ひとりじめ
友人とのランチを終えて屋敷に帰って来た主様は、その友人とのやりとりを笑顔でハウレスに共有した。仕事の同僚で、ハウレスも時々聞く名前だったが、仕事の話は一切出ない。ハウレスの分からない話題を省いているのではく、本当に仕事の話をしていないのだ。仕事の話題を出さずに休日を過ごせる同僚というのは貴重なように思う。
ランチ、ウィンドウショッピング、カフェ。食べて歩いて話した主様は少々疲れた様子で、自室のソファでうつらうつらしていた。
ハウレスは主様の話に相槌を打ちながら、その友人のことをどこか羨ましく思った。これほど楽しそうに話題の種になるのだ。主様がその時間をどれだけ楽しんだかがよく分かる。
「……主様」
「うん?」
「今度のお休み、俺と一緒にお出かけしませんか?」
「え」
「あっ」
言ってしまってから、執事として不適切な言動に口を手で押さえる。
「すみません、今の発言は忘れてください」
「なんで?」
慌てて発言を撤回したものの、主様は不思議そうにした。それどころか、眠気を忘れて笑顔を浮かべている。
主様は、執事だなんだという立場に決して厳しくはない。いつも「楽にして」と言ってくれるが、それでもハウレスたちは執事だ。執事として相応しい振る舞いというものがある。
しかし、主様から笑顔を向けられると、つい己の立場を忘れそうになってしまうのだ。
「行こうよ、お出かけ」
「何着て行く?」と主様は自然に話題を続ける。
主様が楽しみにしているのならば、執事としてそれに応えなければ。
ハウレスは言い訳じみたことを考えながらも、頬の緩みは隠せなかった。
*
出かけることでネックになるのが、デビルズパレスを嫌う人々の存在だ。あまり街に出ない主様はともかく、ハウレスたちの顔を知っている人は多い。そこで、軽く変装をすることになった。
普段の衣装だとかなりの上流階級であることは明らかなので、ややシンプルな装いに身を包む。主様はシンプルなワンピース、ハウレスも装飾の少ないシャツとスラックス。シンプルとはいってもフルーレの監修なので、気品も感じる装いだ。
加えて、それぞれ髪型を変えたり眼鏡を掛けたりと、普段とは異なる印象の仕上がりとなった。主様の顔を隠すべくつばの広い帽子をかぶることも提案したのだが、主様は「それだとハウレスくんを見上げられない」と断っていた。ハウレスは奥歯を噛み締めて緩み切りそうな表情を保ちながら、いつも通り日傘を差し出すことにした。
行き先は、屋敷から少々離れた街だ。エスポワールから距離を取れば、ハウレスたちの顔を知っている人間も減るだろうと考えてのことだった。その街にある大きな美術館に足を運び、美術館内のレストランで食事を摂り、時間があれば街を散策して帰るというコースである。
ハウレスは執事たちから羨望の視線を浴びながら、主様と屋敷を出る。馬車に揺られながら、主様が首を傾げた。
「主様′トびって大丈夫?」
「万全を期すならば変えるべきかもしれませんが……」
デビルズパレスの人間であることは隠しつつも、どこかの貴族として認識されるように振る舞うのが目標だ。一般市民に執事はつかない。
「名前で呼ぶ?」
「それは……ハードルが高いですね」
「呼び捨てでもいいよ」
「出来るわけがありません。お嬢様≠ナいかがですか?」
「いいね、楽しそう。わたしは何て呼ぼうかな。ハウくん≠チてセーフかな?」
「大丈夫だと思います」
「ハウレスくんがわたしを呼び捨てで、わたしがハウお兄様≠ナもいいよ」
「ハウくん≠ナお願いします」
切実に言うと、主様が笑った。
主様は、窓から外を眺めながら鼻歌を歌う。明らかに浮足立っている様子だ。かくいうハウレスも鼻歌を歌わないだけで、主様に負けないくらい、あるいはそれ以上に浮足立っている自信があった。
しばらく馬車に揺られ、目的の街に到着する。
馬車は美術館の前につけた。主様をエスコートして馬車から降りると、さっそく館内へと向かう。観光客も多かったが、美術館と言う場所柄、騒がしくはない。十分スムーズに歩けるので、はぐれることもないだろう。
「想像の三倍くらい広い……」
「ふふ、見ごたえがありますよ。絵画と彫刻、どちらから回りましょうか?」
「彫刻がいいな。わたしの国では、彫刻ってあんまり無いんだよね」
「そうなのですか?」
「うん。地震が多いからかな」
「広いですから、お疲れになったらご遠慮なくお声掛けください」
「ありがとう」
ハウレスは一度、この美術館に来たことがある。主様と出かけることが決まってから下見に来たのだ。主様をスマートにエスコートするためには、現地を見ておくに越したことはない。展示物の配置も、著名な彫刻家や画家についての情報も頭に入っている。技法についても予習済みだ。
彫刻のエリアを軽く一周すると、丁度レストランの予約時間になったので昼食を摂ることにした。少しお茶を飲むならばともかく、主様と同じテーブルで食事を摂るなど普段ならば固辞するところだが「ずっと外にいるんだからハウくんもお腹空くでしょ」と主様も引かなかった結果、向かい合って座ることになった。
最高の執事として主様の後ろに控えたい、全力でお世話をしたい。そんな職業病とも言うべき気持ちと戦っていると、主様は大きな窓が面している中庭を見ながら言った。
「異世界観光なんて、本当に楽しい」
「良かったです」
「……ハウくんも、楽しめてる?」
「ええ、もちろんですよ」
「そっかあ」
主様がグラスを持つ。ベリアンとミヤジにマナーを教わった主様は、ささいな動作も美しい。
「ちょっと不安だったの。ハウくんから誘ってくれたとはいえ、わたしがいたらのんびりは出来ないだろうし……いつもわたしに世話を焼くのが楽しいって言ってくれるけど、休みの日までそうなるのはどうかなって」
「そのようなことを考えてくださっていたのですね……。ご安心ください、俺は本当に楽しんでいます。お嬢様とこんなにも長い時間、一緒にいられるのですから。しかも二人きりで」
「そっかあ」
ハウレスは言ってしまってから「二人きりで」が余計だったかもしれないと主様から目を逸らした。主様に気にした様子はないことが何よりだが、気が緩んでいる。つい、執事らしからぬことを口走ってしまいそうだ。
ハウレスは密かに一度深呼吸を挟んでから、主様に微笑みかけた。
「お嬢様の楽しみや幸せのお手伝いをすることが、俺の何よりの幸せです。それに、お嬢様は楽しみ≠フ中に俺自身も含めてくださっているのですから……これほど満たされることはありませんよ」
「お嬢様はね、みんなをいっぱい幸せにしたいのです。なぜなら、みんなはわたしのお嫁さんだから」
「ふふ、以前にそういうお話もされていましたね」
「でもわたしには致命的に出来ないことがある……」
「と、いいますと?」
「財布が無いから奢れない」
思いもよらない言葉に呆けていると、主様は心底悔しそうに拳を握った。
「食事も、服も、こういうお出かけでも……わたしは一銭も出していない。わたしの世界でなら、みんなにご馳走も出来るのに。しがない会社員とはいえ、ちゃんと稼いでいるのに」
「……お嬢様も、収入を得ていますよ?」
「え?」
今度は主様が呆ける番だった。
「天使討伐にあたり、お嬢様のお力は欠かせませんから。グロバナー家からの支援には、お嬢様の功績も含まれています」
「そうなの?」
「はい。ですから、何もお気になさらずとも良いのですよ」
屋敷の稼ぎは自分のものであると考えてくれてもいいくらいだが、確かに、主様は金に汚い思考とは真逆だ。まさか、そのようなところを気にしているとは思わなかった。
主様は安堵したように息を吐く。主様が向こうの世界で一般的な立ち位置だと実感して、ハウレスは小さく笑ってしまった。たとえ本当に主様の力が屋敷の収入に関係していなくとも、主様には「ラッキーだ」と考えるくらい気楽でいてほしい。
「そうだったんだ。わたしがいることでみんなのお給料が増えていたら嬉しいな。こうして還元してもらっちゃっているし」
「お嬢様には、沢山幸せをいただいていますからね」
濁したが、実は主様貯金℃ゥ体は存在しており、ナックが管理している。いざというときに主様が自由に使える金は確保されているのだ。伝えると「わたしのお金も分配して」と言われそうなので黙っておく。
懸念が解消された主様は、本当の意味で力を抜いて食事を始められたようだ。ハウレスは堪えたものの、やはり些細で庶民的な主様の悩みに内心で笑っていた。
庶民的なお悩み相談と丁寧なランチコースを終え、次は絵画の鑑賞に進む。
「絵画って分かりやすく絵が上手いもの以外はよく分からないんだけど、推し絵画≠探すのは好きなの」
「ふふ、お気に召すものがあれば嬉しいです」
「ハウくんの推し絵画も教えてね」
「分かりました」
主様自身は特別美術に詳しいわけではない。推し絵画≠ニいう考え方は、気軽に美術を楽しめる魅力的な術に思える。デビルズパレスのギャラリーで美術品が入れ替わったときも、主様は推し具合≠ナ判断している。
絵画展示も一周し、それぞれの推し絵画≠ノついて話ながら美術館を出る。歩き回った上にずっと話していた。カフェで休憩すべきだろう。
「ある……お嬢様、美術館の近くにエッグタルトが有名なカフェがあります。いかがでしょうか?」
「さすがお兄様、下準備ばっちりだね」
「お、お嬢様……」
「行こ、休憩したい」
カフェでは、今度こそ執事としての職務を全うした。主様はハウレスに同席を求めたが、ハウレスが首を横に振ると強くは言わなかった。昼食でハウレスが不完全燃焼なのを分かっていたらしい。主様とともにテーブルにつくことはもちろん嬉しく光栄だが、執事としての誇りもあるのだった。
美術館での感想を話しながらカフェで一息つき、帰りの時間まで街の散策に出る。街並みを眺め、路面店を冷やかしながら歩き、日が傾いてくると帰りの馬車を呼んだ。
終始足取りの軽かった主様も、馬車に乗ると疲労を思い出したようだった。椅子に深く腰掛けて、あくびを一つ零す。
「いっぱい楽しんだ! ありがとう、ハウレスくん」
「楽しんでいただけて何よりです。俺も、とても楽しかったですよ」
「いっぱい話せるから、他のみんなともそれぞれお出かけしたいなあ」
「……そうですね」
主様の何気ない一言に、返事が一拍遅れた。
主様はなにもハウレスだけの主様ではないので独占し続けるのもおかしな話だが、自分の特別感が薄れるような気がしたのだ。担当執事として普段から主様と接する場面が多いにも関わらず、このような感情を抱くとは。
執事らしからぬ心境の自分に苦笑いしたくなっていると、主様がハウレスの顔をのぞきこんだ。
「ハウレスくんも、またデートしようね」
「デ」
「男女の間でこの表現は問題があるかな……」
思案気な主様は、デート≠ノ深い意味を含めて無さそうだ。他の執事と出かけることに対しても、二人であればデート≠ニいう表現を使うのかもしれない。
それでも、このいっときだけでも、主様がハウレスのことだけを見てくれていたのは確かなのだ。
ハウレスは顔に熱が集まったのを自覚した。外から入って来る赤い夕陽で誤魔化せたらいいのだが、鏡がないので分からない。それでも、今の一瞬は主様から目を逸らしたくなかった。
「ええ、主様。また……デートに行きましょう」
「次はハウレスくんが行きたいところに行こうよ」
「主様とご一緒させていただけるなら、俺はどこでも幸せですよ」
「言うと思った」
主様はどこか呆れつつも嬉しそうだ。ハウレスの言葉が本心だと受け取ってくれている。
馬車が動き始めてしばらくすると、主様の瞼が重くなってくる。馬車の壁にもたれた主様は、すぐに眠りについていた。
ハウレスは眠った主様にブランケットを掛け、顔にかかった髪を除ける。
幸福すぎる一日に、これは夢ではないかと頬をつねりたくなるくらいだ。馬車を遠回りさせたい気持ちと、早く主様に休んでもらいたい気持ちがせめぎ合う。
馬車が屋敷に着くまでは主様と二人きりだ。一秒でも長くこの幸せに浸ろうと、ハウレスは主様の寝顔を眺めた。
主様尊い……。
そよ風のかんざし
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