僕の気になる女の子
僕のクラスには4人のボーダー隊員がいる。1人は学校全体で見ても一番なんじゃないかという顔面を持つ烏丸京介。2人目にボーダーの顔、嵐山隊の時枝充。3人目に奥寺常幸。そして僕がコッソリと想いを寄せている苗字名前だ。まず、はじめに自己紹介をしよう。どうでもいいかもしれないけれど、僕の名前は徳永祐樹。以降、クラスメイトT、もしくは友人Tとでも呼んでほしい。僕の名前に関しては特に覚えておく必要もない。今回は そんな僕の想い人である苗字さんがどのような人なのかを少し紹介したいと思う。
苗字名前は僕のクラスにおいて、発言力の高い親しみやすい女の子であり、クラス副委員長の役割を与えられている。僕含め、クラス委員長を始めとしてクラスの女子、男子、他クラス。高校1年生のとても早い段階から多くの人に頼りにされている女の子である。理由としては体育の合同授業。移動教室。様々な理由が挙げられるが、苗字さんは兎に角 とても早い段階から物凄く広い交友関係を持っていた。彼女のコミュニケーション能力が僕等と比べて頭ひとつ分抜けている事なども、勿論 関係してくるのだと思うけれど、恐らく大半がボーダー隊員の肩書きで寄ってきたのだと思う。それくらい この三門市のボーダー正隊員の肩書きは大きい。そして恐らく、彼女の周りに人が集まる理由としては烏丸京介、時枝充の存在が挙げられる。もっと言うのならば、彼女は文武両道で学年でも指折りの学力を備え付けていると言う神に二物を与えられた人間だった。当然人も集まる。僕が彼女に想いを寄せ始めたのも、そのあたりが関係していたのだと思う。学力や運動能力が長けていたことではないけれど、僕は彼女の髪の毛から覗く真っ直ぐで綺麗な瞳に魅せたれた数多の人間のうちの1人だった。
バレーボールを触る時、バスケットボールでシュートを打つ直前、テスト前の数分でノートに目を通す時。全ての時間を丁寧に過ごす彼女の生き様が僕は大好きだった。しかし、不思議な事に周りは彼女から溢れ出すキラキラとしたオーラに気がつかない。でも僕は知っている。他クラスの佐鳥とクラスメイトの烏丸だけは、僕と同じ様に彼女が見えていると。あの2人のソレが恋なのかは判らない。ただ、なんとなく分かる。あの2人は彼女のそういう部分も見えている。僕の直感がそういっていた。その話を席の近かった時枝に話してみると、時枝は首を傾げて僕に「変なの」と笑った。それは、まだ時枝が苗字さんと仲良くなる前の5月の話である。
苗字さんはボーダーの仕事の為、学校に来る頻度は少なかった。それは時枝もだけれど、他のクラスのボーダー隊員と比べても かなり少ない方だと思う。苗字さんは沢山の人に好かれる分だけ、沢山の人に煙たがられていた。主な原因としては妬みだろう。クラスでも間違いなく容姿が上の方に位置付けられる苗字さんは頭も良くて運動も出来た。加えて、本人は否定しているけれど、学校内で見てもトップクラスに格好良い烏丸と物凄く仲が良かった。そんな苗字さんを煙たがったクラスメイトがある日、苗字さんが早退した時にこんな事を言った。
『苗字さん、ズル休みじゃないの?』
その言葉に、まず顔を上げたのは 数学を退屈そうに受けていた時枝だった。僕も同じ様なタイミングで顔を上げたから、時枝が顔を上げたのだと1いう事にすぐに気が付いた。苗字さんが授業をズル休みする人じゃない事くらい考えれば分かる筈だったのに そのクラスメイトがそのように発言したのは多分。彼女もクラスの中で見たら発言力の高い女の子だったからだ。見た目も華やかで、とても気が強そうな女の子だった。一部からは『女王様』という声も聞こえてきた事がある事を思い出す。冗談半分本気半分だろう。でも、確かに その言葉に相応しい程に最近の彼女は荒れていた。
多分、彼女の計画では 数学の先生は流されやすいから肯定もしなければ否定もしない。更に、苗字さんと仲の良いクラスメイトの多くは類は友を呼ぶからなのか喧嘩を好まない平和主義の集まりで、上手くいけば 苗字さんはズル休みでボーダーの名前を使って休んでいるズルイ女の子になる筈だった。しかし、それを良しとはしない人がいた。その存在こそが、彼女の唯一の誤算だったのだろう。
「本当にそう思っているのか?」
発言したのは、苗字さんと共にいる時以外は比較的口数の少ない烏丸だった。烏丸の言葉に彼女は瞳を揺らす。彼女は烏丸に想いを寄せている多くの女の子のうちの1人だった。そんな彼女に烏丸は咎める様な視線を投げた。時枝も同じ様な瞳をしていた。
そう思った根拠は?
苗字がそんな奴に見えるのか?
いつも仕事が終わったら戻って来るのに?
烏丸の言葉に彼女は口をパクパクと動かすだけで何も言わなかった。言える筈もない。苗字さんは烏丸の言う通り、多くの場合は仕事が終わったら学校に戻って来るからだ。だから彼女も口を閉ざす。その様子を見た烏丸は目を細めて言う。
「苗字も災難だな。命をかけてまで守ってやっている奴に こんな事を言われるなんて」
その言葉は間違いなく、このクラスに大きな衝撃を与え、そして苗字さんに対して僕等に罪悪感を植え付ける事になった決定的な言葉となった。翌日から、苗字さんに声を掛ける人は半分以下に減った。恐らく、心の何処かで誰もが彼女と同じ様に考えていたからだと思う。これは、五月が終わる頃の話だ。
文化祭を間際にして、苗字さんが役割を決める当日に欠席した。どうやら今日もボーダーの仕事があるようだ。中間テストが終わって、試験後に張り出される順位表を眺める。僕の名前は順位表の一番下にギリギリ名前を載せていた。満遍なく全教科にギリギリ名前を載せている僕は古典の自分の名前の二つ上に苗字さんの名前を見つける。その時は大きく目を見開いて、もう一度初めから順位表を眺めた。すると彼女は全教科、まんべんなく順位表の上の方に名前を刻んでいた。数学は特に抜きん出ているらしくて、2位だった。逆に古典は少し苦手なのかもしれない。僕の2つ上。48番だった。苦手と言ってもうちの学校は1学年A組からF組まであって、人数は大体一つのクラスにつき30人。180人近くもいて、一番低い教科が48番なら相当頭が良いだろう。実際に彼女は1学期中間テストのクラス順位は3位だった。そして全体順位も18番とかなり優秀だった。ボーダーも学業も両立させているのだから本当に凄いと思う。
さて、話を戻そう。その日は文化祭の役割を決める日で、文化祭実行委員の数名が前に出て黒板に役割をさらさらと書いている。僕らのクラスは縁日をやる事になって、役割は、買い出し、装飾、売り子だった。当然、ボーダーの時枝と烏丸は売り子を担当する事になり、苗字さんは あまっていた装飾係にあてられる筈だった。だったというのは結果的に違う役割を彼女が受け持つ羽目になったから使った。理由としては、烏丸と時枝が苗字がいないのなら自分達も売り子はやらないとキッパリと断言したからだ。
これには女子の売り子係が非難の声をあげたけれど、相手が烏丸と時枝なだけにすぐに苗字さんとクラスメイトの売り子係の役割の交換がされた。さらに時枝達の注文は止まらない。自分達と苗字とのシフトは同じにしてほしいという。流石にそれだと、売り上げが……と。実行委員の女の子が何とか説得するけれど、烏丸達が折れる事はなかった。時枝もいつの間にか苗字さんと仲良くなっていて、やっぱりボーダー同士だとそれなりに関わりもあるのだろうな、と考えていた僕と偶々視線をぶつけた時枝は、僕の顔を見て言った。
「前に言ってた言葉の意味が今なら少しだけ おれにも理解出来る気がする」
そっか。僕は心臓が一瞬だけ止まった様な錯覚に陥った。今思えば、偶々視線をぶつけたのかも疑わしいなんて思っている。これは時枝と苗字さんがいつの間にか近付いていた6月の終わりの話だ。
夏休み前の期末テストでは中間テストの順位が優れていた苗字さんの周りには同じクラス、他クラスの女の子達が群がって小さな勉強会が行われていた。そんな苗字さんと僕は最近席が隣同士になった。今回の席は夏休みが明けたら変わってしまう短い期間だけの席だったけれど、相変わらず僕の前には時枝が座っていて、苗字さんの周りに群がる女の子を見て、時枝は「苗字のノート見やすいけど見る?」と僕にノートを差し出した。そして僕と時枝もまた、自習の時間を使って小さな勉強会を始めた。僕と苗字さんはクラス順位が高い方で、苗字さんは知っての通り、中間テストのクラス順位は3位。僕は5位だった。時枝は僕の苦手な世界史の暗記の方法を教えてくれて、僕は時枝に化学の問題を教えていた。僕らの小さな勉強会はやった甲斐あって順位に反映された。しかし、それは苗字さんも同様な様で、苗字さんはクラス順位は変わらないものの、学年の総合順位は13番になった。
夏休みが始まるから、と。帰りに図書室に寄ると、苗字さんがいた。どうやら読みたい本が書店にないからここで読んでいくと話していた。それは『ギルガメッシュ叙事詩』というやつで、苗字さんは一体何に興味があるのだろうか、と思いながらも、僕も苗字さんの向かいの席で難しそうなハードカバーの本の文字を追った。苗字さんが、ふと顔を上げて、外暗くなってきたね、と僕に話しかけてきた時は本を落としてしまうかと思った。苗字さんは長い前髪をピン留めで止めてクスクスと笑う。文化祭の時も思ったけれど、苗字さんの綺麗な瞳が隠れてしまっているのは やっぱり勿体無いな、と思った。
「何でギルガメッシュ叙事詩?」
「大好きな人について知りたかったからかな。徳永くんもやる?ゲーム」
「ゲーム……?」
「うん!! 凄く面白いよ! 知識の幅を広げると思ってやってみようよ!」
苗字さんに薦められたゲームのアプリは落としたけれど、実はまだやり方がわかっていなくて全く薦められていない。苗字さんがゲームを好きだと知った、夏休み前の話だ。
夏休みが明けて、体育祭が始まる。
体育祭実行委員が困りながら 競技に出る人を決めているところにボーダーから戻った苗字さんが「遅れてごめんね〜」と体育祭実行委員 兼 クラスの書記担当の女の子に笑うと彼女も安堵した様に笑った。クラスの全体の空気も心なしか明るくなった。苗字さんはクラスメイトの体力測定の結果を取り出して歯を見せて笑ってクラスに問いかけた。
「絶対に出たくない人!!!」
勿論、手を挙げられる人なんているはずもなくクラスメイトの足の速い人が順に空いていた競技に当てはめられていった。因みに苗字さんは走る系の競技全てに参加していた。だから他の女子も苗字さんに強く出れずに大人しく決められた競技の参加を承諾した。色別対抗リレーにはアンカーの苗字さんの他に何にも出る気のない烏丸と足の速い男女1人ずつが選ばれていた。因みに奥寺は騎馬戦。時枝は借り物競走に勝手に決められていたけれど、苗字さんの多忙な競技参加率を見て笑っていた。
当日、僕達は白組だった。苗字さんは「A組が赤なの!? ずるい!!」と頬を膨らませて「来年はA組になりたいです!!!」と先生に言いに行っていた。その様子を見てクラスメイトも笑って苗字さんの肩を叩いたりしていた。その後、3年の赤組のリーゼントの先輩と「先輩は赤組でいいなー」と楽しそうに話しながら、黄組の怖そうな先輩とも話している苗字さんを見て、クラスメイトは あの人達もボーダーかな、と囁き合っていた。
苗字さんは時枝と烏丸、それから他クラスの佐鳥と競技以外の時間は話したり、ゲームをしたり、応援をしたりして楽しそうにしている。でも、その中の一人でも立ち上がって競技に出ようものなら、誰よりも大きな声で「頑張ってー!!!」と手を振っている。本当に可愛かった。だからだろう。苗字さんの競技の時は佐鳥や時枝、烏丸も遊ぶのをやめて苗字さんの方を見ている。1位をとったら、佐鳥と抱きしめ合って喜びを分かち合うし、2位、3位を取ったとしても「負けちゃった」とキラキラした汗を拭いながら笑う。
当然、競技参加率の高い苗字さんの周りには「お前すげー出てんなー」と2年の先輩が声をかけたり、3年の先輩が飲み物を持ってきたりと大賑わいだった。そして、いよいよ。色別対抗リレー。苗字さんと烏丸は楽しそうに会話を弾ませながら1年の色別対抗リレーの各場所に立っていた。2位スタートで始まったバトンを最後の最後で烏丸が1位にもっていって苗字さんがそのまま1位を守り抜く。僕らのクラスは1年の得点王クラスに輝いた。本当に凄いな、と思った。きっと来年も体育祭で大活躍するのだろうと思う。得点王クラスという事もあって、アイスクリームを貰った僕らのクラスは円になってアイスクリームを食べていたのだけれど、苗字さんと時枝、烏丸は佐鳥と一緒に別の場所で盛り上がっていた。これが9月の終わりの話だ。
10月になると、クラスの中でのグループが固定し始める。苗字さんは女子グループの中では真ん中らへんのグループにいた。でもお昼休みや休み時間はずっと時枝と烏丸、佐鳥といるから そこが苗字さんのグループなのか、と聞かれたら即答はできないだろう。この頃から、苗字さんは佐鳥と時枝、そして烏丸と共にご飯を食べるようになっていた。
体育の時間に苗字さんが早退して、クラスメイトの男子が誰が1番可愛いのかという話を繰り広げる。そして、顔を点数で判断をする。なんて下衆なのだろうか、と思っていると、時枝が「顔しかみてないんだね」と男子グループに言った。時枝と全く同意見であるという烏丸の表情と時枝を見て彼等は口を閉ざしたけれど、彼等はいう。
「お前らだって苗字といるじゃん」
その言葉に、時枝は息を吐く。
一瞬だけ。本当に一瞬。
とても冷たい目をしたのに
果たして気づいた人がいたのだろうか。
「おれは苗字の事を顔だけなんて思ってないし、同じにしないで」
本心なのだろうことは直ぐにわかった。きっと、それが解ったのは僕と烏丸だけなのではないだろうか。僕だって、あの日に時枝が苗字さんに興味がない様な態度を取られなければ全く気付かなかったし、ただの負け台詞かと思う。けれど、その言葉は間違いなく、相手への、顔で人を判断する彼等への蔑みーーー否定が含まれていたのだと思う。あの冷たい目には、きっと そういう意味があるのだ。
僕は、その日奥寺に尋ねた。烏丸と時枝は苗字さんが好きなのか、と。その問いに奥寺は難しそうな顔をして唸ると「苗字さんの事好きなの?」と首を傾げた。首を縦に振ると奥寺はギョッとした様な、驚いた様な顔をして、苦笑いを浮かべた。
「苗字さんはやめた方がいい」
元々、想っているだけで良かったんだと笑った僕に奥寺はなんとも言い難い表情を浮かべて、まだ人生長いんだし、という励ましの言葉をくれた。勿論、全く嬉しくはなかった。10月が終わった。
2学期の中間テストが終わった。苗字さんはクラスの順位を上げた。2番だ。ボーダーをやっているのに本当に凄い。授業にだって僕らよりよっぽど出席していないというのに果たして何処で その学力を身に付けるのだろう。それを質問してみると苗字さんは恥ずかしそうに笑って「私 実は東大目指しているんだよね」と言った。そうなんだ、と思った。別に恥ずかしがることはないと思う。だって僕は苗字さんの挑戦を全く無謀だと思わなかったから。きっと、僕らの全く見えないようなところで、物凄く努力をしているのだろう事は直ぐに解ったからだ。
来年からは理系文系に分かれる。きっと苗字さんは文系なんだろうな、と呟くと、苗字さんは「私は理系だよ、徳永くんは?」と答えた。僕はそれに「僕も理系だよ」と返した。女の子は文系に行く人が多いと聞いていたからテッキリ文系なんだろうと思っていたけれど、どうやら苗字さんは理系に行くらしい。来年も同じクラスになれたら良いのに。こうして僕の11月が終わった。苗字さんと少しだけ会話をするようになった。
12月、苗字さんは何処か遠くを見て難しい表情を浮かべて授業を受けていた。そして、初めて授業中に目を閉じて疲れたていたのか すやすやと眠っていた。僕にはボーダーの事情はよく分からないけれど時枝と烏丸が浮かない顔を浮かべているから何かあるのかもしれない。そう思って数日間様子を見ていると、苗字さんが数日に及んで欠席した。流石にクラスに活気がなくなってきて、他クラスからも心配される様になった頃、烏丸が深刻な顔をして携帯を握りしめているのを見て、時枝と2人で少しだけ烏丸を心配した。しかし、その数日後に苗字さんが登校してきた。久しぶりに登校してきた苗字さんにクラスメイトも顔を明るくして声をかけていたけれど烏丸は どういうわけか元気がなくて、いつもなら混ざる時枝との輪の中にも入ろうとはしなかった。
昼休み。烏丸が苗字さんの席の前に立つ。そして飲み物、ノート、そして薬を渡して席に戻る。そして時枝に声をかけられた苗字さんは烏丸と時枝と3人で教室を出て行った。出て行った後、苗字さんの机に置かれているノートにクラスの女子がちょっとだけ群がっていて少し怖かった。
1月の中旬、烏丸と苗字さんの喧嘩(だったのかも未だに分からない)も落ち着いた頃、苗字さんが髪の毛にウェーブをかけて登校してきた。前髪を目にかからないほどまで短くして、柔らかそうな髪を揺らす苗字さんに烏丸だけではなく、僕もクラスメイトの男子も大きく目を見開いた。そしてその日、敵がゲートというものを開いたようで苗字さんと烏丸は席を立ち上がる。苗字さんが顔を青くしていると2年の出水先輩と米屋先輩に連れられて教室から引きずられるようにして出て行った。
その後、教室に残った烏丸は携帯をとって少し誰かと会話をすると僕らに避難するように指示して教室から飛び出して行った。その直ぐ後に、2年の怖そうな先輩が訪ねてきて「苗字はいるか」と尋ねられたが、苗字さんは既に2年生の先輩達に連れていかれた後だった。
そんな事があった翌日、苗字さんは学校を休んだ。時枝と烏丸はまた暗い顔を浮かべていた。あの日の大規模な侵攻は情報番組でも数多く取り上げられており、近々ボーダーで緊急記者会見が開かれるとニュースで言っていた。あの事件で一1苦労したのも被害を受けたのもボーダーで、僕らは改めて苗字さんや烏丸、そして時枝達ボーダーと住む世界が違うことを思い知らされた。あの日、烏丸の言っていた『命を懸けて戦っているのにーーー』という言葉が、どうにも頭から離れてくれなかった。僕は安易にボーダーに入ろうなどと考えた事はないけれど、ボーダーが特別凄い人達だと考えた事もなかった。けれど、昨日のことで漸く解った。僕らは本当に命を懸けて戦って貰っているのだと。
苗字さんが登校してきた。苗字さんはいつものように、にこにこと笑顔で僕等に挨拶をして席に着いた。心なしか苗字さんに話しかける人も増えた気がする。あの時の体育の時間に顔を点数で評価していた組を筆頭に沢山の人が苗字さんに話しかけた。大丈夫だった?だとかそんな内容の薄い会話だ。それを聞きながら、僕は視線を少し横に移した。烏丸と時枝。あの2人は苗字さんが登校してきてから暫く 苗字さんと昼休みくらいしかまともに話せていない。この状態をよく思っている筈がなかった。実際に数日後。苗字さんがボーダーの仕事で早退した日の事。時枝と烏丸が何を言ったのかまでは分からなかったけれど、クラスメイトの男子の多くに何か言っていた。いや、言っていた、というよりは彼らに向かっては話していないのかもしれない。いや、正確には彼らに向かって話している言葉を別の何かに対して言っているように聞こえる発言をしているように見えた。
僕は そうなるだろうな、と思った。奥寺と その光景を眺めながらバスケットボールを手にとってタンタンとドリブルをしたり、シュートを打ってみたりする。烏丸達の行動は理解できる。苗字さんを顔でしか評価しない人。そんな人が今までの自分達の位置を奪いさろうとしている。気持ちのいいものではないだろう。そう思った。ただ、烏丸もなんだかんだで苗字さんが好きなのだな、と思う。その好きっていうのが恋愛なのか友情なのかは定かではないけれど、あれで嫌いという事はないだろう。
1月の終わりに僕は図書室にいた。
座っている僕の隣に苗字さんが例の本を持って腰を下ろした。そして僕の顔を見ると「勉強してるんだ、偉いね」と花を咲かせるような可愛らしい笑顔を浮かべる。
「例のゲーム、やり方がまだ解らないや」
「!……教えてあげる!!」
嬉しそうに笑う苗字さんは「そういえば教えてなかったか〜」と、独り言のように言ってから僕の携帯を横から覗き込むと、これがこうで、こうで、と教えてくれた。ゲームなんてやった事がなかったから知らなかったけれど、チュートリアルという説明をしてくれるシステムがあるみたいだった。
それなのに態々教えてくれる苗字さんはやっぱり優しいと思う。
「苗字さん、髪型変えたんだね」
「うん、気付いたらウェーブかかってた」
「先生にも言っていたよね」
「でもエリーってば信じてくれないんだもん。とっきーでも信じてくれたよ?」
「時枝は苗字さんに優しいから」
「あはは!! とっきーは聖人だもん!」
初めて会話をする訳でもない。
初めて名前を呼ぶ訳でもない。
それなのに、彼女と話すひとつひとつの言葉がやっぱりとても大切で心が温まるな、なんて僕は思うのだ。全く脈のない恋だっていい。叶わない恋でもいい。だからせめて、今だけは……今年くらいは こうやって少しだけど僕と彼女とが話せる時間を奪わないでほしい。
「もうすぐ今年が終わっちゃうね」
「……うん」
「来年も同じクラスになれたらいいね」
「苗字さんがいたら きっとクラスが楽しくなるね。僕は今年とても楽しかったよ」
「それならそれは私じゃなくて、クラスの皆のお陰だよ。今年のクラスは良かったって最高な1年だったって思える終わり方にしようね、徳永くん」
彼女は僕の携帯画面を眺めながら、目をキラキラと輝かせて僕の顔を見て、みてみて、と年相応の笑みを見せて携帯画面を指差した。そして、1月が終わって、そして今、2月が始まろうとしている。
ああ、もうすぐ冬休みになってしまう。
苗字さんは どうしてボーダーに入ったのだろう。彼女の中でボーダーとは何で、どういう世界が見えるのだろう。ボーダーには守秘義務が存在する。どこまで話していいのかも、どこまで聞いてもいいのかも分からないけれど、いつか、ボーダーについて聞いてみよう。
「ねえ、苗字さんーーーー…」