きみのとなりで


 大学の講義は今日は2限までで、バイトもなければサークルもない、ぽっかりとあいた時間ができてしまった。3限を乗り切るために食堂へ向かう友達に手を振って、さあ午後をどう過ごそうかと思案しながら歩いていく。家に帰ってごはんをつくるのもいいし、ひとが多い時間を避けて買い物ついでにランチをしてもいい。積ん読もたまっているし、見たい映画もいくつかある。大学生の意外と貴重な空き時間を無駄にしてはいけないという使命感に燃えながら、大学の門を抜ける。
 何も言わずに通り過ぎたのは、別に拗ねていたからではなく不機嫌だったからでもない。長い足を投げ出すようにして門に寄りかかる、目が捉えた人の実存を、自分の頭が信じなかったというそれだけだ。
「無視かよ!」
 手を掴まれて、ようやく私は振り返った。
「あ、夏也くんだ」
「ひさしぶりに会ったのに第一声がそれかよ」
 顔をしかめて言ったあと、ぷっと相好を崩して「よう」と左手をあげる。私の左手を掴んだままの右手をみて、あ、ほんとにいるんだ、と実感をする。
「いつ帰ってきてたの?」
「今朝だよ。郁弥の試合があるからな」
「そっか。郁弥、たぶん今日は4限まで受けて、それから…………」
「郁弥の予定は今はいい」
 結李に会いにきたんだよ、と夏也くんは笑った。幼い頃からかわりない、ひまわりとか太陽とか、とにかくそういう眩しい種類の笑顔だった。それをみて、なんだか泣きそうになってしまった。
 唇を尖らせて、私は言う。
「それならいってくれればよかったのに。バイトいれちゃうところだったよ」
 そう言いながら、そういえばちょうどシフトを出す時期に日和くんに忠告されていたことを思い出した。この日バイト入れない方がいいかも、というその忠告の内容はもう覚えていないけど、夏也くんはきちんと手回ししていて、日和くんはそつなく役目を果たしたのだろう。
 気づいたことに気づいたらしく、夏也くんはにやりとわらった。知らなかったのは自分だけかと、ちょっと拗ねたくもなる。掴まれた手をそのままに歩き出すと、手を掴んだまま夏也くんも歩き出す。ちらりと見上げれば、かわりない茶色のふわふわ髪。さわりたいなと手を伸ばしそうになってから、いや、いま私はおこっているのだ、と思い直した。
 たまに会う郁弥とそれだけはそっくりな、くりんとした大きな瞳が私を見下ろす。
「結李、とりあえず飯食いにいこうぜ」
「それはおごりですか?」
「しょーがねえな」
 夏也くんは年下に甘い。いや、私と郁弥以外の年下と接しているところをあまりみたことがないのだけど。わしゃわしゃと私を撫でたから、髪がぐしゃぐしゃになります、とつんとそっぽをむけば、ちょっとだけ傷ついたような顔をしたから溜飲が下がる。
 おごってくれるなら仕方がないとちょっとだけ腕にすりよると、頭上からふっと息を吐くような笑い声と、するりと繋がる手のあたたかさ。
 そうか、私は夏也くんにこんなにもあいたかったのか、とおもう。となりをあたりまえのように歩く横顔、鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌さで歩む大きな歩幅、私の手を包み込んでしまう大きさの、男の人らしく筋張った手と長い指。
「ねえ夏也くん」
「ん?」
「なんで帰ってくるっておしえてくれなかったの?」
 ああ、と苦笑いが落ちてくる。
「サプライズってやつだよ」
 やわらかなこえだった。けれどなんとなくわかってしまう、帰って来られるか、あるいは帰って来られても私との時間をつくれるかわからなかったから、だからこんな言い方をしてるんだ。
 ぎゅうっと手を握る力を強くする。
「ねえ夏也くん」
「なんだよ」
「かえってこられなくなったり、あえなくなるなら仕方ないの。けどさ」
 立ち止まった。となりをあるく彼も足を止める。ちょっと不安げな大きな瞳は小さな頃からかわらない、私が大好きな瞳だ。
 きちんと届けばいいと思いながら、言葉にする。
「夏也くんとあえるって指折り数えて待つ時間もしあわせだから、それ、私にもきちんとくれませんか」
 驚いたようにきょとんと瞳が丸くなる。言葉をきちんと咀嚼して、じわりとあたたかさがつたわっていくように、笑顔がひろがっていく。
 嬉しくって仕方ないような声で、夏也くんが言った。
「結李はほんとに俺が好きだな」
「うん。夏也くんが私のこと好きな百倍は好きだよ」
「いいや、俺も負けてない」
「帰ってくることも教えてくれないくせに?」
 うっ、と言葉に詰まったのでにやにや笑うと、笑うな、とチョップが降ってくる。
「何食いたい?」
「うーん、お肉が食べたいです」
「おう」
 にっと笑って歩いていくとなりに並んで、また腕にぎゅうっと抱きついた。もし今日泊まりに来てくれるなら、お昼のお礼にとびきりご馳走をつくろうと決意しながら。