夏の亡霊とユートピア



 灰原雄は運がいい。

「あっ。見て見て、二人とも〜!」

 じりじりと蝉の五月蝿い夏の放課後。炎天下の中、立ち寄ったコンビニで買ったアイスを誰より早く食べきった灰原は、わたしと七海に向かってアイスの棒を自慢げに差し出した。棒の先に、『あたり』と文字が記されている。

「それ当たるやついるんですね」

 ただでさえ細い瞳を、照りつける太陽の眩しさに一層細めて。七海は感心したように呟く。

「けっこう当たるよ!大抵珍しがられるけど」
「灰原、こないだも自販機でジュース当ててたし運がいいんでしょ」
「自販機も当たるやついるのか……」
「わたしもそういうアイスにすればよかったかな」

 丸い筒の中に入った、葡萄味のアイスを口の中で転がしながら続けたわたしに、七海は呆れたように「確率の低い当たり目当てで買うのは馬鹿でしょう」「辛辣すぎない?夢くらい見させてよ」
 手にしていた容器を勢いよく煽り、溶けてかき氷状になったものと一緒に最後の氷を流し込む。ひんやりたした感覚が喉を伝って、気持ちがいい。

「当たりのアイスって、なんか美味しそうじゃん」
「分かる!特別感あるよね!」

 棒を指先で回しながら笑う灰原の横で、七海だけは微妙な顔をした。アイスの味は変わらないだろと言いたげな目だった。
 食べ終わったアイスの箱をごみ箱に突っ込んで、わたしは灰原へと問いかける。

「交換してくる?」
「そうする!で、七海に食べさせよう」
「自分で食べればいいでしょう」
「分かってないね、七海くん。当たりアイスの美味しさを思い知るといい」
「苗字が自慢げにする意味が分かりません」
「はいまた辛辣、ツーアウト」

 淡々と正論で攻め立てて、七海もごみ箱にアイスの容器を捨てた。ちなみに彼は、かき氷タイプのスプーンで掬って食べるアイスにしていた。三人の中で一番上品。コンビニ前でたむろしているわけだから、その素行自体は誉められたものではないかもしれないけれど。
 そうこうしている内に、コンビニに入った灰原が戻ってくる。が、その右手には相変わらず当たりの棒が握られたままだった。

「あれ。交換やめたの」
「いや、おんなじのが品切れだって。そういえば最後の一本取ったんだった」
「運が微妙。別のコンビニ行く?」
「他のとこでも交換できたっけ」
「同じ種類が置いてあったらどこでもいけるんじゃないっけ。知らないけど」
「適当なことを言うんじゃない」

 無責任に希望的観測を展開すれば、七海が呆れたように息を吐いた。「かたいこと言わないでよ」と肩を竦めて彼を見上げる。そんなやりとりを見て、灰原は「今日はいいや」と当たりの棒をティッシュでくるみ、ポケットにしまった。少し残念だけれど、このコンビニなら絶対同じものがあるとは言い切れないわけだし。この暑い中立ち往生することになるのは避けたい。

「また別の日に交換しよ。ていうか、せっかくだから三つまとめてとかどう?」

 名案を思い付いた!とばかりにきらきらした目を向ける灰原に、わたしと七海は顔を見合わせた。それはつまり、あと二本を当てる気でいるということか。

「それは……ちょっと現実的じゃなくない?」
「何年後の話になるでしょうね」
「ちょっとちょっと、七海はともかく苗字は夢見たいって言ったとこじゃなかった!?」

 灰原が大きな声でそう言って、「いいよ、全部僕が当てるし。こういうのは気持ちが大事だからね」なんて拗ねたように唇を尖らせた。

「ごめんって、協力するから拗ねるなって〜」

 軽い調子でそう言いながら、彼の背中に腕を回す。「暑いからやめろ」というような目を向けた七海も二人で無理矢理巻き込んで、蝉時雨が止まない中を歩きだす。



 灰原雄は運がいい。
 あのやりとりをした数週間後、今度は五条先輩と夏油先輩、硝子先輩も含めた三人でコンビニのアイスを奢ってもらった際に、また当たりを引き当てたのだ。今回はわたしと七海もお揃いのアイスにしていたのだけれど、三分の一の確率で彼に当たりを取られたことになる。

「ね、当てるって言ったでしょ!」

 向日葵が咲いたような笑顔を向けて棒を見せてくる灰原に、ただただ脱帽することしかできない。「俺が奢ってやったんだから俺のもんだろ」と強奪をかまそうとしてくる五条先輩を「大人げない」と夏油先輩が抑えつけた。その横で硝子先輩が、「何?誰が当たりだせるか賭けでもしてた?」と問いかける。

「灰原、こないだも当てたんですよ。三人分集まったら交換しに行こうって話になりました」
「へえ」
「普通無理なはずなんですけど、本当にやりそうですね」

 わたしと七海が交互に答える様子に、硝子先輩は楽しそうに目を細めた。「仲いいね、三人とも」穏やかに告げた夏油先輩に「もっちろん!」と返したのはわたしと灰原。二人して反応のなかった七海を見ると、「普通ですよ」とつまらない回答が返ってくる。

「もー、七海ー!」

 灰原と二人、非難するような口調で七海に纏わりつく。「暑い!」悲鳴のような声をあげる七海に、げらげらと大きな声で笑って。そんな風にはしゃいでいたら、灰原の手からアイスの棒がぽろりと落ちて、めざとく反応した五条先輩が盗もうとするのを反射的にぶん殴ってしまった。「痛ってぇ!?」大袈裟に叫ぶ彼を、拳を握ったままで睨みつける。

「今の流れで盗もうとするとか正気ですか」
「拾おうとしただけかもしんないだろーが!先輩相手にふざけんなマジで!」
「自分だって歌姫先輩のこと馬鹿にしてるくせに」
「拾おうとしただけ、は嘘だな」
「悟が悪いよ」
「オマエらさぁ……!」

 そんな風に、くだらないやりとりの日々を繰り返して、わたしたちは夏を越えていく。
 うるさいほど鳴いていた蝉の声が消えてからも、わたしと灰原は暫く例のアイスを食べ続けた。先輩たちに奢ってもらった真夏の日以来、あと一本がどうしても当たらなかったのだ。
 元々、あの短期間で二本も当てただけ奇跡みたいなものだ。あとになって調べたら、ああいうアイスで辺りを引く確率は2パーセント程度らしい。理論上は50本連続で買えば一本は当たるわけだけれど、そもそもアイスを50本まとめて買うことなんてないんだから難易度はかなり高い。それに世の中には、物欲センサーといわれるものがある。ガチャとかで、欲しいものほど当たらないアレだ。
 制服の下にセーターを着るようになり、路上で焼き芋の販売が始まった頃になってようやく、わたしと灰原は今年は一旦諦めることにした。七海は焼き芋を頬張りながら、「風邪を引く前に止めてよかったんじゃないですか」と賛成した。

「また来年の夏、約束だからね!」

 当たりの棒は部屋の鍵つきの引き出しに保管しているという灰原が率先して小指を掲げて、わたしたちは指切りをした。夏の暑さが恋しくなってしまうくらいの寒気が通り抜けていく。



 灰原雄は運がいい。
 それはわたしたちだけじゃなくて、彼自身もよく告げていたことだった。
 それでも――どれだけ運がよくても、どうしようもならないことが、この世界にはある。

 去年と同じ、蝉の声がうるさい夏真っ盛りの時期だった。蛆のように呪霊が湧いていて、わたしたちは簡単な任務なら単独で向かわされることが多々あった。
 その日もわたしは東京都内の現場でひとり呪霊を払っていて、その絶望じみた報告を受けるのは、任務が終わってからになる。

 霊安室の扉を開けたら、夏油先輩と七海がいた。彼らの前、無機質な台の上に、灰原は寝かされている。夏油先輩が触れるシーツは、やけに短い位置で膨らみを失っていて、下半身が失われていることが理解できた。理解できてしまった。
 ――灰原さんが、殉職されたとのことです。
 補助監督から告げられた言葉が脳裏に何度も木霊する。

「灰原」

 震えた声で呼びかける。もしかしたら、「ドッキリでした〜!」なんて起き上がって、あの向日葵みたいな笑顔を見せてくれるんじゃないかって。突き付けられた現実が信じられなくて、信じたくなくて。

「灰原」

 それでも、やっぱり、この残酷な死はどこまでも現実だった。
 どれだけ名前を呼んでも反応はない。触れた頬が真冬の湖みたいに冷たい。
 ――灰原が死んだ。大切で、大好きだった、同期の男の子。誰よりも優しくて、眩しいくらいに明るくて、これからもみんな一緒だって、この三人ならなんにも怖いことなんてないって、笑っていたのに。やりたいことも、行きたいところも、まだまだあったのに。

「灰原……っ」

 耐えきれずに崩折れて、子どもみたいに泣いた。わたしの傍で、七海もすすり泣いている。痛ましい声は、悲痛な叫びは、もう暫く止みそうにない。



 わたしにとってどれだけ大切な人がこの世から姿を消しても、世界は変わらずに回っていく。
 灰原のお葬式が終わって暫くして、夏油先輩までもが高専からいなくなった。彼の四十九日を迎える前だったと思う。まだ残暑が厳しい、九月の折。
 任務に失敗したわけじゃない。彼は、彼の意思で、呪術師を辞めて呪詛師になったと聞いている。非術師を皆殺しにして、呪術師だけの世界をつくるのだ、と。
 離反した彼を五条先輩が追いかけたけれど、結局殺すことはできなかったらしい。もちろん、引き摺って連れ帰ることも。責める気にはなれなかった。
 呪術師が減り、わたしたちは更に忙しなく日々を過ごすことになる。あっという間に本格的な秋に入った中で、ある日、やたらと夏の暑さがぶり返した一日があった。アスファルトの照り返し体力を奪われながらぐだぐだと歩く昼下がりに、ふと思い立ってコンビニに寄った。冷気が流れ込んできて思わず息を吐く。そのままアイスコーナーまで行って、あの夏、三人で馬鹿みたいに食べていたアイスが目に入った。
 懐かしさを覚えて、思わず手にする。
 レジで会計を終えて、「ありがとうございましたー」どこかやる気のない店員の声を聞きながら店を出て。
 のぼり旗の陰になるところでアイスを齧っていたら、携帯が鳴った。七海からだった。

「もしもし」
「すみません、明日からの任務のことで」

 適当に相槌を打ちながら、わたしはアイスを食べ進める。しゃくしゃく、しゃくしゃく。そうして、棒が露わになったところで、思わず「あ」と声をあげた。
 アイスの棒の先に、『あたり』と印字がある。
 瞬間、あの青い夏の日々が蘇った。「三つまとめて交換しよう」なんて無謀な夢を語った灰原の笑顔が蘇った。
 唇を噛み締めて、ぼぞりと零す。

「今更……」

 それに、電話の向こうで七海が不安そうにした。

「どうかしましたか」

 尋ねられて、わたしは「なんでもない」と頭を振る。

「ごみが当たっただけ」

 曖昧な返事をした七海と、暫く会話をして。「また明日、駅で合流ね」と締め括り通話を切って立ち上がる。
 それから、当たりの棒を太陽に翳してみた。眩しさに目を細める。きっと、もう一年早く見つかっていれば宝物になっていたに違いないけれど。だけどもう、意味のないただの棒っきれだから、コンビニのごみ箱へと投げ捨てた。
 青春の象徴だったそれは、明日には焼却炉で燃やされて灰になる。それでも、あの青い日々の思い出たちは、きっと、ずっと――。


2020



backtop