4月1日



 有月憬と再会した。桜の蕾が例年より遅くほころびはじめた、四月一日のこと。
 雑踏の中ですれ違った彼は、世界に置き去られた冬のようだった。学生の頃と変わらない白銀が、春らしい色に染まり始めた景色にやたらと浮いて見える。
 有月は、学生時代にとある任務を受けている最中、唐突にその姿を消したらしい。任務は進級のための補習か何かで、そんなものを受ける必要のなかったわたしは詳しいことは知らない。ただ、同じ任務にあたっていた赤尾も行方不明になったとか、南雲が二人の行方を追っているとか、そんなことを風の噂で聞いた気がする。
 逡巡の末、わたしは彼に声をかけた。

「有月」

 名前を呼ばれ、男は俯きがちだった顔を持ち上げた。澄んだ湖と同じ色の瞳がわたしを映して、「……ああ」と呟いた。相変わらず、暗いヤツ。
 有月は何も喋らないし、わたしも特に話題があるわけではなかった。

「あー……、元気?」

 と、しょうもない問いかけをする。
 有月は「まぁ、そこそこかな」とぽつりと零した。どうにも嘘っぽかった。
 会話はまたぶつりと切れて、わたしはこっそりと息を吐く。どうして声をかけてしまったんだろうと、少しだけ後悔をした。

「ならよかった」

 と適当な返しをして、「呼び止めてごめんね」そそくさと踵を返す。けれど、その直後に名前が呼ばれて、思わず振り返った。彼から話しかけてくるなんて、珍しいこともある。

「……まだ殺し屋続けてる?」

 その言葉に、昔を思い出した。いつかの日、そう、たしか、これから夏本番を迎えようと太陽が日増しに強くなっていたころ。わたしは彼と、実習のペアが同じになった。標的ターゲットは二人いて、散り散りになった彼らをそれぞれに追いかけた。容赦なく喉元を掻き切り、喋りも動きもしなくなった男を引き摺りながら有月を探す。同じように終わらせていた彼は、その頬に返り血を浴びて立ち竦んでいた。彼の肌は血色が悪いくらいに白くて、赤色は嫌になるくらい目立つ。季節外れの椿が咲いているみたいだった。
 微動だにしない彼に、わたしは思わず声をかけた。「大丈夫?」しばらくして「……平気」と頷いた彼はそれから、「そっちこそ」とわたしを見つめた。
 彼の目は、覇気がないくせにやたらと澄んだ水色で、沈んだ表情のわたしが映る。目の前の男とよく似た表情だった。苦笑して、わたしは零した。
 ――嫌になるね、と。
 有月は珍しく驚いて、それから小さく、「うん」と頷いた。
 呼び起こされた記憶を、感情を、胸の奥底へ押し込みながら、有月の問いかけに答える。それほど間が空いたわけではなかったと思う。
 「続けてるよ」と何でもないことのように言ってのけたら、ややあって有月が口を開いた。

「辞めた方がいいと思う」
「何、どうしたの急に」
「……」

 有月はまた押し黙った。変なヤツ、今更わたしの心配でもしてるのかな。訝しみながらもじっと待っていると、「ずっと言おうと思っていたことがあって」と彼は言葉を続けた。

「うん」
「……実は、好きだった」
「……うん?」

 すき。スキ。隙。……好き?
 告げられた言葉が、ぐるぐると頭の中を回る。
 突然何を言い出すんだろう。そんな素振り全くなかったくせに。
 真意を探ろうとしても有月は相変わらず俯いたままで、その表情はうまく読み取れなかった。だから。

「何それ、エイプリルフールの冗談?」

 センスないよ、と揶揄うみたいにそう返す。
 有月は少し間を置いて、

「好きに受け取ってくれていいよ」

 と平べったい声で応えて、それから、「引き止めてごめん」と背を向ける。雪のような銀色が雑踏の中へ見えなくなっても、わたしは暫くそこに立ち竦んだままだった。



 あの背中を強引に引き止めて、言葉の真意を問いただせば良かったと後悔するのは、その数年後のことになる。
 「侵入者」「男」「警備がやられた」「下の階は全滅」
 入り乱れる喧騒に、武器を持って廊下へ出る。腐っても殺し屋だから、死ぬのが怖いとか嫌だとか逃げ出すつもりはなかった。というか、逃げ出したって意味がないことをよく知っている。自分だってそうやって、情け容赦なく、標的ターゲットを追いつめてきた。
 折り重なった赤黒い遺体の上に、雪が降っていた。――否。

「……有月……」

 零すと同時に彼は動いた。あまりに一瞬で、身動きがとれなかった。……いや。本当は、心のどこかであの日の続きをしたいと思っていたのかもしれない。会話ができるんじゃないかという期待、そんな馬鹿げた気の緩みが、わたしの敗因だった。

(あーあ、やっちゃったなぁ)

 薄ぼんやりと思う中、視界の端で銀色が閃く。「……辞めてくれなかったんだね」と、少しだけ寂しげな声が耳元で囁かれたのを最後に、わたしの意識はぷつりと途切れた。


2024.04.01



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