10-5


 新一はトロピカルランド内にあるベンチに腰掛け、携帯をいじっていた。右隣には蘭が座り、左側では歩美が眠っている。歩美の隣には元太が座り、彼もまた眠っている。間隔を置いて置かれた別のベンチには、宮野、光彦、服部、遠山が座っている。そちらのベンチでは光彦が眠っていた。

「眠いー」

 最初にそう言い出したのは元太だった。朝から移動し遊び疲れただろうから、帰りの電車で眠ればいいと話したのだが、光彦や歩美も眠気を訴えたことと、女性陣からの「少し休んでから帰ろう」コールに新一と服部が異を唱えられるはずもなく。都合よく空いているベンチがあったので、しばらく休んでからトロピカルランドを出ることになった。
 新一は、うつらうつらし始めた蘭の肩を叩いた。保護者役まで眠ってしまうのはまずい。

「駄目だ、わたしもなんか眠くなってきちゃった」
「ほとんど歩きっぱなしだからな。みんなを起こして、もう行くか」
「うーん、そうだね。このままだと寝ちゃいそう」

 隣のベンチの服部に声をかけ、子どもたちを起こす。歩美と元太に声をかけると、二人は薄目を開けるだけで覚醒はしなかった。よほど眠いらしい。光彦も同じ様子のようだった。
 子どもたちが起きられないなら、大人が背負うか抱いて出るしかない。新一は服部と仁義なき一騎打ち(じゃんけん)ののち、負けた服部に元太を任せ、自身は光彦をおんぶした。歩美は、ひとまず遠山が背負い、蘭や宮野が交代することになった。
 トロピカルランドの出入口に向かって、ゆっくりと歩き出す。
 新一に並んだ服部が、他の家族連れを見回しながら言った。

「どこも似たようなもんやな」
「確かにな……遊び疲れて寝るほど楽しんでくれてよかった」
「ホンマやで。キャンプの駄々こねが嘘みたいやわ」

 眠った子どもを抱っこして歩く家族連れが多い。先ほどまでの新一らと同様に、ベンチに座って子どもを休ませている家族の姿もあった。通りかかったレストランを見ると、テーブルに突っ伏して眠る子どもの姿もある。どれも微笑ましく、新一は頬を緩ませた。
 服部や宮野が懸念していた事件も特になく、平和なレジャーは終了だ。あとは電車に乗って、子どもたちを送り届けるだけである。
 トロピカルランドのゲートが見えてきたところで、上着のポケットで携帯が震えた。立ち止まり、背中の光彦を片手で支えながら、携帯画面を確認する。
 "降谷"の文字だ。
 
「はい、工藤です」
『午前中振りだね、新一君。今どこにいる?』
「トロピカルランドだけど……もう帰るとこ」
『そうか、速やかにそこを離れてくれ。今、君の警護についている人間にも伝えているが、ちょっと騒がしくなりそうだ』
「……なんかあったの」
『やっぱり聞いてくるよねぇ』

 神妙な顔をする新一に、蘭が苦笑して両手を差し出す。新一の雰囲気から、友人からの電話ではないと感づいたらしい。新一は蘭に口パクで謝って光彦を預けると、少しの距離を取った。
 降谷は電話口でうなったものの、新一が情報を諦めることはないと察したのか、ややあって口を開いた。

『君たちにも無関係じゃないから……そうだな、詳しい説明は後日するとして。トロピカルランドがきな臭くてね、それを止めるためにガヴィと警察がそちらに向かっている』
「爆弾とか?避難は?」
『詳細は一切不明だ、我々はガヴィの勘で動いている。ただしガヴィは単独行動だから、見かけても接触はしないように』
「単独行動って……また逃げたのかよアイツ!?」
『ぐうの音も出ない』

 午前に確保の連絡があったはずだが、もう逃げているとは。フットワークの軽さに一種の感動すら覚える。
 
『ともかくそういう訳だから、速やかに帰宅を』
「すると思う?」
『してくれ』
「だって何か役に立てるかもしんねぇし」
『……』
「降谷さんは来るの?」
『移動中だ』
「じゃあ、俺を警護してくれてる人と待ってる。それならいいだろ?宮野は蘭たちと一緒に帰すよ」
『……分かった。くれぐれも単独行動しないように』
「よっし!」
 
 ゲート前を待ち合わせ場所にして電話を切る。
 新一は蘭のもとに戻るなり、ガバリと頭を下げた。

「悪い!ある事件のことで、俺はここに残る」
「はあ!?」

 声を上げたのは服部だった。だったら俺も、と言いかねない勢いだったが、自分の背負っている存在を思い出したのか口を閉じる。
 蘭は新一の予想に反して、仕方ないわねと笑うだけだった。そう言わせてしまっていることが申し訳ないが、ガヴィ案件が目の前にあるのに放置はとても出来ない。
 新一は、鋭い視線を送ってくる宮野にもしおしおと頭を下げた。ガヴィのことを教えようかと迷い、告げないまま見送った。新一も事態を把握できていないのだ、無駄な不安は煽りたくなかった。
 何度も頭を下げながら見送り、彼らの姿が見えなくなると、人混みから一般人に扮した警察官が二人現れる。今日一日、陰ながら新一を見守ってくれていたのだ。宮野の警護は、彼らとともにトロピカルランドを出ただろう。
 警察官らと軽く言葉を交わし、ゲート前で降谷らを待つ。一時間弱はみておくべきだと考えて待っていたのだが、異変はそれよりも早く訪れた。
 園内を歩く人々の姿を眺めていると、ドサリと警察官が倒れたのだ。
 
「大きな貸しを二つも作っておいて良かったよ」

 新一は目を見張った。
 大の男を二人、足元に落とした小柄な女は、どう見てもガヴィだった。
 警察から逃亡したにしては、ジーンズにパーカーと一般人然とした出で立ちだった。トロピカルランドに来るにあたり、調達したのだろう。
 予期せぬタイミングでのガヴィの登場に、新一の思考はしばしフリーズする。大体、トロピカルランドに現れたからといって、あちらから接触してくるなど思いもしなかったのだ。
 口を開いて出てきたのは「入場料払ったのか」という素朴な疑問だった。

「払ったよ。適当にスった財布からね」

 ガヴィは手を払うと、新一の腕を取った。力強く引っ張られ、倒れた警察官を残して人ごみに紛れる。

「っおい、どこに行くんだ。あの二人は」
「脳震盪で気絶してるだけだ、問題ない。降谷や赤井には連絡するなよ」
「何の用だ」
「あそこで待ち構えていたってことは、事情を聞いてるんじゃないの」
「お前が来るかもってことと、トロピカルランドで何か起こるかもしれないってことしか聞いてない!」
「十分だな」

 園の中央付近まで歩いたところで、新一は腕を振り払った。ガヴィは抵抗なく離れ、両手を開いて示してくる。敵意はないということだろうか。しかし、わざわざズボンに隠した銃も見せてきたので、新一にはどうにも出来なさそうだ。降谷にも連絡は出来ない。
 楽しげな声が行き交う遊園地の真ん中で、新一はガヴィと睨み合う。

「目的はなんだ」
「探偵君の推理を聞きたい。僕はきみのことをただのガキだと思っているし、脅威とは考えていないけれど、目の付け所には一目置いている」
「辛辣だな」
「間違っているか?」

 新一が返答に窮すると、ガヴィは人懐こい笑みを浮かべた。たったそれだけで、ガヴィは周囲に溶け込んでしまう。ジンやウォッカやベルモットのように、外見的特徴が無いと、こうも簡単に擬態出来てしまうのだ。
 ガヴィは、まるで親しい友人か恋人のように新一を見る。

「降谷たちが来る前に終わらせたい。急いでるんだ。だから、偶然見かけた工藤新一に借りを返してもらおうとしている。理解できる?」
「馬鹿にすんなよ。俺がわざと推理に時間をかけても、お前には分からないんだろ」
「被害が拡大するだけかもね」

 さらりと言われて顔をしかめる。

「仕掛け人は、ずっと僕らの先回りをしていたプロだ。今日、何らかの被害が出ることは確実だが"今日だけ"とは言い切れない。あいつは以前から日本にいたんだ、長期間にわたる被害も考えられる」
「……」
「長期被害なら、目立たないものだ。忘れ物として届け出たり、設備点検で発見されるようなものじゃない。犯人がここにいなくても、長期間機能するもの。今日だけを標的にしているなら、派手な事故や爆発も考えられるが……本人が死んで仲間も居ないから可能性は低いし、モノ探しなら警察が到着してからのほうが効率が良い。だから、僕らが先に考えておくべきは」
「長期的被害……目立たず、犯人がいなくても機能するとなると、毒物とか」
「その可能性は高いな」

 新一は腕を組んで顎に手を当てる。
 毒物と言って真っ先に思い浮かぶのは食中毒だが、騒ぎにはなっていない。被害が出ていなければ、それは事件ではない。ガヴィの求めるものではないだろう。
 そもそも、今日一日過ごした自分が気付いていないのだ。食中毒のような分かりやすいものではない。もっと分かりにくい、違和感としても小さい、些細なことから辿らねば。
 新一は周囲を見回した。夕方の遊園地として当然の光景が広がっている。
 人が空いているとみて夕方から入園した学生、朝から遊んで疲れの見えるカップル、眠ってしまった子どもを抱えた父親――。

「……寝てる子どもが多すぎる」
「ふーん」

 歩美、元太、光彦の三人も熟睡だった。非常にタフな三人が、疲れているからといって外出先で声をかけても起きないほど寝入ることは初めてだった。
 
「犯人の目的って何なんだ?眠らせるだけなら大した問題にならねぇだろ」
「……いや、僕は分かってきた」

 ガヴィは言うや否や、食べ歩きで人気のチュロス店に並んだ。非常に繁盛している店舗で、新一がいつ見ても列が途切れることはなかったし、実際に並んで購入している。何本か買って全員で共有して食べたものだ。
 新一はとっさに腹を押さえる。先に帰した蘭たちのことも頭を過る。この店に何かが仕込まれているとしたら、自分たちも無事では済まないかもしれない。
 ガヴィはにこやかにチュロスを一本購入すると、人の流れの邪魔にならない場所まで移動した。

「おい、何に気付いたんだ」
「一番共有しやすい食べ物といえばこれかと」

 ガヴィはそのチュロスに毒物が混入していると言いながらも、口に運んだ。あまりの躊躇いの無さに困惑するが、彼女は平気そうだった。
 新一は、万が一のことがあってはならないとガヴィを睨んでいたが、すぐに影響が出るものならば自分自身もこうして立っていられないし、とっくに事件化されているはずだ。今すぐにどうこうなるものではないのだろうと思って、様子を見守るのを止めた。

「わざわざ食べなくてもいいだろうに」
「多少の毒なら慣らされているし、見たところ子どもにしか影響が出ていないなら、僕には問題じゃない……が、そうだな。食べたくなったんだ」

 ガヴィが突然声のトーンを落とした。今の会話のどこに引っかかる場所があったのか不明である。

「いい香りもするし、気持ちは分かるけどよ。俺も食ったから」
「……工藤新一。きみは、甘いものを普段食べるタイプか」
「たまには。特別苦手じゃないけど」 
「これを見て、食べたいと思う?」
「一回食べてるからもういいけど、美味そうだな、とは思う。ガヴィは、食べたくないのに食べてるのかよ」
「……一回くらい食べてもいいかと思った。やられたな、これが狙いかもしれない」
「何が?」
「無意識への働きかけだよ。サブリミナル効果って知ってるかい」

 新一は頷いた。サブリミナル効果とは、閾値以下の刺激によって何らかの影響があることを言う。曖昧なものとして捉えられることが多かったが、限定的な状況下では効果が確認されている。身近なところで言えば、日本ではテレビ番組の放送基準で、サブリミナル的表現方法を禁止することが明文化されている。
 
「非日常的空間に来て、食べ歩きにチュロスを選択するのは珍しくない。それを買うつもりの客に、買う店を誘導しているんだ。ほら、広場に反対側のある店は並んでいない」
「立地の問題じゃ?」
「それなら、僕は毒物混入対象を何故"チュロス"に限定した?向こう側の店でも買わなかった?この場所での食べ物と言えばチュロスで、買うとしたらこちらの店だと考えてしまったんだろう」
「……ガヴィですら、何かに影響されたと?どこで?」
「あのな、僕は意識的に無意識を調整することは出来る。自白剤で重要事項を喋らないのがその最たるところだろう。が、無意識への影響に特別な対抗方法があるわけじゃない。目立たないために、あえて影響されるべき場面もあるだろうからな。場所については……断定は出来ないが、駅前の宣伝ロボットでも調べてみたらどうだ。僕はトロピカルランドの事前情報を、ロボットが流していた映像でしか知らない」
「……お前、暗示や洗脳にもかかるのか」
「それは知覚できる技法だろう。自己防衛出来る。……あいつのことだ、すぐに答え合わせできるようにしていると思うんだけど」

 ガヴィが、役目を終えた包み紙を観察している。英字新聞を模したデザインの包み紙は、アルファベットでびっしり埋まっている。
 新一も一緒になって覗き込む。それが無意味な文章であることは、蘭たちとチュロスを食べた時に確認済みだ。ofとfromが間違っていたり、同じ文章を繰り返していたり、単語の綴りが間違っていたり、デザインとしての英語でしかない。隅々まで読むことなく、捨ててしまった。
 しかし、ここに何か記されているとすれば見方も変わってくる。単純なシーザー暗号なら考えやすいのだがと包み紙に視線を走らせていると、不自然に大文字になっている部分が目についた。

「なんでこの一文、BとZとDが大文字なんだ。頭文字でもないのに」
「……親切心なんだろ」
「は?」

 くしゃり。ガヴィが包み紙を丸めてしまう。大げさなほど深いため息を吐いて空を仰いだ。何故か脱力しきった笑顔を浮かべている。

「これは確かに、僕への嫌がらせだ!」

 そう言って包み紙をゴミ箱に入れ、ついて行けていない新一の背を叩いた。

「用事は済んだ、僕はもう行くよ」
「は、いや、待てよまだ終わってねーだろ。毒は何なんだ」
「それは宮野志保にでも聞くといい。そろそろ到着する降谷には、大げさな避難は必要ないと言っておけ。全く、粋な極悪人もいたもんだよ」
「行くって、どこに」
「こわーい警察から逃げるんだよ」
「見逃せるはずねぇだろ!」

 携帯を握りしめて言うと、ガヴィが目を細める。恋人にするように、新一の頬を撫でてきた。瞬く間に一般人から凶悪犯へ戻ったガヴィに、新一の背を冷たいものが走る。

「貸しは二つあったはずだ。ちなみに、頸動脈は爪で切れる」
「っ……」

 新一はゆっくりと携帯をガヴィに渡す。両手を開いて見せ、無抵抗を示した。
 ガヴィは新一の携帯をポケットに入れると、また一瞬で一般人に擬態する。
 どうやって連絡を取るか、発信機を付けることは可能だろうか。そう思考を巡らせている新一に、ガヴィは丁寧に釘を刺した。

「きみはキュラソーが助けた子どもではないし、元敵だ。ベルモットの次に流れ弾が当たりやすいと思えよ。そしてそれは、宮野志保も同じだ。ああ、彼女は裏切り者だから、きみよりも死にやすいポジションかもしれないな」
「……なんもしねぇよ」
「よろしい。きみの携帯を持っているのも厄介そうだから、適当な客のカバンにでも入れていく」

 ガヴィは最後ににっこり笑い、新一に背を向けた。
 何者かの企みを阻止するべく動き、きっと警察の手助けになる情報を明かしておきながら、新一や宮野の殺害予告をする。ガヴィにとっては筋のある行動なのかもしれないが、新一には矛盾した行動にも思える。ガヴィにはいつも、翻弄されてばかりだ。
 情報が少ないせいだろうか。降谷から詳しい事情を聞けば、納得できるのだろうか。
 新一は足を地面に縫い付けたまま、ガヴィを見送ることしか出来なかった。

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