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沈みかけた太陽の光がイヤに眩しくて、思わず目を眇めてしまう。
こんなに長く、組織の仕事と全くもって関係ない行動をするのはいつ以来だろうか。
「…いや、先月ベルモットと買い物いったな」
「お嬢ちゃん、あの…そろそろ時間、じゃ、ないかな…」
「…もー。おじさん、本当にセッカチね」
いまだに男の腕はしっかり確保したままだった。今更逃げることももうないだろうが、如何せんこの怯えようでは念も入れたくなる。しかし私の身長が低いせいか、男が何度も躓きそうになるのがこの体勢のネックだ。
しかし、指摘通り確かに頃合いのよさそうな時間だ。ならばさっきコインロッカーに預けたスーツケースを取りに行って…と頭をめぐらせていると、スマートフォンが着信を告げた。
「もしもしウォッカ?」
「シードル、お待たせしやした。場所は昼間知らせた所で」
「りょーかい」
短い通話を切った後くるりと返した踵に、またも男がついてくることが出来ず、足をもつれさせた。
「さ!行きましょ?」
最後のランデブーといきましょう?と、つまんだコインロッカーの鍵を眼前でヒラヒラと見せつける。何か言いたげな男は、極限まで血色の悪くなったその顔を少し安堵させたが、私が「ジンが呼んでる」と告げた途端に、表情筋のすべてを停止させた。
「Guten Abend!ウォッカ。おじさん、もう待ちくたびれちゃったみたいよ?」
「そう言わないでくだせぇシードル…今日一日結構立て込んだんですから…」
陽光は完全になりを潜めて、今では遠く西の空がうっすらと赤くなった頃に、ようやくウォッカが待ち合わせの場所にやってきた。
一緒にいるはずのジンは見当たらないが、そんなに会いたくもない相手なので敢えて言及しなかった。ウォッカは比較的私に甘いので重宝しているが、ジンは論外だ。
「とりあえず言われたとおり、そこの観覧車の下におじさん置いて来ちゃったわよ?」
「問題ありやせん」
ウォッカは何故か私の手に、どこで買ってきたのかチュロスを握らせて、そのまま茂みの向こうへ消えていった。前言撤回、人の事を子ども扱いしすぎである。
チュロスに罪はないので、ありがたく齧りついた。今日は甘味しか口にしていないから、夕飯は節制しないとな、と思いながらザラザラとした舌触りを堪能する。
チュロスをおおかた腹に納めた頃。ふと視界に何か動くものを認識して顔を上げてみれば、見知らぬ少年が夕闇に紛れるようにして、茂みへと身を潜める様子を見つけてしまった。
ウォッカが掻き分けていった茂みとはかなり離れているため、こちらの姿はおそらく見えていないだろうがしかし、明らかに取引現場を覗き見るような仕草をしている。
そのまま彼はひっそりと茂みを抜け、観覧車の社屋の物陰に身を潜めた。
ウォッカに知らせて少年の口を封じなくては。
そう考えて足を踏み出しかけた時、少年の背後にジンの姿を見つけて頭を抱えた。
そこから先は鮮やかな鉄パイプの一閃で片がついた。頭から血を流して倒れこむ少年に恐れをなして、取引相手の男は脱兎のごとく逃走する。
面倒だな…とそれを見送っていると、金を抱えたウオッカが目に見えて動揺した声を上げた。こちらにもまだ面倒が残っていた。
「あ、アニキ。こいつバラしやすかい!?」
これだからどうもこの男は詰が甘い。ここ数年ウオッカの尻拭いを地味に行っているジンの甘さが悪いのだろうか。
「いや銃はまずい。サツがまだ彷徨いている」
「じゃあこっちの方で物理的にバラしとく??」
なんだか埒が明かないので、振り上げた右腕から飛び出したナイフを、ジンの目の前でクルリと回してみせる。
一瞬、鬱陶しそうに睨みつけられた後、刃先を弾いたジンは懐からピルケースを取り出した。
「コイツを使う」
「あら、それ試作品じゃなかった??勝手に持ってきたの???」
「手づから試作品を実験してやってるんだ。構わねぇだろ」
「…どうだか」
強引に薬を嚥下させられた少年は、倒れ伏したまま徐々に呼吸を荒げていく。微かに震える手が土草ごと握りしめられ、時折ビクリと痙攣した。
「かわいそう」
「アニキ、シードル!早く!」
「探偵ごっこが身を滅ぼしたなァ……あばよ、名探偵」
きっとほんの些細な好奇心からこの場に近づいたのだろう。彼が映画のような光景に目を瞠っていたのは、先程目にしていた。
一般人の目撃者をこのように始末するのは久々だ。
苦しげな呻き声に背を向けて、私達は宵闇に溶けこむようにその場を後にした。
「おいシードル。 さっきの小男の始末、忘れるんじゃねぇぞ」
「……Hola。分かってますよ」
ポルシェは存外乗り心地が悪い。数え切れないほど同乗したものの、姿形は好みだが、いまだにこの車に愛着を持てたためしはない。
バケットに残ったポップコーンをつまみながらなおざりに返事をしていれば、バックミラー越しに鋭い視線を感じる。
「…序だ。お前最近バーボンともつるんでやがったな。あいつに伝えとけ。しばらくお前には用がねぇから俺の周りをうろつくんじゃねえぞ。目障りだ」
「アンタも私とよくいるんだから、視界に入るなって方が難しいんじゃない?」
「…お前、ここ最近どうも口が回るようになったじゃねぇか」
前の方が可愛げがあったぜ?と言われても、全くもって思い当たるフシがないため、胡乱げな体で睨み返すしか術がない。
睨み合っているのも億劫なので、後始末を押し付けるなら、現場まで送っていけと言わんばかりに、ウオッカに行き先を変更させる。
「あーあ。今日も夜は長いなあ」
懐から取り出した愛銃は、漸くの出番に心躍らせたかのように街のネオンをはらみ、揺れる水面のように光を揺蕩わせた。