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ウトウトと、朝の心地良い微睡みを感じる。
空調のきいた室内は肌にしっくり馴染んでいたし、リネンの手触りも最高だ。
しかし、カーテンの隙間からこぼれる陽の光に瞼を刺激される前に、身体にどこか不快感を覚え、嫌々ながらも眠りから意識が浮上してしまう。
薄っすら目をあけて、徐々に頭が覚醒してくると不快感の正体が判明した。バーボンだ。それも物理的に。
「勘弁してよ…」
仰向けに寝転んだ私の腕は、モノの見事にヤツの頭の下敷きになっている。脂肪の少ない私の腕で機能が果たされているかは定かではないが完全に、よくある腕枕の状態だった。
昨晩はティータイムとのたまいながら、結局酒が入った。甘いものにはやはりお酒がないと、という私の発言により、まず部屋に備え付けのミニバーの酒類が犠牲になった。それで足りるわけもなく、バーボンにルームサービスを頼ませてから、どちらが先に潰れるかという泥沼の試合を始めたのが、だいたい深夜をまわった頃だった。
結局、どちらが先に潰れたのか分からなくなる程にアルコールを摂取し、不意に訪れた眠気に誘われてベッドに飛び込んだあたりまでは、なんとなく記憶が残っている。首だけのそりと持ち上げてみれば、大分皺くちゃになったネグリジェの裾に小さく、ワインのシミがついていて、思わず舌打ちが口をついた。
腕が痺れて仕方ないので、思い切りバーボンの頭の下から腕を引きぬく。上方に持ち上げつつ落とした所為か、すぐさまこちらを不服そうに見上げる視線とかち合った。
「ちょっと…大事な頭なんですからもっと丁重に扱ってくれません??」
バーボンはそのままするりと体勢を変えると、今度は私の腹部に頭を載せてくる。本当に私を枕か何かと勘違いしているんじゃないだろうか。太ももに仕込んだままだったデリンジャーで、こめかみにグリグリと抉って、ようやく体が離れていく。
「Sie sind ein Scherz ? 穴をあけて軽くした方がいいんじゃない??重たくってしょうがなかったわ
…………ちょっと、あなた何でズボンはいてないのよ」
「皺になるじゃないですか」
ベッドを離れ、バスルームへ向かおうとしていたバーボンの全身が目に入って、思わず呼び止めてしまった。シャツは昨晩着ていたものだが、下肢は見慣れない短パンをはいているな…と思ったがよく見たらボクサーブリーフだった。この男、本当に打ち抜いてやろうか。
しかし落ち着いて眺めてみると、幾分か丈の長いシャツの下から伸びる足にはあまり筋肉がついていないのか、比較的ほっそりしている。下手すると「恋人のシャツ借りちゃいました」状態に見えなくもないような。
「なんか…そういう格好の女の子…テレビでたまに見るわ…」
「まだ寝ぼけてるんです?」
「いいからとっととシャワー使うなら使って着替えて」
私これから出かけるんだから。そう呟いて、再びベッドに体を預ける。バーボンが、なら一緒に入ります?などと軽口を叩いてくるので、手近の枕を投擲した。
「いまだに貴方たちが、ただならぬ中じゃないっていうのが私には謎なのだけれど」
「それは僕も常々感じていますよ、ベルモット」
「バーボン黙って。ある意味、何度も深夜に男女が同じ部屋で酒盛りをしつつ一緒に寝こけてるだけっていうのも“ただならぬ”中じゃない??」
間抜けな意味でね…とベルモットは幾分か呆れたように、RX-7から降り立った私を見遣った。少々待ち合わせに遅刻した為か、今日は何やら手厳しい。
運転席に残ったままのバーボンに礼を告げ、走り去る車を見送る。私も車買おうかな、とうっかり呟くと傍らの美女はあろうことか鼻で笑った。
ベルモットと待ち合わせをしていた代官山のスパは、所謂芸能人御用達の店で、ルームタイプの完全個室だ。入口を抜けると最早顔パスなのか、即座に部屋に通された。それもスイートルーム。
40畳はあるだろうかというスペースはアジアンテイストの、少し薄暗い内装だ。寝心地のよさそうな施術ベッドの向こうに、リラックススペースらしき小上がりの座敷も見えた。
「シードル、あなた運転できたの」
「運転手を雇うのよ」
「じゃあバーボンでいいじゃない。十分、今でも足にしてるじゃないの」
「ちょっと、人聞きの悪いこというのやめてくれない?」
部屋に備え付けの岩盤浴に入るために2人、脱衣所にこもってからも軽い応酬は続いた。ベルモットは興味無さげにしながらも、昨晩の私とバーボンの顛末にしっかり耳を傾けていて、時折茶々を入れてきては話の腰を折るのを楽しんでいる。
「ねえ、岩盤浴って初めてなんだけど…汗、すごいんだけど…えぇ…なにこれ…」
「我慢なさい」
あなたが来てみたいって言うから連れてきたんだから、と窘められた為に押し黙る。美容って大変なんだな…と思いつつも、傍らのこの美女にはあまりこういう地道な努力は必要なさそうにも見えて、少し癪である。
その後、部屋に戻ってひたすらストレッチとオイルマッサージを受けることになり、ベルモットがスタッフを呼び寄せる。
やはりお高い店だけあってとにかく気持ちが良すぎた。とめどなく散々喋くり合っていた私たちが、途端におしゃべりをストップさせてしまうほどに。
「ちょっと…シードル。起きて」
そして私は心地よさに身を任せて寝入ってしまうほどに。
まだまだお子様ねぇと小馬鹿にされつつ、バスタイムの時間だと言って一緒に風呂場に放り込まれた。
広いバスルームは、部屋の内装と同じくアジアンテイストで、ここにもまたアロマの馨しい芳香。これでもかという大きさの猫足バスタブに二人で身を沈めると、自然とため息が二つ、バスルームに反響した。
「そういえばこの前の誕生日に、「ちょっとまってFraulein?あなた誕生日だったの?この私が知らされてないなんて」 正確に言うと最近判明したのよ」
「それは……ラッキーだったわね」
「――ボスから黒薔薇を沢山もらったんだけど。何か意味があるのかな」
「薔薇の色と本数で色々意味があるけれど…いくつもらったの」
「27本」
「………」
私もそれなりに調べたものの、27本という中途半端な数字はどこにも見当がなかった。今まで過去にも黒薔薇をもらったことはあったが、毎年のクリスマスに1本、ひっそりと贈られてきただけだった。
それをベルモットに告げれば、ひとしきり考えた後に至極真面目そうな顔でこちらに向き直った。
「今までって、どれくらい前からもらってたの」
「そんなの覚えてないよ」
「ふーん……そう、そうなの…」
水気をしたたらせながら考える素振りを見せるベルモットはそれはそれは美しかったが、不意にニヤリとその口角が上がったのを目にして、少々嫌な予感がする。
「何、なんかわかったの」
「いいえ?けれど思いついたことはあるわよ?たとえば……節分の豆みたいなもんじゃないかって、とかね」
「Idiot! そんなわけ……いや、ありそうで怖いな」
「でしょう?」
あなたと私が出会った日から単純に逆算してごらんなさいよ、という言葉に、途中で耳をふさいで聞こえないふりを通せば、からかい混じりのお湯が顔へ飛来した。この女、水鉄砲なんて庶民じみた仕草も習得してるのか。
「私はこのままずーーっとこの小さな入れ物で過ごすんだから、年の話はやめて頂戴」
「はいはい、ごめんなさいねFraulein」
「よろしい」
反撃で桶ごとお湯を飛ばせば、ベルモットはけらけらと笑って降参のポーズをとった。お互いの首から上が少々濡れそぼってしまい、二人でバスタオルをかぶって、再びバスタブに深く体を沈める。
「ねえSchwester、私、この後研究所に行かなきゃいけないんだけど」
「……はいはい。足になってほしいのね」
「Ich mag dich!」
大好き!と飛びつけば、宥められるように頭を撫で繰り回される。
「そのかわり、今日のお代も含めて今度、私の仕事を手伝ってもらうわよ」
「それは勿論」
バスルームの壁にかかった時計を確認し、ベルモットがゆっくりとバスタブから身を起こす。タオルを身に巻き、インターホンで何やらスタッフを呼び寄せる様子に首を傾げれば、あなたも早く上がりなさいと言わんばかりに、新しいバスタオルを投げ渡された。
「お茶するくらいの時間あるでしょう? どうせいつも通り、投薬も臨床も遅い時間からしかやらないんだし」
あなたの好きそうなデザートも用意してもらってるわ、という言葉に色めき立って、私は勢いよくバスタブから飛び出す。
身体を大きなバスタオルでくるんでいると、ベルモットが徐に私の髪の水分をぬぐい始める。ふわふわのバスタオルから、アロマの香りに交じって陽の光のような暖かくも乾いた匂いが鼻をくすぐった。
先刻から開け放しっぱなしの扉からはいつのまにか、紅茶とスイーツの甘く重たい香りが漂ってきている。
香りを堪能しながら、ベルモットの手のひらに身を任せていると、頭上でクスクスと笑い声がして顔を上げる。
あなた、こんなに甘えただったかしらね、と微笑まれる。
少し昔を思い返すような色をした彼女の眼を見返してみても、不思議と昨日バーボンに覚えたような不快感は生まれなかった。
今日のこの豪勢なメンテナンスのお蔭かしら…と、ひっそり独りごちる。
たまにはこんなラグジュアリーな休息も必要かもしれない。