しあわせな終焉
※刀剣破壊アリ
――絶対にこの部屋から出るな!
これまでに見たことがないほど厳しい表情で、声を荒げて膝丸がそう言った。何故と聞く間もなく姿を消した彼を追いかけるより先に、地鳴りのような音がして、途端身体が重くなるほどの瘴気が立ち込むのを感じた。襖が無残に破れる音や、行灯がひっくり返る音。それに混じって聞こえる乾いた響は、刀と刀が交わる音で相違ない。
――本丸襲撃。
いつぞや政府から忠告のあったそれは、けれど滅多に起こることはないと言われていたのに。
どうしてここが、敵の目的は、数は?
体が嫌に熱く、心の臓は酷くうるさい。
政府には今しがた緊急の連絡を入れた。けれども、確実な対応は正直なところ期待できない。どこかの本丸では、審神者が全ての遡行軍を半ば強引に転移したことで凌ぎ切ったと聞いた、が。
果たしてそれが、わたしにできる?
震える手を握りしめ、息を吐く。できる、できないは二の次だ。やるしか、ない。
「……っ」
腰を上げた丁度その時だった。部屋の外の瘴気が、強く、濃くなる。
――いる。襖一枚を隔てた向こう側に、遡行軍が。
懐から小太刀を取り出し、鞘から抜き取った。刃文が陽炎のように揺らめく。霜のように白い切っ先はまだ、血の味も皮脂の汚れも知らない。
すう、と知らず息を吐いていた。人間の一撃が彼ら異形のものに効くとは思えない。増して、斬り方も知らない素人のそれで対抗できるとも。ただ、それでも。
柄を握る力に手を込め、地を蹴る。その刹那。
肉を切り裂く音と、断末魔の短い叫びが聞こえ、同時に重苦しい瘴気が消滅した。
間もなく、襖が開く。軍服によく似た白の装束。そこに見慣れぬ深紅の花をべっとりと咲かせ、その神さまは現れた。
「……主。もう、大丈夫だよ」
彼越しに見えた、空に浮かんでいた時空の歪み――瘴気渦巻く至極色のくぼみが、ぐんぐんと小さくなっていた。撤退だ。これで安心できる、はずなのに。心臓は落ち着くどころか早まるばかりで、わたしはその訳を理解していた。理解して、しまっていた。
「髭、切……」
呼び声に反応し、小さく笑った彼が、その場に崩折れる。小太刀を投げ捨て、その体を抱きとめた。むせるような血の匂いが鼻孔を襲う。鬼灯を潰したような赤は、ぬるりとした感触で掌に纏わり付いた。刀だけでなく、弓や銃までまともに受けたらしいその体は酷く痛々しく、抱き締めることを躊躇うほどである。
は、と荒い息を零すだけのわたしに、「まあ」と神さまはゆっくり口を開く。
「もう、源氏の世じゃないからね……。僕がこうなるのも、当然、かな……」
それは、絶対に聞かないと誓っていた、言わせないと誓っていた、別れの言葉であった。
嫌、と。ようやく音として発せたそれは、切なく掠れていた。視界が滲む。残酷な終わりから、目を背けてしまいたい。それでも――それでも、懸命に瞳を開けて、わたしは彼を、彼の最期をこの目に焼き付ける。
「ああ、でも……」
緩やかに弧を描いた彼の口から紡がれる言葉は、とても穏やかなまま。
「
――ぱきん。
ひとの生が終わるには、あまりに無機質な、ちっぽけな音がした。桜吹雪が舞い上がる。意思を持つかのように蠢いたそれが、ぱん、と光に弾けた。
そうして。
ひらひらと溢れる花弁の中から、物言わぬ物に還った彼が、滑り落ちる。震える手を伸ばして触れた鉄屑は、鋭く冷たくて、わたしはもう、彼を抱き締める術を持たない。
嗚呼せめて、彼がひとであったのなら。その亡骸を抱き寄せて、永遠にもなりそうな喪失感を埋めるように、この体温を分け与えることくらいはできたというのに。
「……兄者」
いつのまにか側まで来ていた膝丸が、ばらばらの刀の一欠片を、宝物を扱うかのように触れた。
「……髭切、笑っていたの」
「ああ」
「しあわせだと、言ってくれた」
「……ああ」
膝丸が、そっと頷く。甘い桜の香りを乗せた風はあたたかくてさみしくて、頬を伝う涙を拭うように撫でていく。
2017