猫背の日
寝る支度を整えるハナマルの元をハウレスが訪ねて来た。
主様のお世話は、と思いつつ時計を見ると、主様は既に就寝している時間だった。ハウレスの主様お世話業務も、本日は終了したらしい。
ハウレスはまだ燕尾服のままだ。主様の就寝を確認したならばさっさと部屋着に着替えてしまえばいいものを、この生真面目すぎる執事は仕事をしすぎるのだ。また今夜も、これからもう一走りしてくるか屋敷の管理をするか庶務か、何かしら取り組みたいことがあるのかもしれない。
ハナマルを呼ぶハウレスは、元気そうではあったがやや困惑していた。
「ハナマルさん」
「はいよ、どしたの?」
「明日、お仕事がお休みの主様が屋敷へいらっしゃいます。予定もあるとのことですが、昼過ぎからこちらでずっと過ごすかもとおっしゃってくださっていて」
「そりゃ嬉しいねえ。俺も会いに行かないと」
「……俺は、昼間グロバナー家に呼び出されています」
「あれ、そうなの。じゃあ誰かと交代……すると思うけど、俺を呼んだ理由ってまさか?」
ハウレスが目頭を揉んだ。
「主様は俺の代打として、今回はハナマルさんをご指名なんです」
「えっ⁉」
「ハナマルさんを⁉」
驚愕を声に出したのはテディとユーハンだ。二人は絶句してハナマルを凝視している。
ハウレスがどうしても動かせない用事で主様の傍を離れるときは時々ある。その度に主様から別の執事が担当として指名されており、主様は執事を順番に呼んでいる。執事が多いこともあり、ハナマルが担当として呼ばれたのは二度目だ。その二度目がテディやユーハンよりも先だったため、二人から驚愕されているのだろう。
ハナマルは得意げに笑った。
「いやあ、主様も俺の魅力に気付いちゃったってわけね」
「なぜハナマルさんを……」
頭の痛そうなハウレスが、神妙な顔でハナマルを見た。
「いいですか、ハナマルさん。全執事に共有していることではありますが、主様はお優しい反面、感受性が豊かすぎて非常にデリケートです。強い言葉や大きな声には注意をしてください。あと、食事も一度に多くは食べられませんから、何かをお出しするときは少量を。一方で、低血糖にならないように空腹度合いの確認も怠らないでください」
「すげー早口じゃん。俺だってやるときはやるよ? 主様のことなら尚更さ」
「よろしくお願いしますよ……」
「任せなさいって」
不安げな視線を三対向けられるも、ハナマルは自信満々に頷いた。
主様とて、ハナマルの性質は把握しているだろう。ハウレスのような折り目正しい完璧な執事っぷりを求めてはいないはずだ。猫背になりたい気分なだけかもしれない。
事実、昼過ぎにやってきた主様は脱力してソファに座った。ハナマルが入れた緑茶を飲むときは背筋を起こすが、湯飲みを置くとまた力を抜く。
「煎茶って美味しいよね」
「そうだな。ベリアンほど上手くは入れられていないだろうし、ユーハンみたいに抹茶を立てられるわけでもねえけど」
だからといって、卑屈になっているわけではない。ハアマルが笑って肩をすくめると、つられたように主様も笑った。
「いいんだよ。ベリアンくんの紅茶もユーハンくんの抹茶も好きだけど、こうして淹れてくれるってことだけでわたしはとても嬉しいよ」
「そんなんでいいんだ」
「大事に想われているって分かるから。だから、三十分くらいしか居られないタイミングでもこっちに来ちゃうんだよね。みんな、あまりにも優しいから」
「嬉しいことを言ってくれるねえ。主様がこっちに居ればいるほど、俺らも生き甲斐があるってもんよ」
「ありがとう」
「それにしても、このタイミングでのハナマル様指名ってことは、だらだらしたいってことか?」
「そゆことになるね。唯一、控えながら猫背であくびをする執事だからね」
事実な上に改善するつもりも無いので謝らなかったが、主様にもハナマルを責める意図はないだろう。
主様は、体中の空気を抜いているかのような深く大きいため息を吐くと、どこを見るでもなく力の無い声で言った。
「はーやだやだ。やだな」
「お、どうした? なんでも話してみな」
「なんかやだなあって気分。はあ。だるい」
「はは、お疲れだな」
「こういう、ただなんとなく全部が嫌な気分のときはハナちゃんかなって」
「歓迎だぜ」
「お茶、もう一杯」
「はいよ」
主様は湯飲みに息を吹きかけると、周囲を窺うように視線を走らせた後、声量を落とした。
「理由もなく『やだやだ』ってこぼすと、いつも凛々しいみんなには申し訳なくて。わたしが気にしすぎているだけだとは思うんだけど」
「なるほどね。そりゃあ俺が適任だな。今日は目一杯、漠然とした不満を漏らしてくれ」
「ありがと。……はあ、だるいなあ」
思いつめた声音ではなく、ただ、日々の何かに対する不満を形なく吐き出している。息を吸っては深く吐き、ソファに沈み込むように脱力する。
ハナマルは煎茶のおかわりをいれながら、軽く主様の頭を撫でた。
「よしよし、いつもよく頑張ってるな」
「あ」
「どうかしたか?」
「ハウレスくん、自分以外の執事がわたしの頭を撫でると表情が凍るの」
「うえ……」
「秘密にしててあげるね」
「頼むわ」
主様のお世話を出来ず、いけ好かない貴族に呼び出されてストレスを溜めているハウレスのうっぷん晴らしには付き合えない。平常で馬鹿力なのだ、そこにフラストレーションが乗ろうものなら、相手をするのも骨が折れる。
しかし、主様が秘密にしてくれるというのならば、存分に撫でさせてもらおう。脱力しきった主様をさらに脱力させるのは、ハナマルの役目なのだ。
主様尊い……。
そよ風のかんざし
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