空中へジャブ


 錦は両手で顔を覆い、指の間からテレビを見る。
 再現VTRに精彩さはなく、ナレーションは淡々としていて一本調子だ。敬語で素人らしい棒読みのナレーションは、思いのほか感情移入を誘う。リアルな口調は、自分自身を投影しやすいのかもしれない。
 
『――足首を見えない何かにつかまれ、とっさに机の下を確認しました。けれど、当然、誰もいません。そのとき、ふと、動物のにおいがしました。僕の家で外飼いしている犬の小屋みたいな、たまに前を通る鶏舎みたいな、そんなにおい』

 容易に想像が出来、一人で深く頷く。獣のにおいは距離があっても分かりやすい。外で不意ににおってもさほど気にとめないが、VTRの男性がいるのは都会にある大学の講義室。隣に座った学生が、マウスを飼育している研究室に所属していたり、馬術部に所属しているのならば話は別だが。
 ラーメン片手にキッチンから出てきた凌が、怪訝な顔でダイニングテーブルにつく。夕食は終わったが小腹が空いたからと、近所のコンビニで調達してきたラーメンである。カップ麺ではなく、インスタント麺にしてはリッチな生麺だ。

「……何してんの?ホラー番組?」
「ええ。向こうからは好き勝手に接触してくるにも関わらず、こちらからは滅多に見えず、物理攻撃が通じない存在というのは厄介ね」
「殺意高くないか。これはどんな話?」
「いわゆる霊道と呼ばれるものが突っ切っている家に住む男子大学生が、通りすがりの霊に目を付けられてどうたらこうたら」
「俺なら引っ越しをすすめる」
「凌は、幽霊が怖くないの?」
「見えないからなあ……実際に巻き込まれるのは嫌だけど。殴れない相手にどうしろってんだ」
「パパも好戦的よ」
「肝試しとかもやったなー」
「幽霊に憑かれたらどうするの?殴れないのよ?」
「そんなガチの場所には行ってねーよ。塩持ってたら大丈夫かなって」
「塩?」
「何にでも弱点はあるんだ。幽霊には塩、悪魔には銀の弾丸、ジャバウォックにはヴォーパルの剣」
「……吸血鬼には?」
「んー?十字架と、ニンニクと、太陽と……木の杭とかもあるか。弱点多いな。俺でも勝てるかな」

 ラーメンをすすりながら軽く笑う凌に、錦は神妙な顔で首を横に振った。

「駄目よ、パパ。わたくしが助けに行くから、大人しくしてて」
「ちょーこころづよーい」
「でも幽霊が相手の時は、どうにも出来ないかもしれないわ」
「そん時は、俺が徳用塩をまき散らす」
「パパたのもしーい」
「ただ、錦のピンチって想像しにくいんだよなあ……」
「毎朝、ピンチよ」
「トーンが切実」
「助けてパパぁ……小学校の始業を、二時間くらい遅くして……」
「ごめんな、パパは無力だ……お詫びに、コンビニ産プリンをあげよう」
「買って来ていたの?」

 ととと、とキッチンに入り、踏み台に登って冷蔵庫をのぞく。踏み台に乗った錦が届く位置に、プリンとプラスチックスプーンが置かれていた。プッチンするタイプではない、リッチなカスタードプリンである。
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