バレンタインの甘くない約束



 去年のバレンタインは南雲くんにあげた。
 ざくざくのチョコを混ぜたマフィンは、本当は南雲くんじゃなくて憧れの先輩に告白するつもりで用意したものだったけれど、当日の朝、わたしが登校した頃には先輩は別の女の子からの告白に応えていたみたいで、校内には二人を冷やかす声が溢れていた。ラッピングは前日の夜に終えていたのに、朝起きたらやっぱり不安になってリボンを結び直したり、いつもより化粧に時間をかけたりしたのが仇になったみたいで、唇を噛む。わたしが先に告白していたとしても、先輩とお付き合いできたわけではないことは、十分理解しているのだけど。
 行き場を失ったチョコマフィンは、放課後まで鞄の中に仕舞い込まれた。
 今更先輩に渡す気にはなれないし、かといって捨てるのは勿体ない。これひとつのために、いくらの失敗作が積み上がったことか。自分で食べるのももう飽きた。そう思っていたら、ちょうどよく通りがかったのが南雲くんだった。チョコがぎゅうぎゅうに詰め込まれた段ボールを抱えて歩いていた彼に、「ねえ、これもあげる」と雑に投げ渡す。吸い込まれるように箱の中に収まったチョコマフィンは、すぐに他のチョコたちと一緒くたになった。その様子を見て、何となく落ち着いた。大量のチョコたちと同じ扱いをしてもらえるなら多少は浮かばれる、と謎の感傷に浸ったわけだけど、そんなことは一年も経ってすっかり忘れていた、はずなのに。

「ね〜、今年はチョコないの?」

 相変わらずチョコの詰まった段ボールを台車で運ぶ南雲くんに問いかけられる、この状況は何だ。

「……なんで?」
「去年はくれたから?」

 じぃっと、黒くて丸い目がわたしを見つめる。
 ないよ、あるわけない。今年は渡したいひともいないから作ってないし。あとわたしのチョコなんていらなくない?去年より増えてるし、既にどこのアイドルかと思うくらい貰ってるじゃん。
 言いたいことはいろいろあったけど、そんなに親しい間柄でもなかったから「今年は作ってない」とだけ伝えた。

「なぁんだ」

 まるで残念がるような声で、表情で、南雲くんがその場を立ち去る。
 えぇ、本当に何だったの?あれかな、ファンサービス的な声かけ。ていうか、よくわたしの顔覚えてたな。さすがモテ男。
 ひとりで納得したその一年後、南雲くんはまたもや「チョコないの?」と尋ねてきて、わたしは頭を抱えることになる。もしかしたら初回の時の渡し方のせいで逆に印象づけてしまったのではないかと後悔した。今にして思えば、最早ゴミ捨てみたいな適当な渡し方だったし。

 南雲くんはそれから少しして、在学中に殺連所属になった。殺し屋のライセンスを取得するためにはJCCを卒業しなければいけないはずだけど、その辺がどうなったのかは知らない。任務が忙しいのか、その姿を校内で見ることもなくなった。才能のある人間はすごいなと、いかにも平凡な人間が抱く羨望を持ちながら日々を過ごして、JCCを卒業するのと同時に、わたしも殺連に就職することになった。決して、彼を追いかけたわけではない。
 南雲くんは殺連の中でも特殊な『ORDER』と呼ばれる組織に属していて、平社員のわたしとの関りなんて、数ヶ月に一度会社ですれ違う程度だったんだけれど。

「ね〜、今年はチョコくれる?」

 バレンタインの一週間前、待ち構えるように現れた南雲くんに思わず固まる。このひとは学生時代からずっと何を聞いてくるのだろう。なんかの罰ゲームでもしているのか、だとしたら随分長期戦なことで。

「今年も作る予定はないかな」

 顔を引き攣らせながらも辛うじてそう返せば、南雲くんは「つまんな〜い」と肩を竦めた。「もし作ったら僕にもちょうだいね」って、謎の約束を取り付けてすぐに立ち去る彼に頭を悩ませる。
 これは、あれか。もう一回渡したら満足するのか。どうすれば正解?
 なんて考えて、いやいやと頭を振る。今年も作らない、だってクソ面倒だし。好きでもない奴にあんな熱量は注げない。年を重ねれば尚更。
 そう思って結局何もしなかったことを失敗したかもと反省することになったのは、バレンタイン当日、同期の女の子から「あげる!」とチョコを渡されたからだった。小さなタルト生地にチョコレート、そのうえにアーモンドやドライフルーツがお洒落に飾り付けられたものだった。
 わたし何も用意してないよ、と受け取るのに若干戸惑っていたら、「いいのいいの、たくさん作っちゃったから」更に、「美味しくできたと思うから、甘いもの好きなら食べてほしい」と続けられ、拒否することなんてできなかった。

「ありがとう。お返し、ちゃんと渡すから」
「ううん、気にしないで!」

 ゲームアバターだったならその体から音符が溢れていると思えるくらいの機嫌の良さ。両手に抱えた紙袋はラッピングされたお菓子でいっぱいで、素直に「すごいね」と言葉が溢れた。特に主語のない言葉だったけど、わたしの視線はあからさまに紙袋に注がれていたから、彼女は「お菓子作り趣味なんだ」と笑う。それから、一息ついたと思ったら、

「来年渡せるとは限らないから」

 と続けた。意味は、すぐに察せられた。
 こんな仕事だもんね、とからっとした笑い声をあげる彼女に「確かに」と納得して、ふと南雲くんのことを思い出した。常に死と隣合わせの世界をわたしたちはしぶとく生きて、毎年「チョコないの?」「ないよ」なんてくだらない会話をしているわけだけど。

(……いつか渡しておけば良かったって、後悔する日が来るのかなあ)

 廊下を楽しそうに歩き知り合いへとお菓子を配る彼女の背中を見ながら、そんなことをぼんやりと思った。



 その日の任務後、買い物に寄ったスーパーではバレンタインの余りと思しきチョコたちが安くなって並べられていた。
 「来年渡せるとは限らない」と言った彼女の声が過って、お返しもすぐに渡した方がいいかな、なんて積み上がったチョコを手に取る。……やっぱり、あんまりいいのは残ってないなぁ。せめて何が好きなのか聞いておけば良かった。お菓子作りが趣味って言うくらいだし、甘いもの、好きなんだろうけど。
 うんうん唸りながらひとりで吟味して、犬の形をしたギフトボックスにクッキーが入ったものを手に取った。何となく、彼女に似合いそうな気がしたから。それから、もうひとつ。隣にいた猫の分も籠に詰めて、スーパーをぐるりと回る。
 明日も早いしさっさと寝たいけど、たまには料理した方がいいよなぁ。あ、お肉安い。冷凍うどんあったし、肉うどんでいっか。
 行き当たりばったりで買い物を済ませ、スーパーを出たところで。

「おつかれ〜」
「うぉっ」

 唐突に声をかけられて、情けない悲鳴が上がった。恨めしげに声のした方を見ると、相変わらず人当たりの良い笑みをした南雲くんがいる。任務帰りか、いつもの大きなケースを背負っていて、手にはお惣菜が詰められているっぽいスーパーの袋。……もしかして。

「ずっと尾けてた?」
「うん。君、全然気づかなかったね〜」

 けらけらと笑う彼に、思わず渋い顔になる。わたしだって、そこそこ気配には敏感なんだけど。

「ねぇ、それ誰に渡すの?」

 南雲くんの視線がスーパーの袋の中のギフトボックスを捉えている。もしかして選んでる時から近くにいたのかな、なんて思いながら、「同期の女の子」と淡々と答えた。「ふぅん」とどこか興味をなくしたような返事をした彼に、「あと」と、猫のギフトボックスを取り、

「はい、あげる」
「え?」

 ずい、と差し出したら、南雲くんは間抜けなくらいに目をぱちくりと見開いた。胸板に押し付けられたそれをおそるおそる受け取った彼は「なんで?」と言わんばかりで、そんなことを聞かれたら返答に困るから、「くれるか聞いてきたから欲しいのかと思って」一息に告げた。
 南雲くんは暫く何も言わなった。あの子のせいで色々考えた結果の行動だったけど、やっぱり止めていた方が良かったかも、と若干の後悔をした時、ようやく彼は口を開いた。

「……やっともらえた〜」

 それが、あまりにも幸せそうな声色をしていたから驚いた。
 大事に食べるねと、宝物を扱うみたいにコートのポケットにしまい込んだ彼に、思わず「来年も」と言葉が零れていた。

「……いるなら、あげる」

 南雲くんは目を見開いたけれど、すぐに嬉しそうに微笑んで、

「僕、またあのマフィンが食べたいな〜」

 と言った。
 何をあげたのかまで覚えていたのか、と妙に感心する。

「いいよ」
「本当?約束だからね」
「うん。それまで生きてたらね」

 冗談やめてよ、と南雲くんは笑わなかった。「そうだね、生きてたら」死を想像するには穏やかすぎる声で繰り返して、わたしの隣を歩いている。どうやら家まで送ってくれるらしい。ひとりで帰れるよ、とは言わなかった。なんとなく、もったいなくて。
 霜冷えのする寒い風が吹き抜けた。「寒いね」と南雲くんが零して、その距離が僅かに縮まった。「うん、寒い」呟きながら見上げた空に、オリオン座が光っている。(ちゃんと約束、守れたらいいなあ)と、ふと思った。それで、一年後も、こんな風に南雲くんと歩くことができたらいい。浮かんだ言葉は口に出すには重い気がして、マフラーに顔を埋める振りをして喉の奥で呑み込んだ。


2024.02.14



backtop