伝説の憲兵
ハウレスが屋敷の換気をすべく窓を開けて回っていると、楽し気な声が聞こえて来た。主様とテディであるとはすぐに分かった。ふらりと帰って来た主様がテディと合流したか、テディの独り言を目掛けてやってきたのだろう。
主様はハウレスに気付くとぱっと顔を輝かせる。心を開かれていると感じられて嬉しい瞬間だ。
「おかえりなさいませ、主様。テディと一緒だったのですね」
「ただいま、伝説の憲兵さん」
「ンッ」
ハウレスが思わずテディを見ると、テディは困ったようにしながらも楽しそうな笑顔を浮かべていた。
ハウレスを伝説の憲兵≠ニ呼ぶのはテディくらいなものだ。憲兵団の記録に残り、三百年経った今でも名前が知られているのは誇らしいと同時に気恥ずかしい。剣にのめり込んでいたし自分の腕にも自信はあるが、面と向かって賞賛されることには慣れていなかった。
主様がハウレスを伝説の憲兵≠ニ呼ぶのは、テディから何かしら聞いたからだろう。
「テディ、主様に何を?」
「あはは、剣士語りをしていました。つい熱が入りすぎてしまって……」
「ハウレスくんのすごいところをたくさん聞いていたの。今でも憲兵団では尊敬の的らしいよ」
「そ、そうですか……」
ハウレスを慕ってくれるテディは非常に可愛い後輩だが、剣士好きの勢いに押されることもままある。
主様の目は輝いていた。
「色んな武勇伝を聞いたよ。多少尾ひれがついている気もしたけど、そんな逸話が残るくらい、ハウレスくんはすごかったんだね。今もすごく強いけど」
「ありがとうございます。すこし照れますが……」
「訓練で百人の憲兵を倒したとか」
「百人かどうかは覚えていませんが、一対一の模擬戦をし続けたことはあります」
「山賊を一人で締め上げたって本当?」
「ああ、捕縛したことはありますね」
「人喰い熊を単独で倒しちゃったとか」
「その後鍋をしたのが美味しかったです」
主様が驚愕の顔で口元に手を当て、そっとテディと身を寄せ合った。
「テディくん、大変だよ。噂に尾ひれがついてないよ」
「俺、感動しています」
「伝説の憲兵≠ウんはレベルが違うね」
「はい。こんなにすごい人に稽古をつけてもらえているなんて」
「わたしの担当執事が伝説扱いなんて……なんだか鼻が高いよ」
「あ、主様、俺を伝説∴オいするのはちょっと……」
主様に褒められることはもちろん嬉しいが、重ねて言われると落ち着かない。主様が楽しそうなので自分の心境などどうでもいいとしても、出来れば伝説≠ゥら離れて欲しい。
いつの間にかテディと十分親睦を深めていたらしい主様は、体の正面で剣を構える仕草をした。
「わたしは剣術について全然分からないからテディくんに色々聞いたんだけど。デビルズパレスのみんな、本当にすごいんだね。尊敬する。わたしは片手で剣を構えることすら出来ないのに」
「主様を戦わせるなんてあり得ませんって」
テディが手を横に振る。主様は何故か不満そうだが、テディの言う通りだ。主様には安全な場所にいてほしい。状況によっては危険な場所へも同行してもらっているが、戦ってもらおうだなどとは微塵も思わない。
と、いうか。テディは主様に剣を持たせたのだろうか。テディがいるのならば危険はないだろうとは言え、主様に人を傷つけるものを持って欲しくはない。
ハウレスの心境を察したのか、テディが気まずそうに視線を逸らした。あとで成り行きを聞いておかなければ。
「ハウレスくんは、印象に残っている憲兵時代の出来事ってある?」
主様の問いかけにハウレスは腕を組んだ。
なにせ三百年前のことだ。トリシアのことは何一つ忘れていないにしても、憲兵のこととなると難しい。そもそも、憲兵団の所属期間も長くはない。
「そうですね……特別な出来事ではありませんが、街の警邏は楽しかったです。悪魔執事となった今では難しいですが、人々との触れあいは充実した時間でした」
「そっか。ハウレスくんらしいね」
「ありがとうございます」
「じゃあ、今はちょっと寂しかったりする?」
からかうような笑顔が一転、気遣うような声音になる。
今度はハウレスが微笑んだ。
「いいえ。主様とともに過ごせる時間以上に、素敵なことはありませんよ」
「……それじゃあ、うん」
主様が、閉じたままの窓を開けた。脈絡のない行動に首をひねると、主様は得意気する。
「換気中でしょ? わたしも手伝うよ」
「いえ、主様にそのような雑務をさせるわけには……」
「三人でやれば早く終わるよ。そうしたら、みんなでお茶しようよ」
ね、と主様がテディを見る。同意を求められたテディは主様とハウレスの顔を交互に見て、主様に頷いた。執事としての立場と主様からの提案とを天秤にかけた結果、主様の提案を受け入れたらしい。ハウレスは呆れつつも、その場でテディを咎めることはしなかった。
ハウレスは、次の窓の鍵に手を掛けようとしていた主様を止める。主様を立たせたままなのは飲み込むとしても、やはり雑務は執事の仕事だ。
「主様は、どうか俺たちを応援していてください」
「手伝うのに……」
「それから、飲みたいお紅茶やコーヒー、お菓子を考えておいてください。今日はロノもいますから、作ってもらいましょう」
「はあい」
主様が窓から手を離す。主様もちゃんと主様≠ニして振る舞ってくれている。
主様は一歩窓から離れて腕を組んだ。
「わたしブラックコーヒーは飲めないんだけど、カフェオレとかなら飲めるんだ。テディくん、お願いしてもいいかな?」
「もちろんです!」
「伝説の憲兵≠ウんにインタビューする会を開こうよ」
「それ、最高ですね!」
期待の眼差しを向けられ、ハウレスは三百年前の記憶を探る。喜ばれるエピソードは、果たしてあっただろうか。
主様尊い……。
そよ風のかんざし
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