飛びたつきみへ


 一際大きな泣き声が本丸に響く。
 席を外していた鶴丸は慌てて執務室へと走りながら、「主、どうした!」と問いかけた。未だ小さな子どもといっても差し支えのない幼い主は、驚くほどによく泣く子だ。返答はなくただぎゃんぎゃん泣く声が聞こえたので、走る速度をあげて部屋に飛び込んだ。
 部屋に入ってきた鶴丸を見るやいなや、うつ伏せになって瞳一杯に涙を浮かべた審神者は「つるぅぅぅうう」と情けない声を出して、もう一度ぎゃんぎゃんと泣き出してしまう。
 慌てて駆け寄り抱き起こすと、鼻に真っ赤な畳の跡があった。それでだいたい事態の把握はしたのだが、敢えて穏やかな声で問いかける。
「おやおや主、こんなに泣いてどうしたんだい?」
「あぅぇああ………こ、こげ………こげた…………」
「焦げてはないぜ、そうかそうか、痛かったなあ」
 こけてしまったのか、可哀想に。そう頬を寄せるとまた一際大きい声で泣き始めたから、痛かったなあ、と言いながらあやしてやった。わしゃわしゃと頭をなでてやると、子どもの匂いがふわりと鼻腔をかすめていく。

 まだ齢一桁でありながら生まれのせいで審神者という職を強いられた小さな主は、まあそれほどにもと呆れるほどによく泣く子だった。それは鶴丸に出逢うまでの短い人生で身につけてしまった処世術なのか、それとも変えようもなかった気性のせいなのか付喪神には知りようもなく、ただできることといえば泣くその子をあやし、大声で泣かずともちゃんと大事にしてやることを教えてやることだけ。
 そうしていつか鶴丸が主の傍を離れたとしても、誰かに愛されたのだという記憶が彼女をいつまでも守ってくれるよう祈ることだけ。

「いたいぃぃぃぃぃい」
「主落ち着け、きみは痛くないぜ」
「そうだぜ大将、あんたは無傷だ」
「でもいたいきがするぅぅぅう」
 わんわんと泣きながら鶴丸にしがみつくその女の子を撫でて宥めながら、「血がついてしまうぜ」と引き離そうとする。ぎゃんぎゃん泣いて抵抗するかと思いきや、審神者はぐいと涙を拭って震える声で「うん」と頷いた。
「はやくなおすからね」
 嗚咽はいまだ隠しきれないが、涙目ながら毅然とした顔でそう宣言する。
「……大丈夫かい?」
「うん」
 ぎゅっと手伝い札を握り締めて、大きく彼女は頷いて見せる。
「わたししかなおせないんだもん」
「…………………」
 おおきくなったなあ。声に出さず、心の中で独り言ちる。
 嬉しさに隠されたほんの少しの寂しさは、傷を見た審神者が「やっぱりむりぃぃぃいぃい」と泣き叫んだことで吹っ飛んでいった。

 小さい女の子は泣き虫だった。ピーマンが食べたくないと言っては泣き、怪我をしたといっては泣き、熱が出ては泣き、暗闇が怖いと言っては泣いた。


 いつしか鶴丸の肩に頭が届くほど大きくなっても、それはかわらなくて。


「きみは相変わらずの泣き虫だな」
「ちがうよ。……泣き虫は変わらないかもしれないけど、しあわせだけしか、泣かなくなったよ」
 苦笑しながら審神者の涙をぬぐう鶴丸を見て、彼女は涙目で笑った。
「いままでずっと、そばにいてくれてありがとう」
「ああ」
 わしゃ、と頭を撫でたら彼女はふにゃりと笑った。顔いっぱいに破顔する、幼い頃からかわらず鶴丸が愛する笑い方だ。ぽたりと一筋また涙が垂れて、鶴丸の袂でそれを彼女が拭う。相変わらずの癖に苦笑して、「ティッシュを使え」と口だけでは言っておいた。
 そんな言葉に仕草だけ頷いて、彼女は鼻を啜りあげる。
 涙声が、言う。

「わたし、しあわせになるね」

 笑い方も癖も喋り方も、鶴丸が愛する部分は何一つ変わらないままで大人になった。
 大人になって綺麗になった彼女は、鶴丸の手の届かないところへ飛び立っていく。
「ああ」
 かすかに微笑んで、鶴丸は彼女の手をそっと掴んだ。細くて華奢な白い手は、それでも丸みを帯びてたおやかだ。ずっと手を引いて歩いてきた小さな女の子は、たった二十年だけでこんなにも強く優しく成長してくれた。
 なんてありがたいことだろう。なんて愛おしいことだろう。

「きみは、ずっとずっとしあわせでいてくれ」

 だからこんな気持ちは、早くいなくなってしまえばいい。