さわさわと風が音を立てる。
わたしはベンチに腰掛けて、綺麗な星と月がキラキラと輝く空をただただ見つめていた。
そしてときおり、くちびるにふれる。
先程の熱くて、わたしのとは全く違う感触――虎石くんの唇の、感覚。ひゃあ、と顔の温度が一気に上がってしまい顔を手で覆った。そしてパタパタと手で顔に風を送るとひとつ息を吐く。でもまた思い出してしまってまた顔を覆った。
ちょうどチケットがあったから、上映期間終わるから、そう理由を並べられた「お出かけ」の帰り道。寮の前で別れるときに発した「またよかったら誘ってね」というほんのちょっとの期待を込めたその言葉は、いつだって誘っていい理由へと繋がった。
オレのこと好き? なんて訊かれて、わたしが驚きながらも頷けば「マジで? オレも好き」なんて子どもっぽい笑顔でわたしと視線を合わせてくれてドキドキしたのは、いまさっきのこと。すきだよ、だいすき、そう必死に言葉を伝えれば、本当に嬉しそうに笑ってから一度だけ唇が重なった。
――その感覚が離れないなんて、そんな。
そのまま部屋に戻ったけれどあつくて、ちょっと夜風に当たろうと近くの公園まで来たはいいけど全然熱は引いてくれる気配がない。
「……こんなんじゃ呆れられちゃうよ」
「誰に?」
心臓がぎゅう、っと縮こまった。覆っていた手を離せば、さっきからずっとずっと考えていた虎石くんがいて、わたしは息を飲んで彼を見つめる。――考えすぎて、夢かと思った。でもそんなことを云ったら笑われてしまいそうで、わたしはぶんぶんと首を振る。
「な、なんでもない……それよりも虎石くん、なんでここに……?」
「ちょっと散歩」
「こんな時間に?」
「それは名前ちゃんにも云えっからな〜? むしろ名前ちゃんひとり、っつー方が心配する」
外行きてーならオレのこと呼んでくれてよかったのに、そう少しムクれたように話す虎石くんに思わず口ごもってしまう。
「それ、は……」
「それは?」
「ん……その、と、とらいしくんにね」
オレ? そう自分を示す虎石くんにこくこくと頷く。キス、されてからいっぱいいっぱいで……そう俯きながら言葉を続けたけれど、虎石くんからの反応はない。……本人の前でなにを、と思った途端堪らなくなって、手をぶんぶん振った。
「な、なし! いまの、わすれ――」
「名前ちゃん」
その声に肩を揺らす。わたしの言葉を遮った虎石くんの方を見ると、真剣な瞳とバチっと目が合ってしまってまた俯いた。
「……名前ちゃん?」
「う……はい…………」
観念してそろりと顔を上げると、虎石くんが目を細めた。ね、そう甘い音で声をかけられてわたしは目をそらせなくなる。
「キス、初めてしたのオレ、ってこと?」
「……そう、です」
「じゃあ抱きしめられんのも?」
「う、うん」
「――こうやって、手握られんのも?」
その言葉とともに虎石くんの指がわたしの手の甲を撫でて、そのままわたしの手は虎石くんの口元に連れて行かれる。また何度も頷けばじゃあ、と前置いてわたしの指先に唇を落とした。
「な、ま……っ」
「こういうのも?」
「ないっ、ないよ……!」
こちらの回答もままならないうちに虎石くんはわたしを引き寄せる。もうわたしの思考は虎石くんの行動には追いついていない。助けを求めるように虎石くんのことを見るけれど、その願いは全く聞き届けられることはなく、ついにはちゅう、と手のひらに吸い付かれた。
「ひ、ちょっ、もうむり……っ」
「んー? 名前ちゃんはオレにちゅーされんの嫌?」
少しだけ切なげに眉を下げられて、わたしは震える声で否定する。
「〜っ、すき、だよ、すき……っ」
「……そんなに慌てなくてもいいって」
すき、すき、だいすき、そう思ってもそれは上手く音を為さない。喉の奥に引っ掛かったままの言葉は、そのまま身体の温度をあげるばっかりで、おさまることを知らない。
あつい、そう思った途端ひゅ、と風の音がした。くしゅ、と思わずくしゃみをしてしまう。
「――ん、さみーよな、帰るか」
わたしの手のひらにキスの雨を降らしていた虎石くんはわたしと目線を合わせたあと、かぷりと鼻の頭に噛み付く。それにぎゅうと目を瞑ったところで手を引かれて、虎石くんはわたしのことを立ち上げてくれた。少し名残惜しくて、その手をぎゅうと握り返すとふと笑みを零される。――欲張りに、なってしまう。
「名前ちゃん、次の土日空いてる?」
「うん、大丈夫」
「どっちも?」
「ん……? うん、どっちも」
再度頷けば虎石くんはデートな、と口端を持ち上げた。ぶんぶんと頷けばうれしーのな、なんてわたしよりもずっと嬉しそうに笑う。……わたしの方が、ずっとずっとうれしい。
「名前ちゃん」
「ん? な――」
なあに、と間延びした声は喉の奥にさっきの言葉と一緒にまとめて引っ込んでいった。虎石くんの鼻先とわたしの鼻先がぶつかる。
「とら、いし、く」
「――じゃあその二日、朝から夜までオレにちょーだい?」
朝から、晩まで。
それがわからない、なんてことはない。
けれども信じ難くて何度も瞬きを繰り返してしまう。息をすれば触れてしまいそうで、うまく息もできない。
「――ダメ?」
「だ、だめじゃない! です……」
だめじゃないよ、そう両手で虎石くんの手を握れば、そっか、と安心したように虎石くんは笑みを零す。
「じゃあ決定な」
「ん」
「あ、あと――」
外泊、取るの忘れんなよ?
そんな虎石くんの低い声にいつも以上にか細い声で肯定を返すと、極めてゆるやかに虎石くんの目の色が変わる。それからかぁわい、そう虎石くんがずっとずっと甘い声で笑った。