いまこそ


 たぶん自分でも気づかないうちに疲れていて、きっと、だからだったのだとおもう。昔のことや今のことを心地の良いジャズに乗せてはなしていた声がふと途切れた瞬間に、その言葉はぽろりとくちから零れ落ちてしまった。
「あんずちゃん、いま、俺が口説いてもきいてくれる?」
 それまでは控えめながらも微笑んでいた彼女の顔がきょとんと戸惑い、つぎに驚き、ぱっと赤に染まる。まるでコマ送りのような感覚でかわっていく表情に、ようやく自分が口走った言葉の意味を知った。
「あ、」

 なんてね、びっくりした?
 冗談だよ、相変わらず可愛いなあ。
 ごめんごめん、ちょっと呑みすぎてるみたいだ。

 瞬時に浮かんだ言葉はどれも適切とは言えなくて、はくりと開いた口からは何も言葉が出てこない。だって、それはまぎれもない本心だったから。口説いても、冗談や揶揄いとしてとらえずに、きちんとまっすぐ聞いてほしかった。けれど高校の悪癖が祟って―――今は軽薄なのは口だけで、女遊びからは綺麗に足を洗っているのだけど―――彼女はきっときいてくれない。
 まっすぐ伝わるすべがほしかっただけなのに、口から出たのはかつての悪癖を想起させる浮ついた言葉だけなのがなんとも腹立たしくて、情けない。
「あー…ごめん、あんずちゃん」
 なんでもない、と今更ながらせめて誤魔化そうとした羽風の言葉を遮って、手元のグラスを両手で包み込みながら、隣の女の子は不自然なほど毅然と前を向きながら、言う。
「ききません」
 あ、やっぱり、と心がすうっと冷えるようだった。笑顔だけでも取り繕わなければと思った瞬間、あんずが羽風の方をくるりと向く。
「いまは」
 羽風を見つめる瞳はまっすぐで誠実だった。高校の時からなにもかわらない、羽風が好きになった、素直で意志の強い瞳。「羽風先輩」と無表情な、けれどなぜか切実に響くこえが呼ぶ。
「昼間なら、受けて立ちます」
 どきんと心臓が跳ねる。考えるよりも先に「つぎオフの日いつ!?」と、上ずった声でなかば叫ぶように、逃すまいと距離を詰めた。