夏の暑さになんとやら
「えっ、プール!? しかも よりによって、あたしが防衛任務の日に態々プールに!!? 日付ズラしたり出来ないの!?」
「私達のスケジュールが偶々空いていたのが その日だけだったんですよね」
「な、なっ……」
「男女仲良くプールとは、とりまるくんも名前ちゃんも中々青春しているね〜」
「そうなんですかね……。まあ確かに、昔よりはーー…じゃなくて!! 実は今日は先輩方にお願いがあってきたんですけど……」
「お願い!? 名前が あたしに!?」
「正確には''アタシ達''だよ。こなみ〜〜」
私は本日何があったのか、簡潔に述べた。とりお達に施設内プールで一緒に訓練(という名の遊び)をしないかと誘われた事。水着は訓練用のものにしようと思っていたところ、真木さんに止められた事。現在進行形で水着に悩んでいるという事。細かい内容を話すのならば、まあまだ それなりに幾つかあったのだけれど、こんなところだろうと思う。
これらを全て聞き終えた先輩達は訓練という名目なのだから訓練用のものでもいいような気がするとはいうものの顔は完全に渋っていた。
「うーん、アタシは どうせなら可愛い水着を着てもらいたいって気持ちが勝っちゃうんだけど、小南は どう思う?」
「着て欲しいんだけど着て欲しくない……でももし あたしが誘った時に訓練用で来られたら嫌だから やっぱり着るべきだと思うんだけど、着て欲しくない……難しい問題ね…」
「でも名前ちゃんが水着を着るとなると、水着選びに勿論協力するだろう小南の好みの水着を着てもらえるかもしれないよね」
「えっ!? それならーー……じゃない!! あんたのそれ完全に誘導してるじゃない!!」
「あれっ、バレちゃった?」
「〜〜〜〜ッ、わかりやすく誘導されるところだった……ま、まあでも? 水着選びなら協力してあげてもいいわよ!!?」
「……えっと、ありがとうございます」
私は この時の小南先輩の顔は反則であったと今でも言える。それくらい目が輝いていた。しかも、可愛かった。
故に、あの時の私には間違いなく、拒否権などというものはなかったと今でも思う。
▽
見慣れた街がまるで全く別のもののように見えてしまうのは、夏のせいだろうか。それとも、全く別の理由だろうか。私はおそらく後者だと思っている。もちろん、前者を完全否定するつもりはないし、それも理由としては挙げられるのかもしれないけれど、この私に突き刺さる数多の視線。私は今日まですっかり頭から抜け落ちていたのだ。小南先輩が超絶美少女であるという事が。しかもだ。只でさえ いつも可愛いというのに、今日は何故だか滅茶苦茶気合を入れているようで、女の私から見ても いつも以上に可愛いと思うほどだ。これはもう本当に可愛いとかそんな言葉で表していいのかもわからなくなるレベルである。
神様の作り出した芸術品。私の中のじゅんじゅんのレベルに匹敵する。兎に角可愛すぎるし、しんどい。隣歩く私がしんどい。加えて、宇佐美先輩もなんか相当可愛いし、エッ、水着選びに来ただけなのに もうなんか既に帰りたくなってる〜〜。なにこれ。初めての経験なんだけど。
「やっぱり、名前といえば イメージカラーは赤!! ここは攻めないとね!」
「でも、名前ちゃんの肌の白さを考えると暗めの色もいいかな〜〜って」
「つまり、ワインレッドね!!」
「赤からはなれないんだね」
「当たり前じゃない」
しかも小南先輩は冬島隊の隊服の色でもある赤色が私にとても似合っているという評価しており、結構大胆な赤の水着を手に取っている。やっだ〜〜、小南先輩ってばえぐ〜〜い!!! しかも面積が少な〜〜い!!! ついこの間まで中学生だった私になんていうものを着せようとしているの!? 布の面積みていますか!!!?
「あ、あの小南先輩が選んでくれている水着なんですけど布の面積が少なすぎるかなあ〜〜なんて思ったりするんですけど」
「大丈夫よ!! 名前ってBはあるでしょ?」
「地味にリアルなサイズ言われると ちょっと地味に傷つくんですけど……Bなかったらどうするんですか……私泣いちゃいますよ…」
「平気平気! 名前は着痩せするタイプだからって太刀川が言ってたし」
「それ間に受けないでくださいよ」
これはもう宇佐美先輩に期待するしかないのかもわからない。私的にはフリーサイズの場所にある水着なんかが安パイかな〜〜なんて思っているわけなのだけれど、小南先輩はオススメ水着コーナー(ビキニのみ)にいる為 恐らくフリーサイズの水着が置いてある場所には行かないだろう。ていうか、高校1年生がビキニって……きょ、教育上悪いでしょ!?
そりゃあ、私だって木虎ちゃんや香取ちゃんくらい立派な胸が付いていたのなら話は別だけれど私は平均。そう、平均的なサイズだから あんな布の面積が小さい水着は着用できない。
「名前ちゃんこれなんてどうかな」
「それよりこっちのが可愛いわよ」
「私は こっちのフリーサイズの水着みたいなのが良いと思うんですけど……」
「それじゃあ 訓練用のと大差ないじゃない」
「でも一応名目上訓練なのにお洒落なのを選ぶのも1人だけ舞い上がっているみたいで ちょっと恥ずかしいというか…」
どうしても布面積が小さい水着は嫌だと渋る様子の私に小南先輩と宇佐美先輩は顔を合わせて目を細めた後に このように発言した。女の子をプールに誘っておいて本当に訓練なんてするのか、と。まあ私個人は遊ぶ気満々だけれど、名目上は訓練なのだから やはりするだろう。だってとっきーいるし……。しかし、小南先輩は続ける。
私と佐鳥ちゃんは狙撃手なんだから訓練をやると言っても体力づくりとかでしょ、と。確かに。私は少しだけ小南先輩の意見に賛同してしまった。とりお達は遠距離から自分の姿を隠しての攻撃ではないから水中で動き回ったりして機動力を高めるという方法もあるけれど、私と佐鳥ちゃんは やったとしても、ひたすら泳ぐ、とかそんなんだろう。あれ? それならかえってビキニとかのが動きやすい? 私の脳みそは一周回って通常辿り着くことのないだろう奇跡の回答を導き出した。しかし、私は それでもまだビキニには傾いていなかったーーのだけれど。
「いい!? この水着は今度あたし達とプールに行く時のための水着でもあるんだから後悔しないように決めないと!」
「へ? あたし達って……?」
「あたしと准でしょ? それから二宮さん達も誘って施設内プールに申請出して貸し切って遊ぶの! 楽しそうじゃない?」
小南先輩のこの言葉を聞いた瞬間。
私の意見は完全に傾いたのだった。
だって仕方がないじゃあないか。じゅんじゅんがいるのにダッサイ水着を着るなんて そんなことが出来るはずがない!! それに二宮さん達も誘うなら「似合うな名前」くらいは言ってもらいたいし……しかし、意見を変えた私が言うのもなんだけれど 小南先輩の誘導の仕方エゲツない。それに気付いていないからズルイ……。
「やっぱりこれ、目立つよね……」
隊員が施設内でのプールを使用し始めるようになるこの時期に、その流れに乗って自分達もまた今年の夏を少しでも満喫するべく施設内のプールで訓練しよう(たまには遊ぼう)と言う訓練の約束がまさか こんな事になってしまうだなんて誰が想像したのか。
まあ、水着に関しては流された私も悪いのだけれど やはりビキニというのはハードルが高すぎたよなあ、なんて今更後悔している。その為、勿論パーカーは着用した。私の露出なんて誰得だよって話だよね。これに関しては随分と昔に犬飼先輩に言われたけれど、全く同意である。
「あれ、苗字が1番?」
「佐鳥ちゃんは2番目だね!
いやあ、でも安心した〜〜!」
「え? なにに?」
「皆が訓練用の水着出来たらどうしようって思ってたから。私だけ気合い入れてるとかみたいになったら なんか嫌だし……」
「いやでも、その割に苗字は場に似合わずガッツリジャージ着てるじゃん」
「だ、だって……よく考えてみたら皆の前で黒タイツ脱いだ事ないから 勇気が出なかったんだもん!! 恥ずかしい!」
「…………苗字本当に無理……」
「えっ!? 急に悪口!!?」
最近隊員が施設内プールを使用し始めたとは言っても それはあくまでも、通常時よりは、である。それなのにも関わらず、どうして今日に限って それなりに混み合っているのか。
やっぱり とっきーの言う通りに貸し切りの申請でも出しておけばよかっただろうか。
「今日なんか人多い?」
「苗字が広めたからじゃない?」
「私、仲良い人にしか話してないけど……とりおが来るからかな? 今日女の子多いし」
「あー、女子って情報掴むの速いよね」
「本当にねー、私には回ってこないけど」
「苗字は学校に限定して言うなら香取に嫌われてるから仕方ないじゃん」
「本当に嫌われすぎだよね。それもこれも とりおのせい。本当にイケメンって罪だ」
「可愛すぎるのも罪だと思う」
「わかる。綾辻先輩とか罪深いよね」
「先輩は そういう目で見たことないけど
確かに人気ある気がする」
「当真先輩も可愛いって言ってるし」
「苗字も言われてるじゃん」
「いや、お世辞はいらない」
佐鳥ちゃんと仲良く談笑していると少し遅れてとっきー、それから とりおが漸く姿を見せた。勿論、嵐山隊のとっきーと とりおは普通にーーーというか、かなり人気者なので直ぐにわかった。
女の子達の視線を2人じめしたからね。全く流石である。それに2人はイケメンにプラスでA級の肩書きをお持ちですからね。特にとりおは滅多に本部に顔を出さないから本当に こんな所に来るなんて珍しいし、そんな奴だからこそ凝視してしまう女の子の気持ちはわかる気がする。いや、私には解らないけれど。
「苗字。お前、こんな時まで
そんな格好をしてくるなんてギャグか?」
「私は烏丸京介くんみたいに良い体してないから見せられないんです〜〜」
「此処に何しに来たんだ?」
「遊びに来たんだよ!!!」
「烏丸、苗字。取り敢えず その話は後にして先に準備体操にしない? 折角来たんだから、どうせなら長く遊びたいじゃない」
ああ、でも後で話すんだね……。
準備体操を開始する とっきー達と一緒になって それを開始しながら私は思ってしまう。確かに知り合いが この場に あまりにもふさわしくない格好をしているのだから とりおの言い分も解らなくはない。私も今思えば、パーカーだけにしておけば良かったと思っているのだ。こっちが勝手に こんな格好して変に意識して来たから脱いだ時に変に意識されそうだし、正直なところ 脱いでも良いけど、何も言わずにプールに入る流れになってほしい。そう、それがいい。それなら私も全然脱ぐし。本当に失敗した。
やっぱり仲良くなくても香取ちゃんとか誘って恩を売るふりをして視線を全て香取ちゃんに集めるくらいの作戦考えて此処にくるべきだった。
「あ、いたいた。名前ちゃんせんぱーい。遊びに来てあげたよー」
ひらりひらりと右手を振りながら、にこにことした笑顔で漸く準備体操を終了させた私のところに やってきた緑川くんに私は何故 彼がこんなところにいるのかというのを考えてしまう。
確か私は緑川くんにはプールに行くなんて言っていないような……。それなのに、どうして私が此処にいるとわかったのだろうか。まあ差し詰め、誰かに聞いて来たのだろうけれど。出水先輩とか。迅さんとかに。
「……ていうか、その格好はなくない? なんで上下完全に露出ガードしてるの?」
「いきなり来ておいて それは酷いよ」
「いやだって、いま本部で名前ちゃん先輩が滅茶苦茶可愛い水着でプールにいるって噂が広まっててさ、太刀川隊とか凄かったよ」
「太刀川隊?」
「そうそう。オレは今日フリーだけど、太刀川隊は任務入ってるから全部隊に掛け合って代わってもらえないかーって聞いて回ってるらしいよ。オレ達は断ったけどねー」
何それこわい。
太刀川隊の人(どうせ出水先輩)は どうしてそんなに必死になって任務を代わってもらおうとしているの? いやでも、それよりもずっと気になるのは私に対しての悍ましい噂が広まっている? 本当に? 誰なの。誰が そんな悪意ある事を広めているの? ボーダー本当に怖い。苗字いじめが凄まじい。変なハードル上げないでよ。
「そうだ。先に言っておくけど、この水着は今度じゅんじゅんと二宮さんと行く時のプールの為に選んだんだからね」
「名前ちゃん先輩のそれ、逆に 貴方のために買いましたみたいに聞こえるよ」
「強いて言うなら じゅんじゅんに見せる為に買った訳から下心はあるけど、決して とりおに対してではないよ」
「俺に見せる為に水着を買われても困る」
「きみの為に新着する水着なんてないからね。実際に私は今日訓練用水着で来ようとしていたし」
「……名前ちゃん先輩女子力皆無なの?」
「う、うるさいな……。だからちゃんと今日は気合い入れて来て上げたじゃん」
「いやそれガッツリ上下露出ガードしてる人の台詞とは思えないよ、オレは」
「うるさいなあ、お父さんって呼ぶぞ」
「うわっ、圧倒的にセンスがない」
苗字が水着の上に着用していた服を脱いでから綺麗に畳んでビーチベッドに置く。この一連の流れをおれ達は言葉を発することもなく、ただ眺めていた。正確に言うのならば その一連の流れに魅入ってしまったのかもしれない。苗字が上に羽織っていた羽織を脱いだ時に漠然と、ああ、なるほど。これを着ていたら苗字なら渋るだろうなと納得して、それから なんとなく視線を周りへと移した。此処は基本的に訓練をする為に設けられた場所だからと言う理由で動きやすいようにと作られた水着を着用する人と現在の苗字のように自分の家から持ってきた水着を着用するという2つのケース分かれる。大体1人で此処に訪れる人は前者。友達などとくる場合は後者。今日に関していえば、プライベートの水着を着ている人が多いように思う。
「ねえ、競争しようよ」
いち早く水の中へと体を入れた苗字に緑川が楽しそうに提案した。苗字は「負けた方は罰ゲームが欲しいよね」と提案に乗っかっている。動ける緑川が運動神経の抜群にいい苗字に提案したのも、楽しい事が好きな苗字が提案に乗っかったのも至極当然の事だったのかもしれない。故に、2人の競争は何の障害もなく、あっさりと決行が決定した。
「あ、あのさ!! 苗字!!!」
「佐鳥ちゃんも一緒に競争する?」
「えっ、あ、いや、おれは審判やる」
「本当? ありがとう!」
果たして何を言おうとしたのか。佐鳥が肩を落として おれと烏丸に「おれ達で審判やろう」と渋い顔をして言う。あんまりにも情けない声で言うものだから、おれも烏丸も顔を見合わせて黙って佐鳥に視線を送った。
審判と言ってもスタートの指示を出す人とゴールの順番判定と2種類あるので、おれと佐鳥が判定、烏丸がスタート指示という役割を請け負うことになった。烏丸はスタートの指示を出す役割だから苗字達と向かう方向が同じで緑川と楽しそうに苗字に何かを言っていた。
「行動しないと取られるよ」
漸く目が合った。
おれと視線をぶつけた佐鳥に「苗字、可愛かったね」と敢えて話題を振ってやると可笑しいくらい耳まで赤く染まった。これは ちょっと分かり易すぎると笑っていると佐鳥は「笑い事じゃない」とおれの肩を両手でしっかりと掴んで揺らした。
「とっきーは、なんとも思わないの?」
「例えば?」
「例えば……色々ヤバイ、とか……」
「それは苗字に失礼じゃない?」
「悪い意味じゃない方のヤバイ」
「苗字だって もう高校生なんだから水着くらい好きに選ばせてあげなよ」
「いいんだけど 心の準備が出来ない」
「佐鳥の心の準備の為に苗字が動いてたら それこそストレスでしかないじゃない」
けれど、佐鳥の意見が全くわからないと言うわけでもなかった。おれ自身、苗字は訓練用のものを着てくるか、もしくは もう少しくらいは控えめなものを着てくると想像していたからだ。まあ誰かに相談したのだろうと言うことを考えるのならば 押しに弱く、流されやすい苗字なら こうなるということも十分に考えられるのだけれど 正直一番可能性は薄いと思っていた。
だからと言って、別に少し驚いたくらいだし、隣で佐鳥くらいのオーバーリアクションをされているからか冷静でいられた。苗字だって女の子な訳だし、そういう水着を選ぶ事もあるだろう。同じ学年の香取なんかも染井と此処に行くと話していた時には結構大胆なものを手に持っていたと思う。
「佐鳥、意識しすぎると引かれるよ」
「前に出水先輩がビキニと下着の違いが解らないって言ってた意味が解った気がする」
「そういう目で見てると意外と伝わるらしいけど、苗字はどうなんだろうね」
「想像の斜め上に行く苗字も悪い」
「いや苗字は悪くないでしょ」
会話に区切りがついたところで、苗字達に右手を挙げて 此方側が準備OKのサインを出すと烏丸の持っていたホイッスルの音を合図に緑川と苗字が同時に壁を蹴って水の中に潜った。
2人が泳ぎ始めると、佐鳥は漸く冷静になったのか、2人の拮抗する競い合いに感嘆の声をあげていた。殆ど互角のスピードで水の中を進む2人の均衡を崩したのは緑川だった。運動の類は得意であるということは知っていたけれど、うちの学校でもトップクラスのスピードを誇る苗字を追い越す程だとは思わなかった。体の大きさだけ見るのならば、大きなハンデだとはいえないけれど 少なからず不利だとは思っていたのだが 緑川は結局最後まで1番を守ってゴールした。
「うっっわ!! はやっ!! 名前ちゃん先輩の体育祭での活躍聞いてたから 運動できるのは知ってたけど速すぎない?」
オレいま測ったら 自己最高記録だったと思うんだけど、とビーチベッドに倒れこんだ緑川が苗字に言うと「苗字も私も初めてこんなに本気で泳いだかもしれない」と言って、水から上がると緑川の倒れ込んだビーチベッドの側で座り込んだ。底知れぬ体力だと、オレ達のクラスで有名な苗字が此処まで本気の競い合いを出来るのなんて体育祭での色別対抗リレーか、緑川が相手のときくらいだろう。
そういえば前にも2人はバスケットボールで遊んでいた事があった。その時は確か、良く覚えていないけれど、出水先輩達もいて最後の最後にスリーポイントを決めた苗字のチームが狡いと言われながらも勝利したのではなかっただろうか。おれと苗字が話すようになって直ぐくらいの出来事だから6月とかだっただろうか。
「名前ちゃん先輩、トリオンも多いし 動けるんだから オレと一緒に攻撃手やろうよ。先輩なら完璧万能手もイケるんじゃない?」
「前に やろうとしたらさ、先輩達に卑怯だって言われたから 手を出してないんだよね」
「卑怯だけど 滅茶苦茶強くなれるでしょ、まあまず向かう所敵なしだよね」
「本当に? 今度やってみようかなー」
「えっ!? その時はグラスホッパー教えてあげるから オレの事も誘ってよ」
「あんなに渋ってたグラスホッパーをこんなに簡単に教えてくれるなんて……」
水分補給をすませた緑川は「ちょっとそれは失礼すぎない?」と唇を尖らせ、ビーチベッドから起き上がると苗字の手を引いて 勢いよく水の中へと飛び込んだ。水の中に入る準備をしていなかった苗字は緑川とは対照的に水の中に入るというよりは沈んでいた。
ごめんごめん、と苗字の手を引いた緑川が苗字を支えて立たせると 再び全身がずぶ濡れになった苗字が咳き込みながら、緑川に文句を言って 水しぶきを飛ばしていた。
「行動しないと後悔するんじゃないの」
視界に飲み物と羽織を手に持ってきた烏丸を捉えて、おれは佐鳥に もう一度だけ追い込みをかけた。
けれど、佐鳥は自分は別に苗字の方が好きなわけではないと歯切れ悪く口にした後に、それに例えば好きだったとしても おれと烏丸が協力してくれれば、と甘い事を小言で言う。佐鳥が そんな事を言っている時に烏丸は苗字に恐らく更衣室から持ってきたのだろう自分の羽織を渡していた。首を傾げる苗字に烏丸が無理矢理羽織を着せたところで女子ばかりだった この空間に自分達以外の男が楽しそうに入ってきた。
「そういえば、どう? 黒タイツを脱いだ私の足の感想は!! ちょっと筋肉つきすぎかなとも思うんだけど……」
「オレは筋肉質な方が好きだし、名前ちゃん先輩は変なところ気にしすぎじゃない?」
「えっ!? 本当!!?」
「ほんとほんと」
「……まあ、いいんじゃないか?」
別に おれはいいんだけど、そうか。
佐鳥にはおれ達が苗字にしている ああいう態度のひとつひとつが、ただの友達に向ける対応に見えるんだね。もちろん、それでも構わないし、佐鳥が そういう態度でいられる理由もわかる。おれも烏丸も別に苗字の方が恋愛的な意味で好きだと聞かれたら違うと答えるだろうから。たしかに、おれ達の中には苗字に対しての恋愛感情はまだない。烏丸はどうだか知らないけれど。でも、おれ達はあくまで男女な訳で その関係、感情がいつどのタイミングで切り替わってもおかしくはない。でも、早くその事実に気づかなければ、手遅れになるかもしれない。
佐鳥は甘く考えすぎている。
木虎は佐鳥と苗字を見つけると、よく「早く行動すればいいのに」と小言を漏らしている。実際、そうするべきだとおれも思う。おれ達は他の人よりも ずっと有利な条件を持っている。けれど、それだって ずっと続くわけではない。佐鳥は知らないかもしれないけれど、苗字は あれで結構人気がある。今だってそうだ。圧倒的に女子が多いこの空間だからこそ解りづらいというだけで、苗字を見ている輩は結構いる。
「早く気づけるといいね」
佐鳥が おれに視線を向ける直前に、苗字がおれたちの名前を呼んだ。プールの水の中で烏丸と笑い合う苗字の隣に気づけば緑川の姿はなくて、見つけたかと思えば、いつ誰が持ち込んだのかもわからないというボックスの中で いつかみた水球用のボールを持った緑川がおれ達に「先輩達もやるでしょ?」と楽しそうに口にした。水球なんて殆どルール知らないけどなんて思いながら水の中に入ると、隙あり、なんて言って苗字がおれ達に水しぶきを飛ばした。
子供じゃないんだから、と唇を動かして苗字の方に視線を向けると水しぶきのせいで 苗字がキラキラとして見えた。それから ちょっとだけ下に視線を落とすと、烏丸の貸した羽織りは ベッタリと苗字の張り付いていて本来の目的としての役割を もう殆ど果たしていなかった。けれど、その事実に口を挟むような無神経な人間はここにはいないし、敢えて言うような事でもないので おれも口を噤んだ。
[Espoir]