05
ラバルナが世を捨て隠居してから更に数年の年月が流れていた。その日はラバルナとクマルと共に市井に赴いた帰りだった。
「今日中に…この峠をこえて次の村まで行かねばまた野宿です。」
「わしは世を捨てた老人じゃよ、クマル……明後日までに山の住まいに着けば良い。」
ラバルナはこの数年の間に本当に老け込んでしまった。その姿を見ると胸が痛む、年老いた彼に。変わらない自分に。クマルは私のことをラバルナの一番弟子だと思っていた。だから、私の容姿が変わらないことは知らない。複雑な思いを抱きながら、側を流れる川を見ていると上から何か流れてくるのが目に入った。2人も気付いたようでクマルが声を上げた。
「こ、子供が溺れています!ラバルナさま」
クマルが声を上げている間に私は川へと飛び込んだ。抱き上げた小さな体躯は冷え切っていて、きっと長い間水に浸かっていたのだろう。
「クマル、暖をとるための火を。」
「は、はい!」
銀髪に整った顔をした男の子だった。激流を流れてきたせいか、あちこちが傷だらけで見ているこっちが辛くなりそうだ。フェニックスの力を借りて呪文を二言三言唱え、患部に触れた。あまり治しすぎてしまうと疑われるだろうから、あくまで辛くない程度に。着ていた衣服もズタボロだった。
「ぼうや、しっかりしな…」
クマルが懸命に声をかける。この男の子は一体何処から流されてきたのだろうか。すると、男の子が身じろぎ目を覚ました。
「気が付いたのね、君。傷が酷いからあまり急激な動きはしない方が良いわよ。」
起き上がった男の子はすぐさま体の痛さに声をあげた。言わんこっちゃない…そうかと思えば人の顔を見て目を丸くした。忙しい子だね。
「レイの髪色が珍しいのだろう。」
「嗚呼、なるほどね。」
この辺りに赤毛を持つ人間はいないのだった。最近山に籠もりがちだから、どうも忘れてしまう。
「家は…どこかね。親が心配しておるじゃろう。ぼうやの名前は…」
「うん…助けてくれありがとう。私は…」
そこで男の子は何かを思い出したかのように声を上げ、身を固くさせた。こう至るまでに何かに巻き込まれたのだろうか。例えば盗賊に出会ったとか。
「無理しない方が良い。横になってもう少し休みなさい。」
毛布をかけてやると、丸くなってしまった。ラバルナと目を合わせると、彼も察しているようだった。この男の子に何かのっぴきならぬことが起こったと。
「まだ幼い…子供じゃ。しばらくそっとしておいてやるが良いぞ。」
「そうですね、ラバルナさま。川に落ちて死ぬようなめにあったんですからねえ。」
二人が腰を下ろしたのを傍目にストラスを喚んだ。ストラスの外見は可愛らしい梟である。男の子が上流から流れてきたことを考えると最悪首都ハットゥシャの都から流れてきた可能性もある。ストラスに探らせれば男の子の素性を掴めるかもしれない。それから気が付いた時には日が傾き始めていた。
「ラバルナさま、日が暮れてまいりましたよ。そろそろ出発なさらないと夜中歩くことになりますよ。」
「うむ…レイ、子供の様子はどうだ?」
腰掛けていた岩から離れ、男の子の側に膝をついた。頭を撫でれば、ゆっくりと目を開いたがまだ意識が覚醒していないようだ。
「気分はどう?」
そうたずねると、ぎゅっと手を握られた。後ろではクマルが荷造りを始めようとしていた。
「そろそろ出発の用意をいたしましょう。ラバルナさま。」
その言葉に男の子は勢いよく立ち上がった。
「あなはもしかして”真実の書”を書かれたラバルナ師なのですか。」
「おぉ、元気が出てきたか。わしは…ラバルナじゃが…」
「わたしは、あなたの書を読みました。ラバルナ師、もっともっとあなたの書を読みたいと思った!」
若いその勢いにラバルナが押されているのが面白くて、つい笑ってしまった。おかげで一瞬鋭い視線を貰ってしまった。にしても、こんな幼い男の子がラバルナの真実の書を読んでいることに驚いた。識字率自体さして高くないこの時代にこの幼さで理解しているとは。しかし、その驚きは辺りの煩さに吹き飛んでしまった。辺りでは『行方不明の王子のでは手がかりはないかーっ』『ウリアさまのきついご命令だぜ。しっかり探せ。王子の死体を確認しろ』『でもまさか都から1日がかりのこんなところまで流されてくるはずねえよ』そういった物騒な言葉が飛び交っていた。ストラスの帰りを待つまでもなく、目の前の彼の正体の検討がついてしまった。それはラバルナも同じだったようでクマルに火を消すように指示を出していた。
「ラバルナ師、わたしは…わけあっていまくわしく話せませんが…わたしをしばらくあなたのもとへおいてください。」
「なに……」
「おねがいです、命をねらわれています。何も聞かずに…わたしをあなたのところへかくまってください。みんなにわたしを死んだと思わせたい。」
その勢いに押されたようにラバルナは頷いた。幼さに合わず機知に富んでいるようだ。ちゃんと礼を言うのも律儀でる。
「じゃあ、私の馬に乗ったら?」
ラバルナより私のが軽いし、と言えば苦笑いをした。それから夜通しでエルジャス山を目指した。同乗だから、とここぞとばかりに話しかけた。
「君、名前はなんて言うの?私はレイよ。」
「わたしは……イミルだ。あなたはラバルナ師の弟子なのか?」
「イミル君ね。さあね、どうなのかしら…ラバルナとはもう長い付き合いだけど。」
そう話しているとストロスが戻ってきた。ストロスはクロオビヒナフクロウのように体躯が黒いため、闇夜に紛れやすい。イミルはいきなり飛んできたストロスに驚いたようだった。腕を差し出せば、留木代わりに止まった。そして顔をすりつけ、テレパシーを送ってきた。首都ハットゥシャでは第一王子のイズミル王子が行方不明になって、大捜索が行われていると。
「わぁ、すごい!このフクロウはレイが飼ってるの?」
「えぇ、イミル君も触ってみる?」
ストロスを恐る恐る撫でる姿はなんと微笑ましいことか。なんだか精神年齢をくったせいで孫を可愛がるような思考になっている。
「着くまでストロスをよろしく。」
そう言うとストロスは分かった、というようにイミルが抱きしめられるように前に止まった。こう見えてストロスは子供好きである。
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