ミッドナイトティー


 ハウレスは、いつもよりゆっくりとした歩調で屋敷の廊下を歩いていた。悠然としているのではなく、足取りが重いのだ。舞踏会が何とか終わり、その撤収作業もひと段落し、深夜になってようやく屋敷に戻れたのである。
 深く息を吐きながら、ネクタイを緩めてシャツのボタンも二つ外す。
 朝から本当に忙しなかった。ただ舞踏会を進行するだけならばともかく、アモンが街で暴徒に襲われ、ラムリとラトは舞踏会でトラブルを起こした。大貴族が一堂に会す場でのトラブルには神経を使うし、体力も気力も大幅に削られていた。
 それが自分や他の執事たちへの負担で済むならばまだいい。問題なのは、その渦中に主様がいたことだ。
 アモンを守ろうと声を上げたことも聞いた。ラムリが貴族とひと悶着あったときには仲裁に入るだけではなく、その貴族のご機嫌取りまで行っていた。ラトの騒動は主様の手を借りずに収束できたが、自分の執事だとは気付いたはずだ。
 ハウレスは今日、ほとんど主様のそばにはいられなかった。こういった大きな仕事は自分かベリアンが仕切ることが多い。他の執事が常についていたようだし大丈夫だろうと思いつつも、主様の担当として側にいられなかったことは気にかかる。

「様子を見に……いや、もう休まれているか」

 主様の生活パターンからすると、もうとっくに眠っている時間だ。舞踏会のせいで夜更かしになってしまったであろうことが申し訳ない。時間があれば新しく用意したハーブティーで一息ついてもらいたかったが、それは明日以降だ。
 主様のお世話を負担だと思ったことは一瞬たりともない。むしろ、主様の顔を見られることで安らげるのだ。こう疲れ切ったときこそ主様に会って話したいのだが、今日のところは諦めるしかない。
 そう思っているにも関わらず、足は自然と主様の部屋へ向く。ドア越しにでも主様の様子を確認し、静かなようならばそれでよし。一日の騒動で疲弊してしまっているようならば声をかけよう。
 言い訳じみたことを考えながら目的地を二階の執事室から主様の部屋へと変更していると、主様の部屋の前に人影があった。

「……主様?」

 静まり返った深夜の屋敷では、ハウレスの呟きもよく聞こえた。
 ハウレスの前方で、ランタンを持った主様が振り返る。自分の願望が見せた幻覚かと思ったが、影もあるしかき消える様子も無い。
 主様は深夜にも関わらず笑顔で、声は潜めているものの明るい様子だ。

「ハウレスくん! 今戻ってきたの?」
「え、ええ……ようやく一段落しましたので」
「一日お疲れ様、よく頑張りましたね。とても偉い!」
「……はい、ありがとうございます」

 普段ハウレスが主様にかけている言葉が返ってくる。ハウレスは頬を緩めた。やはり主様と話しているときが一番安らげる。
 なぜか元気そうな主様は、楽しそうに自分の首元を示した。

「ハウレスくんはよほどお疲れとみた」

 はっとする。ネクタイを緩めてシャツのボタンも外していたのだった。

「申し訳ありません」
「いいよ、そのままで。指摘したかったわけじゃないんだ、ごめんね。珍しいものを見たなと思って」

 そのままで良いと言われて、そうですかとだらしないままではいられない。ハウレスは即座に身なりを整えると、主様のランタンを代わって持った。
 主様は深夜だというのにかなりはっきりと覚醒している。ハウレスよりも元気なのではないかと思えるくらいだ。

「どこかへ行かれるのですか? こんな夜更けに」
「うん、少しうろうろしようかなって。ハイになっちゃって全然眠くならないの」
「主様が普段休まれる時間から二時間くらいは経っているかと思いますが、起きてらっしゃったのですか?」
「十分寝て起きて、を繰り返していたかな。そんでいよいよ眠れなくなってきた」

 主様はなにをおいても睡眠時間の確保を第一としている。眠れないことは相当なストレスだろう。

「ハーブティーをお入れしましょうか? 温まれば、少しはリラックス出来るかもしれません」
「魅力的なお誘いだけど、さすがにこの時間からハウレスくんを働かせたくはないかな」
「主様とのお時間は、俺の楽しみなんです。俺を労うつもりで、お付き合いいただけませんか?」

 全て本心である。大仕事終わりに、主様にティータイムを提供できる。新しいハーブティーを振る舞うこともできる。一日頑張った甲斐がある。
 主様はハウレスの言葉に数秒黙ったものの「じゃあお願いしようかな」と頷いた。ハウレスの言葉を本音か世辞か悩んだのかもしれない。
 ランタンを持って食堂に入る。明かりをつけるとはいえ静まり返った食堂で主様をひとり待たせることには抵抗がある、手早く準備をしなければ。
 ハウレスがキッチンから主様の元へティーセットを運んだとき、主様は無言でじっとランタンの火を眺めていた。

「あ、おかえり、ハウレスくん」
「はい、お待たせいたしました」
「もし時間が許すなら、一緒に飲まない?」
「……では、ご一緒させていただきます」

 いつもは固辞する場面だが、今はただ疲れを癒したかった。主様を見ているだけでも癒しは得られるが、ティータイムに同席して同じ時間を過ごすという特別感は非常に魅力的なのだ。
 二つのティーカップにハーブティーを注ぐ。主様は匂いを嗅いで「あ」と声をこぼしてから口を付けた。

「……初めての味だ、おいしい。なんだろう、イチゴ?」

 主様が言いながら、再びカップに口を付ける。気に入ってもらえたらしい。
 ハウレスはほっと胸を撫で下ろして口を開く。

「ハイビスカスやローズヒップ、仰る通りイチゴも。九種類のハーブを配合しています」
「ハウレスくんはどんどんハーブティー職人になっていくね……」
「主様に飲んでいただけることが嬉しくて、つい」
「わたしもすっかり日課になっているなあ。とても美味しいから、ハウレスくんも飲んでみて」
「ええ、いただきますね」

 配合を決めるときに飲んだ味だ。やはり美味しい。それでも、主様の「おいしい」を聞くまでは安心できなかった。
 ハーブティーの出来に満足していると、主様がカップを見つめてじっとしていることに気が付いた。温かいものを飲んで眠気がきたのだろうか。
 主様の様子をうかがっていると、主様は大きなため息をついた。

「どうにかなんないもんかなあ。デビルズパレスのこと、悪く言う人ばっかり」
「そのお気持ちだけで俺たちは十分ですよ」
「わたし、もっと言い返したかった。胸倉掴んでぶん殴りたかった。……でも、悪魔執事の立場を考えたら、そう下手なことも出来なかった」
「ええ。仕方ありません」
「……今日は本当に疲れたなあ」

 主様が力の抜けた笑みを浮かべる。気を張りすぎて眠れなくなったのだろう。
 ハウレスはカップを置いて立ち上がると、主様の椅子の横で膝をついた。

「主様。俺たちのために怒ってくれてありがとうございます。今日は本当にお疲れ様でした」
「……ハウレスくんは、わたしを甘やかすのが上手だね」
「主様の執事ですから」

 主様が鼻をすする。ハウレスの言葉で緊張がほぐれるならば、こんなに嬉しいことはない。

「……悪意を向けられるのも、怒るのも。疲れた」
「それでも俺たちを想ってくれたんですよね」
「ハウレスくんもこんなに優しいのに。もっとしっかり、みんなのことを守れたら良かった」
「主様は守ってくれましたよ」
「……ハウレスくんは本当に偉いよ」

 主様は袖で涙を拭うと、膝をつくハウレスに手を伸ばす。そして優しくハウレスの頭を撫でた。
 思いもよらない主様の行動にハウレスの思考も停止する。

「頑張ったね、ハウレスくん。舞踏会のこともそうだけど、いつも戦って、鍛錬して、みんなのことを守って。わたしのことも守ってくれて。ハウレスくんは本当に偉い。ハウレスくんの頑張りは、わたしがいっぱい褒めるんだから」
「あの……主様、俺のことは別に……」
「ハウレスくんは頑張っているよ。ちゃんと休めているか、主様はとても心配している」
「いえ……」

 ハウレスは片手で口元を覆って俯いた。主様は優しい声でハウレスを労いながら頭を撫で続けている。
 こうじっくり褒められるのも、頭を撫でられるのも慣れない。しかし、主様にやめろとも言えない。
 主様の穏やかで優しい声が胸に響く。

「あ、ハウレスくん耳赤いね。照れているね」
「……さすがに、その」
「ハウレスくんは一生懸命すぎるから、ちゃんと休憩してね。たまにはこっちに来ない日を作ろうかなあ。そうしたらハウレスくんも自分の時間が出来るでしょ?」
「主様にお会いできないのは困ります」

 自分を撫でる手を掴み、主様を見上げてしっかりと主張する。まだ顔に熱が集まっている感覚があり、きっと格好はついていない。赤面している様子などあまり見られたくはないが、うやむやにして主様に会えない日が出来るのは困るのだ。
 主様は少し驚いた顔をしたあとで、ハウレスに握られた手を動かした。痛くしてしまっただろうかと慌てて解放するも、主様はまたハウレスを撫で始める。

「じゃあ、沢山ここに帰って来るよ。んで、またわたしとお茶して。散歩もして」
「ええ、歓迎します。ただ、その、撫でるのをそろそろ……」
「よーしよしよし。ハウレスくんは偉いねえ」
「あの……」
「満足!」

 主様はハウレスの前髪を整えてから手を離した。
 ハウレスは咳払いを挟んで立ち上がり、何食わぬ顔でティーカップを持つ。主様からの気遣いが疲労した体に染み渡ったのを感じたが、同じくらい動揺していた。
 明日の予定について話していると冷静さを取り戻したが、頭を撫でる主様の手の感触はしばらく忘れられそうにない。



主様尊い……。
そよ風のかんざし
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