少年のような令嬢
ラトは週に約二時間、主様と一緒に過ごす時間を約束されている。執事の人数が多いだけあって、確実に主様と過ごせる時間というのは貴重なのだ。担当執事であるハウレス以外の執事にとって、主様のお世話は争奪戦なのである。
楽器ダンス練習部屋で、ミヤジのピアノに合わせて主様とともに踊る。社交ダンスの中でもクイックステップというかなり激しい種目だが、主様は楽しそうだ。
貴族との会合をこなせる程度のマナー講座を乗り越えた主様は、健康のために運動をするのはどうかと執事たちに勧められた。そこで主様が「ダンス以外の運動は好きじゃない」と言った結果、地下の執事たちに白羽の矢が立ったのである。
数分クイックステップを踊り、自然と足を止める。いくら楽しそうでも、あまり無理をさせるわけにはいかない。
「主様、どんどん上達していますね」
「楽しいからね。でも、まだ結構テンポは落としてもらっているよね?」
「わたしは今のゆったりとしたテンポで踊るのも好きですよ」
息を整える主様に、バレエの先生役のフルーレがタオルと水筒を持って歩み寄って来る。主様は社交ダンスとバレエを約四五分ずつ踊るのだ。
週に一度とはいえ、運動慣れしていない主様にはハードなはずだが、ダンスが好きという言葉通り苦に感じている様子はない。
「主様、とても素敵でしたよ! ゆっくりとは言ってもワルツより格段に速いですから、踊り続けるのはすごいと思います!」
「飛び跳ねるの、楽しいよ。すごく疲れるけど、とても楽しいの」
「クイックステップ、お気に入りですもんね」
「うん。ちゃんとしたテンポで踊れるようになりたいなあ。まだちょっと足が絡まるし」
主様が首と背中の汗をぬぐう。無理なく汗をかける運動というのは健康にとても良い。
おまけに、主様が社交ダンスを楽しんでいると知った執事たちが社交ダンスの練習に熱を入れるようになった。特に、社交ダンスを踊ったことがなかったというハウレスの成長はめざましい。
ミヤジもピアノの前から腰を上げ、会話の輪に入って来る。
「主様、お望みとあらばいつでもテンポを上げるからね」
「今やったら絶対に転ぶ」
「わたしが受け止めますよ」
主様ひとり支えるくらい訳ない。ラトは微笑んだが、主様は真剣な表情だった。
「このヒールでラトくんの足を踏んだら、ラトくんの足に穴が開くかもしれない。わたしはまだ、高いヒールの扱いにも慣れていないから」
「穴が開いたところで、わたしには問題がありません」
「大問題だよ」
「主様はお優しいですね」
フルーレからのため息も聞こえたが、ラトは本心しか話していない。
さて先生役を交代しようと、ラトは主様からタオルと水筒を受け取った。主様は壁際に寄って、鼻歌交じりでシューズを履き替え始める。主様のバレエシューズは黒だ。主様曰く「黒のシューズはロマン」らしい。
社交ダンスからバレエに準備を整え直した主様は、フルーレと共に改めて柔軟を始めた。ここからはラトが見学だ。たまに混ざって踊ったりもするが、主様とフルーレが踊っている様子を静かに見るのも好きなのだ。
社交ダンスはラト、バレエはフルーレ。そして音楽にも興味があるということで、たまにミヤジからピアノのレッスンも受けている。音楽も経験があるらしい。
ラトは、体を伸ばす主様に声をかけた。
「主様は、主様の世界ではごく普通の立場だと聞きましたが、かなりの教養を持っていますよね。バレエも、音楽も、あと乗馬も。そういうものなのですか?」
主様は笑いながら首を横に振った。
「そういうわけじゃないよ。色々興味があって、首を突っ込んだ結果かな。音楽に関しては部活程度だし、乗馬はほんの少しだしね。まさか、こっちの世界でさらに経験できると思わなかったよ。踊るのも音楽も乗馬も、どれも好きなことだから」
「それは良かったです」
「家柄も一般市民だからね。むしろ田舎のほうだったから、田んぼに手を突っ込んでオタマジャクシとか捕まえていたよ」
「たんぼ?」
「柔らかい泥」
ラトは目を瞬いた。主様が泥に手を突っ込んで遊んでいたとは。道理で、ラムリがカエルを見せても動じないわけである。虫は苦手なようだが。
「無邪気だったのですね」
「後ろ足だけ生えてるオタマジャクシが人気だったの」
「意外です……」
目を瞬いたのはフルーレも同じだった。社交ダンスやバレエを踊りこなす主様からは中々想像出来ない姿だ。
主様は悪戯が成功した子どものような笑顔を浮かべている。
もしかしたら、ガゼボでアフタヌーンティーをすることと同じくらい、野山を散歩することも好きなのかもしれない。虫に注意する必要はあるが、裏山を主様と探検するのも楽しそうだ。
他の執事には止められそうだが、主様は川でずぶ濡れになっても笑ってくれる気がした。
主様尊い……。
そよ風のかんざし
ALICE+