拝啓、何処かの誰かさんへ





 
 元々、苗字は目を惹く容姿をしていた。同じ教室にいるから よくわかるけれど、苗字は髪の毛にウェーブをかける前から可愛いと声をあげるものは何人かいたと思う。女子の中では断トツに話しかけやすかったし、ボーダー所属。話しやすいというアドバンテージがあるというだけで、高校生1年目の人間としては話しかけやすかったというのにも関わらず、苗字は運動も出来た。勉強だってクラスで1桁代には必ず名前を挙げているし、中学時代も調子が良い時は順位表に名前を載せていたのを おれは知っている。因みにコレは去年から苗字と仲のよかった佐鳥から聞いたので間違いない。そんな苗字が前髪を切り揃え、髪の毛にウェーブをかけて現れたという おれと佐鳥のいなかった月曜日。それはもうクラスが目を皿のように丸くしていたと烏丸が言った。いつか、体育の時。同じクラスの男子生徒の1人が苗字の前髪から除くキラキラとした瞳が好きだと言った。当時は意味が分からないな、と思っていた。しかし、A級ランク戦。大きなスクリーンに大きく映し出された苗字のスコープを覗く大きな瞳を見た時「ああ、こういう意味だったのか」と初めて言葉の意味を理解した。

 つまり、何が言いたいのかというと、髪型を変えた苗字は以前より近寄り難くなったという事だ。以前は授業の空き時間は、おれと烏丸とばかり話していた苗字も今では前後左右のクラスメイト達から頻繁に話しかけられていた。おれは、自分の座る席から その光景を眺めて、そうだろうなという感想を抱いたことを覚えている。苗字は佐鳥同様にコミュニケーション能力が高い。故にボーダーで仲良くなれる人間は、文化祭で人目を集めた南沢海を除くと、おれ達の学年では佐鳥か苗字だ。おれと烏丸は話はするけれど、特に友達が欲しいわけでもないから話す仲ーーークラスメイト止まり。だからそう考えると妥当な考えだと思う。以前は苗字も前髪が伸びていたから、暗い印象が付いていたのだろうけれど、今は苗字の性格と抜群にあった髪型をしていた。それ故に他クラスからも最近は声を掛けられていた。それでも昼休みはキラキラとした笑顔で おれの名前を呼ぶから、苗字は本当に友達は大切にしているなと最近は特に感じる場面が多かった。率直に言って、柄ではないけれど、苗字に似合っている その髪型はとても可愛いと思った。あの木虎と佐鳥が普段あまり見せないレアな表情を見せてしまうくらいに。



「苗字、調理実習一緒に組もう」
「……私料理下手だよ?」
「大丈夫。烏丸がいるから」
「どういう意味だ」



 苗字は多くの人に誘われていたけれど、困ったような顔をしていたから声を掛けた。

 どうせ、烏丸も苗字以外の女子とは話さないだろうなという考えが頭の片隅にあったのも否定はできないけれど。なんにせよ、苗字がいた方が女子も男子もうまく回せるだろう。調理実習の班は最低でも男女5人の組み合わせで今年は決められた課題のものを作る仕組みになっている。料理下手でも事前に決められた料理ならば問題ないし、おれも中学時代何度か調理実習を行なった事があるけれど動かない人がいても料理は最終的に完成する。後は雰囲気の問題だった。



「私お皿洗う担当がいいな〜」



 おれと苗字と烏丸とクラスメイトの男女1人ずつで5人グループを組んだ。同じボーダーという繋がりを踏まえて、奥寺にも声をかけたのだけれど、もう既にクラスメイトの1人と組むことが決定しているようで、おれたちの方が引き下がった。おれ達は机を付き合わせて、誰がどの役割を担当するのかを決めていた。苗字の皿洗いという役割は2人担当できるのだけれど、そこに男子が立候補したのを見て、烏丸が苗字にいつものように突っかかり、結局烏丸が苗字を『責任者』という特に意味もない枠に無理矢理組み込んで皿洗いは他2人に回された。皿洗いといえば、食べ終わってから皿を洗うという授業後の雑用がある事で不人気の為、多少の批評はあったけれど確かに苗字と他のクラスメイトが仲良くするのは面白くないという理由で おれ達は最もらしい理由を付けて殆ど強制的にそこに2人を組み込むのだけれど、本番になって苗字は結局「責任者だから手伝うよ」と人の良い笑顔を浮かべて皿洗いを付き合うと提案をするので、結局おれ達も手伝うことになった。皿洗いが終わった後には教室で待っていた佐鳥から物凄く文句を言われた挙句にボーダーに着いた時には木虎に「時間が押している」と佐鳥が酷く睨まれていた。






 翌日は苗字が防衛任務で欠席だった。苗字の所属する冬島隊は出水先輩達の所属する太刀川隊に次いで仕事の多い部隊だった。おれ達、嵐山隊の分の防衛任務なども引き受けてくれているということもあって、冬島隊と嵐山隊の関係は良好だったりする。派閥的な意味ではなんとも言えないけれど。だから嵐山さんは苗字や冬島隊の仕事っぷりを評価しているし、木虎も相変わらず、苗字の前では素直にはなれていないようだったけれど、苗字のくれたというハンカチと手袋を頻繁に使っているあたり、以前のように一方的に嫌っているということはないようだった。しかし、肝心な苗字がそれを目撃した事はない。あの2人は物凄くタイミングの悪い2人だった。確かに最初こそ烏丸の件で火花を散らしていた木虎だったけれど、おれと佐鳥によって蟠りが解けたことで既に木虎の中ではそれは完結している筈だ。それなのに2人の関係が良好どころか、最悪になっているのは、主に緑川と佐鳥のせいなのだけれど、これはいつかの機会にでも話そうと思う。

 余談にはなるけれど、木虎は苗字を尊敬している。それをいえば、木虎本人は否定するに違いないけれど、苗字の戦闘スタイルは天才のそれではないが、努力をして勝ち取ったもので、木虎ととても良く似ていた。苗字は物凄く努力家だった。そして、木虎も同様に物凄く努力をしてきた隊員だった。木虎藍という後輩は、無駄な努力をするのが大嫌いだけれど、そんな木虎が苗字を認めているということは苗字の戦闘スタイルを認めているということだと思う。実際に「冬島隊の作戦には無駄がない」など、ランク戦時には太刀川隊以上に冬島隊を褒めちぎっているから相当認めていると思っている。苗字のことは、実際に おれも嵐山さんも凄いと思っている。苗字の副作用サイドエフェクトは使う本人次第で強いか弱いかの判別が大きく変わる副作用サイドエフェクトだ。その副作用サイドエフェクトを攻撃手でも射手でも銃手でもなく狙撃手として活かすところに おれ達も恐らく他の部隊もかなり評価している。それに加えて苗字は後方支援のプロフェッショナルだ。それは冬島隊だけでなく、他の部隊からも言われていることにはなるけれど、苗字の強みとはエースにもサポーターにもなれる狙撃銃の腕。

 エースの苗字を意識しすぎてしまえば気付けば当真先輩に誘導され、冬島隊長に嵌められる。逆に他の隊員、他部隊を狙えば美味しいところは全て持っていく上に足やら手やらを徹底的に削られる。苗字は……冬島隊エースとはそういう強みを持った隊員だ。

 話が逸れたからそろそろ話を戻そうと思う。結局のところ、おれがなにを言いたいのかというと、苗字に対する周りの扱いに腹が立ったということだった。少し前までは遠巻きで眺めていただけだったというのに、少し髪型が変わって、苗字の可愛らしさを理解したからといって毎日毎日周りに侍られるのは正直気分のいい対応だとは言えなかった。それは烏丸も佐鳥も同じだろう。佐鳥に関しては、恐らく相当昔から苗字が可愛い可愛いと言っていたし、佐鳥だけはいつでも「苗字は可愛い」だとか「苗字は強い」だとか、苗字と仲良くなる前からことあるごとに口にしていた。おれ達より3年以上も苗字を見てきたから当然面白くないに決まっていた。最初こそ「良かったね苗字!」。そういって、ニコニコと笑っていたけれど、最近では廊下で苗字を見かける度に声をかけるというサイクルを崩された挙句。自分と話している時に苗字に話しかけて来られたせいで苗字がクラスメイトの方に行ってしまうという状況に、あの佐鳥ですらピリピリとした雰囲気を醸し出していた。



「苗字!!!」
「あ、佐鳥ちゃん!」



 しかし、佐鳥が苗字に文句を言おうとしたとしても、キラキラとした悪意のない笑顔を向けられた佐鳥は顔を真っ赤にして黙ってしまう。佐鳥は苗字の顔が本当に好みに当てはまるのだろう、まだ笑顔を向けられるのに慣れないらしい。その様子におれも烏丸も、だろうなと目を細めた。



「苗字は佐鳥と他の人どっちが大事なの!」
「え?佐鳥ちゃんに決まってるじゃん」



 とびきりの笑顔で当たり前のように欲しかった言葉を口にしてくれる苗字に対して、佐鳥はみるみるうちに顔を赤色に染めていく。昼休み直前の廊下の真ん中。勿論、野次は沢山いたが当事者である佐鳥と苗字だけが全く気にせずに笑っていた。その出来事は後に、誤解に誤解を生んで『苗字と佐鳥が付き合っている』というありもしない内容へと変えた。おかげで苗字に関わる男子は相手が悪いと思ったのかアッサリ身を引いて、佐鳥の周りにいた女子も苗字が相手ではと思ったのかアッサリと身を引いた。お陰で当事者である2人は「なんだか最近話しかけられなくなったんだよね」と肩を落としていた。

 しかし、そんな噂が広まるのも仕方のない事だった。苗字と佐鳥は苗字がA級入りした直後から良好な関係を築いていたし、なにがあったのかは定かではないが、去年の今頃にはボーダーでよく飛びつきあっていた(抱き合うともいう)。勿論、そんな2人の日常がボーダーだけに留まるはずもなく、学校でもよく抱きついて戯れていたし、2人は、それはもう、物凄く仲が良かった。他クラスなのに一緒に弁当を食べているところも、その噂を広める一つの原因だろう。一応おれと烏丸もその場に入るのだけれど、その辺りの詳しい内容までは伝わらなかったのだろう。



「そう言えば もうすぐB級のランク戦だね」
「苗字解説は?」
「苗字の解説はタメにならないって二宮さんに言われたから引き受けない」
「謎の音を解説してるもんな」
「やめて、苗字の精神削りにくるのやめて!!逆になんでそんなに上手に解説できんの……東さんに習おうかなー」



 すっかり日常を取り戻した(佐鳥だけは話しかけてくる友達を失った)おれ達は、いつも通りの時間を過ごす。苗字も気が抜けたような柔らかい笑顔を浮かべていた。苗字はコミュニケーション能力は高いけれど、会話を続けるという事に対してはかなり精神をすり減らすらしく、最近は疲れた顔をしていたから安心した。

 ーーーというのも、苗字はボーダー以外では基本的に面倒見の良い愛嬌のある女の子で、先生からも可愛がられていた。苗字のテストの結果が良かったからというのもあると思う。おれが菊地原から聞いた話によると、中間テストの平均点は80点を超えているとかなり優秀で菊地原も驚いていた。因みにこの情報は佐鳥も知らない。しかし、苗字のクラス順位は3位で上には上がいる。しかし、3位。充分すぎる順位ということに変わりはない。そんなクラス順位の優秀な苗字は先生からも生徒からも勉強面で頼りにされている。烏丸は苗字が一学期に おれからノートを借りた時に人の''努力を盗む''と言った(勿論冗談だと思う、苗字がどう思っているかは知らない)けれど、それは違う。おれは実は苗字が嵐山さんに勉強を教えて貰っているのを知っているし、古寺と勉強会をコッソリ開いているのも知っている。だから、おれは苗字にノートを貸す事を嫌だと思った事はないし、苗字を努力を盗むような人間だとは思っていない。

 苗字は戦闘でも、勉強でも、運動でも、決して手を抜かない。おれは苗字のそういうところを尊敬しているし、苗字と二宮さんが親しいのは、苗字のそういうところが理由だと思う。実際に、二宮さんは おれ達と入隊時期がそんなに変わらない為、数少ないボーダーの中でも苗字はよく自分と同じようにトリオンの多い二宮さんの姿をよく見に行っていた。そして、二宮さんもまた、しつこく自分の姿を探す苗字を気に留めたのだろう。A級に入った頃には苗字と二宮さんは既に仲が良かったと思う。実際に おれは二宮さんが苗字以外と話す時に笑顔なんていうレアな光景は滅多に見たことがない。だから苗字は相当気に入られていると思う。最近では三輪先輩とも交流を深めた苗字は三輪先輩と二宮さんと3人で話していたりもする。周りの隊員はどういう組み合わせだと瞬きをさせていたけれど、おれや佐鳥と同期のボーダーやそれ以前のボーダー隊員は特に疑問には感じていない。


「苗字、今日ハンバーガー行こうよ〜」
「佐鳥ちゃん、最高!!」
「佐鳥は今日は何にしようかな〜」
「佐鳥ちゃんはテリヤキじゃん」
「偶には佐鳥も違う気分なんですぅ」



 ここまで話してきた上で解るだろうけれど、おれは苗字のことが人間として好きだった。何事にもひた向きに努力出来るところ。それを全く悟らせないように平気な顔で笑っているところ。それは誰にでもできそうで、誰にでも出来るわけではないことだ。それを おれは知っている。実際に、苗字がA級に入ってから佐鳥があまりにも嬉しそうに苗字の話をするものだから色々とデータを漁ってみると、戦闘について全く情報がない代わりに狙撃訓練場には毎日姿を見せているのが映像で確認できた。それでは、いつからいるのか。おれは当時苗字を評価していなかった。だからいたとしても半年だろうと踏んでいたというのに苗字は俺の予想をはるかに上回った。2年ーーーいや、3年間。2年間ボーダーでフリーを続けながら、苗字は只管的だけを見ていた。ストイックなんていうのは甘すぎる。おれは狂気すら感じた。

 もし自分がもっと早くに苗字を見つけていたら。大きな敵として立ちはだかるよりも前に、嵐山隊に引き入れていた。これは断言できる。冬島隊長は、元エンジニア。映像ならば、いくつか見ているだろうし、同じ人間がいつもいつも顔を出していたとすれば気に留めた筈だ。おれがエンジニアで その立場にいたとしたら一年続いた時点で脅威だと判断する。狙撃手とは練習すればするだけうまくなる。努力が身を結ぶボーダーでは数少ない役職ポジションのひとつだ。それを、この練習量。苗字が弱い訳がないのは大方想像がつくだろう。実際に苗字は冬島隊に引き入れられて、瞬く間に注目を集めた後、数多の隊員が無視できない冬島隊の戦力となった。



「とっきーも来るでしょ?」
「……ごめん、聞いてなかった」
「ハンバーガー屋さん。一緒に行こうよ」
「うん」



 とりおは今日バイトなんだって。口を尖らせて佐鳥と一緒に烏丸の周りをくるくると回って笑う。当たり前のように仲間に入れてくれる。当たり前のように手を引っ張ってくれる苗字を嫌いになれる筈がない。少なくとも、苗字名前についての多くを理解するものならば。

 苗字は嵐山隊について「広報もやっているのにA級5位で凄いね」と、随分と前に木虎に言ったことがある。木虎は当時その言葉を受けて、信じられない者でも見るかのような顔をして苗字を見た。苗字はトリオンが豊富でどちらかといえば、努力をせずとも強い隊員だ。本当にそうなのかは今となっては分からないけれど、少なくとも、トリオンで苦労した木虎からすれば苗字名前は恐ろしい先輩だった。

 苗字を敵対視した木虎がまず初めに苗字に勝利しようとしたのはボーダー隊員としての『価値』だった。その為にまず木虎がした事は苗字名前についての資料を集めて、今の苗字の価値を知る事だったと思う。実際に嵐山隊に入隊したばかりの木虎は良くA級2位冬島隊の苗字名前の資料を集めては作戦室の自分の机でタブレットと睨めっこをしていた。しかし、苗字について公開されている資料といえば当時苗字のデビュー戦と有名なあのデータのみだった。苗字は個人ランク戦はしなかったし、部隊にも入っていなかったから資料が少ない……少なすぎる隊員だった。では、木虎が次にどこへ向かったのか。エンジニアの資料保管庫だ。ここには過去のあらゆる部屋の監視カメラのデータが残されていた。実際に おれも苗字については、ここで知った。そして木虎も おれ同様に苗字名前の底知れぬ努力を見せつけられた。苗字の2年間は孤独で味方のいない2年間だ。友達もいない。ただ只管、訓練室に訪れては撃ち続け、トリオンが限界値に達したら帰る。そんな2年間は木虎にどんな衝撃を与えたのか。

 木虎は苗字に「嵐山隊は凄いね」と言われた時、一瞬だけ瞳を揺らした。今もそのデータは保管庫の中で眠り続けている。誰にも察してもらえる事のない保管庫の中で一生誰にも その努力を認めて貰える事なく埋もれていく。それはどれ程悲しい事だろう。木虎は苗字を見つめて「私は貴方を否定します」と口にした。苗字に届くか、届かないか程の声で確かに言った。けれど、その声は苗字にはきっと届いていた。肩を揺らした苗字は何も言わずに立ち去った。その後も進化していく苗字に木虎はもう驚かなかった。そして多分諦めていた。見ている世界が違うと悟ったのだろう。苗字は自分の事なんて褒めないし、言わない。それなのに他人の事は物凄く評価した。簡単な言葉で表してしまうのならば苗字はストイックだった。自分に対してはどこまでも。だから、あえてもう一度言おう。嵐山隊のエース、木虎藍は。おれ達、嵐山隊は苗字名前を尊敬している。

 拝啓、あの子を狙う 何処かの誰かさんへ。

 苗字名前を知らない癖に、おれ達と同じ土俵に立つのは やめて欲しい。もしも、苗字を傷付けたり、追い詰めたりするのであれば、おれ達は貴方を許さない。









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Espoir