きみの色彩


 真っ白な明るい太陽とかんと澄んだ青空を見上げながら、今日も暑くなるだろうな、と目を細めた。氷をたっぷり入れたアイスコーヒーやアイスティー、凍らせた果物を砕いたフローズンドリンクがきっとたくさん売れることだろう。死んだ祖父が創業し、その後私が継いだカフェは、ありがたいことに祖父の代から通ってくれる古い客も数多くいる。
 換気のために大きく窓を開け放った、その瞬間のことだった。店が面する石畳の大通りにまるで蜃気楼のような白い人影がぽつんとひとつ。疲れているのだろうかと目をこすってみたけれど、幻じゃないそれは消えない。真っ白な外套をふわりと風にはためかせ、振り返ったその人とばちりと視線が噛み合った。まるで夏にそぐわない白いピンストライプのスーツをきっちりと着込んだその美しい男は、その両の眼窩にはまった赤と黄色の瞳を大きく見開いて、ぽつりと何事かを呟くように口を動かした。遠すぎてその声は届かなかったけれど。
 そしてゆったりとした歩幅で歩み寄ってきたその人は、にこりと綺麗な笑顔を浮かべて「こんにちは」と言った。私もにっこりと笑顔を浮かべ、言葉を返す。
「こんにちは。見慣れない方ですね、旅の方ですか?」
「そんなところ。……久しぶりにこの町にきたけど、ここ、一度閉店していなかった?」
「ああ。ここは元々祖父のお店だったんですが、祖父が身体を壊して閉めていたんです。結局そのまま祖父は死んで、……それから随分経って私がお店を継いだという、そういう次第でして」
 舌に染みつくほど何度も言った説明をまた繰り返しながら、でも勘定が合わない気がするな、と疑問が浮いた。祖父が死んだのは十年以上前で、もちろんお店があったのはそれよりもっと前のこと。けれど目の前の男はどう見たって二十代にしか見えない。もちろん幼い頃に誰か大人に連れられてやってきてそれを覚えていた、というだけかもしれないけど。
(……あ、でも、待って)
 ちらりと何かが記憶を掠める。この人を、いつか見たことがある気がする。季節外れの厚着な服装と、帽子の隙間から覗いた赤色黄色。あれはいつのことだっけ。
「……あ、あの」
「なに」
「開店はまだなんですけど、……せっかくだし何か召し上がっていかれませんか」
 そのまま去ってしまいそうな彼を留めたいがための提案に、ちょっとびっくりしたように目を瞬かせてから彼はやはりうつくしく微笑んだ。そして、「あれを食べさせてくれるなら」と言った。やはり来たことがあるんだ、という気持ちと、祖父の時代のメニューを再現できるだろうか、というちょっとの焦りがばれないように「どれでしょうか」と問いかける。
「お好みのものがあれば、できるだけご要望にお応えしますよ」
 雲ひとつないと思っていたはずの空がすこしだけ太陽を隠して、目を伏せた彼の睫毛が憂いを帯びた影を白い肌に落とした。けれどそれはただ一瞬のことで、彼はまた笑ってみせる。あまえるような、からかうような、思わず目を奪われてしまうような笑顔だった。
 そして、笑顔のまま早口に告げる。
「冬になって降った雪が覆い隠した誰かの死体や忘れ物を掘り返すみたいなやつ」
「!」
 あまりに物騒なその比喩に、記憶が途端に蘇った。あります、と弾んだ声で勢いよく宣言して彼を迎えるためにまだクローズの札が下がっているはずの扉を大きく開け放つと、あのころからかわらないドアベルが、からん、と澄んだ音を立てた。

「死体掘りみたい」とオーエンが上機嫌に言うと、彼女は苦笑いしながら「人によっては怒られても仕方ないですよ、そのたとえ」とたしなめた。
「もっと美味しそうな例え方しましょうよ。美味しいでしょう?」
「うん」
 さらさらの氷を掬って、たっぷりの練乳のかかったそれを口に運ぶ。異世界からの来訪者である賢者は今日はあまりお腹が空いていないらしく、アイスコーヒーだけを飲んでいる。シロップとクリームひとつずつしか入っていない苦いだけの飲み物をすすりながら、彼女は「面白い趣向ですね、それ」と言った。
 オーエンの頼んだメニューは「スペシャルかき氷」という名前の、夏の人気商品であるらしい。いちばん甘くて冷たいやつをちょうだい、と店主に言うと「ぴったりのものがあります」と静かに彼は微笑んだ。ジャムやクリーム、アイスやマシュマロや果物が雪のようにさらさらの氷の下に埋まっていて飽きないそれは、確かに人気と言われれば頷ける。
 足元にじゃれつく小さなこどもを撫でながら、「これがうちの孫なんですが」と店主は苦笑いをした。
「夏は冷たいものが食べたいとねだるのに、誰に似たのかとんでもない飽き性で。かき氷もアイスも、途中で飽きてしまって最後まで食べてくれないんです。だからいっそこういう風にすれば食べてくれるかなと、そういう経緯でできたレシピなんですよ」
 なあ、と自分を見下ろした祖父を無視して、こどもはじっとオーエンを見つめて言った。
「おじいちゃんのかき氷、おいしい?」
「それなりだよ」
「それなりって?」
 すげないオーエンの言葉にもめげず、こどもはじっとこぼれそうに大きな瞳でオーエンを見る。さあなんて返してやろうかと口の端を持ち上げたオーエンをちらりと盗み見た賢者は、それよりはやくこどもと目線を合わせてにっこりと笑って言った。
「とってもおいしいってことですよ」
「ちょっと。そんなこと言ってない」
「やっぱり!」
「ちょっと」
 おじいちゃんのご飯はせかいいちだもん、と高らかに歌うように言って駆けていく後ろ姿にふうとため息をついて、オーエンはふたたび死体堀り、もといかき氷に集中する。耳障りのいい言葉を吐いて満足したらしい賢者様は「小さい子ってどこでも可愛いですね」とひとりごちた。
「げんきだし」
「うるさいし、すぐ泣くし、好きじゃない。ていうかきみもちょっと前はああだったんでしょう?」
「に、二十年前はちょっと前じゃ……いや、でもうん、オーエンからすればそうなのか……」
「そうだよ」
 ちょっと前はひとりで歩くことも生きることもままならなかったはずの彼女は、何百年も生きてる人からすればそうかもしれませんね、と難しい顔をしてうんうんと頷いた。そうだよともう一度肯定し、半分凍ったベリーを掘り起こして咀嚼する。しゃり、とした歯応えと冷たさ、そのあとじんわり広がる酸味と甘味に知らず目元が緩んだ。そうしてぱくぱく食べていると、ふとそそがれる視線に気づいた。
「なあに、あげないよ」
 視線をかき氷に落としたままで言うと、ふにゃりと雰囲気がやわらかくなる。「だいじょうぶです、わたしは見てるだけで」と彼女は言った。視線をあげると春の日差しのような微笑みが、オーエンのことをしあわせそうに見ていた。
「みてるだけでしあわせ」
「…………」
「ひえっ」
 問答無用で掬ったかき氷を押し込むと、目をぱちくりさせながらもぐもぐと咀嚼する。だからオーエンは顔を歪めて笑ってみせた。
「意地汚い賢者様。みてるだけでしあわせなんじゃなかったの?」
「そ、そうだったんですけど……いやでもこれすごい美味しいな……」
「もうあげない」
「だから大丈夫なんですって、くれなくても」
 そう言って彼女は笑っていた。オーエンもきっと、笑っていた。

 ことんと硬い音ではっと我に返る。
「…………あの?」
 こちらを心配そうに眺めるのは彼女じゃなくて店員だ。オーエンは「なんでもないよ」とふるふると首を振って、それからスプーンを手に取る。記憶の中とほとんど違わない見た目のそれをつつくと、中から真っ赤なベリーが顔を出す。
 大丈夫だよ、と口に出すと店員はほっとしたように笑って去っていった。いつかの小さな面影をすこしだけ残した彼女もまた、真木晶を知る人間のうちのひとりだ。世界のどこにも彼女はもういないけど、それでも彼女のいた証はどこにだってある。この世界の中で、彼女は偏在する。会えなくても、会えないから、だからこそいつでもふれられる。
 あのあたたかな手に触れられないことは、少しだけさみしいけれど。
 真っ白な氷を崩すと現れる色鮮やかなフルーツを食んで、オーエンはちょっとだけ、笑った。



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