゃんを含むポートマフィアは退散し、そこを狙って公安がテロリスト達を一斉検挙した。

「この度のご協力感謝します。」
「いえ、皆さんが無事に任務を遂行することが出来て良かったです。もし、またポートマフィア絡みの事件を扱う時は一声かけてくださいね。」

今回のような危ない橋をそう毎度渡られては、こちらもたまったもんじゃない。

「えぇ、その時はまたお声がけしますのでよろしくお願いします。」



「っていうことで無事に終わったわよ、安吾。」

今回の事の次第を綴った報告書を片手に安吾の執務室を訪れていた。不本意ながら、安吾とは同期であるが彼の方が役職的には上である。厳密には同期ではないのかもしれないが、それは仕方がない。そんなことを言っていると私の同期は存在しないことになるのだろうから。

「ご苦労様です。無事で何よりですよ、朔。ですが、生憎しばらくは休暇が取れなくなりそうですよ。」

ぼん、と効果音がつきそうに分厚い書類の束を渡された。半眼になりながら、中身をペラペラとめくっていく。

「そのようね、海外の異能者が態々(わざわざ)横濱まで来るなんて、まるでミミックの時みたいね。」

その言葉に安吾がピクリと眉を上げた。あの事件は安吾も、私も、太宰君もあまり触れられたくないものとなってしまった。特に安吾と太宰君の相性は最悪だ。織田君が死んだきっかけを作ってしまったのは不本意とはいえ、安吾であるから。当時、いやもっと前から森さんはああいう結末を用意していたのかもしれない。安吾を欧州に行かせた時点で。私は登場人物から外されていたから、下手に行動に移すことも出来ず、本来のポートマフィアの監視という任務を遂行するために首領の横という特等席で事の次第を静観することしか出来なかった。

ーー若し、あの時私が何か行動を起こせば事態は違う結末を迎えたのだろうか?今もあの四人で酒を酌み交わすことが出来ていたのだろうか?そう何度も思ったことはあったが、残念ながらこの世界にIFはないのが現実だ。

過去を遡る異能者に出逢うことがあった、その時は………

「えぇ、そうですね。」

眼鏡のブリッジを上げその一言しか返しはしなかった。やはり、安吾の中でもあの一件は苦い思い出なのだろうか。いくらエージェントとはいえ、私達だって人間であるからには感情もある。そう易々と割り切れる問題のではないのだろう。眉を寄せたままの彼に手を振り、執務室を出ようとしたら不意に安吾が「そういえば、」と声を出した。ドアに手を掛けたまま、不思議に思いながら振り返れば安吾が一枚の紙を突き出していた。

「おめでとうございます、昇進ですよ。」

紙を受け取ると、其処には内務大臣と種田長官の印が押された辞令があった。

「まぁ、貴女のポートマフィアへの潜入期間とそこから得られた情報の重要性を考えれば妥当でしょう。」

差し出された紙を受け取り、その内容に目を通すと昇進の旨が書かれていた。

「審議官補佐ね、これで安吾より上になれると思うと嬉しいわ。」
「…そうですか。あまり此方にもしわ寄せがくる無茶はしないでくださいね。」
「善処します。」

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