21gを遺せない
今日からS級隊員だ、とはじめて黒トリガーを手渡された時、その軽さにぎょっとしたことをずっと覚えている。
上層部の人間ばかりが集まった会議室の中でそれを告げる勇気は当時のわたしにはなくて、「拝命します」と堅苦しい挨拶とともに一礼した。黒トリガーの重量の話を聞いたのは、その後のこと。烏丸くんの顔でも見に行こうと立ち寄った玉狛支部の屋上に、迅が現れたのだ(烏丸くんの帰りは22時を過ぎるとのことだった)。
「今日からS級だって聞いたよ。お疲れさま」
「どうも〜」
寝転がったまま、片手を上げて応答する。
C級からB級に上がった時、B級からA級に上がった時は皆一様に「おめでとう」と言うけれど、S級になった際にそれを告げるひとはひとりもいない。言葉だけ聞けばA級の上位職のような雰囲気はあるものの、昇格したわけではないのだから当然だけれど。そんな当たり前のことすら、今日のわたしは妙に意識してしまう。
「黒トリガーってさ」
「うん?」
「ノーマルトリガーより軽いんだね。びっくりした」
手のひらに乗せたトリガーを、宝石を散りばめたような星空へと掲げてみる。そういえば昔、死んだらお星様になるのだと本気で信じていたっけ。
迅は僅かに口角を上げ、わたしの横に腰を下ろす。それから、
「21グラムだからね」
世界の理だとでも言いたげに、そう口にした。
わたしは途端に表情を曇らせて、「重すぎでしょ、それ……」勘弁してくれと息を吐く。相変わらず迅は冷静で、「軽すぎるくらいでしょ」と肩を竦めた。
一説によると、人は死んだ時、少しだけ重量が減るらしい。人の中にあった魂が抜けだして軽くなるのだと、どこかの科学者が説いていた。その重量が、21グラム。ともすれば、黒トリガーの中には死んだ人間の魂が宿っているわけだ。
呪いみたいだと思うと同時に、でもそれは死にいく側の救いになるかもしれないと思った。自分の魂が黒トリガーに宿って、大切なひとの手の中で在り続けるのなら。黒トリガーを作り出すという選択も、できてしまう気がした。たとえこの世界に、自分の体が残らないのだとしても。
「ちょっと、変なこと考えないでよ」
迅に嗜められ、今度はわたしが肩を竦めた。
「何か視えた?」
茶化すように尋ねたわたしに、迅は長い息を吐くと、「まだ、何も」怒っているのか安堵しているのか分からない複雑な表情で、呟くように答える。
それから二言三言交わした後、彼は何かに気づいたように
案の定、迅が扉の向こうに消えて程なくして、再び扉が開く音がした。振り返ると、烏丸くんがいる。走って来てくれたのだろうか、無表情ながらにその肩は小さく上下していて、真っ黒な髪も少しだけ乱れている。
「待たせてすみません」
「大丈夫、そんなに待ってないよ」
「寒くないすか」
「寒くないすよ」
ここにおいで、と右隣の地べたをぺちぺちと叩く。言われた通りに腰を下ろした烏丸くんは、こちらに身を寄せて肩を重ねた。それから、わたしの手の中にある黒トリガーをじっと見つめる。
「持ってもいいよ」
「いや、持ちはしませんけど」
緩く否定した彼は、長くて骨張った指をそろそろと伸ばして黒トリガーに触れた。その目の奥に複雑な色が宿る。黒トリガーの重さって21グラムらしいよ、とは言えなかった。
「……先輩」
「うん?」
「無茶はしないでくださいね」
「分かってるよ。烏丸くんは優しいねぇ」
腕を伸ばして
「ケダモノだ」
「そうっすよ」
今に始まったことじゃないでしょ、と薄く笑う彼はいやになるくらい綺麗だ。その美しい笑みを両手で包みながら、わたしは願うように瞼を閉じて。もしもその時が来るのなら、己の21グラムはこの人のために遺したいと、強く思った。わたしが遺した魂が、誰よりも何よりも、この人を1番に守ることができるように、と。
・
――そんなことを走馬灯のように思い出したのはきっと、その時が近づいているからだった。
瓦礫の間に挟まった体を捩り、荒い息を零す。なんとか起きあがろうと地面に触れた手がやけにぬめりとしていて、鉄の匂いが鼻に刺さった。血が出てる。それも、結構な量。ただもう、全身は鈍器で殴られたみたいに痛いし、目は霞むし、どこから出血しているのかもよく分からない。
『黒トリガーには、
いつだったか、城戸さんにそう言われた。物分かりのいい顔で頷いてみせたけれど、わたしは正直納得がいかなかった。だって、これは戦争なのだから。最期まで戦ってこそ、わたしはわたしに価値を見出せる。
『――ぃ、おい!苗字、聞こえるか!聞こえているなら返事をしろ!』
瓦礫の間から、雑音混じりに忍田さんの声がした。どうやらインカムも吹っ飛んでいたらしい。ぎりぎりと腕を伸ばし、隙間からインカムを取り上げる。
「……っ、聞こえてますから、もうちょい静かにしてほしい……頭に響く〜……」
心配させまいとおどけた調子で言ってみせたけれど、息切れは酷いし声にも覇気がないのは明白だった。インカムから聞こえてくる忍田さんの声は相変わらず堅く、失敗したなあとぼんやり思う。
『苗字、安心しろ。今応援を向かわせている。絶対に大丈夫だ』
「あは、ありがとうございます……」
血が滲んでいる、からからの喉で告げながら、「ところで」とわたしは周囲を見渡しながら尋ねる。
「近くに敵って、います?刺し違えたやつ、どうなりました?」
『いや、彼らも撤退したようだ。反応はない』
「それなら、よかった」
『……苗字?』
問いかけた忍田さんが、直後、息を呑んだと思った。わたしは彼の姿を見れないし、彼の呼吸の小さな音は聞くこともできない。それでも、その予想は検討違いなんかじゃなかったはずだ。
『苗字、馬鹿な真似はやめろ!』
突き刺さるような鋭い声が飛んでくる。普段は温厚な、尊敬する上司からの命令。だとしても、こればかりは従うことができない。
忍田さんが声を荒げる後ろで、沢村さんが『トリオン数値変動……!』とリアルタイムで繁栄されるデータに悲鳴のような声をあげる。鬼怒田さんと根付さんの声も混じっている気がする。もう、周りの音が曖昧になっている。視界が白く霞んで、きっと、終わりは近い。
「……忍田さん。上手くいっても、多分、ひとりしか使えない。ごめん」
脳裏に浮かべるのはたったひとり。黒トリガーは作った人間の人格が反映されるらしいから、わたしはたぶん、最上さんみたいな適合者の多いトリガーにはなれない。それでも、このまま死んで何も残せないよりはずっとマシでしょ。黒トリガーを貰った時から決めてたこと。後悔も、恐怖も、これっぽっちもあるもんか。
意識が遠くなる。体の痛みが不思議と遠退く。うまく使ってね、なんて、誰にでもなく呟いたら。
「苗字さん!」
聞き慣れた声がして、わたしは瞼を開けてしまう。滲んだ視界の中に映ったのは烏丸くんだった。大切で、大好きなひと。一瞬気を取られて、黒トリガーを作るという集中が、使命感が、乱れて。
そこから先のことは、覚えていない。ただ、彼の温もりが触れたことだけは、夢じゃなかったと思う。
・
呼吸がしづらい。体中が痛い。
重たい瞼をなんとか持ち上げると、真っ白な天井が滲んで映った。薬品のような独特の匂いが漂っている。たぶん、病院。
「……う……」
「……ッ」
視線だけで周囲を確認しようとした直後、すぐ傍でガタリと音がした。見ると、烏丸くんが立ち上がってこちらを覗き込んでいる。と、いうことは、あれか。あれだけ覚悟を決めたのに黒トリガーにはなれなかった上に、しぶとく生き残ってしまったらしい。何それ、ちょっと恥ずかしくない?
「……へへ、失敗しちゃった」
努めて明るく、へらりと笑ったら、「何笑ってるんですか!」と鋭い声が飛んできた。一瞬、それが烏丸くんのものだとは分からなかった。彼の怒った声なんて、はじめてだった。
ぎょっとして口を閉ざしたわたしに、彼は続ける。「俺が、どれだけ……っ」それから、項垂れるようにして鼻を啜った。嘘でしょ、とわたしは焦る。烏丸くん、泣いてる?
なんとか体を起こして、烏丸くんの背中に触れる。でも、何て声をかけるべきかは分からなかった。「ごめんね」「大丈夫だよ」「助けてくれてありがとう」言いたいことが、言わなきゃいけないことが多すぎる。
烏丸くんが顔を上げる。目元が赤い。
彼はそのままこちらをじっと見つめると、「なんで」と問いかけた。
「無茶はしないでくださいって、俺言ったじゃないですか」
「……うん」
「本当に、もう、手遅れかと思った」
「……うん、ごめんね」
わたしは瞼を伏せる。伏せたまま、ぽつりと言葉を落とす。
「これは、戦争だから。選ばれた時から、いざという時は自分もって覚悟をしてた。……してた、のに」
黒トリガーになろうとした、あの瞬間を思い出す。後悔も恐怖もないと固く瞼を閉じていたのに、烏丸くんに名前を呼ばれた途端、死にたくないと思ってしまった。まだ生きていたいと思ってしまった。結局わたしは、覚悟ができているふりをしていただけ。……情けない。
烏丸くんは、何も言わなかった。「そんな覚悟なんていらない」とも「捨ててしまえ」とも。彼は、誰かの信念を、覚悟を、否定しない。思慮深くて、優しいひとだから。
「……それでも」
少しだけ震えた声で、彼は紡ぐ。わたしの傷だらけの体を優しく抱き締めながら。わたしが確かに生きていることを、確認しながら。
「それでも、苗字さんが生きてくれてよかった」
触れてくれた烏丸くんの体があまりに温かい。血が通っている。命がここにある。それを実感して、どうしようもなく泣きたくなった。
わたしたちは、戦争をしている。死なない、死なせないことは理想だけれど、それだけではやっていけないことがある。死ぬ覚悟が必要なことがある。失う覚悟が必要なことがある。わたしにはまだ覚悟が足りてなくて、それでも、ちゃんと、明日からも懸命に戦うから。どうか今、この瞬間だけは。
――嗚呼、生きていて、よかった。