事故防止一輪挿し


 デビルズパレスは古い屋敷だ。ハウレスは設備管理係として、屋敷の状態には常に気を配っている。多少の軋みは仕方がないとしても、出来るだけ綺麗に保って主様が安心して過ごせる環境にしておきたい。
 特に階段のチェックは欠かせない。屋敷内を移動しがてら、踏板も手すりも注意深く観察する。
 踏板が軋んだように思えて俯いていると、不意に視界が陰った。

「えっ⁉」

 主様の声に顔を上げる。「おかえりなさいませ」と帰宅を歓迎しようと思ったのだが、主様が宙に浮いていた。おそらく手すりを掴もうと手を伸ばしているが届いていない。
 ハウレスは片手で手すりを掴んで体重を支え、体全体を使って主様を受け止めた。宙に放り出された体を受け止める衝撃はそれなりに大きかったが、まさか落とすなどあり得ない。
 階段を転げ落ちるところだった主様を踏板に座らせてから、ハウレスはようやく息を吐いた。

「主様、お怪我は」
「な、ない……びっくりした。重かったでしょう、ごめんね」
「いえ、問題ありません。足をくじいたりはしていませんか?」
「大丈夫、ありがとう」

 それにしても何故、主様は階段を落ちるところだったのか。
 ハウレスが階段を見上げていると、主様が渇いた声で笑った。

「自分の部屋に行こうと念じていたつもりなんだけど、階段に出ちゃったっぽい」
「そうでしたか。さすがに肝が冷えました」
「ハウレスくんがいてくれて良かった……」

 主様の帰宅事故だったらしい。最近は自室にちゃんと帰って来られていたが、たまたま今日は階段だったのだろう。

「しかし、何故階段に?」

 呼吸を落ち着けた主様に手を伸ばす。主様はハウレスの手と手すりにつかまって立ちあがった。

「こっちに帰ろうと思うと、自然とハウレスくんも思い出すから……ハウレスくんの所に出ちゃったかな」
「ふふ、そうでしたか。嬉しいです」
「ハウレスくんにすぐ会えるのは嬉しいけど、わたしの念じる能力が足りない」

 確かに、こういった事故を防ぐためにも、自室という危険が無い場所を帰宅場所として定めておくことは大事だ。主様が自分を目掛けて移動してくれたことが嬉しいと言っていられない。
 主様の部屋に向かって歩きながら、どうすれば安全に行き来できるだろうかと話し合う。

「念じているつもりでも、こうして別の場所に出ちゃうことがあるもんなあ」
「そうですね。もっと単純な、明確な目印を設けるとか……」
「目印?」
「部屋という空間≠ナはなく、例えば時計や燭台といった物≠フほうがイメージしやすいのではないかと」
「ハウレスくん天才」

 「何にしようかなあ」と悩む主様は楽しそうだ。部屋に今あるものをイメージしてもいいし、新たにシンボルを置いても良い。執事たちにアイデアを募集すれば各々が各々の物を持ち込んで帰宅先がブレかねないので、主様に決めてもらわなければ。

「あと、そうだ。クラウチングスタートしようかな」

 自室に入りながら、主様が呪文を口にする。

「クラウチングスタートというと、陸上の?」
「うん、こういう……」

 主様はおもむろにしゃがみこむと、片膝をつき、両手の指先を体の横で地面につけた。しゃがみこんだ主様と一緒にしゃがみこんだハウレスは、どこか気合いの入ったポーズに首をひねる。

「クラウチングスタートで移動をするのですか?」
「しゃがんでいたら、階段に出て転んでも怪我は少なくて済むかなって」
「なるほど……」
「気を使うところが多いね」
「そうですね」

 いつでも俺を目掛けて来てください、と言いたいが。トイレやシャワー中であれば悲惨であるし、模擬戦中など階段より危険だ。主様には、なんとか自分の部屋に出入りしてもらうしかない。
 ハウレスはしゃがみこんだ主様に手を貸すと、主様は立ち上がりながら自室の一輪挿しを指さした。

「花瓶にしようかな。あれ可愛くて好き」
「承知いたしました。他の執事たちにも伝えておきます」
「みんなが代わる代わるお花をくれる花瓶で、すごく思い入れがあるからね。きっと大丈夫!」

 主様の枕元にある一輪挿しの花瓶は、ハウレスが用意したものだ。突然現れた主様に担当として指名された日の夜に、真新しい花瓶を出した。白に金の装飾がされた花瓶は、以来ずっと主様の枕元にある。
 自分が用意した物が主様の印象に強く残っていることに、ハウレスは緩む頬を止められなかった。




主様尊い……。
そよ風のかんざし
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