うそつきたちと午後
エイプリルフールは楽しかった。
普段嘘なんて言わない人の口から当然のように自然に出てくる嘘だとか、へたくそな嘘とか、わかっていてもびっくりするような嘘とか。わたしも嘘をついたし、みんなも嘘をついた。普段敬遠される嘘というものを敢えて吐く、こういうのが好きだったなあってわたしはぼんやり思い出す。いろんな思い出、びっくりしたりぎょっとしたり、でもみんなわらってた、そんないつかのエイプリルフールをぼんやりと思い出す。
「賢者様」
物思いは唐突に破られた。前は気配なく後ろに立たれるたびに変な声をあげて驚いては笑われていたけれど、もう慣れたから無様な悲鳴をあげることはない。こんにちはオーエン、とわたしがいうと、面白くなさそうに口の端を歪めた。
「きみの潰れた蛙みたいな声、最近聞けないね」
「さっき聞けたじゃないですか、びっくりしたもん」
「思ってた反応じゃなかった」
つまらなさそうな顔でふんと鼻を鳴らす。耳元で「あいしてるよ」なんて囁かれて悲鳴をあげてしまった幼気な年頃の女に、これ以上何を求めるというのか。わたしがじとりと睨みつけると「まあいいや」なんてころりと表情を変えて、賢者様、と殊更に甘く彼が呼ぶ。
こういう声をするときは、大抵ろくなことが起こらない。わたしの身体が緊張したのを見て取って、「ひどいなあ、賢者様」なんて楽しげにオーエンは笑う。
「別に何かをさせるわけじゃないよ。ただ口に出すだけ」
「誰に、何を言わせたいんですか」
思わず声が硬くなる。言いたくないことを言わせられるのは御免だ。だけど彼はにこりとうつくしく微笑んで、「僕に」とやわらかな声で言った。
「僕に言って」
「誰かに危害を加えるとか、そういう内容はだめですよ」
「じゃないよ、信用無いなあ。……僕に言って」
そして彼はするりと細い手を伸ばし、見かけよりもずっと強い力でわたしの肘を引っ張った。ぐらりとバランスが崩れ、「うわっ」と悲鳴をあげながらわたしは倒れ込む。オーエンの、まるで冬の朝みたいな匂いがふわりと香った。彼の胸元に視界が塞がれて何も見えないまま、彼のやわらかな声が言う。
「もう二度と帰らないって言って。自分の世界に帰りたくないって」
「…………」
エイプリルフールの嘘、ということなんだろうか。確かに彼には嘘をつかれたけど、こちらが嘘をついたらかえってややこしいことになりそうだったからわたしは彼に嘘をつかなかった。
彼はどんな表情でこんなことを言うんだろう。訝しく思いながらも別にたいしたことでもない、わたしは彼の言葉をくりかえす。
「わたし、自分の世界に帰りたくない、んです、…………?」
その言葉を口にした瞬間、わたしの身体を支えていたものが残らず失われて思わずつんのめった。うわってもう一度叫びながらどうにか転倒を回避したわたしを数歩先から眺めながら、彼はにこりと笑う。「きいたよ」って笑う。
「その言葉、忘れるなよ」
楽しげな言葉を残して彼は姿を消した。
そんなエイプリルフールの午後だった。