ボツった8-2


(ボツ8-1の続き)

 三人でカフェに入り、四人掛けの席に座った。宮野の隣に新一、新一の向かいにガヴィだ。
 宮野の友人を名乗る女性がガヴィなどとは知らない新一は、やけに怯えている宮野に困惑しつつ、店員にコーヒー三つを注文する。コーヒーが運ばれてくるまでの間に自己紹介くらいは済ませておこうと、進んで名乗った。

「俺は宮野の友達で、工藤新一。同じ大学の学部一年だ」
「わたしのことは、コルテーゼってことで。銘柄叫ばれて、きみたちのボディガードが反応したら、こんなparty peopleを装ってる意味がなくなる」
「コルテーゼ……?」
「マスクも変声機もないんだが」

 訝しむ新一に、宮野はそっと耳打ちする。「ガヴィよ」一言だけで、新一の表情が凍る。
 ガヴィは笑顔を崩さない。宮野と新一の反応を楽しんでいるようにも見えるが、宮野と親しい女子大生としての体裁を保つためだろう。無暗に正体を明らかにする気はないようだ。
 新一は店内に視線を走らせた後、目の前のガヴィを凝視した。ただでさえ殺気をまとわない犯罪者が、本気で擬態をしているのだ。
 
「もっと朗らかにしてくれないかな。ほら、笑って笑って」
「……お前、本当に?」
「工藤君が疑うのも分かるけど、本物よ」
「お待たせしましたー」

 間延びした話し方をする店員が三人分のコーヒーを運んでくる。ミルクと砂糖には手を付けず、三人ともブラックで口をつけた。
 宮野と新一が切り出すのを迷う前に、ガヴィが早速本題に入った。顔は女子大生のまま、声も軽い調子のままだ。

「きみがついて来たのは好都合よ。わたしは、借りを返してもらいに来たからね」
「借り……」
「大事な薬のデータをプレゼントした分と、子どもを保護した分。この程度の問答でチャラになるんだよ、良かったね!」

 さて『この程度』の問答とは。借りがとんでもなく大きい自覚がある分、身構える。
 ガヴィが必要な情報を、果たして自分たちは持っているのだろうか。組織に敵対した者への復讐目的の接触ではない分、気が抜けるとはいっても、相手は国際指名手配犯の大量殺人者だ。空間を隔てるアクリル板もなければ、行動を制限する手錠も首輪もない。

「まず確認。彼女の姉の捜索が依頼されたのは、毛利探偵事務所で間違いないよね?」

 硬直している宮野に代わり、新一が首をひねりながら答える。

「?……ああ」
「では質問は二つだよ。依頼があったのはいつか。わたしを保護した民間人は黒羽快斗で間違いないか」
「依頼があったのは四月末だ。と、コルテーゼを連れ帰ったのは黒羽で間違いない」
「そう」

 ガヴィが一つ頷き、口を閉じる。表情が穏やかなのは、大学生の皮を被っているからだとしても。大きな借りの割に、質問は短く簡単なものだった。
 
「……そんなんでいいのか」
「うん?」
「警察から逃げてる身だろ。捜査のこととか、逃亡の手助けとか……」
「捜査情報をきみに漏らすとは思えないし、ただの学生に協力要請するほど無能じゃないよ」
「そりゃ、そうだけどよ……あんな質問でいいのか」
「大事なことだよ。さて、急用も出来たことだし、わたしはこれで」

 ガヴィがまだなみなみ残ったコーヒーカップを置き、ショルダーバッグを漁る。
 待ったをかけたのは宮野だった。
 自分に彼女を捕らえることは出来ないことは分かりきっているし、だからといって自分や新一の警護が彼女を捕獲できるとも――失礼ながら――思えない。ここで見逃せば、一生顔を合わせない可能性もある。会わないこと自体は構わないが、宮野明美のことを有耶無耶にしておくことは出来ない。
 自分の生活のためにも、親しい人々の生活のためにも。組織の影は消さなければならない。

「お姉ちゃんのこと、なんで、何を知っているの。あなたが日本に来たのは、それに関係があるの?」
「ごめんね、わたし、他に聞きたいこと無いんだよね」
「っあなたがここから立ち去ったすぐに、警察に連絡するわ。今の服装や外見も含めてね。いいの?人工呼吸器が必要なほど重傷だったあなたが、この数日で万全に回復したとは到底思えないわ」
「あはは、予想の範囲内だよ。連絡しない選択肢なんてないでしょ!」
「なら今ここで叫ぶわ、コルテーゼ。そうやって別人を装っているということは、今見つかるのは不本意なのでしょう?」
「そうなると、わたしもなりふり構わないよ。頸動脈は爪で切れる」
「……ここで、わたしを殺すつもり?」
「忘れてるのかな?裏切ったきみ(宮野)と、敵対したきみ(新一)は、流れ弾が当たりやすい。彼女がかばったから"クリスの次に"なってるだけだよ。組織がなくなった今、積極的に処分する気はないけどね」
「……」
「もういいかな。急用だって言ったでしょ」
「黒羽のところか?」

 新一は食い気味に問いかけた。

「せっかく警察から逃げられたのに、警護がついてると分かってて俺たちの前に現れたのは何故か。質問も大したことじゃなかった。でも、あんたにとっては、それほどのリスクを冒す価値のある質問だったんだろ?」
「ふふ、続けて」

 ガヴィはテーブルに肘をつき、組んだ手の甲に顎をのせる。ひとまず、立ち去るポーズは止めたようだ。
 新一は、宮野からの緊張した視線を感じながら、深く息を吸って続ける。

「コルテーゼを狙ってるヤツらが日本にいるのは知ってる。捜査関係者からオフリドって呼ばれていた、アメリカマフィアの下部組織。そこから逃げてあんたを保護した人間も、マークされてると考えるのは当然だ。記憶障害があったから、保護した人間に確証が持てなかった。だから、事情を聞いているであろう俺たちの前に現れた。……俺たちは組織に追われていた身だ、元幹部のコルテーゼの動きを知らされていても不自然じゃない。もし俺たちが保護した人間を知らなくても、組織事案を担当をしていた降谷さんや赤井さんに連絡がつけば、俺たちを人質に聞き出すことが出来る」
「……」
「それほどまでに、なぜ黒羽の確認がしたかったのか。日本から逃亡するべき場面で、だ。つまり、コルテーゼは日本を出る気がない。その上で、自身の追手がマークしているであろう黒羽と接触を試みている。……理由はおそらく、黒羽を狙う追手を迎え撃つため。ひいては黒羽を守るため」
「きみの言う通りだとして、どうする?何を提案してくれる?」

 残念ながら、新一に差し出せる情報はない。
 ガヴィが"貸し"としてアポトキシンのデータを流してきたり、コナンを保護した場面もあった。その場に対価がないまま行動してくれたのは、恐らくどちらもガヴィにとって些事だったからだ。ガヴィは薬の情報を破棄するつもりだったようだし、暴動の場には別の用で赴いていた。貸しが返ってこないことも視野に入れて、ついでで動いたにすぎないのだ。
 今回は違う。ガヴィは手負いで、日本警察とFBIとオフリドから追われ、国外逃亡をしない。動きは最小限に留める必要があり、安易に情報の開示は出来ない。
 だからといって諦められない。新一も宮野と同じように、ガヴィの再補足は難しいだろうと考えていた。
 新一は、特別尊敬する大人二人に殴られる覚悟を決めた。

「共同戦線だ。俺は、降谷さんの連絡先も赤井さんの連絡先も知ってる。赤井さんたちは、そもそもガヴィの追手が標的だった。"敵の敵は味方"なんて甘いことは言わないが、利は一致する。留置所ではなく、今、ここで、取引をすればいい。俺と宮野を人質にして」
「ッ工藤君、それは」
「明美さんの捜索依頼の背景、コルテーゼがオフリドに追われている理由、オフリドの目的……俺たちが求める情報全てと引き換えに、自由を求める交渉をしたらどうだ。警察とFBIと協力して、オフリドを相手取ることも出来る。取調室では無理でも、俺たちの命をあんたが握っている今、紛れもなく対等だろう。降谷さんたちも、以前よりは無理を聞いてくれると思うぜ」
「うん、まあ、魅力的なお誘いかな。そういう姿勢は嫌いじゃないよ。でもね」

 穏やかに頷いたガヴィが目を細める。音もなく流れるように立ちあがると、背後に迫っていた男を瞬く間に組み伏せた。

「これは、交渉破棄ってことかな?」

 人間の倒れる音と、ぶつかったテーブルの音に、店内にいる客や店員の視線が集まる。それだけではない、組み伏せらえた男の仲間――新一や宮野を警護する捜査官らが立ち上がり、警棒を抜いていた。
 「何、喧嘩?」「ドラマかな?」ざわつく客と店員に、捜査官が警察手帳を示し、店を出るよう誘導している。
 ガヴィは組み伏せた男の背に座り、女子大生の仮面を外して新一を見上げる。先ほどの脅し文句が単なる脅しでないことを示すように、指先は首筋にピタリと添えてあった。
 
「お喋りは、時間稼ぎもかねていた訳だ。危険を知らせるスイッチか何か、持っているのか?きみらの近くにはMI6顔負けの発明家がいるから、僕も注意はしていたんだがな。あと、銃が効かないからって単身突っ込んでくるのはどうかと思う。それこそ、ライやバーボンやキュラソーならばともかく」

 新一は、意思の見えないガヴィの目から視線を逸らせなかった。身動きをしたら、組み伏せられた捜査官共々殺されるのではないか、と。敵意も殺気も感じられないのも関わらず、蛇に睨まれた蛙のように動けない。彼女が圧倒的強者であると、よく知っているのだ。
 宮野は不格好な呼吸をしながら、手を白くなるまで握りしめた。温かいコーヒーを飲んで暑さすら感じていたが、寒気に震える。

「馬鹿にするのも、大概にしてくれよ」

 ガヴィはあきれ顔で、口の端をつり上げた。

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