青、失われたものについて


 聞き覚えのある声が聞こえた気がした。随分と前にこの世から永遠に消えてしまった声だ。僕が刺した華奢な体は驚くほどあっさりと温もりを失ってしまったのに、それでも時折こうして蘇る。僕の幻覚、あるいは幻聴というかたちで。
 天罰、というものがあるとは思わない。呪いもこの世には存在しない。呪われるべき殺人犯たる僕はこうして今もこの世に生きているのだし、ころしてやると地を這うような声で告げて死んだ彼女の思いは未だ果たされない。誰を殺したって、誰を傷つけたって、それでも僕はひとかけらとて損なわれなかった。まるで嘘みたいに。

(大外さん)

 彼女の声は飽きるほど聞いた。数えきれないほど恨み言も聞いたしどうでもいい日常の話だってしたし、今際の際の怨嗟の声も。
 それなのに幻聴は彼女が僕を呼ぶ穏やかな声だけで辟易とした。僕を責めればいい、せいぜい地獄から負け惜しみを言うといい。それなのに、彼女の呼ぶ声は生前ほとんど聞いたことのない優しさで僕の頭の中だけで響く。
 彼女に突き立てたナイフの感触を、やわい肉の感触を、頽れた彼女の魂の抜けた身体の軽さを、失われる体温を、僕はもうあまり覚えていない。
 けれど、彼女の作った呆れるほど不器用なカレーだとか、どうでもいい軽口に笑った顔だとか。帰る手段を失って二人並んで寝た時の、青い真夜中のホテルの部屋で白く華奢な喉が静かに上下していた、あの涙が出るほど美しい光景だとか。
 そんな思い出が、今でも心臓を刺すのだ。