数多のテーブルにかかる白いクロスも、ピカピカに磨かれたシルバーも、使っている材料からは味から何もかもが想像出来ない料理も、シャンメリーとシャンパンの違いさえわからなかったわたしには、まだはやい興味のないもので、花の香りも濃く漂う、シャンデリアも眩しいこの場所に、ただただわたしは不釣り合いだった。
 叶うなら。慣れない細いヒールも、自分では選ばない華美なドレスも、はやくはやく脱いでしまいたかった。ただそれには座らなきゃふらついてしまうだけで、手伝って貰わなきゃ身体が固くてファスナーに届かないだけで、仕方なくわたしは広い会場の隅っこで、味の知っているカルボナーラを食べている。

 作曲家のお姉ちゃんが携わっている舞台関係者用のレセプションパーティーになんて来たって、こうなることはわかっていた。お姉ちゃんはあんたもこういう仕事がしたいならね今のうち顔出しときなさい、悪いようにはならないから、なんて言って、こういった場に連れてくるけれど、わたしには別にお姉ちゃんみたいな評価がされる曲が作れるわけでもなければ、だいたい、趣味で曲を作っているだけで.......そうやって同じことをぶつけているはずなのに、マイペースなのかわたしの言葉を無視し続けている。少し出来るくらいで、わざわざお姉ちゃんと同じ道を選ぶことなんて、較べられることが怖くって出来ない。わたしにはそれさえ口にする勇気だってないのに。

 クリスマスに飲んでいるやつだと手を伸ばしたシャンパンは、それとは違うお酒、なのだと言われたことが恥ずかしくて、探していたのは水だと言って手に入れた水がしゅわりと喉を通る。水すらも炭酸水。水なのにお金のかかる水。帰りたい。これを食べ終わったらお腹が痛いと言いに行こう、お姉ちゃんは関係者だろう大人たちと忙しそうに楽しそうにしているけれど、今日はもう頑張った、と、一緒に載せてきたからあげに箸を向けた時だった。

「すみません。水を探していて、その水はどこから.......」

 艶のあるさっぱりとした青い髪で、クリームがかった白いジャケットの制服を着た、同い年くらいの男の子。忙しなく歩いてる黒いスーツの人なら誰でも話しかけたらもらえるだろうに、不慣れな感じといいやけに身近に感じて、また貰いに行くのは面倒だからと予め2つ貰っておいた、口のつけていないグラスを差し出す。

「あの、これ.......まだ飲んでいないので、どうぞ」
「助かります」

 そう言って、目の前の彼は遠慮なくグラスを空にした。こういった場は慣れなくて、苦々しそうに言う彼に気づいたら「よかったら少しお話しませんか。あと、敬語いらないです」わたしは声をかけていて、恐らく同じく手持ち無沙汰にしていただろう彼は「ありがとう。なら、その言葉に甘えて」と言った。

「詳しくなくてごめんね、今日はどういうあれで、ここに?」訊ねると、彼は自分の名前はツキガミカイトなのだと言った。ツキガミ、月皇。

「あ、主演の」
「月皇遥斗は兄なんだ」
「月皇くんも役者さん、なの?」

 殆どそれは条件反射だった。わたしのようにあんまり訊かれたくないことかもしれない、だけどそれでも、なんとなく、許してくれそうな気がした。同じような境遇の月皇くんなら、きっとわたしの話も聞いてもらえるような気がした。

「ああ、兄と同じ.......ミュージカル俳優を目指して勉強中だ」

 そっちは、という月皇くんにまだ自分は名乗っていなかったことに気づく。「わたしは苗字名前っていって、お姉ちゃ.......姉がこの舞台の曲の作曲をしていて」言葉尻を窄めていくと、俺も普段は兄さんって呼んでいるから呼びやすい方で構わない、と月皇くんが笑う。少しだけ、緊張が解れていく。

「苗字さんも作曲を?それとも、演奏とかだろうか」

 言うか言わまいか、少しの微妙な間だったと思う。その機微に覚えがあるのか月皇くんはああ悪い、話したくないのなら無理にはと、話を切り替えようとしてくれる。ただ、今日は不思議と勇気の出る日だ。皿を近くの空きテーブルに置いたおかげで空いた手のひらをぎゅうと握りしめ、ぽつぽつとこぼしていくまとまりのない言葉を月皇くんは黙って聞いてくれている。本当はお姉ちゃんのようにはまだ行かずともわたしから生まれた曲が世に出てほしくって動画投稿サイトに曲を上げていること、いつかは同じような音楽関係の仕事がしたくて放送委員会や演劇部の裏方の仕事を手伝っていること、ただ、お姉ちゃんが遠すぎて勇気よりも少し手前で諦めてしまいたくなること。こみあげてくる涙だけはどうにも格好悪くなってしまいそうで、必死にこらえながら、拙くわたしは話す。
静寂が訪れる。月皇くんは対照的に言葉を選んでいるようだった。受験の結果発表を確認するときみたいな緊張感が足元から迫ってくるような思いで、ただ脱ぎたかったはずのヒールを見つめる。つま先のビジューが光る。

「わかる、というのはおこがましいのかもしれないが、わかるよ」

 眉を下げ少しだけ苦そうに、でも吹っ切れているように、月皇くんは笑う。出会った時から同じくらいだとわかったはずの彼が、妙に大人びて見える。わたしのように語られることはなかったけれど、きっと。

「いつか一緒の舞台が作れること、楽しみにしている。まあ、お互い気は早いだろうけどな」

 そう言って差し出された手に無意識に前のめりに触れる。すると、何かに気づいたようにした月皇くんは反対の手をポケットに送る。タイミングを見計らったように入ったのは着信だったようで、じゃあこれで、また会おう、と月皇くんはキラキラとした輪に混ざっていった。

 わたしもお姉ちゃんのところに戻ろう、そうして踏み出した慣れないかかとの三拍子に心が弾む。フレーズが浮かぶ。初めての自分のためじゃないメロディは、きっといつか王子の役だって似合う彼に。そのためなら、今日の景色を覚えておくのも悪くない。