シャルウィダンス
サンルームで昼寝をしていたボスキは、鼻歌を聞いて目を覚ました。明るい声は主様のものだ。
主様は基本的にサンルームへは出入りしない。珍しい場所に主様が来ているらしい。サンルームから出て何気なく主様を探すと、軽い足取りの主様が廊下を歩いて来ていた。ムーはいるが、人間の執事はいない。
「楽しそうだな、主様」
ボスキが声をかけると主様は笑顔を浮かべて、ムーは丸い頭を軽く下げた。
「ごきげんよう、ボスキくん」
「こんにちは、ボスキさん」
「屋敷の探索か? 何もねえだろ」
「それがいいんだよ」
主様はボスキが昼寝をしていたサンルームに入り、背伸びをした。
「主様、えらく楽しそうだな」
「楽しいし、ちょっと悲しい」
おいハウレス。
ボスキは主様の担当執事を心の中で呼んだ。主様の世話をハウレスに押し付けたいのではなく、担当執事のくせに主様の心情を把握せず一人きりにしていることへの非難だ。
主様はムーの手を取ってその場で回った。
「前に舞踏会で見たんだけど、みんな、歌ったり踊ったり出来るらしいじゃん」
「そうだな。グロバナー家の世話ンなってる以上は、見世物らしくしねえと」
「ハウレスくんがダンスの練習に行くって言うから見に行きたかったんだけど、振られてしまって悲しいの。書庫に居ようと
思ったけど、悲しいから散歩してるの」
主様はムーを抱いて泣き真似をする。ムーは主様に撫でられながら「落ち込まないでください」とこちらも芝居がかった動作で主様を慰める。
ボスキは肩をすくめた。主様には最高の状態で最高のものを差し上げるべきであって、苦労している瞬間を見られたい執事などいない。見学を請われたのが自分だとしても断っただろう。
「そりゃあ仕方ねえな」
「見たかったのになあ。そんで、わたしにも何か教えてほしかったのになあ」
主様は不満げだ。
「教えてほしいって正直に言えばハウレスも頷いただろ」
「そうだとは思うけど、練習の時間を奪うのも悪いと思って」
「執事相手に遠慮すんなって。主様に振り回されて喜ぶやつばっかりなのに」
「じゃあ、ボスキくんも?」
主様が目を輝かせる。ボスキは口が滑ったことに気付いたが、今更訂正も出来ない。主様の期待を裏切ることも極力したくはない。
主様がダンスのレッスンを所望しているのならば、執事はそれに応えなければ。
ボスキは頭をかいて、主様に手を差し出した。
「主様と一緒だと、仕事をサボる口実にもなるしな」
「それは不本意」
主様は困り顔だったが、ボスキの手を取ることに躊躇いはなかった。
サンルームから場所を移して、庭園の開けた場所に出た。家具の多い屋内は狭いし、初心者の主様が怪我をするかもしれない。まさかダンス練習室に主様を連れて行く事も出来ず、妥当な判断だった。
ただの舞踏ではなく社交ダンスのレッスンを求めているようだったので、ボスキは主様の手を握って体を寄せる。主様は想定より近い距離にやや狼狽えたようだが、ダンスへの興味が上回っていた。
「無難にワルツな」
「無難なの?」
「一番よく踊るだろ」
「知らんけども」
「三拍子だ」
「足、踏んだらごめんね」
テンポと足運びを簡単に伝え、分かりやすいだろうかと四角を描くようにステップを踏む。ボスキが口にするテンポに主様の小声が重なった。
主様は目を閉じてテンポを口ずさみながら、ややぎこちないながらもボスキの動きについて来た。足が踏まれる気配も、今のところない。
こちらも同じくテンポを口ずさむムーが、わあと驚いた声を上げる。
「主様、とてもお上手です!」
「必死だよ」
「声は苦しげですね……」
ボスキは動きを止めて主様の手を離す。解放された主様は、しかし、動き続けていた。ボスキと合わせていたときよりもスピードを落として、その場でひとり復習をする。ひとりでありながら姿勢を保ち、体重移動の練習に余念がない。
明らかに踊り慣れている様子だった。ボスキは腕を組み、主様の復習を眺めながら声を掛けた。
「なんかやってたか? 音楽か、ダンスか」
主様が動きを止めて息を整える。
「両方していたよ。歴としてはダンスのほうが長いかな。バレエをやっていたの」
「なるほど、覚えがいいはずだ。よし、ならもっとハイテンポでもいけそうだな」
「いけないが?」
身構える主様の手を取り、またテンポを口にしながら動き出す。先ほどよりも早く、動きも四角形から出て変則的に。庭園を広く使って動くと、主様の足取りがみるみるスムーズになっていく。フルーレが作った衣装のリボンが、空中に軌跡を描いて美しい。
さすが、慣れが早い。
「たーのしー!」
「余裕だ、なっ」
「ごめん足踏んだ」
「油断すんな、主様」
話すとリズムが外れて足が迷うようだが、意識を逸らさずにテンポを刻んでいる間は安定している。主様があまりにも笑顔で数字を呟くので、ボスキは柄にもなく踊りを続けた。立ち止まって主様の笑顔を途切れさせるのは、勿体ないような気がしたのだ。
ムーも楽し気に主様とボスキの周囲を踊っている。ワルツを踏んでいるわけでもないのに、テンポを刻んで楽しそうだ。
しばらく踊っていると、主様がボスキの背中を軽く叩く。
「疲れたあ」
「よく踊ってたもんな」
足を止めると、主様が脱力する。ややふらついていたものの、まだまだ余力はありそうだ。
運動後でも息一つ乱さないボスキは、主様に恭しく一礼をした。
「ご一緒出来て光栄でした、主様」
丁寧な礼に主様が目を瞬く。
ボスキは、普段から他の執事たちと比べて粗雑な振る舞いをしている自覚がある。格式ばった動作は性に合わないが、ここが舞踏会会場だとしたら当然の振る舞いだ。
主様はボスキの行動に驚きつつも、すぐに姿勢を正す。
「こちらこそ、ありがとうございました」
両手を頭上に上げてから左右に開き、同時に背筋を伸ばしたまま頭を下げる。足も動かして、片足だけのバランスでひざを軽く曲げた。こちらは舞踏会会場ではあまり見ない礼だ、バレエだろう。
ムーがボスキと主様の動きを真似るように、不格好な礼をする。ムーも動き回っていたので疲れが見えたが、礼を終えた後は晴れやかな顔をしていた。
「良かったですね、主様! これで次は踊れますね!」
「あっムーくん!」
主様が焦った声を漏らしてムーを抱き上げる。「秘密って言ったでしょ!」と口止めをしていたが、ボスキはばっちり聞いていた。
「主様、次ってのは?」
「……」
主様は気まずそうだ。ムーの顎の下を撫でながら視線を泳がせていたが、ボスキが無言で見つめているとやがて口を開いた。
「大したことじゃなくって……」
「別に、大したことでも些細なことでも気にしねえよ」
「この前の舞踏会、わたしは初めての舞踏会でさ。わたしはほとんど壁の華をしていたけど、みんなは運営とか接待に回っていたわけ」
「そうだろうな」
「舞台上でハウレスくんたちが歌ったり踊ったりしているのは見てて楽しかったんだけど……みんなが接待で貴族の方々と踊っているとき、わたしは何も出来なくて。デビルズパレスの主人として接待すべきだった場面で、みんなに任せきりで」
主様の声が小さくなる。
「それに、わたしだってみんなと踊りたかった……」
ダンスを教えて欲しがったのは、単なる興味ではなくしっかりと理由があったらしい。普段、執事たちのほうが主様の世話焼き争奪戦をしているというのに、舞踏会においてやきもきしたのは主様のほうだったのだ。
ボスキは、口角が上がるのを止められなかった。主様が踊りたがる理由を執事たちに話せば、次の舞踏会では一目散に主様の元へ向かうだろう。接待よりもまず、主様と一曲踊ることを優先しかねない。
ただ、ボスキが誰にも話さなければ、主様をダンスに誘うのはボスキだけかもしれない。ああいった場は苦手だが、主様と踊れるのならば顔を出してもいいかもしれない。
そんな悪い考えが頭に浮かんだが、気まずそうにする主様を見ているとやはり情報共有すべきだなと思う。主様は「みんなと踊りたかった」のだ。自分の企みより、主様の希望を優先するのは当然のこと。
それに、庭園の隅にいるハウレスとアモンには話さざるを得ないだろう。
「あれだけ大きい舞踏会はそうあるもんじゃねえけど、デビルズパレスでも踊りには誘えるだろ。踊りたかったなら、今から踊ったらいい。オーケストラの演奏は無いけどな」
「うん」
「別の踊りを覚えたくなったら俺に声を掛けてくれてもいいぜ、主様」
「ありがと、ボスキくん」
主様が頷いてムーを解放する。「運動したなー」体を伸ばしながら言い、歩いて来るハウレスとアモンに気付いて手を振った。主様の残りの体力にもよるが、ハウレスもアモンも主様とのワルツを求めるだろう。
主様がハウレスたちに歩み寄るので、ボスキも上機嫌に続く。歩きながら、屋敷の廊下からも何対かの視線を感じた。
主様は自分から声を掛けなくとも、しばらくパートナーには困らなさそうだ。
主様尊い……。
そよ風のかんざし
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