03.嘘つきの口はよく回る

翌日、私は毛利探偵事務所の下に居た。昨晩沖矢さんに提案された「探偵」が毛利小五郎さんのことであるとすぐに分かったが、変に断るのもおかしいかと思い、その提案を受け入れた。僕の方から連絡しておくので、と言っていたので、沖矢さんはコナンくんに連絡したのだろう。13時にアポを取ってくれた。寝坊したのでお昼は食べ逃した。お腹の音が鳴らないように祈るばかりだ

階段を上り、事務所の扉をノックする。こんにちは、と言いながら開けると、スーツを着た男性が座っていた。ちょびヒゲ。毛利小五郎だ。本物だ。

「こんにちは」

すぐ下に視線をやれば、少年がちょこんと立っていた。うわ!コナンくんだ!本物!かわいい。ドキドキした。にっこりと笑って挨拶をする。

「沖矢さんの知り合いって君のことかな?」
「うん。さ、座って!」

勧められるまま、ソファーに座り、毛利先生に向き合う。自己紹介をして、自分の記憶がないことを伝えた。就職するために自分の経歴を知りたい。それが依頼ですとお願いすれば、快く引き受けてくれた。

「何にも覚えてないの?友達のこととかも?」

毛利先生の隣に座ったコナンくんが身を乗り出して訊ねる。覚えてない。携帯電話に登録されてる連絡先は?と聞かれたけど、なんと携帯電話が無い。どうしてだろう。これはめちゃくちゃ謎。現代人にとって必需品ともいえる携帯電話を持っていないなんてことがあるだろうか?でも木馬荘には当然ながら固定電話もなかったので、絶対に持っていたと思うんだけど、私がこの世界に鍛え時に部屋の中に携帯電話は無かった。大変不便だ。

「住所不定だと電話の契約も難しいですよね?あ、私の家昨日燃えたので住所不定になったんですけど」
「ああ、火事がありましたね。お身体がご無事でなによりでしたな」
「本当に」

管理人さんに、保険とかの連絡はホテルに電話してくださいと伝えてある。留守でも伝言が残る。ありがたい話だ。毛利先生にも同じように伝える。何か進展があれば、ホテルに連絡して貰うことになった。連絡も簡単に着かないような人間からの依頼だと普通に不安というか不信だろうからと依頼金を前払いした。

「ひとまず今週末には必ず連絡を入れますので」
「わかりました。お願いします」

14時、毛利探偵事務所を出た。階段を降りる間にお腹が鳴った。よく耐えてくれたと自分をほめた。下の喫茶店で何か食べて行こうと思い、入店する。案外混んでていて、カウンター席に通された。

「ナポリタンひとつお願します」
「僕はオレンジジュース!」

私がカウンター越しに注文すると、いつの間にか隣に座っていたコナンくんがジュースを注文した。驚いた。気配なかったよ。

「名前さん、お昼ご飯まだだったんだね」
「そうなの。お腹すいちゃって」

どうやら安室さんはまだポアロで働いていないようだ。客層がおじさん中心なことからそう判断した。あの人が働きだしてから女子高生をはじめ若い女性客が増えるようだった気がするので。出されたナポリタンを食べる。おいしい。

「記憶が無くなったきっかけとか、心当たりは?覚えてる限り一番古い記憶は?」
「起きたらここはどこ?私は誰?って感じだったよ。保険証とか免許証とか確認してなんとなく自分のことわかってきたって感じ」
「キャリーケースに荷物詰めてたって聞いたけど」
「本気で自分探しの旅をしようかと思ってたんだよね。そうしたら家が燃えた」

ぺらぺらとよく回る口だ。嘘ばっかりだ。自分がこんなに嘘が得意とは知らなかった。誰が困るわけでもない嘘だし、暴かれることもないだろう。
ぺろりと完食したお皿をカウンターに返す。ごちそうさまでしたと言うと、奥に立っていた男性がニッコリ笑った。店長だろうか?

「名前さん、小五郎のおじさんに言ってないことあるよね」

疑問形でもなく言われた言葉にどきりとした。確かに言ってないことはたくさんある。異世界人ですという話はもちろん絶対にできないし、しない。けれどこの子が言っているのはそのことではなさそうだ。だとすると、怪しいバイトのことだろう。

「実はちょっと、自分でもよくわからなくて説明し難いから黙ってたんだけどね」

毛利先生は事務的にしっかりと調べてくれるだろうけど、謎を解明するのならコナンくんの方がしっかりやってくれる。中身は高校生探偵工藤新一くんなのだから。毛利先生には言わないでね、と持ってきた通帳を開く。今朝記帳してきたので、入出金明細がしっかり記録されている。

「この額は…」
「おかしいよね?半年くらい前まで月々こんなに振り込まれてるの。新卒初任給の3倍くらいだよ。怪しすぎない?覚えていない分余計に怖くなっちゃって言えなかったんだよね。もし法に触れるようなことで得たお金だったらどうしよう。だから警察にも相談してないの」

しかもこの振り込んでる会社は三ヶ月前に倒産してるんだよと言うと、コナンくんはすっかり考え込んでしまった。無言だ。気まずい。

「これ、昴さんに話してもいい?昴さんもきっと協力してくれるよ」
「ええっと、離すのは構わないんだけど、迷惑になるんじゃないかなあ。沖矢さんとは昨日ほぼ初対面だったし」
「大丈夫大丈夫。昴さんと同じホテルに泊まってるんだよね?今度遊びに行くね!」

そう言って彼はいつの間にか飲み干していたジュースのグラスをカウンターの奥の店長さんらしき人に渡して、席を立った。どうやら一人で来ることもよくあるらしく、ツケ払いになってるみたいだ。

「またね、名前さん」
「うん。ありがとうね」

店を出て、毛利探偵事務所につづくかいだんを上っていく小さな影を見送った。私はナポリタンのお金を支払って、喫茶店を後にした。これからどうなるのだろう。先が全く見えないって、少し不安だなあ。