日和+凪砂(+零Eden)





※朔間姉
※Eden+俺零




「………名前さんに会いたい」

 決して大きな声ではなかったが、乱凪砂のその一言はやけに室内に響いた。
 音楽番組の収録前。ここはEdenに与えられた控え室だった。
 頬杖をついてテレビを眺めていた巴日和も、その向かい側に座って同じくテレビを観ていた漣ジュンも、部屋の端で何やらノートパソコンを弄っていた七種茨も、みな揃って凪砂の方を見た。
 テレビでは黒い衣装を纏った《背徳的》を謳うアイドルのライブが映し出されている。凪砂はそれを観ながらもう一度、会いたいな、と呟いた。
「……“名前”?」
 それにいち早く反応したのは茨だった。ノートパソコンを少しだけ閉じると、目を爛々と輝かせながら凪砂の方へと近付いて行く。彼の知らない名前だった。
「………“名前”、ね」
 ふぅ、と日和が小さく溜息を吐いた。茨が興味津々に件の人物について尋ねる姿を目を細めて眺めている。
 ジュンはそんなAdamと日和を見比べて、「おひいさん」と声をかけた。なに、と彼は目で返事をする。
「おひいさんの知り合いすか?」
「……まさか!ぼくが知るわけないね!」
 途端顔をむすっとさせた彼は、乱暴にリモコンを手に取るとチャンネルを変えた。今度は旅番組のようで、タレントが温泉を前にはしゃいでいる。
 日和はそれを見ながら「あ〜ぼくもたまにはゆっくりしたいものだね!馬車馬のごとく働かされて!悪い日和!!」と息巻いた。
 まさかここまで彼が憤慨するとは思わなかったため、ジュンは驚いた。
 未だに彼はぶつぶつと文句を言っているが、逆にそこまで過剰な反応をするということは、彼は《知っている》ということで間違いないだろう。
「………」
「…なに?ぼくに意見でもあるの?何の権利で?」
「……イーエ」
 ジュンは逡巡する。“あの”乱凪砂の口から出た名前であるからして、かなり好奇心を擽られるものがあった。それに日和のこの反応もある。
 ただ、日和の機嫌はすこぶる悪く、これ以上詮索すると、収録前にも関わらず帰るなどと駄々をこね始めかねない様子だった。
 恐らく彼のことだから本当に帰るなんてことはしないだろうが、本番前まで機嫌の悪い彼を宥める真似事をしなくてはならなくなるのである。(放置していても本番の巴日和のパフォーマンスには何ら問題ないが、後日そのシワ寄せが何倍にもなってジュンを襲うのだ。)
 好奇心とその苦労を天秤にかけ、ジュンは仕方ないかと嘆息をもらした。おひいさん、何か飲みますかと適当に話題を変えた。
 その言葉に日和はあからさまに眉をひそめたが、茨の快活な笑い声が室内に響くと、無表情になってまたテレビを眺め始めた。
 ジュンはその姿に目をぱちくりとさせたが、彼がテレビに集中してくれるのであれば自分はAdamの会話に集中しようと、同じくテレビを眺め始めたのだった。


「なんと!それでは閣下の恩人というわけですね!」
「……うん、とても優しい人」
 凪砂はアルカイックスマイルを浮かべた。
「でしたら僭越ながら、自分の方から提案があります!今度その方を招いて一緒に食事でもいかがでしょう!自分も、閣下のお話を聞いてお会いしたくなりました!」
 茨のハキハキとした声に、日和の動きが止まった。
「……いいと思う。日和くんも喜ぶ」
「よろこばないね!!!」
 なんだかんだ言いつつ、彼もしっかりAdamの話を聞いていたのだろう。
 およそ普段の彼からは想像つかないするどいツッコミを入れると、日和は茨を睨んだ。茨はそれに首を傾げ、にこにこと笑顔を崩さない。
(――この男……!)
 日和は苛立たしげに舌打ちをした。
 すると「おや?」と茨が大袈裟に何かに気づいたような顔をする。次いで「ふむ」と顎に手を当ててしばらく思案したあと、邪気のない笑みを意地悪いそれへと変化させて、日和を視界に捉えた。

「先ほどの話からすると、日和殿下はその方をご存知ないのでは…?」
「〜〜〜っ!」
 かぁっと日和の頬が羞恥で赤く染まった。

「……どうして?日和くん、この間名前さんから連絡が来たってはしゃいでいたけれど」
「〜〜凪砂くんっ!!!」
「ほぉ、なるほどなるほど」

(おもしれ〜〜。)
 ジュンは口許を手で隠しながらこっそりテレビを消した。収録が始まるまでのいい退屈しのぎができた。




「は!?チケットなくしちゃったの!?」
「あ〜〜〜いや………まさか盗まれるなんてな〜」
「はいウソ!まったくどうするの!?せっかくの凛月の晴れ舞台なのに!」

 名前がヒステリックに叫ぶと、零は空を見上げ「お、飛行機雲だ」とのんびり答えた。
 彼女は弟のそんな詫びれもしない様子にいらっとして肘鉄をお見舞いする。
「いっ、てぇな〜〜」
 彼は端正な顔を歪ませると、幼子のように頬を膨らませて姉を睨んだ。しかし姉が本当に怒っているのが分かると、途端バツが悪そうな顔をして「なぁ〜悪かったって」と甘えた声を出す。

 夢ノ咲学院で星屑たちが革命を起こす、その二年前。
 桜が散り、青々と生い茂った木々と空とのコントラストが眩しい、そんな時期だった。
 朔間名前とその弟である零は、一番下の弟、凛月が本日夢ノ咲学院で行われる一般向けのライブパフォーマンス――新入生のお披露目ライブ――に出演するため、学校へと訪れていた。零にとっては初めてではないが、一般人である名前にとって、今日は凛月が入学してから初めての一般開放日であるため、前々から指折り楽しみにしていたのだった。
 しかし、講堂に向かう途中で、零がポケットに入れたはずのチケットがないことに気づき、冒頭の流れとなった。
 はぁ、と名前は大きな溜息を吐いた。

「凛月絶対キレるよ…どうすんの…」
「……あ〜」
「今朝も『待ってるね』って機嫌良さそうに出て行ったのに…」
「そういやアイツ朝なのにやけに頑張ってたな」
「も〜!それだけあの子も気合入ってたってことでしょ!?バカなの!?はい、バカ!!!」
「まぁまぁ、そんなカリカリすんなって。俺様ちゃんにいい〜アイデアがある」
 そう零は得意げに笑うと、姉の手をとって講堂の裏手に回り始めた。
「はいはい、俺様ちゃんはさすがでちゅね〜」
「……」
 彼はその雑な扱いに文句を言おうとしたが、その前に名前に強く睨まれてしまったため、諦めた。

 辺りに人通りはない。ライブの開演時間まで刻一刻と迫っていた。
 名前は零の後を付いていきながらもきょろきょろと興味深そうに辺りを見回していた。さすが私立だけあってかなり綺麗に整備されている。飼育小屋の横を通り、奥にガーデンスペースが見えたところで彼女は感嘆の息をもらした。およそ高校の敷地内とは思えないほど美しかったからだ。
 零はそんな彼女の様子に口許を緩ませると、「こっちだ」と言って指を絡ませた。名前は彼の悪戯に気づくこともなく、されるがまま名残惜しそうにガーデンスペースを眺めていた。
「……?」
 すると、彼女の視界に何やら動く物体が入り込んできた。
 人だった。
 ふらふらと道をいっぱいに使って歩いているようだった。その姿はまるで生まれたばかりの小鹿のようで、咲き乱れる薔薇との共演に森の中にいるような錯覚を起こさせた。
 その人物の長い白銀の髪が、太陽に反射してきらきらと輝く。
 大層美しい青年だった。均整のとれた顔は人間というよりもおよそ美術品に近かった。その人物―――彼を纏う空気だけ異様で、神聖さを孕んだそれは誰も寄せ付けない。決して安易に近づいてはいけないモノだと本能的に悟る。自然と呼吸が浅くなった。
 ただ、人間とは愚かな生き物で、ダメだと分かっているのに何故か思ってしまうのだ。―――欲しい、と。あの、美しいものが、欲しい、と。
 名前は思わずごくりと唾をのんだ。

「……イ、オイ!名前〜!ぼうっとしすぎだろ」
「……!あ、ごめん。いやなぁんか綺麗だなって」
「んあ?」
 零の不機嫌な声にはっと我に返った名前は、指先を向け、自分の感じたことを(後半の部分は除いて)そのまま告げた。
 素直にその先に視線を向けた零は、「あ〜」としばらく唸ったのち、眉間にたっぷりシワを寄せひとつ爆弾を落としたのだった。

「いや、あれ普通に具合悪いんじゃねぇ〜の?」

「……え?」
 先程まで夢見心地だった名前だが、その一言で急に現実に引き戻された。驚いて、改めて色眼鏡なしでその人物をまじまじと見つめた。
「…………」
「……お、顔からいったなぁ」
 零の言葉通り、彼は何かに躓いて顔から地面へと倒れていった。そしてそのままぴくりとも動かない。

 名前は血の気が下りるのを感じた。




 規則正しく呼吸が行われていることを確認し、名前はほっと肩をなで下ろした。そして先ほど見つけた新品のタオルをお湯で濡らしたものを彼の頬に優しくあてる。少しだけ頬が切れていたのだ。血は止まりかけていたため、砂埃も共に難なく拭き取れた。
 零は先ほど保険医を捜してくると言って出ていってしまったため、今は名前と倒れた彼の二人だけであった。休日なためか他に利用者はいないので、部外者である彼女がいても誰にも文句は言われない。
 そのため、彼女はタオルや絆創膏などを気兼ねなく物色して回っていた。
(――それにしても、)
 久しぶりに訪れた“保健室”というものに彼女は高校時代を思い出して少しくすぐったく感じていた。この独特なニオイと雰囲気が懐かしくて、例えアイドル科といえども普通科とは変わらないのだなという発見に、妙な達成感すら覚えているくらいだった。
「……ん、」
「!」
 彼が身動ぎした。そして熱っぽい息をもらす。
 保健室に連れていこうと言った名前に露骨に面倒くさそうな顔をした零だったが、姉に「はやく!!!」と急かされると軽く肩を竦めて、「姉君の仰せのままに」と仰々しく応諾した。
 そのあと彼は軽々と青年を担ぎ上げたのだが、その際に白銀の長い髪が鼻に擦れてくしゃみをした。そのため、間一髪青年を落としかけ、一方、名前の雷はいくらか落ちた。

「…………、」
 青年の瞼がゆっくりと開いた。
 焦点の合わない瞳がそのまま宙を見つめる。

 彼はしばらくの間その状態のままだった。
 あまりにも動かないので、名前は打ちどころが悪かったのだろうか、と心配になる。
 そしてついにしびれを切らして声をかけようと口を開いたとき、彼も口を開いた。

「……始まってしまったかな」

 小さく溜息と共に吐き出されたそれは、ひどく残念そうだった。初めて聞いた彼の声は耳に心地よい低音で、名前は好感を持った。
 彼は「……それとも間に合うかな」と続けてこぼすと、肘をついて上半身を持ち上げた。
 その際に、ぱちりと目が合う。彼はそこで初めて名前に気付いたようだった。見覚えのない人物に首を傾げると、辺りを見回した。どうやらここが何処だか確認しているらしい。そして改めて名前を見上げた。恐らく、自分がいる場所が校舎内であることを確認し、且つなぜそこにいるはずのない女性がいるのかが理解できなかったのだろう。
「……申し訳ないけれど、あなたのことを覚えていないんだ。知人だろうか?」
 眉を下げて困ったように瞳を揺らす彼に、名前は丁寧に経緯を語ってやった。
 自身が生徒の関係者であることも告げ、警戒心も解かせるようにした。
「……それは面倒をかけてしまったね。自分ではまだ動けると思っていたのだけれど、思いの外限界だったようだ。……ここまで連れてきてくれてありがとう」
 彼はそう言うと優しく目許を緩めた。
 名前は思わずどきりとする。
 美術品のような彼からどこか無機質な人物であるように感じていたのだが、思わぬところで人間らしさを見つけてしまった。なんて綺麗に笑うのだろう。
 名前がいつまでたっても反応を返さないので、彼は不思議そうに彼女を見つめる。その素直な幼子のような姿に彼女は弟を重ねた。
 ―――そうだ、弟。
 彼女は慌てて時計を確かめた。
 駄目だ、開演までそう時間もない。
 しかし、具合の悪い彼をこのまま放っておくわけにもいかなかった。
 勝手にメルヘンな妄想を繰り広げてしまったためか、名前は何となく彼に対して罰が悪く思っていた。だからこそ、ここまで連れてきた。
 せめて保険医に引き渡すまでは彼の容態を見守っているべきだろう。およそ罪滅ぼしのようなものだった。
 ―――零が帰ってきたらすぐに講堂に向かおう。
 そう決意して、彼女は再度時間を確かめたのだった。

 するとその姿をずっと見つめていた彼は「……ごめんね」と言葉を投げかけてくる。
「……弟を観に来たと言っていただろう?私のことは気にせず、もう行くといい。彼のことは知らないけれど、きっとあなたに観てもらいたいと思っているよ」
「大丈夫大丈夫。先生が来るまでいるよ」
「……大したことはないし、平気だよ」
「何言ってんの、さっき倒れたでしょ?それに、君が寝ている間に顔についた土を拭いたんだけど、すごく熱かったんだから。熱があるんじゃないの?」
「……そういえば、身体が火照ってる気がする」
「ほら!朝、熱は計った?」
「……さぁ、気にしたことがなかったから」
 きょとんとした表情を浮かべる彼に、名前は乾いた笑いをもらした。そして冷蔵庫へと向かう。
「君、自分に無頓着すぎない?せっかくそんなに綺麗なのにもったいない。もっと自分のこと大切にしなさいよね〜。大好き自分!くらいでちょうどいいのよ」
「……」
「あ、それともそんなに綺麗なもんだから自分でやらなくても周りがなんとかしてくれたり?」
 そうけらけら笑いながら目当ての物を見つけると、彼の元まで戻ってきた。彼は先ほどの問いに応えず、ただじっと彼女を見つめている。
「え、何?……あ、ごめん、気に障ったよね」
 名前は咄嗟に謝った。初対面にしてはやや行き過ぎた発言だった。
 彼はいや、とようやっと返事をすると、彼女の持つそれに目を向ける。
「……それは?」
「ん?冷えピタ」
 名前はぺり、と慣れた手つきで薄いフィルムを剥がすと、「触ってもいい?」と尋ねた。
 特段拒否する理由もないうえにその冷えピタと呼ばれるものをどう使うのか気になった彼は、ひとつ頷く。
「目、瞑ってくれる?」
「……」
 ふわりとラベンダーの香りが彼の鼻腔を擽る。彼女のものだろうか。つい、鼻をひくひくとさせる。
 しかし、その落ち着く香りに意識を集中させようとすると、突然、強烈な冷気に襲われた。
「!」
「ふふ、はい我慢して」
 吃驚して言いつけを破り目を開くと、愉しげに口元を隠す彼女と目が合った。
 彼は恐る恐る額のそれに指を滑らす。最初こそあまりの冷たさに驚いたものの、徐々にそれは火照った身体に浸透して気持ちのいいものへと変わっていった。
「気持ちいいでしょ?」
「……うん」
 その言葉に名前は満足そうに笑った。
「よし、とりあえず冷えピタは貼ったし、あとは零が帰って来るのを待って……。ん〜あと必要なもの……。
 あ、喉渇いてない?何か飲む?」
「……うん」

 分かった、と彼に笑いかけた名前は、再び冷蔵庫の方へと向かって行った。
 背を向けた際に先ほどのラベンダーの香りが漂ってきたので、やはりあれは彼女のものだったのだろう。彼はそのほのかな香りをとても好ましく思った。
 名前は機嫌が良さそうに冷蔵庫のなかを物色している。彼はそれをぼんやり眺めながら、身体だけでなく何故だか心も熱を帯びているように感じた。
 そういえば彼の親しい友人も、こんな風に自分を甲斐甲斐しく世話をしてくれた。友人はとてもあたたかい人だが、彼女も同じようにあたたかいという部類に当てはまるのだろう。彼はそれが嫌いではない。とても心地のよいもので、むしろ気に入っていた。

「……あなたを見ていると友人を思い出すよ」
「そう?」
 片手にコップを持って戻ってきた名前を見上げ、彼は話を続けた。
「……彼もとっても優しいんだ」
「…あ、あ〜そうなんだ、ありがとう」
「……誇るべき美徳だと思う」
「う、うーん、あまり褒められると恥ずかしいなぁ。
 ……あ、いや、でも私の場合はなんていうか、美青年とお話できてラッキーっていうところもあるし……。お互いウィンウィンだよ。だからあとで何かお礼を請求することはないと誓うし、安心していいよ?」
「……別に何も心配などしていないよ?」
「う、うーん」
 青年の真っ直ぐな言葉に名前はたじたじだった。彼女の周りにはこんなにストレートに感情をぶつけてくる人はいない。おまけに美形だ。彼女は火照った頬を隠そうとそっぽを向いた。
 聞き慣れた弟たちの言葉は、頭が回るのでどこか皮肉めいたものだったり、何かを意図するものが含まれているのが常だった。だからこんなにも裏表のない純粋な言葉と表情をされると戸惑ってしまう。
「……タラシって言われない?」
「?」
「…………あぁ、なんか……もし私が君の親だったら心配で心配で仕方ないなって思った……。大丈夫?知らない人について行ったりしないでね?」
 空気に堪えられなくなった名前が茶化すように彼の腕を叩く。すると彼は目をぱちくりとさせ、首を傾げた。
「……現に今私は知らない人に連れてこられたわけだけど」
「……」
「……冗談だよ」
 彼はふふ、と口許を拳で隠しながら肩を揺らした。
 どうも名前にはそれがおよそ本音にも思えてしまって納得がいかなかったが、彼があまりにも愉しそうに笑うものだから言い返す気が削がれてしまった。
 そしてつられて笑い始める。



 そうやってしばらく二人で笑い合っていると、ふと彼が視線をドアに向けた。廊下に足音が響いている。
 名前は零が帰ってきたのだと思い、時間を確認した。思っていたよりも早く先生が見つかったようだ。これなら凛月の出番にも間に合うかもしれない。

 しかし、開いたドアから顔を覗かせたのは彼女の全く知らない人物だった。

 緩やかな波をうって首もとまで伸びている明るい若草色の髪。柔らかそうなそれは彼が動けばふわっと持ち上がり、切れ毛や枝毛などとは無縁の生活を送っていることを表すかのように、天使の輪が浮かんでいた。
 ベッドの彼は美術品のような顔立ちであるためどこか無機質めいたところがあるが、現れた彼はとても愛嬌がある顔立ちだった。彼もとても美しい部類だ。
 特に目に惹き付けられた。女子のようにぱっちりとした二重の大きな目で、少しつり上がった目尻が彼の気の強さを現している。奥に潜む美しく透き通るようなアメジストも、とても印象的だった。
 彼はどこかで目にしたことのある服を着て、少し不安げな表情を浮かべている。

「……日和くん」

 入口できょろきょろと室内を見回していた来訪者――日和――は、ベッドの上の彼の声に弾かれたように名前たちを見た。そしてほっとしたような顔をしたのも一瞬で、すぐに呆れたように溜息を吐いた。

「いつまでたっても来ないと思ったら……。まったく、凪砂くんにも困ったものだね!」
 日和はやれやれといったように首を振った。
 そして扉も開けっ放しのまま、名前たちのもとへと歩み寄ってくる。
「……ごめん、とても心配してくれたんだね」
 ベッドの脇まで来た日和はちらりと名前に視線を投げたが、彼――凪砂――の謝罪に意識を戻したのか、特段触れることはなかった。
「まさか!ぼくたち二人で揃いのダンスを披露するから困るってだけで、そこまで心配はしてないね!そもそもきちんと体調管理のできていない凪砂くんが悪いね!」
「……それでも、走ってきてくれたんだろう?」
「!」
 凪砂の言葉に彼はみるみる顔を赤らめた。
 図星のようだ。
 しかし名前には、何故凪砂がそんなことが分かったのかが理解できなかった。廊下を走るような音も聞こえなかったし、彼は普通に室内に入って来ただけだ。
 そんな彼女の様子が目に入ったのか、凪砂はくすくすと笑った。「……ほら、日和くんの首もとにうっすらと汗が垂れているし、肩も分かりづらいけど上下しているんだ。走ってきた証拠だよ」凪砂の向けた指先を辿ると、なるほど確かに彼の首もとは濡れている。恐らく保健室が近づいたあたりで走るのをやめて、乱暴に汗を拭いたのだろう。
 日和はそんな二人の生暖かい視線を真っ向から受けて、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。小さな抵抗だった。否定しようにもすべて核心を突かれてしまって返す言葉もなかったようだ。
 凪砂が名前に屈むよう言う。そしてこっそり彼女にだけ聞こえるように耳打ちした。
「……彼がさっき話した友人、だよ」
 名前は思わず吹き出してしまった。 

 するとその様子を横目で見ていた日和はかなり気分を害したようで、あのね!と鋭く噛みついた。
 腕を組んで凪砂と名前を交互に睨み付ける。 
「ぼくをほっぽりだして二人だけで話さないでほしいね!不愉快だね!……というかそもそもきみは誰!」
 己の縄張りの侵入者に対峙した動物のように、彼は名前を威嚇した。先ほどまでは凪砂のことが心配で、彼女については後回しにしていたのだろう。心配が片付いた今、彼は当然のように凪砂のそばにいる自分の知らない女のことが気にくわなかった。
「……日和くん、ダメだよ。彼女は助けてくれたんだ」
 その言葉に日和は眉をつりあげると、なめるように彼女を上から下まで見た。「……彼女が?」心底信じていないような声音だった。
 日和と名前の視線が絡んだ。名前は曖昧に笑いかけたが、彼は無視した。
「……そう、今は付き添ってもらってる」
「ふぅん」
 彼は未だにどこか納得のいかない様子だったが、およそ事の経緯については理解したようだ。
 ギラギラとしたアメジストはすっと輝きを落とし、凪砂をちらりと視界に入れた。そして近くの椅子を引っ張って持ってくるとそこに腰を下ろした。

 彼はひとつ溜息を吐く。
「……その様子だと、今日はぼくひとりで歌うようだね」

(――歌う?)
 名前はここで初めて、日和が着ていた既視感のある服の正体が分かった。
(――そうだ、凛月が持っていた学校指定のアイドル衣装だ!……ということは彼らも凛月と同じ一年生で、今日はライブの日なんだ!)

「……ごめんね。私も日和くんと久しぶりに歌えることを楽しみにしていたのだけれど、はしゃぎすぎてしまったようなんだ。ひとりで大丈夫かい?」
「ふん、問題ないね!ぼくを誰だと思ってるんだね!凪砂くんの分まできっちり歌い上げて、会場中にぼくの魅力をうーんと見せつけてやるね!」
 そう言って日和は不敵に笑った。
「……そう。安心だな。楽しんできてね」
「うんうん、当然だね!
 そんなことより、凪砂くんはぼくに活躍の場をとられることを心配した方がいいね!さぞ悔しいだろうね!」
 彼はそう言ってふんぞり返っていたが、名前にはむしろ悔しがっているのは日和の方であるように感じた。
 彼はベッドの上にいる凪砂を見る際、一瞬ぎゅっと唇を噛みしめて泣きそうな表情をする。
 もしかすると、凪砂の具合の悪さに気付けなかったことに対して責任を感じているのかもしれない――、彼女はそう思っていた。
(――確かに彼はとても優しい。)
 自分への乱暴な態度も、そんな彼らの姿を見ていれば何となく許せてしまった。





「ふう、それじゃ、ぼくはもう行くとするね。保険医ももうすぐ来るだろうけど、あれは頼りないからさっさと家に帰った方がいいね!」
 日和は時計を確認すると、大きく背伸びをした。その顔はここに来た時よりも随分と明るかった。
「……日和くん、ありがとう」
「うんうん、どういたしまして!」
 彼はそう言って立ち上がると、名前を視界に入れた。アメジストはじっと彼女を見つめている。
「……あの、何か?」
 日和と名前の距離はベッドを挟んでいるだけでほとんどない。そんなわけで気づかないフリなどできるわけもなく、彼女は観念して声をかけた。
「……きみはぼくにとっても失礼だったけど……。まぁぼくは優しいからね!今なら連れてってあげるね!」
 どうやら彼は、名前がライブを観に来たお客さんであることを察していたのか、会場に戻るついでに連れていってくれるという。凪砂くんも世話になったし、やらぼくのパフォーマンスをしっかり見ておけ、だの彼女が口を挟む間もなく話し始めた。
「あ、いや、その申し出はありがたいんだけどね?一応ここで弟と待ち合わせしてるんだよ」
 名前は慌てて彼を止めた。
「うん?それって黒髪の男?」
 日和は首を傾げる。
「うん、そう。黒髪で偉そうな男」
「その男ならなんだか面倒そうなのに捕まってたね!恐らくまだまだ来ないだろうね!」
「え」
 それは困った。
 零をひとりにするとすぐこれだ。
 彼女は弟から連絡が来ていないか確認しようとスマホを取り出したが、すぐに「名前と一緒なのにわざわざ持っていく必要ね〜だろ」と今朝彼がスマホを持っていくのを嫌がったことを思い出し、諦めた。
 日和はどうするのか、と返事を急かす。確かにもう時間がない。
 しかし彼女には、やはり、この場に体調の悪い凪砂をひとりにすることは憚られ、断った。当初の予定通り、保険医が来るまで付き添っているべきだろう。
 それに凪砂は首を振った。
「……私のことは気にしないでいいよ。もうすぐ先生も来るらしいし。それに、」
 ――日和くんの歌、私の代わりに聴いてきてほしいな。
 それを言われてしまえば何も言えなかった。名前はしぶしぶ頷くと、日和の後に続いて保健室を出た。

 
 連れて行く、と言ったわりに日和は帰り道をよく分かっていないようだった。校舎を出たあと、暢気に辺りを見回していたので、結局おぼろげにも記憶のあった彼女の方が彼を案内することとなった。
 講堂を目指して二人並んで歩く…かと思いきや、日和は前を歩いて自分を案内しろと命令した。
 名前はついに耐え切れず(許せていると思っていたのは気のせいだったようだ)「私はさぞあなたにとって素晴らしい召使いでしょうねぇ?」と睨み上げたが、「うんうん、いい心がけだね!」と返されてそのやりとりは終わった。どうやら今の流れで、彼女は日和の小間使いのようなものに認定されてしまったらしい。
「…すっごいかわいくない……」
「うん?聞こえないねっ。言いたいことがあるなら、もっとはっきり言うべきだね!」
「……」
「ま、言えるものならだけどね……♪」
 その愛らしい見た目に反して、彼は随分と横暴な性格だった。保健室の入り口で、不安げに室内を見回していたあの姿は幻だったのかもしれない。
 しかし彼女も、ここで黙って彼の言いなりになるほど、従順な性格をしてるわけではなかった。伊達にあの弟たちの姉を務めているわけではない。
 一言文句を言ってやろうと、意を決して後ろを振り向いた。日和はまっすぐに名前を見ていたようで、すぐにばちりと視線が合う。
 あのねぇ――、そう彼女は言いかけたが、日和が被せるように言葉を発したため、不発に終わってしまった。

「ま、その点ぼくははっきり言えるけどね!
 ……凪砂くんのこと、礼を言うね」
 そう言って日和は顔を綻ばせた。

「!」
 彼女は心臓がぎゅっと締め付けられるように感じた。
 彼は尊大な態度ではあるものの、やはり凪砂が言うように、やさしい。
 実際、もうすぐ開演だというのに、しかも入学後初めての一般向け舞台で大事なはずなのに、それを投げ売ってまで友人の様子を見にくるのだから。
 彼女があまりの感動に何も言葉が出ず、じっと彼を見つめていると、日和はけろっとした顔で「気持ち悪い顔してないで、とっとと連れて行ってほしいね!間に合わなかったらきみのせいだね!」と冷たく言い放った。
 ――ただ相変わらす可愛げはない。

 感動も束の間、残念ながらついに開演時間となってしまったため、二人は今度は走って講堂へと向かった。
 すると程なくして目的地に到着する。
 名前はほっとした。これで道が間違っていたら一生彼に文句を言われるだろうと思っていた。
 彼は「うんうん!」と満足そうに頷くと、名残惜しむ様子もなく、別れを告げた。そして彼女の返事を待つこともなく、さっさと背を向けてしまう。
(……やっぱりかわいくない……。……あれ?待てよ。)
 そういえば自分はチケットがないから入れないのでは……?彼女が事の発端を思い返して顔を青くしていると、唐突に日和が振り返った。
「でもまぁ、」
「?」
「きみがいるならぼくは必要なかったね!ぼくとしたことが、とんだ判断ミスだねっ」
 悪い日和…!そう言って彼は大袈裟に肩を竦めた。
 それを聞いた名前はきょとんとする。彼女にはそれだけはありえないと断言できたからだ。
 むしろこんなにも自信に満ち溢れている彼が、なぜそんなことを言うのかが分からないくらいだった。
「何でそんなこと言うの?」
「?」
 今度は日和がきょとんとする。
「だって、彼、君が来てからすごく嬉しそうだったじゃない。体調の悪さも隠れるくらいにはね。それに、二人でいる時もわりと君の話してたし、仲良しなんだなぁって思った。大切にされてるなぁって。君もそうでしょ?」
「……」
「てっきり君のことだから『ぼくが顔を出してから凪砂くんの輝きが違ったね!きみみたいな凡人とぼくじゃ比べものにならないね!』くらい言うと思ったのに」
「……」
「もしかして私に遠慮してそう言ってくれてるのかな〜って思ったから言うけど、私別に恩着せがましく『私が助けたから彼は平気だったのよ!』とか言わないよ?目立つ場所ではあったし、私じゃなくても他の誰かが彼に気づいて助けただろうから。今回はたまたま私が見つけただけで、それ以上でもそれ以下でもない。
 でも君、あ〜……日和くん、は違うでしょ?」
 名前を呼ばれた彼はぴくりと肩を揺らした。
「さっきも言ったけど、彼は日和くんが来たときすごく嬉しそうだった。ちょっぴり元気も出た。今日のライブのことも気にしてたし、日和くんに会えたおかげで安心して君に託せた。―――はい、これでもまだ、自分が彼にとって必要なかったなんて言える?」
 そもそもあれだけ仲良しな態度を見せつけといて何を言っているんだか、と名前はけらけら笑った。
「……」
 そのとき、講堂から音楽が流れ出した。
 どうやら始まってしまったようだ。
「あ!やばい!ほら、急いだ方がいいんじゃない?」
「……」
「……日和くん?」
 日和は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、何度も瞬きを繰り返していた。
 名前は彼の名前を何度か呼んだが、ずっと彼は何かを考えているらしく、上の空だった。

 程なくして、彼のアメジストがきらりと輝いた。意識が戻ったようだ。
 彼は名前をじっと見つめると、鼻で笑った。
 そして何も言葉をかけることもなく、そのまま背を向けて歩き出してしまった。
(――無視か。)
 結局最後まで可愛くなかったなぁ、と彼女はその後姿を見つめる。
 ――さて、しかし今はもうそんなことはどうでもいい。どうにかしてこの中に入らなくてはいけない。
 先ほど、零は何かいい方法があると言っていたが、それは果たして何を指していたのだろうか。
「うーん、あの子のことだからどうせ裏口からとかだろうなぁ……でもそれは私ひとりじゃ無理だし……」
 そんな風に名前が頭を悩ませていると、遠くの方で誰かが声を張り上げた。
 彼女はその声の主を見て、目を瞬かせる。

「ねぇ!そんなとこでいつまでも突っ立ってないで、さっさとついてきてほしいね!」
 日和だった。
 彼は不機嫌そうにしながらも、彼女が来るのを待っていた。

「きみを連れていくと約束したからには、きちんと最後までエスコートしてあげるね!その代わり、凪砂くんの分までぼくの歌をしっかりと堪能することだね……♪」
 そう声高に伝えると、彼はウインクした。
 名前は急に態度が軟化した彼に違和感を覚えながらも、今の悩みの種を打ち明ける。
「あ〜…それはとっても嬉しいし光栄なんだけど……。実は私、チケットなくしちゃって…」
 それを聞いた日和はお腹を抱えて笑い出す。
「あっはは☆ 見かけ通りの愚図っぷりだね…!ぼくを必要としているのは、凪砂くんよりもきみなんじゃないの?」
「……おっしゃる通りです…」


 その後、名前は日和に連れられ無事に中に入ることができた。
 しかし彼といる姿をしっかりと弟に見られてしまい、帰宅後かなり長い間詰問される羽目となったのである。




(20180707)
あんスタ三周年おめでとう!
大変遅くなってしまいましたが、三周年祝いに日和と凪砂のお話を書きました。+俺零。
いや〜〜長かった!まさかこんなに長くなるとは……一万超えてますもの。ここまでお読み頂き本当にありがとうございました。お疲れさまでした。

今回は日和凪砂と姉の出会いのお話です。
これを軸に今後はEdenのお話を書いていけたらな〜〜と思ってます。もちろん、このヒロイン以外でも。
ただ何分初めての日和凪砂なので、口調がおかしいなどありましたら教えて頂けると幸いです。

最後に、巴日和がだいすきです。
アニメおめでとう、本当に嬉しい。
そしてもうすぐ誕生日おめでとう!

ALICE+