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「効率的に相手を制圧するための、手っ取り早いスタイルというものは存在しない」
何故だかわかるか、と投げかけた赤井の視線の先。
風に揺らぐハシバミ色の長髪を鬱陶しげにかきあげたシードルは、億劫そうにこちらを見返してきた。そのシルエットへ、風に舞いあげられた己の黒髪が僅かに入り混じった。片や赤井は黒髪を今は一つに纏めあげ、トレードマークのニット帽も取り去った状態で佇んでいる。
「相手がこちらに向けてくる攻撃や障害というものは千変万化だ。いちいち応対する型で挑んでいたらキリがないし、ましてやそれを全て習得しようとするのは愚かなことだ。だからジークンドーには決まった型が存在せず、状況に応じて己を変化させていく。従って、他の武術のように試合なんぞも存在しない。そういう次元のものではないからな」
何故こんな春の麗らかな日に、赤井が彼女に物騒な指南をしているのかといえば、すべてはベルモットからの唐突な一本のコールだった。
シードルに引き続き目をつけていた彼女への接触が叶い、僥倖という思い半分、厄介ごとの気配を微かに感じた赤井は密かに眉をひそめた。
“ねえ。ちょっとあの子の面倒みてくれない”
それが誰を指すまでもなくあの少女の事であると、赤井にもすぐわかってしまったのは、あの日、不機嫌もあらわに共に任務をこなした少女が、頻繁にベルモットと連れ立っているのを知っているからだった。そのせいだろうか。碌に言葉を交わした事が無いにもかかわらず開口一番、一方的に用件のみを告げてくる点は少し似ているかもしれない、と密かに赤井は笑った。
それにしても、魔性の女と幼女という組み合わせは、シードルの年の程が判らない事を加味しても、なんとも異様な出で立ちである。
ちなみに、先だっての任務はよくある情報の奪取と掃討だったが、関わりたくないと言わんばかりに後方支援のみを任された赤井の仕事といえば、実際ほぼなかったに等しい。
“あの体格でしょう、火器にばかり頼るのよね。なんでもいいから体術の一つでも身につけさせて頂戴”
“何故俺に?”
“近接では誰にも引けを取らないって聞いたわ。それに随分、優秀だともね”
それきり通話は途切れ、赤井の手元に子供のお守りならぬ、シードルに近づく口実という手札が現れたのだった。
思い返してみれば確かに、スコープ越しに覗き見た少女は小さい体でダイナミックに敵をなぎ倒していたが、主にふるっていたのは愛用しているらしいソードオフショットガンだった。
その後、トドメと言わんばかりにスカートから取り出したH&K HK69A1、グレネードランチャーをブチかました時には、流石の赤井も目をむいたのを覚えている。
「そうだな……敵を倒す、というよりは…生きていく上で直面する障害を乗り越える方策・知恵、といった方がしっくりくるかもしれない」
「簡潔にして」
しれっとのたまったシードルの髪を、またもビル屋上の突風が襲った。それをうっとうしそうに払った彼女は、手持ちの髪ゴムで、赤井と同じく長い髪を結いあげる。
「持ちうる全ての手段かつ、考えうる最上の手段を使い、最短で仕留めろ」
「Hmmm…じゃあお手本みせてよ。なんかこう、一連の流れとか、試合とか」
「君、今俺が言った事全然聞いてなかったろう」
「Sie sind schlecht」
面倒臭げにそっぽを向いたシードルにため息をついてから、少し待っていてくれと告げてその場を後にする。
ややあって赤井は二人連れで戻った。
同じ程度の体躯をした男で、風に揺られた鋼色の黒髪が早々に乱れている。シードルが向ける胡乱気な視線に、彼が少々苦笑いを浮かべたのを赤井は横目に捉えた。
「Wer ist es?」
「スコッチだ」
その言語に明るくなくとも、流石に赤井にも何を言っているのかは表情で分かった。丁度いい実験台だと言わんばかりに階下で赤井に捕まったスコッチは、そんな事は事知る由も無く、ややあって人好きのする笑みを浮かべながら、彼女の目線に合わせてしゃがみこむ。
「初めましてシードル。噂はかねがね」
「Kein Interesse an Geruchte」
「彼女なんて?」
「…お前に興味ないってさ」
「適当なこと言うと頭吹っ飛ばすわよ」
シードルが更に顔をしかめた。それを見てスコッチが不思議そうな顔をする。大方、日本語喋れたのか、などと思ったのだろう。己程ではないが、少しきつめの顔つきをしている割に、この男は時折、能天気そうな雰囲気を滲ませる。その肩を、赤井は軽く小突いた。
「スコッチ。しばらく俺に全力で殴り掛かってこい」
「は?」
「手加減はする………こないならこちらから仕掛けさせてもらうぞ」
目を白黒させたスコッチを余所に、赤井の左腕は鋭い一閃をその喉元へ放った。そのまま慌てて距離をとった彼の顔面へ、勢いよく足を振り上げると同時に距離を詰める。
初めは困惑気味だったスコッチも次第に神妙な面持ちで、こちらの動向を窺い始めた。
空いていた赤井の左脇腹に一撃を叩き込もうとした彼の腕を、上から肘で抉るように押し留める。左へ僅かに傾いだ体の流れのままに、右足を大きく上段蹴りに薙げば、先ほどの一撃から動きを取れていなかったスコッチの頭へ、赤井の脛が直撃した。
ものの数秒間での応酬に、ヒュウ、と口笛を吹いたシードルは二人から距離をとる。
側頭への衝撃に肩を震わせたスコッチは、しかし、めげる事なく再び拳をふるった。そのジャブをいなした際の力を用い、スナップを効かせた手刀を顔面へ叩き込めば、赤井の手の下で彼の鼻っ面がバチン!と乾いた音を上げる。更に、一瞬怯んだその肩へ肘を打ち込めば、その体はたたらを踏んでのけ反った。
「Wow…まあ、ベルモットが指名してくるだけあるわね」
「ほー。褒めてもらえるとは思っていなかったな」
拳を繰り出しながらシードルへ視線を向ける。もの珍しそうに此方の手管を観察するその様子は、先日の表情とはうって変わって子供らしい色合いだった。しかし次いで、赤井の言葉にむっとした表情を浮かべる。それを横目にしてフッと笑った赤井はそのままスコッチのローキックを踏みしめた。その打撃の勢いを殺すことなく、反対の足を彼の腹部へ叩き込む。
「…褒めてないわよ」
「まだか!これ、まだやるのか!」
防戦一方になったスコッチがあげる悲鳴がお気に召したのか、シードルはクスクスと笑いを溢す。
もういい頃合だろうと判断をつけた赤井は、仕掛けた右ストレートを防ごうとする彼の腕を捻った。
小さなうめき声と共に繰り出されてきた逆の拳を引っ掴み、下手投げの要領で投げ倒せば、背中越しに少女の珍しくも感嘆とした溜息が聞こえた。
「これを見ても参考にはならんだろう」
起き上がろうとするスコッチへ手を貸しながら振り返る。見せろというから一応やってはみたものの、そもそも彼女と自分では体格もリーチも、諸々の能力等からして異なるのだ。参考にしようという方がおかしい。
片眉をつり上げたシードルは暫し考え込んだ後、こっちへ来いと言うように右手を振った。もう片方の手はあろうことかスプリングコートのポケットに突っ込まれているため、体躯に似合わぬ大層偉そうなポーズだ。
ややあって近づいた赤井を下から見上げた彼女は、ニヤリと片口を笑みの形につり上げる。
「Du bist doof…それは私が決める事よ」
「――!」
不意に空気がぶれる。
時を同じくしてシードルの左腕が空を切った。
次の瞬間に、赤井が咄嗟に大きく身を屈めるようにしゃがみ込めば、その頭上スレスレの空間を3発の弾丸が飛び退っていった。それは目の前に悠然とたたずむ彼女から、ポケットに潜んでいたデリンジャーから発砲されたものだ。
若干体勢を崩しつつも、その銃を捉えようと手刀を奔らせた赤井だったが、顎にガツリと衝撃を受けて視界がぶれる。
反射的に首をのけ反らせれば、鼻先を掠めんばかりの勢いでシードルの足が視界を切り裂いていった。
そこで漸く、銃をだしにされた挙句、有効打撃の届く範囲まで距離を詰めさせられたことに、赤井は思い至った。
「つまりはこういうことでしょ?oder?」
「……まあ違いない」
華奢なワークブーツで打ち据えられた顎をわずかに摩れば、背後で空気が震える気配がするので振り返ると、案の定スコッチが口元をひくつかせていた。
「一本取られたな、ライ」
「一発くらいは当たると思ってたのに」
残念だわ、と事もなげにのたまったシードルは銃を内ポケットのホルスターに仕舞う。その姿は酷く不似合だったが、自然な動作だった。
しかしなかなか呑み込みが早い。
蹴りに関しては本気度合いが判らないが、身体能力も申し分ない。鍛えろ、と重く頼まれたわけではなかったが、イロハを教え込むには十分な様子をみせるシードルに、赤井は少々興味が湧いた。
「今回はうまくいったが…君のリーチではなかなか毎度、この様にはいかないぞ」
口をとがらせるシードルに、妹の姿が重なる。
子供染みた仕草はやはりその見た目にしっくりと当然に馴染んでいて、思わず赤井はその頭頂部を2度ほど軽く撫ぜてしまった。
途端、目をむいた少女にバシン!とはたき落されたその右手が宙を泳ぐ。
「…Schweig…Vollidiot。ムカつく男―――ねえ、ちょっと屈みなさいよ、もう一度。今度はフルオートよ」
「謝罪しよう、悪かった。…すまなかったから短機関銃はやめてくれ」
即座に謝罪の言葉を口にするも、腹部に押し付けられたクルツはなかなか下ろされることなく、赤井は彼女をなだめるのに小一時間かけさせられたのだった。