Red AngelM
着信を告げ、震えるスマートフォンを手に取るベルモット。表示された相手を確認してその場にいるジンとウォッカに電話に応じる、と目配せして画面をタップする。1〜2分程で通話を終えると彼女は僅かに口角を上げた。
「何か良い知らせでも?」
「私の友人が今から相手の男性にプロポーズの返事をしにいくんですって」
「プロポーズの返事、ですかい」
「何て返事をするのかまでは聞かなかったけど、相手は寶井財閥の御曹司。アタシが彼女の立場なら“Yes”と応えるわね」
『寶井財閥』の名が出た刹那、マッチを擦ろうとしていたジンの手が一瞬止まる。
「しかしねぇ⋯結婚なんて金があれば幸せってもんでも無ェでしょう?」
「お金より愛が大切ってワケ?ふふ⋯ウォッカ、貴方って案外初心なのね」
「あまりに貧乏ってのも苦労しやすがあんな大財閥に嫁いだら最後、しきたりだのマナーだの口煩く言われるのは目に見えてますし、相手の身内の中にも快く思わねぇ輩だって必ずいる=見えない所での嫌がらせ諸々⋯俺だったらいくら金があってもそんな結婚は勘弁ですぜ⋯」
中々説得力のあるウォッカの発言にベルモットも「成程ね⋯」なんて相槌を打っていると、今まで黙って煙草を吸っていたジンがそれを灰皿に押し付けて徐に立ち上がった。
「――どこに行くの、ジン。まだ会議の途中よ」
「⋯煙草が切れた」
「兄貴。煙草なら俺が、」
「構わん。ついでに野暮用を済ませてくる⋯後は二人で進めておけ」
言い残すとジンは足早に部屋を出て行く。
「兄貴が話の途中で抜けるなんて、珍しいっすね⋯」
「まぁいいじゃない」
ジンの“野暮用”が何なのか察したベルモットは内心密かにその背中へエールを送った。
***
今名前はジンの愛車であるポルシェの助手席に座っている。寶井とレストランで会食している最中に半ば強制的に連れ出されたのだ。一体何がどうなっているのか⋯言いたい事、聞きたい事は山程あるがあまりに想定外な事態に名前は何一つ言葉を発せられず現在に至る。
街を離れ、人気のない港らしき場所に辿り着くとジンはようやく車を停止させた。けれども一向に口を開く気配を見せないジン。名前はとうとう痺れを切らした。
「⋯私の監視は、最後にしたんじゃなかったの?」
「⋯⋯」
「組織について口を噤んでいる限り、お前は自由だって言ったよね?だったらさっき寶井さんに言ったのは何?どう考えても矛盾し、っ!」
言い終える前に、名前の口は塞がれていた。驚きのあまり咄嗟にジンの身体を押すがビクともせず、大人しくしろと云わんばかりに軽く下唇を食まれる。結局それ以上抵抗できず、されるがままになっているとやがて唇は離れて行ったが至近距離でじっと、ジンの瞳は名前を見据えたままだ。
「も⋯何⋯?訳分かんない、よ⋯」
「悪いな名前⋯お前を自由にしてやる、ってのは取り消しだ⋯」
「⋯⋯」
「お前は誰にも渡さねぇ⋯」
互いに見つめ合ったまま沈黙が流れる。が、次の瞬間名前はふっと笑みを浮かべた。
「――私は、ジンに殺されるなら本望だよ。元々あの時殺される筈だったんだし」
「⋯⋯」
「私の最後の願いも叶ったから悔いも心残りもない」
「⋯?名前、お前何を⋯」
「でもこのままじゃジンの車、私の血で汚れちゃうね。降りてあそこの倉庫に、」
全く話が噛み合っていない状況にジンは溜息を吐くと体勢を戻し、その身を運転席に深く沈める。その様子に名前も口を噤んで彼の動向を窺う。するとジンはシートベルトを解除してドアを開け外に出た。それに倣い名前も車を降りる。
真っ暗な海と、月と星が輝く夜空。最後にジンと此処に来られて良かった⋯なんて密かに思う。と同時に冷たい海風に曝されて軽く身震いすれば、ふわりと温かいものに包まれる。見ればジンのトレンチコートが肩に掛けられていた。
「心遣いは嬉しいけど、ジンが風邪引いちゃうよ」
「構わねぇから着ていろ。寒いんだろうが」
「⋯ありがと」
コートの前をきゅっと合わせ掴んでジンの温もりと匂いに浸る。幸せで泣きそうだ。殺されるなら、今この瞬間がいいと本気で思った。
「ジン⋯撃つなら早く、」
「⋯だからお前は、さっきから何を言っている」
「何って⋯ジンは私を殺しに来たんじゃないの」
「今までの流れをどう解釈したらそんな答えに行きつくんだ⋯」
「だって寶井さんからプロポーズされた事をベルモットさんに相談したら後々『プロポーズを受けないと貴女は消される運命にある』って言われて、」
「バラすつもりなら、とっくに始末している」
「⋯まぁ、言われてみれば」
「――で?ベルモットに何を吹き込まれたんだ」
経緯を詳しく話せ、と。
ジンと会わなくなってからもベルモットとは時々連絡を取っていた。その間、寶井からあろうことかプロポーズされ、その件に関しても彼女に報告していた。それから数日後、ベルモットから『組織のボスから貴女を始末するよう命令された。寶井のプロポーズを受けて海外で生活するなら私達の組織も簡単には手が出せない。だからプロポーズの返事はよく考えなさい』という内容の電話があった。
その際、名前は尋ねた。『もしプロポーズを断るという選択をしたら、もう一度ジンに会えるのか?』と。その真意は当然“ジンが殺しに来てくれるのか?”というもの。ベルモットは『さぁ⋯その可能性は無きにしも非ずね』と曖昧に返事を寄越したのだった。
「名前⋯お前まさか端から断るつもりでいたのか⋯?」
「うん。だって結婚なんて心から好きって思える相手じゃないと出来ないし、相手にも失礼でしょう?向こうが真剣に想ってくれているなら尚更」
「首を縦に振らなきゃ、命が危ないと分かっていたにもかかわらず⋯か」
「最後に一目だけでもジンに会えるなら、それでいいって思ってたから」
まぁ、ジンが殺しに来てくれるかどうかは賭けだったけどね。
そう言って名前は笑った。対するジンはベルモットがまさかそんな思惑を張り巡らせていたとは思いもせず、あの場で彼女が電話を受け、その相手が名前で。瞬時に状況を把握した所に加えて『金があれば幸せだとは限らない』という何気ないウォッカの発言を耳にした時点で体が勝手に動いていた。名前は誰にも渡さない、自分のものだ、と衝動的に。そして二人がレストランで落ち合っている所へ乗り込み、呆気に取られている名前の腕を引いてその場から掻っ攫ってきたのだ。彼女が寶井にプロポーズの返事をするか否かという、絶妙なタイミングで。
見事に踊らされたな⋯と自嘲するようにハッと乾いた笑みを浮かべると同時に、ジンは名前の身体を引き寄せて胸に閉じ込めた。
「ねぇ⋯ジン、」
「⋯なんだ」
「私を殺しに来たんじゃないってことは⋯つまり」
「ああ⋯つまりそういうこと、だ」
「う、うぅ⋯」
「――馬鹿が。泣くな」
「だって⋯!いま、さら、」
「フン⋯馬鹿は俺、か」
言いながら更にきつく抱きしめるジン。
「⋯なら、言ってよ」
「⋯何をだ」
「私馬鹿だから、ちゃんと云って貰わないと分かんないって前に言ったでしょ」
「⋯⋯」
「ジン、お願い」
「チッ⋯仕方ねぇな⋯」
低く囁かれた言葉は、しっかりと名前の耳に届いて。それは明確な愛を告げる言葉だった。名前はそれに応えるかの様に精一杯ジンの背に腕を回した。
「だがな名前⋯。俺はこれからも組織の為に生き、組織の為に死ぬ」
「⋯うん」
「今回はベルモットが仕組んだ策略だったが⋯命令があれば、俺はお前を殺すだろう」
「⋯うん」
「それでも、俺と共に居たいのか」
「私の命はジンのもの。その日が来るまで、ずっと傍に居させて」
end
2016/12/21
「何か良い知らせでも?」
「私の友人が今から相手の男性にプロポーズの返事をしにいくんですって」
「プロポーズの返事、ですかい」
「何て返事をするのかまでは聞かなかったけど、相手は寶井財閥の御曹司。アタシが彼女の立場なら“Yes”と応えるわね」
『寶井財閥』の名が出た刹那、マッチを擦ろうとしていたジンの手が一瞬止まる。
「しかしねぇ⋯結婚なんて金があれば幸せってもんでも無ェでしょう?」
「お金より愛が大切ってワケ?ふふ⋯ウォッカ、貴方って案外初心なのね」
「あまりに貧乏ってのも苦労しやすがあんな大財閥に嫁いだら最後、しきたりだのマナーだの口煩く言われるのは目に見えてますし、相手の身内の中にも快く思わねぇ輩だって必ずいる=見えない所での嫌がらせ諸々⋯俺だったらいくら金があってもそんな結婚は勘弁ですぜ⋯」
中々説得力のあるウォッカの発言にベルモットも「成程ね⋯」なんて相槌を打っていると、今まで黙って煙草を吸っていたジンがそれを灰皿に押し付けて徐に立ち上がった。
「――どこに行くの、ジン。まだ会議の途中よ」
「⋯煙草が切れた」
「兄貴。煙草なら俺が、」
「構わん。ついでに野暮用を済ませてくる⋯後は二人で進めておけ」
言い残すとジンは足早に部屋を出て行く。
「兄貴が話の途中で抜けるなんて、珍しいっすね⋯」
「まぁいいじゃない」
ジンの“野暮用”が何なのか察したベルモットは内心密かにその背中へエールを送った。
***
今名前はジンの愛車であるポルシェの助手席に座っている。寶井とレストランで会食している最中に半ば強制的に連れ出されたのだ。一体何がどうなっているのか⋯言いたい事、聞きたい事は山程あるがあまりに想定外な事態に名前は何一つ言葉を発せられず現在に至る。
街を離れ、人気のない港らしき場所に辿り着くとジンはようやく車を停止させた。けれども一向に口を開く気配を見せないジン。名前はとうとう痺れを切らした。
「⋯私の監視は、最後にしたんじゃなかったの?」
「⋯⋯」
「組織について口を噤んでいる限り、お前は自由だって言ったよね?だったらさっき寶井さんに言ったのは何?どう考えても矛盾し、っ!」
言い終える前に、名前の口は塞がれていた。驚きのあまり咄嗟にジンの身体を押すがビクともせず、大人しくしろと云わんばかりに軽く下唇を食まれる。結局それ以上抵抗できず、されるがままになっているとやがて唇は離れて行ったが至近距離でじっと、ジンの瞳は名前を見据えたままだ。
「も⋯何⋯?訳分かんない、よ⋯」
「悪いな名前⋯お前を自由にしてやる、ってのは取り消しだ⋯」
「⋯⋯」
「お前は誰にも渡さねぇ⋯」
互いに見つめ合ったまま沈黙が流れる。が、次の瞬間名前はふっと笑みを浮かべた。
「――私は、ジンに殺されるなら本望だよ。元々あの時殺される筈だったんだし」
「⋯⋯」
「私の最後の願いも叶ったから悔いも心残りもない」
「⋯?名前、お前何を⋯」
「でもこのままじゃジンの車、私の血で汚れちゃうね。降りてあそこの倉庫に、」
全く話が噛み合っていない状況にジンは溜息を吐くと体勢を戻し、その身を運転席に深く沈める。その様子に名前も口を噤んで彼の動向を窺う。するとジンはシートベルトを解除してドアを開け外に出た。それに倣い名前も車を降りる。
真っ暗な海と、月と星が輝く夜空。最後にジンと此処に来られて良かった⋯なんて密かに思う。と同時に冷たい海風に曝されて軽く身震いすれば、ふわりと温かいものに包まれる。見ればジンのトレンチコートが肩に掛けられていた。
「心遣いは嬉しいけど、ジンが風邪引いちゃうよ」
「構わねぇから着ていろ。寒いんだろうが」
「⋯ありがと」
コートの前をきゅっと合わせ掴んでジンの温もりと匂いに浸る。幸せで泣きそうだ。殺されるなら、今この瞬間がいいと本気で思った。
「ジン⋯撃つなら早く、」
「⋯だからお前は、さっきから何を言っている」
「何って⋯ジンは私を殺しに来たんじゃないの」
「今までの流れをどう解釈したらそんな答えに行きつくんだ⋯」
「だって寶井さんからプロポーズされた事をベルモットさんに相談したら後々『プロポーズを受けないと貴女は消される運命にある』って言われて、」
「バラすつもりなら、とっくに始末している」
「⋯まぁ、言われてみれば」
「――で?ベルモットに何を吹き込まれたんだ」
経緯を詳しく話せ、と。
ジンと会わなくなってからもベルモットとは時々連絡を取っていた。その間、寶井からあろうことかプロポーズされ、その件に関しても彼女に報告していた。それから数日後、ベルモットから『組織のボスから貴女を始末するよう命令された。寶井のプロポーズを受けて海外で生活するなら私達の組織も簡単には手が出せない。だからプロポーズの返事はよく考えなさい』という内容の電話があった。
その際、名前は尋ねた。『もしプロポーズを断るという選択をしたら、もう一度ジンに会えるのか?』と。その真意は当然“ジンが殺しに来てくれるのか?”というもの。ベルモットは『さぁ⋯その可能性は無きにしも非ずね』と曖昧に返事を寄越したのだった。
「名前⋯お前まさか端から断るつもりでいたのか⋯?」
「うん。だって結婚なんて心から好きって思える相手じゃないと出来ないし、相手にも失礼でしょう?向こうが真剣に想ってくれているなら尚更」
「首を縦に振らなきゃ、命が危ないと分かっていたにもかかわらず⋯か」
「最後に一目だけでもジンに会えるなら、それでいいって思ってたから」
まぁ、ジンが殺しに来てくれるかどうかは賭けだったけどね。
そう言って名前は笑った。対するジンはベルモットがまさかそんな思惑を張り巡らせていたとは思いもせず、あの場で彼女が電話を受け、その相手が名前で。瞬時に状況を把握した所に加えて『金があれば幸せだとは限らない』という何気ないウォッカの発言を耳にした時点で体が勝手に動いていた。名前は誰にも渡さない、自分のものだ、と衝動的に。そして二人がレストランで落ち合っている所へ乗り込み、呆気に取られている名前の腕を引いてその場から掻っ攫ってきたのだ。彼女が寶井にプロポーズの返事をするか否かという、絶妙なタイミングで。
見事に踊らされたな⋯と自嘲するようにハッと乾いた笑みを浮かべると同時に、ジンは名前の身体を引き寄せて胸に閉じ込めた。
「ねぇ⋯ジン、」
「⋯なんだ」
「私を殺しに来たんじゃないってことは⋯つまり」
「ああ⋯つまりそういうこと、だ」
「う、うぅ⋯」
「――馬鹿が。泣くな」
「だって⋯!いま、さら、」
「フン⋯馬鹿は俺、か」
言いながら更にきつく抱きしめるジン。
「⋯なら、言ってよ」
「⋯何をだ」
「私馬鹿だから、ちゃんと云って貰わないと分かんないって前に言ったでしょ」
「⋯⋯」
「ジン、お願い」
「チッ⋯仕方ねぇな⋯」
低く囁かれた言葉は、しっかりと名前の耳に届いて。それは明確な愛を告げる言葉だった。名前はそれに応えるかの様に精一杯ジンの背に腕を回した。
「だがな名前⋯。俺はこれからも組織の為に生き、組織の為に死ぬ」
「⋯うん」
「今回はベルモットが仕組んだ策略だったが⋯命令があれば、俺はお前を殺すだろう」
「⋯うん」
「それでも、俺と共に居たいのか」
「私の命はジンのもの。その日が来るまで、ずっと傍に居させて」
end
2016/12/21