心配は目に見えない
危ない!!という声は聞こえたけれど、まさか私達に言っているわけではないだろうと思い、無視を決め込んで 体育館で行われている A、B組合同のバレーボール対決を周りの女の子達と観戦しながら わいわいと盛り上がっていたところに事件は起きた。不注意だった観戦組の私達女子が悪かったのか、それとも、勢いよくバスケットボールを放り投げた男子が悪かったのか。右隣の女の子の頭を目掛けて飛んでくるボールを私が代わりに頭で受けたのは その疑問の答えを私が導き出すよりも前だった。
私の頭とぶつかったバスケットボールは鈍い音を立てた後に 地面に転がった。騒がしかった体育館が一瞬にして静まりかえるのと殆ど同じタイミングで私の右に座っていたクラスメイトの女の子は私の顔を心配そうに覗き込んだ。「大丈夫?」なんて、おどおどして 更には目に涙を溜めながら言われてしまえば 私の返せる答えなんて 例え 実際は大丈夫ではなかったとしたって ひとつしかなかった。「平気平気」と元気よく笑って言うと 隣にいた女の子は安心したように息をついて笑顔を返してくれる。うん、良かった。良かった。私の頭は痛くてたまらないから、私個人としての意見だけを述べてもいいと言うのならば 今このタイミングで保健室へと向かうことができなかったのは全く良くないのだけれど。
「ねえ、名前ちゃん」
ああやっぱり保健室に行っておけば良かったという後悔は私の思っていたよりも ずっと早いタイミングで訪れた。体育の終わりに教室までの廊下をいつものように歩いていた時、友人の方に首を動かした時に ぐらりと視界が揺れた。そして そのまま床に膝をついた時なんて、もう一生立てないのでは、なんてあるはずもないことを考えて 物凄い恐怖に駆られたほどだった。恐怖で頭が一杯になりながらも側を歩く友人の授業の出席点のことを気にする程度の冷静さは カケラほど残っていたようで、友人に「私保健室行くから先に教室に戻って」と笑った。ここで 笑えた私の精神力を褒めて欲しい。
廊下で1人座り込んでしまっている私は この状況と諸々の事情故に泣き出しそうだったけれど、ポケットの中の携帯で当真先輩と連絡を取れた事からなんとか泣くという滅茶苦茶目立つ行動だけは避ける事に成功した。もちろん、涙を流さなかったというだけで 座り込んでいる私は次の時間体育の授業がある他学年だか他クラスだかの生徒達の注目の的だった。でも、うん。この日ばかりは、ポケットの中に常に携帯を突っ込んでおく、という生徒指導の対象でしかない行動をしていて 更には それを習慣化までさせていた私という人間を褒めてやりたい気持ちでいっぱいだった。
「なにしてんだ、お前は」
なにしてんだってメールで全部私の今日1日の出来事全部赤裸々に送ってやっただろうが、と言ってやろうと顔を上げた瞬間に涙腺が崩壊した。止めどなく溢れる涙にギョッとした当真先輩は辺りをキョロキョロと見渡して 誰もいないことを確認すると 私の隣に腰を下ろした。なんで先輩、当たり前のように座っているのだと言ってやろうと顔を上げたけれど、ただ顔を上げただけで、実際に口から出てくる言葉は「立てないどうしよう」だとか「頭がぐわんぐわんする」だとか そういう言葉だった。しかも、泣きながらだから私でも何を言っているのかというのが 全く理解出来なかったし、なんなら、そもそも 高校生にもなったのだから もっとちゃんとした言葉でわかるように伝えられただろうと後になって思う。
ようやく落ち着いた頃には当真先輩が此処に来てから十数分が過ぎていた。当真先輩は私が泣き止んだのを確認すると ゆっくりと立ち上がって私に手を差し出した。差し出された手を右手で強く握ると思い切り手を引かれて その勢いのまま立ち上がることが出来た。それを見た先輩が「なんだ、立てるじゃねーか」と笑うから、私は目線だけ先輩に向けて「ありがとうございます」と、ズキズキと痛む頭を抑えながらも先輩に笑って言葉を返した。そして、後に この光景を見ていた生徒によって3年生のリーゼントが1年生の女の子を泣かせていたなんて噂が流れることになるのだけれど、それはいつかお話ししようと思う。
先輩に手を引かれてやってきた保健室で椅子に座らせてもらった私は今の私の状況を説明する当真先輩を眺めながら、この人は相変わらず話が上手いなあという感想を抱く。私の状況も説明しつつ、自分もついでに早退するというような話に纏め上げた時は流石に凄いなと思った。まあ、私のお母さんが病院には付き添えないだろうからというのを当真先輩も保健室の先生も知っているからこその結果なのだとは思うけれど。それでも、その話のもっていきかたは流石としか言いようがなかった。
「冬島さんが車出してくれるってよ。まー、車が到着するまで座ってな。荷物は仕方ねーから 俺が持ってきてやる」
「えっ、うちのクラス今授業してますよ」
「だってお前立てねーんだろ」
「もう立てますよ」
「そういう時は任せちまえばいいんだよ。お前は人を立てるって事も知らねーのかあ?」
そんな言葉を残して保健室から出て行った当真先輩の背中を見送る私に保健室の先生は「あらまあ、青春ね〜〜」と、年頃の女の子みたいに にこにこと可愛らしい笑顔を浮かべている。そんな先生に、いつもは こんなに優しくないんですけれどね、と言ってやろうかと思ったけれど その言葉が私から発せられることはなかった。きっと、私は この時 私が思うよりもずっと身体へのダメージが大きかったのだろう、と考えた。けれど実際は身体のダメージなんかよりも あの立たなかった数分間が心に与えたダメージの方が数倍も大きかったに違いない。数分もすれば私の荷物を持った当真先輩が戻ってきて、当真先輩は先生と二言三言、言葉を交わすと私を背中に乗せて外に停めてあるという冬島さんの車に直進した。車の後部座席に座った私と当真先輩はシートベルトを締めて冬島さんに現在までの経緯と症状を簡単に説明した(当真先輩が)。ざっくりとした説明ではあったけれど、それなりに まとめられている当真先輩の言葉を聞いた冬島さんは「軽い脳震盪か?」と赤信号の際に こちらを振り返り 当真先輩に尋ねて、当真先輩は携帯で脳震盪について検索をかけると「……こんなに酷いか?」と言葉を返した。少し悩むようなそぶりを見せた後に当真先輩は私の方に携帯を向けて「こんな症状あったか?」と珍しく神妙な面持ちで私に問いかけた。いつもこれくらい真面目だったらいいのにと考えながらも 項目を確認して「ああ、そういえば ふらついて しゃがみ込んで直ぐに下半身の痺れが少しあって そのまま座り込んでから立てなくなったような」と呟くと「まー、一応 医者だなー」と冬島さんと当真先輩は確認しあっていた。
病院に到着して直ぐに お金の心配はするなよ、給料から引いておくからと冬島さんに言われて、肩を落とすけれど そういって冬島さんは私の給料から 私に関するお金を引いた事がないことを私は知っているから 物凄く申し訳ない気持ちで一杯になった。その後 まるで流れ作業かのように順調に診察が終わって、結果は本当にそうなのかはわからないけれど、(冬島さん達が軽い脳震盪だと思うのですけれど、と。お医者様に圧をかけたおかげと それらしい症状も見られていたからという理由で)軽い脳震盪だという診断結果に終わった。その後、ボーダー本部の上層部の人達に 私の診断結果を冬島さんが伝えたおかげで 私の防衛任務は一週間と少し丸々なくなった。もしかしたら、これが目的で圧をかけたのかもわからないけれど、その圧力を上層部にもかければ 全く同じ結果になったのではないか、とも思わなくはない。しかし、冬島さんと当真先輩の圧のかけ方は凄かったな……顔が、怖かった。病院の方に申し訳なくなったよね。
「つーか、お前。どういう授業してたら バスケットボールが頭に当たるんだよ」
「バレーボールの応援に熱が入って 周りが見えなくなっちゃいまして……」
「まー、やった相手は今頃とっきーあたりが絞め殺しているだろうから大目に見てやるが……次やったらカゲを送るか」
「なんですか、そのエゲツない人選は」
「安心しな。カゲはダチは大切にする奴だ」
「心配しているのは私の身の安全ではなくて、相手方の身の安全なんですけれどね」
ボーダー本部に一度顔を出すように、と忍田本部長に言われただとかいう理由で本部へ向かう帰り道に、ふと、携帯を確認すると 凄く多くの連絡が届いていた。お昼休みに私がいなかったからという理由で佐鳥ちゃんに伝わって佐鳥ちゃんからあらゆる人に伝わったのだろうなあと考えて、返事を返すのは後にしようと携帯を閉じた。
意外だったのは、私なんかとは全く接点のない小南先輩と太刀川さんからのメッセージが他よりも圧倒的にたくさん送られて来ていたことだろうか。というよりも、いつのまに私の連絡先を知ったのだろう。まあ、出水先輩と、とりおが教えたのだろうけれど連絡までくれるとは思わなかった。なんで私、こんな凄い人達に心配されているのだろうか。あ、もしかしてこれは風間さんからも来ているのだろうか? もちろん、来ていなかった。
「そうだ、当真先輩、冬島隊長。 今日は迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい」
冷えている お水を頭に当てていた手をペットボトルごと膝の上に移動させて、頭を下げると先輩と冬島さんは目だけで会話をするという素晴らしい技を披露した後に互いに頷きあっていた。一体どんなコミュニケーションを取っていたら このレベルにまで到達できるのだろうか。もしも、真木さんも この2人のアイコンタクトコミュニケーションに混ざれるというのならば いよいよ冬島隊結成メンバーの絆の深さを感じて私は凄く悲しくなるのだけれど。相変わらず、冬島隊は私以外の仲が恐ろしくいいので 私は謎の疎外感を日々感じざる得ない。
そのように考えていると、私の頭の上に当真先輩の大きな掌が乗っかった。当真先輩の手は私の座高を縮めたいのかと思うほど強い力で私の頭を圧し潰すかのような力で撫でるけれど、これももしかしたら 握手する時に力を込めるのは信頼の証である、と考える外国人と、握手をする時に力を込めるのは威嚇行動だと考えている日本人の異文化の考え方の違いこようなもので当真先輩的には この私の座高を縮めたいのかと私が考えてしまうほどの謎の力の入れ具合は好感の表れだったりするのだろうか。……いや、ないな。
「俺も隊長も別に迷惑だなんて思ってねーよ。寧ろ お前は月曜には勉強会、暇な日はバイトに防衛任務、心配になるくらいだぜ」
「俺達は苗字に頼ってもらえて嬉しいと思っているし、勝手に一人で抱え込まれるコトの方がよっぽど迷惑だ。うちの奴等は お前ら みんな倒れるまで無茶するからなあ……」
「その筆頭はアンタとコイツだけどな」
「…………さて。 まあ、苗字は疲れを溜め込みすぎると視野が狭くなるところがあるから ほどほどに休憩しなさいや」
「えっ、でも今回のは……」
「察しが悪いんじゃあねえのか。わかってんだろ、本番に『次』は ねーんだ。偶には隊長に甘えて休んでおかねーといい加減お前 真木ちゃんにブチ切れられんぞ」
ーーー……それに、お前がいなくても 俺達は強い。お前のいない1週間程度の期間なら 俺達だけでなんとかやっていける。
当真先輩のその言葉は私には どうしても『お前がいなくても別に良い』に聞こえてしまう。もちろん、当真先輩が そんな風に考えるような人ではないと言うことは知っている。けれど、それでも暗くなってしまいそうになる顔をなんとか明るくしようと「わかりました!」と返事をしようとした時に冬島さんが「当真、言い方がなってねえだろ」と、聞いたことのないくらい冷たい声で当真先輩を咎めた。その言葉に私の頭に乗っかっている当真先輩の手は私の頭から離れて先輩の顔に当てられる。
「はー……1週間だけなら大丈夫だって話で ずっと帰ってこないってのはなしだからな、苗字。 俺達は
「エースは自分じゃあないですか」
「うちのウリはエースの2人体制なんだよ」
「なにそれ変なの」
「安心しな。 学校でも本部でもお前が一週間安静に過ごせるように手を回してやる」
「逆に安心できないんですけど」
まずは出水と米屋を動かして……、なんていって 恐ろしいほど淡々と誰を使うのか、どうするのか、という事を冬島さんと話し合う当真先輩達に、トリオン体になったら関係なくないですか?とか そんなことは そもそも言い出すことができなかった。思い返してみれば、当真先輩は月曜に勉強会暇な日にバイトだとかいう言葉を口にしていたから私の肉体そのものの休暇を必要だと考えているのかもしれないし、今考えると 口に出さずに留めておいたのは正解だったかもわからない。正解だったのだとは思う。
本部に到着すると忍田さんと沢村さんが並んで立っていて、鬼怒田さんがものすごく心配していたし、自分達も凄く心配した、というような事を口にして「これからは誰かを庇うのは大切な事だけれど 頭でボールを受けるくらいなら相手を突き飛ばすようにしなさい」と、とてもボーダーの本部長と本部長補佐からの言葉だとは思えないような言葉がいくつも聞こえてきてびっくりした。ちなみになのだけれど、誰かを庇ってボールを頭で受けたという情報を忍田さんに報告したのは嵐山隊の時枝くんらしい。ちょっと、とっきーなんて報告をしてくれているの。なんなら、すぐ横から滅茶苦茶五月蝿い声で佐鳥ちゃんが喚いていて大変だった(私訳)と沢村さんが教えてくれた。高校一年生が 沢村さんにそこまで疲れた顔をさせるくらい喚いたのか、凄いな……。沢村さんって結構面倒な仕事を日々行なっているイメージが私にはあるから凄さがさらに強調されるよね、実際どのくらいのものだったのだろう。私も聞けるものならば、そのやり取りをききたかった。後に そのように当真先輩に話すと佐鳥と会ったら聞けるんじゃねーの、なんて返された後に「お前今日から1週間ボーダーに来ても良いけど忍田さんにお前と一緒にいて貰う事になったから」なんてサラリととんでもない言葉を発されて私は一時停止した。うわあ、最悪だ。何もできないじゃあないか、と私は その時頭を抱えたけれど、意外にも私と忍田さんは その1週間の間に恐ろしい程に意気投合し、後にラーメン同盟などという愉快な同盟を一緒になって結成する。さらにいうのならば、その年のお正月には当真先輩等を含む私達ラーメン同盟で盛大な年明けを共に迎えることになるということを この時の私はまだ知るよしもないのであった。
「げっ、お前のせいで 真木ちゃんから滅茶苦茶メッセージ来てるじゃあねえか」
「えっ……ま、真木さん 怒っていますか?」
「いや、お前には怒ってねーよ。 例え 怒っていたとしても今日くらいは俺と隊長でなんとかしてやるから安心しな」
「ありがとう、先輩〜〜!!!」
「隊長、こいつは忍田さんに預けて 真木ちゃんが来る前に 軽く『オシゴト』しようぜ」
「お前は本当に おっかねえな……」
「アンタには言われたくないね」
[Espoir]