食育継続
ちょうど午後三時に主様が帰って来た。いつも通り、フルーレの作った衣装を着ている。
今日はしっかりアフタヌーンティーを楽しみたいということで、ロノも気合いをいれてハイティースタンドを準備している。少食な主様が罪悪感なく楽しめるようひとつひとつは小さいが、種類は多い。
会場はコンサバトリーだ。暑くない程度の晴天という、アフタヌーンティー日和である。
自室からコンサバトリーに移動する主様は楽し気だ。
「いつも美味しい紅茶とお菓子は出してもらっているけど、こういうのも特別感があっていいよね」
「そうですね。俺たちも、主様を心行くまでおもてなし出来るのは嬉しいです」
「そこまでしなくてもいいよ……」
主様が階段の手すりに手を添える。それが、いつもよりどこか慎重なことに気が付いた。降りるペースもいつもより遅い。
主様の些細な変化も見逃さないハウレスは、主様の足元を確認した。足を痛めているようには見えないが。
「主様、どうかされましたか?」
「うん?」
「いつもよりどこか……慎重そうに見えますので」
「ああ……」
主様はやや気まずそうにしながら、手すりを掴んでいないほうの手をハウレスに見せた。リボンのついたレースカフスで飾られた手が小刻みに震えている。
とても平気そうに見えない。ハウレスは震える手をとって主様の腰を支えた。
「ありがとう。低血糖でふらふらなの」
「ていけっとう……?」
「頭に糖分が足りなくて……お腹が空きすぎて手が震えるし気分が悪い。平日にロノくんがお弁当作ってくれているのに」
「今日、あちらの世界で昼食は食べておられないのですか?」
「いや、その、今日は油断してた。まあ、ロノくんの美味しいお菓子を食べられるし大丈夫だよ」
「手が震えていて気分が悪い状態を大丈夫≠セとは言いませんよ! 失礼します!」
主様を抱え上げて階段を早足で降りる。主様を抱える度に鍛えていて良かったと思うし、もっと迅速に運搬するためにもさらに鍛えなければと思う。主様自身にももっと食べてほしいのだが満腹になると不安になる≠ニいうとんでもない体質なので無理に食べろとも言えないのだ。小まめに胃に物を入れてもらうしかない。
主様を抱えて駆け足でコンサバトリーに駆け込むと、待ち構えていたベリアンとロノが目を瞬いた。
「ハウレスくん、どうしたんですか?」
「主様の手が震えていて、気分も悪いと」
「そ、それはここではなくベッドにお連れしほうが」
「行き過ぎた空腹だということです。早くアフタヌーンティーを始めましょう」
ロノがかつてないスピードで料理を取り分ける。
主様は執事たちの焦り様に驚いたようだったが、己の主の体調不良を悠長に眺められる執事など存在しない。病気ならば祈ることしか出来ないかもしれないが、空腹を補うというのはハウレスたちにも出来ることだ。自分たちで対応出来るならばそれに越したことはない。
主様は「糖分が足りない」と言っていたこともあり、アフタヌーンティーの手順をすっ飛ばして、主様の前にはケーキが出された。
「わあ、美味しそう! ロノくんのケーキは見た目も美しいよ。お店が出せるね」
「早く食べてください」
「ま、真顔……」
主様の持つフォークは、先が小刻みに震えている。
ケーキを食べ、フルーツを食べ、チョコレートを食べ、デザートの皿が空になった頃にはいくらか状態も落ち着いたようだった。ハウレスに差し出された手は震えも収まっていた。
「良かったです、本当に……」
「心配をかけてごめんね」
アフタヌーンティーがようやく穏やかな雰囲気になる。絶え間なく口を動かしていた主様も一旦フォークを置き、アフタヌーンティーは仕切り直しとなった。
主様はハイティースタンドの下段を口にする。ハウレスたちが低血糖≠ニいうものについて問いかけると、要は痩せすぎ≠ニいうことが分かった。またルカスにも詳細を聞かねばならないが、医療技術が発展している世界で生きている主様がそう言うのだから間違いはないのだろう。
痩せすぎ。普段の食事を思えば不思議ではないし、フルーレからもそのような話は聞いていた。初めて主様の着替えを手伝ったフルーレは「骨が……」と言って青ざめていた。ロノの食育のお陰で改善されつつはあるものの、まだ健常には足りないのだろう。
せめて屋敷にいる間はしっかり食べてもらおうとしていたのだが、キャパシティが小さすぎる。
ハウレスがベリアンと頭を抱えていると、主様の食事を預かるロノが切実な声で言った。
「主様、屋敷にいる間は小まめにもっと食べてください。サンドイッチでもクッキーでもなんでもいいですから……空腹なんて微塵も感じないくらい、食べていてください。食べ物がある場所を全員に伝えておくので、ちょっと食べられそうになったらいつでも言ってください」
「でも、それだと太るかも」
「太ってください!」
「今の体重が一番動きやすいんだよ。やせ型だけど、一応BMIは標準範囲内だし」
「びーえむあい≠ヘ分かりませんが、主様の世界では、空腹時に手が震えるのは普通なんですか?」
「……そうでもない。でもわたし、痩せすぎってわけでも」
「低血糖になるのに?」
「まずいかなあとは思ってる……」
自覚はあるらしい。貧困国に住んでいるわけではないそうだが、痩せすぎの主様。どうにかしたい。
主様はロノから目を逸らしつつ言葉を濁していたが、ハウレスとベリアンも無言で視線を送っているとすぐに観念した。
「分かった。小まめに食べるようにしてみる」
不安が残る返答だ。ハウレスは駄目押しをしようと、主様の顔を覗き込んだ。主様がハウレスたちを大事に想ってくれていることは十分知っている。自身のためというより、ハウレスたちの存在を思い出してくれたほうがきっと前向きに取り組んでくれる。
「主様、俺たちは本当に心配なんです。これじゃ、向こうの世界でいつ倒れてしまうか気が気じゃありません」
「ハウレスくんの言う通りです。どうか、わたしたちを安心させるために健康的な食事を摂って、体力をつけてください」
ハウレスとベリアン、両側から悲し気な声をかけられた主様は申し訳なさそうに眉を下げた。
「みんなに心配をかけるのは嫌だから、頑張ってみる」
ハウレスがロノを見ると、凛々しい顔で頷いていた。ひっそりと弁当箱を大きくするという決意が伝わる。すぐには無理だとしても、せめて昼食時にこぶし大のパンを二つ食べられるくらいには胃袋を大きくしてもらいたい。
地下の執事たちによるダンスレッスンについても対応が必要だ。健康的な食事と適度な運動はセットである。しっかりと食べ、太りすぎないよう運動をし、筋肉と体力をつけるのが理想だ。
三人の執事から熱い視線を向けられる主様は、どこか居心地悪そうにスコーンを割っていた。
主様尊い……。
そよ風のかんざし
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