――星谷くんに、見つかってしまった。

 ぽり、とクッキーをひとくち。
 人気のない教室、ただ開かれただけのハードカバー本、そして熱くも冷たくもない、ペットボトル。
 窓の外に目をやってただ空をじいと見つめた。最終下校時刻までのこの僅かな時間が実は少しばかり気に入っている。

 そしてクッキーをもう一口。
 今日の調理実習で作ったクッキーは案外出来がよくて、誰かにあげても良さそうなものだ。……まあ、あげる人なんて居ないんだけれど。
 もう一つつまんで、星型のそれを口の中に放り込む。――いた、渡したい人。わたしたい、おとこのこ。
 ただ渡す理由がひとつも思いつかなくて、渡すのをやめたのだ。彼女でも、ましてやすごく仲が良いわけでもない普通のクラスメイトからいきなりクッキーをもらって不思議に思わない人はいない。普通、なら。

 この袋が空になったら帰ろうと、残り少なくなった袋からまたひとつ口の中に放り込んだところでガラリと扉が音を立てた。見回りの先生だろうか、すぐに出ますと云わないと、そう申し訳なさそうな顔を取り繕って振り返る。
 けれどもそれは意味をなす間もなく、意味のないものになった。

「苗字?」
「……ほし、たに、くん?」

 あれ、お稽古は、そんな風に口にすればそーなんだけどさ、オレ忘れ物しちゃって、そう頭を掻きながら自席の引き出しの中を探す。

「苗字は? こんな時間までなにしてたの?」
「え? ああ、うん。……ちょっと考えごと、かな」

 そう返すと、星谷くんは少しの間わたしを見たあと、こちらに来て適当な近くの椅子を引く。それから思わず首を傾げたわたしに声をかけようと口を開いたあと、視線はゆっくりと机の上にと注がれた。それからわたしとばちん、と目が合う。
 星谷くんの目はわたしを真っ直ぐ見つめていて、思わず目を逸らしてしまう。それからガサリと音を立てて、クッキーの入っている袋を星谷くんへと差し出した。

「……食べる?」
「いいの!?」

 キラキラとした双眸に見つめられてわたしは美味しければいいんだけど、と前置いてそのクッキーを渡せば星谷くんはご丁寧に星型のクッキーを上に翳してすごい、そう口にする。型で抜いただけだよ、と笑えばオレ上手くできないもん、そう笑ってぽい、とそれを口に放り込んだ。それから少し頬を紅潮させておいしい! と口にする。そしてわたしの方に直って、もう一度。

「すっごいおいしい!」
「……うん、ありがと」

 もう一個食べていい? とちょっとそわそわしながらわたしに訊くのでもちろんわたしは頷く。全部食べていいよと付け足せばすごく嬉しそうにもう一つ口にした。……ああ、よかった。おいしいと云ってもらえて。

 ちょっと渡したいと思ってた、その男の子に。

「いいなあ」

 星谷くんがそう一息つく。なにが? そう意を込めて首を傾げれば羨ましい、そう星谷くんが続けた。

「苗字の彼氏は、いつもこんなに美味しいお菓子食べられるんだ」

 ドキリと心臓が音を立てた。それにも関わらず星谷くんはお菓子作れるなら料理も上手そうだもんなあ、と世間話のようにぽんぽんと言葉を続けていく。いや、別に、そんな、そう謙遜の言葉を並べたいのに上手くいきそうにない。はくはくと唇を動かして、言葉を探していると星谷くんが残り一枚を手に取る。

「オレが彼氏だったら、絶対嬉しいし、自慢しちゃうかも」

 ぽん、最後の一枚が星谷くんの口内に消えた。ぽり、ぽり、と星谷くんが咀嚼する音だけが聞こえる。星谷くんの喉が小さく鳴ったところで、わたしの喉奥からやっと言葉が押し出された。

「明日も作ってきたら! たべて、くれますか……?」

 そう提案したわたしの表情は多分強ばっている。星谷くんもきょとんとした目でわたしを見て、ぎこちなくも頷いた。

「オレで、よければ……?」
「……星谷くんが、いいの」

 妥協じゃなくて、星谷くんがいい。
 すると星谷くんは一拍置いてからすげー嬉しい、そう頬をほんの少し紅潮させる。わたしも、わたしも嬉しい。

 ――この気持ちの名前を、わたしは知っている。
 まだ伝える勇気は出そうにないけど――その気持ちを少しずつお菓子に詰めるから、いっぱいになったそのとき、君に「好き」って伝えさせてね。