見舞いでカツ揚げてんじゃねぇよって話
あ、これ死んでるわ。
朝目が覚めて、真っ先にそう思った。
体がだるい。喉が痛い。試しに「あー」と出した声は寝起きだからというにはあまりにすさまじいほどガラガラで、鼻水まで垂れてきた。完全に風邪を引いている。
嘘じゃん、風邪ひく要素あった?2日前の風が強い日に傘がぶっ壊れて直接雨に打たれたやつとか?だとしたら大人の筋肉痛みたいな時差やめろ。
自分で自分の体に文句を言いながら、腕を伸ばしてベッド脇に置いてあるスマートフォンを手にする。大学の友人に連絡をして、それからボーダーにも。深く考える余裕はなくて、メッセージアプリの履歴で一番上にいた人を選ぶことにした。同じ開発室の雷蔵くん。ちょうどいいや、万が一急ぎの要件が回ってきたら代わりに任せよう。
『風邪ひきました。鬼怒田さんによろしく』
簡潔に打ち込み、送信。そのまま布団に潜り込もうとして、喉が渇いていることに気づいた。ホラー映画のお化けさながらにベッドから這うように出て、冷蔵庫の中からお茶を出す。ペットボトル、何本か置いてあってよかった。スポーツ飲料的なのががあればもっとよかったんだけれど。
窓を貫通して、蝉の鳴き声が聞こえてくる。昨日の予報では猛暑日だと言っていた。これから益々暑くなるに違いがなくて、風邪をひいたうえに熱中症になんてなったら馬鹿みたいだから、冷房をつけておくことにした。
今度こそ布団の中に潜り込んで、じっと目を瞑る。じわじわと煩い蝉の声が、体力を削っていく。
ふと、数年前の大規模侵攻を思い出した。崩れた瓦礫の中で一日中閉じ込められてしまった日とのこと。冬の日で、雨が降っていて、蝉の鳴き声なんて聞こえなかったはずなのに。周囲に響く蝉の喧騒は何故か、鳴り止まない爆音や警報に似ている気がする。
真っ暗で、誰もいなくて、どれだけ声をあげても気づいてもらえなくて、世界でひとり取り残されたんじゃないかって思えるくらいの孤独が迫ってきたあの感覚があって、情けなく膝を抱えた。そこでようやく、自分が相当弱っていることに気がついた。溜息を吐いて、きつく目を閉じる。寝てしまえば楽になる。また起きた時に治ってるかは分からないけれど、少なくとも眠っている間は、嫌なことを思い出さずにすむから。
ふと、スマートフォンの通知が鳴った気がした。でも、それを見るのすら億劫で、わたしは目を閉じることだけに集中する。ゆっくりゆっくり、意識が落ちていく感覚に身を任せる。
・
あれから数回、お茶を飲んだりトイレに起きたりで目を覚ましては寝てを繰り返して、どのくらい時間が経っただろう。外が薄暗くなっている気がする。朝起きた時よりはマシに感じる体を起こそうとしたら、「おい、まだか」「まだだ。果物は冷蔵庫で冷やしておけ」なんだか聞き覚えのある声が聞こえてきた。風間くんに木崎くん。寂しすぎて幻聴すら聞こえてきちゃったと半笑いで寝返りを打ったら、
「あれ?起きてる」
「!!?!」
ぬ、とよく見知った顔がこちらを覗き込んで、声にもならない悲鳴をあげるほど驚いた。
「なんっ、エッ、何!?どうやって!?」
壁際で座り込み、ドッドッとうるさく鳴る心臓を抑える。やばい。今のでまた熱あがった。
覗き込んでいたのは雷蔵くんで、彼は、「おーい、苗字起きた」とキッチンの方へと呼びかけた。それに応じて、ひょっこりと小さな背丈が顔を出す。風間くんだった。じゃあその奥に見えてるでかいのは、木崎くんか。聞こえてきた声は現実のものだったらしい。
「邪魔してるぞ」
風間くんがそう言って、わたしは「どうやって入ったの」と二度目の質問をする。
ベッド脇のペットボトルは空になっていた。わたしが立ち上がるより先に、風間くんが新しいペットボトルを持ってきてくれる。スポーツ飲料だった。うちの冷蔵庫にはなかったから、彼らが買ってきてくれたものだろう。一口飲んで、引き出しにある紙マスクを開封する。風間くんもマスクをつけてくれてるけど、念のため。
「諏訪が渡してきた」
と、風間くんはポケットの中から鍵を取り出す。遊園地で買ったお揃いのキーホルダーがついているそれは、間違いなくわたしが諏訪くんに渡した合鍵だった。
「エェ……本人の許可もなしに?」
「メッセージは送ったみたいだが。返事が来ないと言っていた」
「あー、今日は一日見てないから」
スマートフォンの画面をつけると、ぎょっとするくらいの通知が入っていた。雷蔵くんからの『了解、ゆっくり休んで』というメッセージを筆頭に、諏訪くんの『合鍵風間たちに渡していーか』『悪い、渡した』、木崎くんの『食いたいものあるか』、風間くんの『この後家寄るぞ』という連絡が並んでいる。ちょっと、申し訳ない。
今この場にいない諏訪くんにはひとまず連絡をいれておこうと、『返事遅くなってごめん。風間くんたち来ました』『木崎くんと雷蔵くんもいる』と送った。諏訪くんは確か今晩防衛任務だったと記憶している。鍵を風間くんたちに渡したのも、きっと本人が来られないからだろう。最後に『防衛任務、お気をつけて!』と締めくくり、画面を消した。
「いやでも、諏訪くんは風間くんたちのことを信用しすぎてる気がする。彼女の家の鍵渡すって……。別にいいんだけども」
「それはそうだな。自分ちの鍵も平気で渡してくる」
「え、何それわたし知らない」
喋りながら、朝よりは声も出やすくなっていることに気がついた。やっぱり睡眠は偉大。ひとり納得していたら、部屋の向こうから木崎くんが現れる。
「苗字、何か食えそうか。お粥とか」
そう聞かれると急に空腹を実感した。朝から何も食べていないのだから当たり前だったかもしれない。「食べる」と答えると、「少し待ってろ」と彼はまたキッチンへと戻った。
ボーダーから支給されている、1DKの小さな部屋だ。彼が料理をしている様子はベッドからでも十分見える。……すごく、手狭そう。
「ん。こんなのも買ってきた」
不意に雷蔵くんからスーパーの袋を渡された。中は、ゼリーとかプリンとか。「ありがと――」と顔を上げて、彼がカップの高級アイスを食べていることに気づく。おい、ちょっと待て。
「ら、雷蔵さん?そのアイスはどこから」
「これ?冷凍庫にあるやつ貰った」
「なんで!?」
当然のように言われて思わず声を上げる。いや、だってなんで?お見舞いに来た側の人間が冷蔵庫漁るとか、そんなことある?
雷蔵くんは「分かってないな」というようにフーと息を吐き、自分のアイスと渡してきたスーパーの袋を交互に指差して、
「交換だ」
「高級アイスとスーパーの格安ゼリーを!?てか見舞いってそういうもんじゃないだろ!」
「いやよく見ろ、量は増えてる」
「質を量でカバーしようとするな!ゲホッ」
ついつい突っ込みがヒートアップして、咳き込んでしまう。
木崎くんが「あんまり興奮させるな」と困ったように雷蔵くんに告げながら、できたてのお粥を持ってきた。「熱いから気をつけろ」とお盆ごと渡してもらい、「ありがとう」と素直にお礼を言う。ついでにスーパーの袋を手渡して、「冷蔵庫に入れといて」
木崎くんが作ってくれたのは、優しい見た目のたまご粥。ネギが散りばめられていて彩もいいし、もくもくとあがる湯気から和風だしの香りがする。「いただきます」呟いて、マスクを外した。
スプーンで一口分すくって、ふーふーと冷まして口の中へ。思わず肩の力が抜けるくらいの優しい味が広がる。
「苗字、もう少しキッチン借りるぞ」
「うん、好きに使って」
視線だけを向けて、そう答えた。
雷蔵くんはアイスを食べ終えたらしく、キッチンの方へ向かっている。風間くんはウチにある漫画を広げていて、ぺらぺらと頁をめくる音がする。その奥で、木崎くんが料理をしている空気。
今朝のやたら寂しかった感覚はもうどこかへ消えていた。人がいる気配というのは、どうしてこんなに安心するんだろう。特に、キッチンから響く料理の音。幼い頃、熱を出したわたしのために、色々と食べやすいものを作ってくれたお母さんのことを思い出す。
トントントン、とリズムの良い包丁の音は心地いいし、コトコトと何かが煮込む音も安心する。それから、ジュワジュワという美味しそうな――。
「ちょっと待って揚げ物してない!?」
「おい、急に声をあげるな。驚くだろ」
「いやごめん、ごめんけどでも、病人がいる部屋に似つかわしくない音がしてるんですけど!これ絶対なんか揚げてるだろ、木崎ぃ!」
キッチンへ呼びかけると、ちょうど彼がお皿に料理を乗せて運んでくるところだった。千切りキャベツに、トマトに、揚げたてのカツ。「ほらぁ!どういう意図でその調理!?」喚くわたしに、風間くんが「勘違いするな」と一言。彼は料理の置かれたテーブルの前に座り直すと、
「これは俺の分だ」
「何を言ってる!?」
「そう声を荒げるな。また熱があがるぞ」
「原因おまえらだよ……!」
「見舞いついでに腹ごしらえをして何が悪い」
「あと家に帰るだけの奴が腹ごしらえなんて言葉使うな」
というか木崎くんも、言われるがまま作ってる場合じゃないだろう。母性本能でも刺激されているのかしらないけれど、相変わらず甘すぎる。
「というか病人の目の前でなんてもの食べてんの……あと風邪移ったらどうすんの、もう突っ込みが追いつかないよ助けて諏訪くん……」
「本当はカレーが食べたかったんだが」
「カレー食べる気だったんだ……」
「そうだな。あとそろそろ食べるから静かにしてもらっていいか」
「こんのヤロ……ッ」
拳を握りしめ、殴りそうになるのを何とか耐える。そもそも病人と一緒の空間で食べようとするな。風邪ひいてもわたしは見舞いにいかないぞ。
いつの間にか雷蔵くんも同じ料理を食べていた。本気でここで晩ご飯を食べるつもりかと呆れつつ、わたしはお粥を食べ終える。食器類を洗ってくれていた木崎くんがお茶碗を回収してくれて、「スープも作っておいた。あとで冷蔵庫に入れておく」と言った。「本当にお世話になります……」感謝してもしきれず、深々とお辞儀をした。救世主、といいたいところだけれど、風間くんたちにカツを揚げたから一部減点で。
風間くんたちも料理を平らげる様子を横目に、「ほんとに何しに来たんだか……」なんてぼそりと零したら、彼はそれを耳聡く拾ったらしい。
「だが、おまえは必ず俺に感謝するぞ」
そんなことをドヤ顔で宣言されるけれど、それよりも。
「口元に食べかすついてますよ」
わたしの言葉に、21歳児が口元を拭う。
それから暫くして、木崎くんらは使った食器類を全て洗い、新しく出してしまったごみ類も回収して部屋を後にした。「きちんと寝るんだぞ」「何かあったら連絡しろ」口々に伝えられ、その全部に「はぁい」と布団に潜りこんだまま頷いた。
遠くで扉が閉まり、鍵がかかる音がする。一気に、部屋全体が静寂に包まれる。
風間くんのボケには正直体力をもっていかれたけれど、こう静かになるともう少しいてほしかったかもしれない、なんて思ってしまった。もちろん、呼び戻すわけにはいかないのだけれど。
たくさん寝たせいでしばらくは眠れそうにない。ごろごろと寝返りを打っていると、不意にガチャリと玄関の開く音がした。あれ、誰か戻って来た?
「なーに。忘れもの?」
それにしてもやたら静かだな、と思いながら、再び寝返りを打って廊下の方を向いたら。
「お?起きてんじゃねーか」
「!?」
スーパーの袋を提げた諏訪くんがいて、ぎょっと目を見開く。
あれ、今日防衛任務じゃなかったっけ?なに、幻覚?あ、それか実はいつの間にか寝ていて夢とか?
起き上がろうとするわたしに「あー、こら、寝とけ寝とけ」と優しく触れる掌を掴む。「お?なんだよ」「リアルな夢だ……」「夢じゃねーわアホ」乱暴な言葉が飛んでくるけれど、その声音はいつもよりもずっと優しい。声量も比較的小さめで、きっと、熱でくらくらする頭に響かないようにとか、気を遣ってくれている。
「今日、任務じゃなかった?」
「あれ、風間から聞いてなかったんか。交代してもらったんだよ」
親指と人差し指をくるくるさせて「チェンジ」のポーズをした彼に、思わず「エ」と声を出す。直後、風間くんの台詞だとか行動とかがパズルのピースがハマるみたいに理解できた。
腹ごしらえって本当だったんかい、とか、「必ず感謝するぞ」ってそういうことか、とか、だとしたらわたし、かなり失礼な態度を取ってしまったんじゃないかとか。いやでも、一番は先に言えや、なんだけれど。サプライズか何かのつもりだったのかな、三人とも共犯で。もしかして雷蔵くんが高級アイスを奪ったのもそういう……?
頭を抱えたわたしに「どしたー?」と尋ねる諏訪くん。わたしは「実は」と一連の出来事を伝えることにする。それを全部聞き終えると、彼は「災難だったな」と言いつつもおかしそうにお腹を抱えた。
「あ、待てよ。食うもんあるってそういうことか。そーいやさっきキッチンに……」
ぶつぶつ言いながらキッチンに向かった彼は、さっきまで風間くんたちが食べていたのと同じ料理を運んで持ってきた。どうやら木崎くんが諏訪くんの分も用意してくれていたらしい。
「食っていい?」
「もちろんです」
「んじゃ、いただきます」
丁寧に手を合わせた彼が、カツに噛り付く。
「うめー。つーか悪いな、来んの遅くなって」
「ううん、全然」
「ほんとはゼミも休みたかったんだけどよー。今日テストの日だったから」
知っている。諏訪くんが選んだ講義の教授はかなり厳しい人で、全体の試験とは別のテストの日に休んだりするだけで容赦なく単位を落とされる。上級生から聞いて知ってる下級生は多くて、選択科目だしその講義をわざわざ選ぶ人はかなり少ないのだけれど。「知りてえ分野だし。フツーに講義受ければいいだけだろ」とあっさり選んだ諏訪くんはヤンキーみたいな見た目と裏腹に真面目で眩しい。そういうところも、好きだと思う。
じぃっと見つめていると、諏訪くんはちょっと困ったように「カツはやめといた方がいいんじゃね?」と呟いた。「さすがに食べないよ」苦笑して、それから、ちょっとだけ毛布を持ち上げて。
「あのさ、諏訪くん。任務ないなら、帰んないでって言ってもいい?」
ひとりでいるのが寂しい、とは続けられなかった。だって、もう成人した大人だし。なんだか恥ずかしいし。ああでも、「なんで?」とか言われたらどうしよう。
そんな心配を他所に、諏訪くんは白い歯を見せて笑うと、「当たり前じゃねーか」とわたしの頭を撫でた。「そのために来たんだし」と続けられて、本当にこのひとは、何でもお見通し。
諏訪くんに触れられているうちに、再び眠気が襲ってきた。あれだけ眠くないと思っていたのに、変なの。わたしの様子に気づいた彼は、「寝とけ寝とけ」と優しく語りかけてくれる。
「……今度、みんなにお礼しなきゃ……」
「おー、そうだな。俺も一緒に行くぜ」
「うん……」
諏訪くんの声を聞きながら、匂いを、体温を感じながら、ゆっくりと瞼を閉じる。
風邪が治ったら真っ先に、今日来てくれたみんなに会いに行こう。「体調管理には気をつけろ」とちょっとだけ注意する木崎くんのお小言も、風間くんの「ほらな、感謝すると言っただろう」なんてドヤ顔も、雷蔵くんの「アイスもう一個」なんてたかりも、甘んじて受け入れる準備はできている。