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「Unglaublich!!!」
「ちょっとシードル、煩いわよ」
「ベルモットの尻拭いなんて聞いてない!」
「頭吹っ飛ばされたいの」
ホノルル空港のロビーで迎えを待っていた私は、正面から颯爽と歩いてくる金髪美女を目にして思わず叫んだ。
ハワイまで来てこれである。
アメリカ本土にいるはずのベルモットが何故ここにいるのか、と口を開く前に首根っこを掴まれた私は、そのまま表に連れ出された。
昼間はそれなりに暑いのだろうが、秋口に差し掛かった夜のハワイは少々空気が肌寒く感じられる。長袖のブラウスが丁度いい頃合いだ。
「終わったらすぐ帰るからね。ほんと、すぐにだからね」
「ちょっと…なんなの。着いて早々いきなり」
「大事な大事な人命救助が待ってるのよ」
「なにそれ」
メルセデスベンツ・SLKの助手席に放り込まれるやいなや、急発進したために首が盛大に煽られた。しかし走り出してしまえばオープンカーのそれは、いくらか心地よく髪を風を靡かせていく。
時刻は夜の10時を回った頃である。
日本に比べて明かりの少ないハイウェイを、クーペカブリオレはそのパワーエリートの名に恥じぬ力強いエンジン音を響かせながら突き進んでいく。何処へ向かっているのかすら聞く気も失せた私は、薄ぼんやりとした夜景へと視線を向けた。ワイキキ、という矢印の標識が、遠く背後彼方へ流れていく。
「どうせ宮野明美のことでしょう」
「Oh ekelhaft…知ってるなら引き返してよ」
「全く…相変わらずご執心ね」
妬けちゃうわ。その一言に、ちらりと運転席を見遣れば悠然と微笑むベルモット。表情からして、おおよその話は把握しているようだった。それがまた少々癪に障る。
「ねぇシードル。そんなに生き急いでも、事態は変わるものじゃないわ」
「そんなのやってみないと分からないじゃない」
「忠告してあげてるのよFraulein. 大事な半身を失わないようにね」
それにね、とさらに彼女の唇が弧を描く。
意地の悪いことを言う時の合図である。いつも彼女はこの顔つき、この表情で私に決定的なものを突きつけてくるのだ。
「貴方だっていけないのよ?」
「………」
「色々手をかけてあげてきたみたいだけど…それも問題だったわね」
そんなことは百も承知だった。
とっくに気づいていた。
ジンの無体をとやかく言う前に、そもそもボスの子飼いである私は、一体全体どこに胸を張って、彼女を守ってきたなどと言えたものだろうか。
今まで、組織に関わらないでほしい、関わらせないようにしようと奔走した。否、奔走しているつもりだったのかもしれない。そもそもの所、私は彼女を関わらせたくない組織の中核にこそ、存在しているのだから。
手づから守っていたからこそ、外部から、FBIから付け入られるような隙が出来てしまったのだろうか。組織関係者の肉親のみならず、幹部の友人という繋がりのある女、と彼女に印象づけてしまった私の行動は、どう考えても芳しくなかった。
あの日。
あの電話越しのあの瞬間。
自分の身を呈して、組織に深入った彼女を引き戻すなどと一瞬でも考えた自分に、何よりも本末転倒な話に、思わず嗤いがこぼれてしまう。鼻の奥のツンとした痛みを誤魔化そうと、一層深く座面に身体を押し付けるが、傍らの彼女には誤魔化しがきかなかった。
「……泣かないでちょうだいよ。私、今ハンドルで手一杯なんだから」
「馬鹿言わないで。泣いてないわよ」
「あらそう??……ちなみにティッシュならダッシュボードに入ってるわよ」
観念した私は、屈んでそれを開いた。
「それを拭いたら、これから行く施設の図面…ちゃんと確認しておいてよね」
ベルモットが懐から放ってよこしたタブレットには、高層ホテルの見取り図が表示されている。薄闇に浮かび上がるパネルの光が、今の目には少し眩しかった。
「…Einverstanden」
「いい子ね」
「……でも取り敢えず帰国したら、あの銀髪野郎には鉛玉ぶち込まないと気が済まない」
「…ほどほどにね」
さあ、夜はまだまだ長いわよ。とベルモットは微笑むと、アクセルを更に踏み込む。
途端、しなやかなボディラインにそぐわぬ獰猛な加速度を見せたSLKに、私は思わず頬を引き攣らせた。
ワイキキの朝は、いつもとは異なった賑わいを見せていた。賑わい、というよりはどちらかというと人々が慄く喧騒である。
ワイキキビーチ沿いに存在する指折りの高級ホテルの高層部。そこを軒並み貸し切るかたちで昨日まで開かれていたのは、アメリカで有名なIT会社が秘密裏に執り行っていたという会合で、丁度今日の昼ごろに終局を迎える筈であった。
しかしそれが一夜にして叶わなくなったのである。
「まさかこんなに早く事を起こすとは…」
野次馬を抑える地元警察の間をすり抜け、ホテルの正面玄関へたどり着いた群青色の集団の一人が呟く。見上げた高層部は未だおさまり切らない黒煙が吐き出され、爆発物で吹き飛ばされた禍々しい様相を呈していた。
彼らの上着の背には黄色く『FBI』の文字が刻まれている。そのうちの一人、ゲルマン系と思しき顔立ちの青年が、ややあって正面玄関へ視線を戻せば、ちょうど一人の男が出てくるところだった。
「シュウイチ!随分と早いな」
「ああ。野暮用のついでに、まさかこんなものに出くわすとは思わなかったよ」
シュウイチと呼ばれた男 ――赤井秀一は、青年が差し出した揃いの群青色を受け取り、少々億劫そうにそれを羽織った。
「ざっと見た所、C4だ。小賢しいくらいに巧く配置されていたようだ…丁度、一網打尽にドカン、といったところかな」
「そうか…おい、上は頼んだ」
指揮を執るらしい壮年の男がそれに答え、周りの数人を上階に向かわせる。ふと、彼が傍らを見遣ると、赤井は明後日の方向へ視線を遣り、何か考え込む素振りを見せていた。
「どうした、シュウイチ」
「ああジャック…あの爆弾、どうもな…」
言いよどみながらも煙草を銜えだす赤井を一瞬、止めようとしてから再三無駄だったことを思い出して、ジャックは手をおろす。立ち昇った紫煙がゆっくりと空気に溶けていった。
「“Rotten apple”の仕業だと?」
「いや、奴というよりはもっと………昔、似たものを作る奴を知っていてな」
「潜入していた頃か」
「ああ。しかし……」
再び言いよどんだ赤井に、ジャックは眉をひそめた。珍しいこともあるものだと。
赤井の、ほんの些細な呼吸の乱れを敏感に感じ取った捲紙と刻は、平素よりも早いスピードで火種をおし進めた。それにつられて灰がポタリと落下する。
ジャックの視線を感じたのか、彼は我に返ると苦笑いの形に頬を歪めた。
「ああ、すまんな……奴は、死んだはずだ」
昔、引導を渡してやったんだ。
そう言った男のオリーブ色の視線はまたも空虚を彷徨い、そして地に伏せられた。
まるで何かを悔恨するかの如く。