その光景は異様だった。
新学期が始まり、誰もが重たい気分を抱えながら、山の上に隔離された校舎へ向かう道のり。通称エンドのE組。進学校へ通う僕らが突き落とされ、落ちこぼれに残された最後の居場所。そんなE組教室の一番後ろの廊下側から2番目の席に彼女は座っていた。
彼女の名前は、名字名前さん。
校内で彼女を知らない人はいないだろう。名字さんは文武両道で容姿端麗。凛々しい立ち振る舞いは同性の女子からも人気だ。おおらかな性格でもあり、誰からも好かれていた。
名字さんと一度も会話をしたことは無かったけれど、ひと目見れば人柄の良さがすぐにわかった。なんていうのかな、内面から外面へと良い人オーラが滲み出ていた。
そして、あの生徒会長を務めA組の頂点に居座る浅野君でさえ、名字さんを一目置いている。彼女も元はA組であり、浅野君と一緒にいる姿は本校舎にいた頃よく見かけていた。
あまりにも雰囲気の良い二人は付き合ってるのではないか…?なんて噂もあったくらいだ。たしかに美男美女な二人はお似合いのカップルに見えるけど…べ、別に妬いてなんかいないさ。
だけど、そんな彼女には似合わない古びた木造の教室内でひとり黙々と本を読んでいたのだ。もはや異様の塊だった。
どうして優秀な彼女が落ちこぼれのE組に…?成績不振?素行不良?どれも彼女には当てはまらない。それ程、完璧だと思ってしまう彼女だからこそ僕は軽く困惑していた。
…それにしても、ただ座って読書をしているだけなのに、絵になるなぁ。
本のページを捲る動作、控えめに伏せてある睫毛、そのひとつひとつが僕の思考や身体を止めるのに十分だった。
あれこれ考えてた僕の視線に気付いた名字さんは、目を細め、「おはよう、潮田君」と、人懐こい笑みを浮かべ僕に声を掛けてきた。
「!おっ…お…おはよう」
突然の出来事にどぎまぎしながらも挨拶を返すと、名字さんは満足気な表情を浮かべ、また本へと目を向けた。それまで緊張していた身体と思考はようやく解け、僕は平然を装いながら決められた席に座った。
…名字さんって、僕の名前知っていたんだ。
きっと今の僕は誰にも見せられない顔をしているだろう。
名字さんと同じクラスになれて、名字さんと挨拶を交わして、たったそれだけなのに緩みきった頬は落ち着きそうにない。
不謹慎だけど、この時だけはE組で良かった、なんて思ってしまった。
名字さんのこと、もっと知りたい。
「…名字さんと仲良くなれたらいいな」
口から溢れた想いは誰にも聞こえなかっただろう。それは春の暖かな風に乗って、空へと消えた。
もう少しで現れる超生物の存在を知らぬまま、僕は小さな幸せを噛み締めながら、3年生用の真新しい教科書を机の中へと仕舞った。
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