彼に最後の口付けを
遠征は順調
『苗字ちゃんは無理しないようにな』
来る直前、迅さんに言われた言葉を、ふと 思い出す。あれは、どういう意味だったのだろう。アイビスを地面に固定して、冬島さんと当真先輩。そして真木さんの通信を待っていると「この辺りは昨日まで敵の動きが多く見られた筈なんだが」と、冬島さんが呟いて、当真先輩が「察知して逃げたんじゃねーの」と気怠げに答えている。そんな会話の中で私はというと、それはもう本当に胸騒ぎが止まらなくなっていた。何故だかわからないけれど、最悪の事態しか浮かばない。けれど、それでも大丈夫だろうとタカをくくっていた。それが良くなかった。気が付いた時には近界民に囲まれていて、真木さんが遠征艇に連絡を取っている。なんだ。この状況。どうしてこうなった。いつからだ。気がついた時には敵兵の数は軽く百を上回り、当真先輩と冬島さんも、これは参ったとお手上げ状態だった。しかし、増援ーーーつまり風間隊、太刀川隊ーーーが到着するまでには私達の時間にして約10分の時間を要した。真木さんの直ぐに遠征艇の方に後退しろという言葉が聞こえるけれど、私達戦闘員勢は それだけは反対だった。戦闘において、敵に背を向けるのは敗北を意味する。こんな状態で何プライド語ってんだと真木さんはいうかもしれないけれど、当真先輩と冬島さんも『退こう』とは言わなかった。恐らく、分かっていたのだろう。この数からは逃げ切ることは出来ない。それならば、せめてマシな生き様にしよう。そう思ったのかもしれない。ああ、けれど。もしかしたら、私がいうのを待っていたのかもしれない。でもやっぱり、私もまたそんな弱音を吐く事は出来なかった。
人間、土壇場になると冷静になるらしい。他人事のように地面に固定したアイビスをキャンセルして、もう一度形成する。私のアイビスならば、当たれば一度に2、3人は軽く倒せるだろう。確信はあった。だってこれだけの数だ。全員が全員、初見の私のアイビスを無傷で避け切る事が出来るとはとても思えなかった。せいぜい3発。3発は敵を殺せる。そこから先は暫くは様子見で攻撃が止むだろうから、その間に当真先輩に少しでも数を削って貰えば良い。レーダーで当真先輩、冬島さんの位置を確認してから、一番敵が密集している所をレーダーで確認する。
「これから逃れるには道を少しずつ開くしかないです。私が瞬間移動で上から撃ち落として道を作ります。真木さん、サポートお願い」
『……真木、了解』
上を見上げて瞬間移動で上空へと移動して
遠征艇に連絡を入れてから、まだ3分。
この調子では、10分経つ前に冬島隊が全滅してしまうかもしれない。それだけは避けるべきだ。
「当真先輩と冬島さんは攻撃手目指してた事ありますか? 機動力は? トリオンは?」
『ーーーは? 何言ってんだ、おまえ』
「聞いてください。この状況を打破できる作戦を思いついちゃいました。取り敢えず先輩、合流しましょう」
瞬間移動で移動する際に右足を持っていかれた。これはいよいよ、まずいことになってきたなあ。私は大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。数秒もして、当真先輩と合流すると私はプツンと通信を落として当真先輩の両手を握る。何か、普通ではない雰囲気を醸し出した私に対して、当真先輩は「おいおい 冗談だろ」と苦笑いをして私を見る。
先輩のこういう時の勘の鋭さは恐ろしい。それは私を含めて、皆知っている。だからきっと、先輩は私の意図するところに気が付いているだろう。だからそんな顔をしているのだ。
「当真先輩が使うんだから、狙撃銃が良いな。『一撃必殺』の大技が出せて、皆のサポートも出来る。そんな凄いトリガーが良い。あーあ、佐鳥ちゃん達の想像大当たり。でも良いの。私はココで終わりでいい」
「…………冗談きついぜ、苗字」
「どうせなら私のサイドエフェクトも先輩に渡したいけど、こればっかりは 譲渡の方法とか分かんないし、前例を知らないから無理だね。ねえ当真先輩、私はいい後輩だったかな」
「不思議。私、遠征は生死がかかっているのに全然怖くなかったの。今もそう。追い詰められて、トリオンが足から漏れ出してるのに、全然怖くない。先輩がいるからだよ」
「……冗談じゃねーよ。なんで俺がお前の遺言なんて周りに伝えないといけねーんだ」
「私、先輩には酷い事ばかりいう嫌な後輩だったかもしれないけれど、本当はずっと凄く尊敬していて、同じ部隊に誘ってくれた時、本当に嬉しかったの」
だからね、先輩。
わたしの事、ちゃんと使ってね。
忘れられない記憶がある。2つ下。ボーダー随一の努力の天才であり、最強の黒トリガーに姿を変えた俺の部隊の元隊員。苗字名前。最後の最期で本当は死にたくないのだと、俺に伝えるかのように 俺の唇を奪って、挙げ句の果てに、涙を流して動いた唇を見つめて、俺がようやく我に帰った時には苗字は既に塵となって死んでいた。それなのに俺の手元には苗字が生きていた証明のごとく、真っ黒のトリガーが握られているのだ。とんでもないトラウマである。
真木ちゃんと冬島さんの何があった!? という声に反応する事も出来ずに立ち尽くした俺は手に握られた黒トリガーと塵となって俺の目の前から姿を消した苗字だったものを眺めて動く事が出来なかった。あの時の事は未だに忘れられない。手に持った黒トリガーを使ってみて、涙が出そうだった。使い手に合わせて性能が変化する黒トリガー。悲しいくらいに使いやすい黒トリガーだった。性能は大きく変化するわけではない。ただ、誰にでも使える黒トリガーだった。C隊員でも、A級隊員でも、誰にでも使える分、使用者によって その力はコロコロと変わった。ドッペルゲンガーのようなトリガーだった。ソイツの強みを思う存分引き出して、共に戦ってくれるトリガー。使用者が敵より強いと判断した時にはグンと力を上げる気まぐれでとんでもないクソトリガーであったが、実際に二宮さんが使用した時は鬼の様な数のアステロイドをポンポンと出せたし、太刀川さんが使った時は見えない弧月でも振り回されているかと錯覚するような化け物トリガーでもあった。
ただ、苗字のトリガーの武器は狙撃銃であり、本領を発揮出来るのは狙撃手である俺達だけだった。恐らく、持ち主の性格やらが反映されやすいという黒トリガーが最期に本気で願った願いこそが、俺の役に立つ事だったからだ。苗字は苗字が述べた通りのトリガーになった。支援系最強の黒トリガー。そのトリガーは現在忍田さんの管理下にあり、忍田さんはこれによって間違いなく、通常トリガーでも、黒トリガーでも最強の男になった。
「なあ、冬島さん。俺は思うんだよ。あの時 誰かが退くって言ってたら、アイツは助かってたのかって。だとしたら、結局。アイツを殺したのは俺達なんじゃねーのかって」
「……当真」
咎める様な顔をして冬島さんが俺を見ているのは解っている。解っているけれど、ふとした瞬間。そう思わずにはいられなくなった。あの時、もっと他に方法があったのではないだろうか。俺達はその可能性に気づけずに苗字を犠牲したのではないか、と。
そしてそれは正解だ。俺達は あの場面で真木ちゃんの指示に従っておくべきだった。例え負ける可能性があったとしても、遠征艇を目指して後退するべきだったのだ。
「馬鹿だよな。日が経つにつれて、好きになっていく。あの日の記憶が頭から離れねえんだよ」
情けねーな、俺は。空気の中に溶けていく その言葉を冬島さんは拾ってくれない。
なにも言わずに、パソコンの画面の向こう側にいる苗字名前を眺めている。俺達は、あの日から前に進めていない。進めるはずもない。俺はもう。あの日、最期に苗字がなんて言ったのか。それすらも思い出すのが恐ろしくて、未だに思い出せない臆病者なのだ。ノイズがかかったかのように、その言葉だけ聞こえなくて、唇の動きだけが鮮明に頭にこびりついている。あの日の苗字は俺になんて言ったのだろうか。
▽
こんな事を言ったら、頭がおかしいと思われるだろうが、部隊の奴らを除いて、誰にも言っていない事がひとつだけある。冬島隊は結成から今日まで、ずっと3人の部隊だった。それは間違いないーーー筈なのだが、時々何かを忘れてしまっているかのような不思議な気持ちになる。そんな悩みを真木ちゃんと冬島さんにしてやると、2人も俺と同じような気持ちになる時がある事が明らかになった。
皆揃って同じ悩みを抱えているなんて 妙な話だったが、俺達の完成している部隊にかつて誰かがいたなんて有り得ない話だし、例えばいたとしても、記憶封印措置が施されるのは俺達ではなくソイツだけだ。つまり、俺達が忘れなければならない理由はないという事だ。だから間違いなく、勘違いーーーの筈なのだが、時々冬島さんとラーメン屋に行く時も、ぶらりとひとりでラーメンを食べに行く時も。何故だが机に入っていたラーメン屋の本を捲る時も。何か大切なものを忘れてしまっている様な妙な気持ちになる。
「妙な話だよなー、全く。気味が悪いぜ」
最近なんて、それに加えて妙な夢を見る。冬島隊にもうひとり、当たり前の様に存在している日々の夢だ。しかし、ソイツは何をキッカケにか、最後は必ず涙を流して俺の前からいなくなる。とんでもない女だった。顔もモザイクがかかったように見えなくて、言葉だってなんて言ってんだか全く聞き取れやしねえ。ただ、見ていて気分が良くなるような夢ではないから 聞こえない方がいいのかもわからない。
もしかしたら、俺の彼女欲しい願望が前面に出ただけの夢なのかもわからない。ただ、ソイツは夢の中で何度も何度も俺の名前を呼ぶのだ。正確には俺の名前を呼んでいるのかはわからないが、呼ばれている気がする。実際に、俺達冬島隊が何か大切なものを忘れてしまったとして、何故忘れなければならなかったのかが解らないのだから どうしようもない。
「当真先輩!!」
「当真先輩!!」
目の前にいるのは最近入った新入隊員。俺はソイツを見て、誰かとイメージが被った。そして俺は思い出す。俺が数ヶ月前に冬島さんに内緒でUSBメモリに何らかのデータを残した事を。確か、アイツと行ったラーメン屋のリストだ。それからアイツと撮った写真ーーーいや。アイツって誰だ。
俺はこれ以上になく 忙しなく動く心臓を何とか落ち着かせながら、目の前の人間の会話を適当に受け流して、真っ直ぐに自隊の作戦室へと急いだ。そうして、作戦室の自分の机の中にあるUSBを取り出して冬島さんのパソコンに差し込む。廊下に出てパソコンを立ち上げると、そこには冬島隊の制服を着た真木と同じくらいの女子隊員が写っていた。何枚も何枚も。そうだ。何で忘れていたのだろう。コイツの名前は苗字名前。俺のせいで命を落としたボーダー隊員だ。
「何で忘れてんだ、俺は」
思い浮かぶ原因はトリオン体の精密検査だ。あの日は確かそんなような事が行われていた。それもボーダー全体に対してだ。今考えれば、不自然なほど上手く段取りされた精密検査だった。それなのに、なぜ誰もおかしいと疑問に思わなかったのか。理由は簡単である。どいつもこいつも、そんな事を考えるほど余裕がなかったからだ。つまりあの日に苗字名前の記憶は多くの者から消去されたと言う事だ。あの日以外に考えられない。誰も彼もが苗字名前の記憶を奪われた。そんなのあんまりだ。それでは本当の意味で苗字名前は死んだようなものじゃねえか。
確かに、あの時のボーダーは多くの者の記憶を消さざる得ない程度には荒れていた。苗字名前が黒トリガーになった。苗字と関わりのあった奴等は少なからず、戦闘面で(良くも悪くも)大きな変化を見せたし、今思えば、ボーダーの派閥間のパワーバランスも崩れかけていたように思う。しかし、俺達には当時それを考える余裕もなく、苗字の死に引き摺られていた。だからといって、これはあんまりだろう。存在そのものをなかった事にされたという事だ。苗字を忘れたくないと願った者だっている筈だ。それなのに、上層部の連中は俺達から その記憶を無断で取り上げた。少なくとも、俺達冬島隊だけは この記憶を忘れちゃいけなかったんじゃねえのか。苗字は俺達を助けるために黒トリガーになった。そんな苗字がどうして忘れられなければならないのか。俺以外に苗字を覚えている人はいるのか。これじゃあ 俺は、アイツ等に伝えなければならない言葉を一生背負わなければならないじゃないか。
『笑うしかないじゃん』
ーーーー……ふと、唇の動きに合わせて懐かしい声が頭の中を こだました。
ああ、そうか。そうなのか。アイツはあの時、そう言ったのか。あの状況で、そんな寂しい言葉を俺にかけて命を落としたのか。
「あ、当真さん。何してんすか?」
「……おう、出水。ちょっと聞きたいんだけどよ、お前苗字名前って奴、知ってるか?」
「苗字名前? な〜んか聞き覚えある響きですけど、アイドルの名前ですか?」
「仲良くしてくれてありがとう、だってよ」
「ーーー…は? え、ちょっ、」
出水を無視してUSBを握りしめ、作戦室に戻って冬島さんのパソコンを机の上に置く。やっぱり覚えていないのか。お前が本当に皆から忘れられたとするのならば、そんなの、あの時のお前と同じくらい……こんな悲しい状況をひとりでやっていくしかない俺の方がーーー…
「もう笑うしかねえじゃねーか」
時が経つにつれて、どんどん好きになっていく。忘れられたアイツを孤独にもたったひとりで思い出して、そしてUSBに残された たった数枚の思い出を眺める事しか出来ない。そして、悟られてはいけない。もう一度思い出せる保証なんてない。俺は、あそこ迄してくれたアイツに何も返さずに生涯を終えるのだ。せめて幽霊にでもなって出て来てくれれば良いのに、苗字は可哀想な女だ。
あんな小さな道具に閉じ込められている。あれを壊せば、お前は解放されるのか。それとも本当の意味で壊れるのか。どうせ実行できない癖に、どうしようもなく馬鹿な事を考えて 俺は額に手を当てて、ソファに転がり、ゆっくりと目を閉じた。
「俺達は揃いも揃って救われねーな、全く」
もうどんなに待ったって一生戻ってくることのない、たったひとりの後輩に想いを寄せた俺も。プライドが邪魔をしたせいで、命を捨てなければならなくなったお前も、本当に救われない。
後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。全くその通りだよ。なんで、最後にあんな顔をするんだ。なんでキスしたんだ。なんで助けたんだ。なんで、笑ったんだ。俺は最後の最後まで、お前とは分かり合えそうにない。自分の命を投げるよりも、逃げてしまえばよかった。瞬間移動をトリガーに入れていた おまえなら遠征隊へ帰還できる3kmの距離にギリギリ間に合った筈だ。それなのに、アイツはあくまでも 隊で助かろうとして隊を守った。自分だって、俺達の部隊の一員の癖に、まるで自分は違うかのようか線引きをした。雑魚だと言われて来た自分が唯一役に立てる場面が今だとでもいうかの様な目をして、怖くない、と言う。
「ねえ当真先輩。私、良い後輩だったかな」
最悪の後輩だ。お前は俺が出会った中で一番生意気で、ムカつく奴で、努力を惜しまない癖に自信がなくて、面倒臭い。
先輩を立てないし、敬わない。
良い後輩の要素もないのに、
ないはずなのにーー……
「好きになっちまった。恨むぜ、苗字」
俺を置いて言ったお前が
今はもう憎くてたまらないんだよ、俺は。
[Espoir]