07.舞台の上でプレゼント

次に決まった短期のバイトは、ちょっとお高めのレストランだった。バーカウンターがあり、成人式や結婚式の二次会とか、規模の小さな披露宴や同窓会によく使われるようだ。予約が埋まっていて人員が足りないそうだ。出勤は明日から1ヶ月のうち15日だ。
同居人の沖矢さんにもそのことを伝える。スケジュールを共有するのは大切なことだ。ご飯の支度もあるし。

「随分一生懸命働かれますね」
「そうですか?」
「もう少しゆっくり過ごされてもいいんじゃないですか?言い方は悪いですが、ハンデがあるのですから」

彼の言うハンデとは、記憶喪失だということだろう。確かにハンデではあるけど、いまは短期バイトの履歴書さえ書ければ何の不自由もなかった。バイト先で知り合う人ともどうせすぐ縁が切れるので、私生活の話になった時も適当な嘘でごまかした。バレなきゃいいし。
アメリカで、FBIで働いていた赤井さんもよく働く人だというイメージがあるけど、違うのだろうか。月の半分しか働いていないし、一般的な社会人と比べると労働時間はめちゃくちゃ少ない気がするのだけど。

「焦ってるつもりもないですけど、何をするにもお金は必要じゃないですか。ここを出るのにも纏まったお金が必要になるでしょうし」
「おや。出て行きたいのですか?」

きらりと沖矢さんの眼鏡に光が反射した。彼の表情は読めないけれど、言い方が引っかかる。なんか過剰に反応してきてない?なに?これただの世間話だよね?

「今すぐってわけじゃないですけど、出てきいますよ。何年もお世話になるわけじゃないですし」
「急いでるように聞こえました」
「早ければ早いほど良いでしょう。工藤さんも、沖矢さんも」

目的はわからないけど、彼がわたしと住んでいるのは、負担でしかないように思う。赤井さんは理由があってここに住んでいる。変装までしている。わたしが居て困ることはあれど、助かることはないだろう。厄介だという自覚はある。そう思っての発言だったけど、彼は意外そうな表情を作った。

「僕のことは気にしないでください。名前さんとの生活は、悪くないですからね」

そんなわけあるか。本当に沖矢さんとコナンくんはどんな理由があってわたしをここに置いてくれているのかわからない。

「とにかく、また明日から不定期にシフトがあるので、カレンダーに書いておきます。時間も毎回違うので、また色々とご迷惑をおかけするかもしれませんが」
「大丈夫です」
「じゃ、すみません。今日は出かけますので。帰りは19時頃になります。お昼用に親子丼ができるように支度してあるので、お鍋温めて食べてください」
「あなたは食べずに出るんですか?」
「ちょっと時間が無くて」

時計を確認する。もう出る時間だ。慌てて立ち上がり、鞄を持って玄関に向かう。

「どちらへ?」
「いろいろです。全部食べて大丈夫ですから。残ったらそのままにしておいてくださいね」

5cmのヒールを履いて飛び出した。バスの時間に間に合うかな。

本当はわたしもお昼ご飯を食べてから家を出るつもりだった。だからお鍋には2人分が作ってある。だけど思ったより支度に時間がかかりすぎて、昼食を諦めた。急いで食べるのは好きじゃないし。諦めたら諦めたで、髪を巻く時間ができた。いつもより丁寧にウェーブを作って、お気に入りの香水をつけた。肌もリップもしっかり化粧したけど、目元だけはすごくナチュラルにメイクをした。バイト代で買ったヒールは結構気に入っている。
13時半からネイルサロンに予約を入れてある。以前まで入っていたバイトではネイルが自由だったので、派手なデザインのジェルが指先についている。かわいい。だけど明日からのレストランでは少し目立ちすぎると思ったので、シンプルなものに変えてもらう。オフの時間含め2時間くらいで終わるだろう。そこから17時までお買い物をして、17時半からまつパの予約がある。わたしは予定を一気に詰め込むタイプだ。

ネイルはベージュピンクのワンカラーにしてもらった。2度目の来店だったけど、このネイルサロンは当たりだと思った。元の世界で行っていたサロンと同じくらい気に入った。オフは丁寧だし、甘皮の処理も上手だ。少し遠いけど、バスで行けるからありがたい。ショッピングモールではちょうどセールをしていて、服がお値打ちに買えた。ありがたい。明日からのバイトは髪を一つ結びにしなければならないので、ヘアゴムと結び目を隠す用のアクセサリーを買った。ゴールドで鳥のようなモチーフだ。かわいい。これも気に入った。
まつパのサロンも当たりだった。施術してくれた人がとっても上手で、綺麗なカールがついた。まつパはサロンによって当たり外れが大きいから心配していたけど、安心した。今後もここに通えば問題ない。

まつパの前にサロンでアイメイクを落としたけれど、まつげがくるんと上向きなので気分がいい。バスで帰ると、ちょうど19時だった。

「ただいま帰りました〜」

返事は期待してない。一応礼儀として言っておくものだ。沖矢さんの靴はある。リビングに向かうと、彼はキッチンに立っていた。

「おかえりなさい。ちょうど今から夕食です」
「いい香りがします。炊き込みご飯?」
「ええ、そうです」

手を洗って二人分の食器を運ぶ。沖矢さんは豚肉とキャベツを蒸したフライパンをそのまま食卓に置いた。上からドボドボとぽん酢をかけて完成らしい。沖矢さんの料理は少し大雑把なところがある。わたしも似たようなものだから気が楽だ。野菜の大きさが揃ってなくてもネチネチ言われないのは嬉しい。文句を言う人に食べる資格ない。炊き込みご飯には牛蒡が入っていた。おいしい。

「お昼、残りませんでした」
「へ?」
「親子丼。全部食べてしまいましたよ」
「それは良かったです。ありがとうございます」

2人分と思って作ったけど、残らなかったか。今度から沖矢さんとわたしの分を作る時は3人分を目安に作った方が良いのだろうか。沖矢さんは意外とよく食べるということを忘れないようにしよう。

「携帯を、プレゼントしたかったんですけど」
「ええ?携帯ですか?流石に自分で買いますよ」

わたしはまだ携帯電話を持っていない。しかし沖矢さんから貰う義理はない。

「そう言うと思ったんです。だから、これ」

研究室用とプライベート用で分けてたので、と差し出されたスマートフォン。新品ではない。

「途中から面倒になって使い分けができてないんです。こっちはもうほぼ使わないのに契約だけ続いているので、良ければ使ってください。2台持ちの定額プランなので、月6000円で良かったら」
「え〜めちゃくちゃありがたいお話です、本当に。え?本当に?良いんですか?」

プレゼントではなくて、レンタルということで。彼はそう言った。わたしは少しだけ迷ったけど、お言葉に甘えることにした。
研究室用とプライベート用で分けてたなんて嘘だってこともわかっている。だって、中身は赤井さんだし。このスマートフォンは私に使わせるために用意されたのである。わざわざ用意してもらったのなら、使うしかない。どんな思惑があるのかわからないけど、わたしが損することはなさそうだと思ったから、使わせてもらうことにした。

「ああ、でも、名前さんの恋人に叱られてしまうでしょうか。他の男の携帯を使うなんて」
「恋人?わたしに恋人がいたんですか?」
「木馬荘に住んでいる時、あなたの部屋に出入りする男性を数回見かけましたよ」

唖然。それは事実だろうか?中身が入れ替わる前のわたしの交友関係が全くわからないので、判断がつかない。元々使用していただろう携帯電話も見当たらなかったし、メッセージの履歴もわからない。

「覚えがないですか?」

彼の言葉に頷き、わたしは考える素振りを見せる。これは鎌を掛けられているのだろうか。わたしがボロを出すの待っている?何らかの理由で、わたしが記憶喪失という嘘をついていると思われているのかもしれない。探られている。何でだろう。たしかに記憶喪失というのは嘘だ。生まれてから今日までの記憶は全部ある。しかしこの体で、この世界で過ごした記憶は本当にないのだから、疑われても困る。

もし仮に恋人がいたのなら、わたしは絶対に日記にそれを書いていると思う。そういうタイプだ。自分のことはよくわかっているつもりだ。わたしはメンヘラまでは行かないけれど、本当に心から好きになった人としか付き合いたくないし、好きな人との出来事は逐一日記に書いてしまうタイプだった。彼氏とデートの約束した!とか、電話してくれた♡とか、今日はメッセージ4通も送ってくれた〜!とか、本当に些細なことでも日記に書くだろう。それがなかったから、この世界のわたしに恋人はいなかった。

「全く覚えてないですし、仮に本当に恋人がいたとしても、火事が起きてから今まで一度も音沙汰がないので、破局してたのかもしれませんね」
「それはそれは」

沖矢さんは申し訳なさそうに眉を垂れさせたが、わざとらしい。どういう考えなのかわからないけど、疑われているのなら、どうぞ疑ってくださいと思う。どんなに探られたとしても、わたしは本当に覚えがないのだし。どんなに探られても、本当は異世界人なんですと口にすることは絶対に無いのだから、知られることもない。何も怖くない。怖くないぞFBI。ちょっとだけ怯えた心の中で彼を威嚇した。情けない。