バカが風邪を引いた






 バカが風邪を引いた。それを聞いた瞬間。馬鹿は風邪をひかないなどと言う迷信は本当に迷信でしかなくなったわけだ。そのバカの名前こそ、おれ達A級の中でもトップクラスの位置に属する冬島隊の苗字名前である。先に言っておきたいことがある。昨日は、台風だった。もう大体の話の流れはお分かりだろうが、念のため説明すると、この馬鹿は米屋と共に台風の日に外に出て駆け回っていたらしい。恐ろしく 頭が悪くて、いっそ恐怖すら湧く。もう頭悪すぎてちょっと引くレベルに馬鹿だと思う。なんでおまえ学力高いのに頭の年齢は米屋と同じレベルなんだよ。槍バカと同じって、それもう動物以下だからな。

 台風の日に 普段より台数の走っていない道路の真ん中でキャーキャー言いながら騒いでいたらしい。後に緑川が「なんでオレも誘ってくれなかったの」と頭の悪い事を宣っており、お前も馬鹿かよ、と思った おれだけは間違いなく正常である。滅茶苦茶楽しかったらしい。これは後に、米屋ならびに苗字が言っていたから、そうなのだろう。キャーキャーと言うのを具体的な言葉にして教えるのなら、キャーキャーではなく、あの宮沢賢治の作品のひとつである『雨ニモマケズ』を2人でゲラゲラと笑いながら大声で暗唱しながら走り回っていたらしい。それは最早、名作の冒涜なのではないかとすら思うので、あえて、もう一度言う。お前等は馬鹿です。



「苗字、起きてるか〜?」
「頭がガンガンします……」
「こりゃあ 重症だな、熱は?」
「死ぬんですかね、39度ある」
「おお……。40度こしたら
 病院まで担いでってやるから寝てな」
「いいです。いず…み、せんぱいに貸しつくりたくないし、あとが怖いので…」
「お前捻くれてんなー」



 はてさて。ここは おれの家である。まずどうしてこうなったのかを説明しようと思う。何を隠そう 苗字と米屋は昨日の防衛任務の担当だった。今となっては、誰だよ あのバカ2人にこのタイミングで防衛任務任せたやつはと思わんでもないが、この時期の冬島隊は冬島さんが最近エンジニア云々の関係で忙しいらしく、冬島隊が防衛任務を請け負う際には助っ人として代わる代わるB級やらA級やら苗字の知っている奴が入るよう調整されている。そして昨日が米屋の番だったと言うわけだ。真面目にツッコむのなら、当真さんマジでアンタこいつら放置してどこいったん?というところだろうか。まあ、それよりも先に普通の人間が思うのは、台風なのに帰れたの? という疑問だろう。おれも最初にそれは思った。まあ当然、回答としてはトリオン体でもない体で帰れるわけがないだろという回答である。故に、奴等馬鹿野郎コンビは防衛任務の終わりに本部で雨風が止むまで待機を言い渡されていたという(後日米屋談)。

 ……にも関わらず、馬鹿野郎コンビは本部の1階の窓から抜け出して、私服のまま 飛び出して駆け回っていたのだという。恐ろしいほどの馬鹿野郎である。強い。思っていたところで行動できない馬鹿をやってのけるコイツ等マジで強い。しかも傘も持っていたのに傘を使って遊び始めたらしい。風に逆らう、という とんでもなく頭の悪そうな遊びである。昨日なんて空は、まるでこの世の終わりかのような色をしていたし、風も今年一番だと情報番組で言っていた。それなのにも関わらず、である。本当に馬鹿だな、コイツ等は。まあこんな流れで、本部に戻る訳にも行かず、偶々近くにある おれの家に、グッタリとした苗字を米屋が「頼む!!」と押し付けてきたのが、つい5分前の話である。因みに米屋はオレ帰るわーと言って、そそくさと帰っていった。今の時刻は午前4時30分。取り敢えず、チャイム連打して おれを起こした米屋は死ねば良いと思う。アイツに今週親がいないなんて言うもんじゃないなと思った瞬間である。



「寝る前に着替え……」
「……ビッタビタじゃねーか! 先に言え!! おれも おれで先に気付けよ!! ちょっと待って! 毛布と着替え持ってくるから!! 風呂は!?」
「アタマいたいから むり……」



 苗字が着れそうで、しかも暖かい服……。いやもう おれが混乱してきた!! 急がないと冷えて苗字がマジで死ぬ! 取り敢えず、押し入れから適当な毛布を引っ張り出して、まあ おれがそれなりによく着る暖かいスウェット上下。もう多少デカくても目を瞑ってもらうしかない。苗字も身長は木虎ほどじゃないけど小南くらいあるから 滅茶苦茶緩いとかはないはず。いや、結構デカイかも。おれが175くらいだから……まあ、そん時はそん時で。



「苗字、着替えーーー……嘘じゃん」



 おれが戻った時。苗字は地面に座り込んで、グッタリと壁にもたれていた。いやいやいや、これマジなやつ!! 病院!? いや冬島隊か!!? 真木を呼べば良いのか!? いやでも、今四時半……。ちょっと結構ガチで迷惑な時間だし、そもそも おれ、真木の連絡先なんて知らねーじゃん。仁礼!! 仁礼か!! 仁礼を呼べば良いのか!!? いや来るまでに時間が……、いやでも おれが服脱がすのはマズくね? 不味いじゃん絶対!! 苗字的にも不味いじゃん!! いくら苗字が おれ的に女子枠じゃないにしたって無理だろ! なんだこれ!! 試練か!?



「頼む、苗字。起きてください」
「……ん、きがえ、持ってきてくれたんだ」
「着替えれる?」
「きあいと、こんじょう」
「おれ泣きそう、どうしようこいつ」



 マジで、次あったら絶対米屋は殺す。心の中で確かな決意を固めながら、暖房をガンガンにかけた暑い部屋に苗字を入れて、着替えたら呼ぶようにと頼んだのだがーーーー、一向に呼ばれる気配がない。アイツが中に入ってから もう10分以上経っている。いやでも、着替え中だったらマジでKYだし迂闊に扉は開けない。何で おれ自分の家なのに こんなに緊張してんの? つか冷や汗やばい。何の精神訓練? これいつまでやんの? マジで苗字早く回復して いつもみたいに嫌味のひとつでも言ってくれれば良いのに。だぁあ〜〜!!! あいつが あんなんだと おれが調子狂う。何だこれ、気持ち悪。

 しかし、いつまで経っても呼びに来ない苗字に、おれもまあ心配になる訳で、ちょっとユックリと部屋を覗いてみる。いや、全然マジでやましい気持ちはない。あったとしても圧倒的に心配が勝っている。もうマジでやばい。無理。おれの心が限界突破した。やばい。



「苗字さーん? ええーー……マジか…」



 おれ、漫画読みながら 人生で1回くらいはラッキースケベみたいな展開欲しいわーとか思っていたけど、こういうタイミングはマジでやめて欲しい。なに。もうなに? お前は おれをどうしたいの。いや、苗字は悪くない。悪いのは全て、米屋陽介である。今日は学校絶対に休みだから明日殺そう。明日マジで殺す。

 おれは苗字の散らばった服を見て大きく溜息をつく。いやまず、下着。何で、お前普通に男の家で下着脱いでんの? いや、良いけど。脱いでも良いけど隠せよ。いや、解るけど。お前が多分上に着てた滅茶苦茶張り付いてた上着とニットとタンクトップを脱ぐのに滅茶苦茶苦戦して、ああもう無理、って感じで取り敢えず俺のスウェット着て、意識飛ばしたんだろうなーってのは解る。解るけど、じゃあ、お前の下はどうすんの!!?



「なんだこれ、地獄か……」



 しかし、このまま放置すれば下に履いているビッタビタのズボンのせいで身体が冷えかねない。いやでも、おれが脱がすの? それアリなの? いいのかそれ。ダメじゃん、絶対ダメじゃん。一応、苗字って思春期の女の子じゃん。アウトすぎる。でも今まだ5時前……なんで おれ、5時前にこんな頭使ってんの。おかしくねえ?

 さあ、考えろ。おれに残された選択は2つ。放置か、脱がせるか。犯罪臭半端ねえな。なんだこの選択。脱がすってなに? おれ、人生でこんなに両親がいなかった事を後悔したことねーわ。ある意味良かったけど、多くの意味で最悪だろ。いや、でもジーパンだぞ? 脱がすっていったって絶対、苗字の下着の好みは解るだろ。いや、ブラジャー転がってる時点で、もう諦めてるか。いやならワンチャン。いや待て おれ。自分を正当化しようとするな。


「……」


 顔を赤くして、少しだけ体を震わせている苗字を見て おれは仕方ないので覚悟を決めた。取り敢えず、下着は干せば良いの? おれは、散らばる服を洗濯しておけば良いんだよな!? な!?

 苗字のジーパンのボタンに手をかけて、うわ、おれ やばいことしようとしてるやつじゃん、と頭を抱えた。もうおれが本部帰りたい。ここ、おれの家だよな!? なんで、こんなに居心地悪いんだよ!! 落ち着け、出水公平。コイツは苗字名前だ。クソ生意気で、馬鹿で負けず嫌いで可愛くない苗字だ。……いや、無理がある。コイツ、顔マジで可愛いもん。無理。無理無理無理。おれが無理。泣きそう。



「いや、マジごめん。最悪おれが貰ってやるから、マジごめんなさい」



 なるべく見ないようにしながらズボンを下ろして脱がし終わった達成感で一息ついてタオルを手に持って足を拭こうとして止まる。なんだこいつ、肌しっろ!!! あ、こいつ 確か軽い太陽アレルギーで毎日日焼け止め塗ってんだっけか、いや白ッ!! 違う! 馬鹿! おれ!!! なにガン見してんだ! 落ち着け落ち着け。苗字の足なんていつも本部で見てーーー……ねーよ!!!

 苗字いつも黒タイツ履いてるじゃねーか! 無理!!! おれが無理!! なんで おれの精神を試す試練こんなに用意してんだ!! いや落ち着け、もう後は足をタオルで拭いてベッドに連行すれば……ベッド!!! おれのベッドで寝かすの!? 犯罪!! おれがセコムに殺される!



「せん、ぱい……」
「!……苗字、お前大丈ーーー…だぁああ!?違う!これは別に疚しい気持ちがあって脱がせたわけじゃない!!」
「…えっち、です……ね」



 普段よりも顔が火照っていて、瞳はちょっとだけ 潤んでいて、もういっそゾクっとする程に艶めかしい。しかし、勘違いするな、出水公平。これは風邪である。決して、誘ってるとか そういうアレではないけれど、確かに コイツ、こんな可愛かったら そりゃあウチのクラスで学校のマドンナだなんて呼ばれるわけだ。そんな事を思いながら、足濡れてるから タオルで拭くな? と言って 頭を撫でてやると、苗字は 凄く泣きそうな顔をして顔を俯かせた。やめろばか、おれの理性を崩壊される気か。



「おれの布団でいい? おれのベッドが一番あったけーし……親の部屋は多分入ったらバレる」



 こくん、と首を縦に振った苗字を背中に乗っけて階段を登って自分の部屋のベッドに寝かせる。おれの部屋は他の部屋より壁やガラスが少し分厚い作りになっていて、まあ他の部屋より暖かい。それに加えて布団も軽くてふわふわだから 苗字がこれ以上喉がいたくなったり、とかはないーーーと、信じたい。

 時刻は5時30分。因みに、おれはマジで眠い。1階に降りて、エアコンの設定温度を元に戻して、それから苗字の衣類を洗濯機に入れる。流石にパンツは脱がせるのは無理だったけれど大丈夫だろうか。いやだって、パンツまで脱がしたもう完全にアウトじゃん。そういう事おっぱじめるやつみたいじゃん。いや、そういう問題ではなくて普通に人として無理だった。恋愛感情なくても無理だろ。ズボン脱がしたのだってアウトすぎるし。いや、そこまでやったなら、脱がせよ、とか思うけどハードルが違う。唯我と太刀川さんの力の差ぐらい違う。



「はあー、ドッと疲れた。ねみー」



 苗字も、まだ当分起きてこないだろうし、少し寝よう。そう思って目を閉じて再び目を開けた時はもう既に9時半を回っていた。学校あったらマジでアウトだった。良かった。昼になったら流石に起きてくるだろうか。朝は……まだ寝てるだろうし。昼にお粥で、夜は調べてなんか作ればいいか。つかおれ、お粥の作り方も知らねーよ。親いない間とかインスタントで済まそうと思ってたしなー。取り敢えず米を炊いておけば大丈夫だろうか。大丈夫だろう。

 朝は風邪に良いらしいホットミルク(蜂蜜と生姜のやつ)を気合いで作って、まあ飲めるなってくらいのやつが完成した。うん、結構美味い。



「おーい。苗字、なんか食う?」
「……しょくよく、ない…です」
「身体あったまったか?」
「まだ寒い」
「そう思って おれがホットミルクを作ってやったから、飲めそうなら飲んどけな」
「……出水先輩、お母さんみたい」



 いつもみたいな嫌味な感じではない苗字は何ていうか普通の……女の子、という感じだった。いつもそれくらい 静かで柔らかな表情をおれに見せてきていたのなら、おれも その他大多数と同じように苗字の事が好きだ好きだと騒いでいたかもしれない。大人しい苗字はマジで普段のウザいけど可愛い後輩ではなくて、こう、守ってやりたい可愛い後は…い……違う。何言ってんだ。落ち着け。おれも風邪がうつって 頭が回らなくなっているんだな、そうに違いない。

 おれは その後何を口走ったのか覚えていないけれど、ニコニコ笑いながらホットミルクを置いてサッサと部屋を出た。何だあいつ。心臓に悪い!!!!



「くぁあ〜〜!!めっちゃ可愛い!」



 なんだあいつ!! 本当に苗字名前か!!? あれか!? 苗字が好きな奴には苗字って普段からあんなに可愛く見えてんの!? おれなんて今日まで一度も苗字可愛いとか思った事ねーよ! いや、一回くらいはあるけど!! マジで誰か、誰かを呼ばねーと……しかし、あの状態の苗字を他の奴に知られるのもなんかムカツク。いや別に、良いけど!! いやでもなんか!!! とにかくいい。今はアレだ。昼飯を何粥にするかを考える事だけに頭を使おう。そうだな。それがいいな。でもやっぱ、定番はタマゴ粥だよなー。うちにあるのなんて、インスタントとかしかねーし、むしろ粥ってタマゴ粥以外に何粥が合うの? おれ、前に親にワカメ粥作って貰ったけど 体調悪かったからか普通に吐いたぜ? あれは、合わない。おれ的には合わない。

 ……なあ。滅茶苦茶 今更だけど、苗字っていま上の下着つけてないじゃん?てことは、何気なく背負ったけど、あれは……って馬鹿!! 落ち着けおれ!!! 今日何回混乱したら気が済むんだよ!! 落ち着け。落ち着け。落ち着け。



「ダメだ、もう1回寝ないと惚れる」



 アラームを1時間後に設定して寝た。はい、スッキリした。あー、危なかったー。あのまま起きてたら、考えすぎてセコムを敵に回すとこだったわ。あっぶねー。

 さてと、お粥でも作るか。グッと腕を伸ばして欠伸をしながら立ち上がりキッチンの前に立つ。調理実習以来である。料理なんて滅多な事つくらねーしなー。おれがやらなくても基本的に親とか姉ちゃんがやるから問題ない。つっても、あの姉は最近忙しくて家には帰って来ないし、一人暮らしも始めたようだから 今こんなことになっているのだ。まあ、いられても困るけどな。



「お粥って結構簡単に作れんのなー。うわ、おれ もしかしたら料理の才能あるかも、滅茶苦茶美味い。流石レシピ見ながらやっただけあるわ」
「出水先輩」
「のぉおわ!!? ビビった!!
 お前なんで起きてきてんの!?」
「お手洗いかしてください」
「あー……そこまっすぐ言って右」
「ありがとうございます」



 コイツと こんな淡々とした会話をする事になるとは。というか、女を家にあげる日が来るとは思わなかった。おれん家なんて三輪とか米屋くらいしか来ねえもんなー。場所くらいは米屋のせいでボーダー内には滅茶苦茶拡散されてるけど。でもまあ別に見られてまずい外観でもないから良しとする。ちゃんと人を選んで話しているようだしな。



「苗字、ついでにメシ食ってけよ」
「えっ……ご飯、つくってくれたの?」
「いや普通に作るだろ。使命感」
「……ご迷惑をおかけしました」
「別に気にすんなよ。まあ米屋は明日殺すけどな、アイツは明日即ブース行き」
「あはは」
「つか、お前 頭良いのに 何で台風の日に外駆け回ったん? マジで馬鹿なの?」
「何ていうか……学生の頃にしか出来ないことは今しないと後悔するかなーって」
「それ、もうすぐ死ぬ奴の台詞みたいだぞ」
「気を付けます」



 このようにして、おれの大変な1日は終わりに向かっていった。夜になる頃には熱も8度前半まで下がったようで、苗字も それなりに いつものように生意気な言葉が言える程度には回復していた。

 そして翌日。苗字は親に連絡して学校の休みを取った。まだ1人じゃ危ないとかなんとかいった おれは、苗字に家で待っているように伝えて学校を終わらせるなり早足で家に帰る。家に入ると、パタパタと足音が聞こえて「出水先輩」と、苗字が出迎えてくれる。おれは別に生涯結婚しなくても別によくね? という意見の持ち主だったのだけれど「おかえりなさい」と笑顔で迎えてくれる苗字を見ていたら、なるほど、こういう事があるから結婚したいとかいうやつが多いのか、と納得した。それから、ここだけの話、おれは昨日今日で知ったのだけれど、苗字は結構可愛い。










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Espoir