いつか滲みゆく白のこと



 【会議のお知らせ並びに出席依頼】。
 政府から送られた封筒の中、薄っぺらい紙切れに無機質な文字が並んでいた。内容にひととおり目を通し、ため息をひとつ。形式上「依頼」とあるものの、欠席は許されないと知っている。
 重たい腰を上げ、執務室を出る。仕事で政府官邸へ赴く際の同行者は、ほとんどの場合初期刀の加州だった。今回も彼に頼もうと畑へと向かう。綺麗な赤を飾った爪が汚れることを多少気にしつつも、せっせと野菜の世話をしてくれているに違いないから、何か差し入れも持っていこうかな。
 そんなことを考えながら木造りの廊下を左に曲がったところで、思わず足が止まった。残暑の厳しさを感じさせる陽の光に、きらきらと白銀が照らされている。くの字に折れた向日葵が並ぶ庭を退屈そうに見つめているのは、数週間前に顕現したばかりの鶴丸国永だった。やる気のない欠伸をした彼がこちらを向いて、

「よぉ、きみ。誰か探しているのかい」

 と問いかけた。
 きらきら、きらきら。照る白銀は、思わず目を細めるくらいに神々しい。

「加州を」
「あぁ。今日は畑当番だったかな。忙しそうにしてたぜ」
「うん。……鶴丸は、退屈そうだね」

 やや間があって、鶴丸は「そうだな、退屈だ」と口角を上げた。合わせて目元がゆるりと細まるのに、その笑みがどうにも人の真似事っぽく見えてしまうのは、彼の目がひどく澄んでいるからだろうか。
 見つめあって、数秒。わたしは、手にしていた政府からの封筒を開け、「今度、会議に参加するんだけど」とその中身を差し出した。鶴丸が受け取り、内容にさっと目を通す。

「一緒に来ない?」

 紙面に落ちていた眼が、僅かに開かれるのが分かった。ゆったりと顔を上げた彼が、「いいのかい、俺で」と肩を竦める。

「うん。驚いた?」
「そうだな。こういうのは初期刀の仕事なんじゃないのか」

 そのつもりで彼を探していたんだろう、と言いたげな眼差しに、わたしは薄く笑うだけにした。あまり会話を続けていると、それとなく断られてしまいそうで。

「……ま、退屈しのぎにはなるかな」

 了承した鶴丸は、紙面を丁寧に折り畳んでこちらに返した。続けて、「それじゃあ、当日はまた声をかけてくれ」と告げるので、一応了承してくれたらしい。仕事とはいえ、鶴丸と二人で出かけるのは、これが初めてだ。



 会議は珍しく、二日に渡って行われた。折角なので所持金を叩いて良い旅館に泊まることにしたわたしは現在、武家屋敷を思わせる広い玄関の前にいる。鶴丸は敷地の至る所に植わった鮮やかな紅をしげしげと見上げていた。加州ならば「主と旅行だ」と分かりやすく喜んでくれただろうが、この神様はなにを考えているか、少し分かりづらい。
 カウンターで手続きを済ませ、広間を抜けて宿泊部屋へ。い草の独特な香りがふわりと鼻を抜けた。

「この後の予定は?」

 鶴丸が問いかけた。

「特にないよ。温泉があるから、ゆっくりするつもり」
「そうか。それなら俺は、探索でもしてくるかな」
「ここに来る途中、土産屋さんがいっぱいあったもんね。おもしろいものも見つかるかも」
「ああ、そうだな」

 荷物を置き、机の上の急須や茶菓子、ほかにもアメニティなんかを確認しながら。「よかったら、一緒に行く?」と掛けようとした言葉は、途中で途切れた。

「……」

 鶴丸から、言いようのない圧を感じたからだ。口元には僅かながら笑みを湛えているし、それに合わせて目元もゆるりと細まっている。それなのに、言い知れぬ怖さがあった。有無を言わせない笑み、というのはのはこういうのを言うんだろうと、直感的に認識した。
 神様らしい圧にたじろいで、けれどなるべくそれは表に出さないようにして。「ううん、なんでもない。好きに出かけていいよ」と告げた。
 鶴丸はにっこりと笑うと、「ああ。何かあったら呼んでくれ」と颯爽と部屋を出る。
 その背中が見えなくなってようやく、わたしは長い息を吐いてずるずるとその場に腰を下ろした。
 鶴丸が顕現してからおよそ一ヶ月。同期や先輩の本丸で見聞きした彼とは違い、この本丸に来た鶴丸は穴は掘らないし万屋ではしゃぐこともない。正直まだ、距離感を図りかねている。
 そういえば、と、政府の会議後に嫌な役人に絡まれた時のことを思い出した。かつて同行してくれた加州はさり気なく助けてくれたけれど、鶴丸は当然そんなことはしてくれなくて。やっぱり直前にでも近侍を変えるべきだったかもしれないと、そんな考えが過り、気分が沈みそうになる。

(ネガティブよくない!退散!)

 覆いかぶさってくる暗い思考を振り払うように、ぶんぶんと頭を振り、勢いよく立ち上がった。こんな時は、美味しいご飯を食べて、温かいお風呂に浸かってたくさん寝るに限る。とはいえ夕食は既に済ませてしまったので、あとはお風呂と就寝。布団は既に旅館の方が敷いてくれているから、お風呂に入りさえすればすぐにでも寝られる。
 鞄の中から下着を取り出し、部屋に置かれていた浴衣と一緒にトートバッグへ移し替える。勢いのまま部屋を出て、大浴場へと向かった。
 広い浴室は運が良いことに貸切で、一人じっくりと温泉を堪能する。露天風呂は辺りの景色も特に良かった。見上げれば月。それから、燃えるような紅の葉が、ひらりひらりと舞い落ちる。周囲は篝火が取り囲んでいて、ぱちりぱちりと心地の良い音がする。
 体全体でとっぷりと湯に浸かっていると、少しだけ気分が落ち着いた。ふぅ、と息を吐きながら、本丸への土産はどうしようかなとか、光忠は何かデザートを作ってくれて待っているかなとか、そんなことを考える。うん、だいぶ気分も戻ってきた。楽しいとが頭にたくさん浮かんでくる。そうだ、部屋に戻ったら眠る前に加州に電話をかけてみよう。きっと嬉しそうに通話をしてくれるはず――。そうして、思わず鼻歌すら零しそうになった時。
 不意に背筋に冷たいものが走って、自然と息が止まった。
 重く淀んだ空気が辺りに広がる。空が不気味に暗くなる。――これは。
 身構えると同時に、バチンと激しい火花が散った。

(遡行軍……!?)

 よりにもよってこのタイミングで。近侍はいないしそもそもわたしは裸だし、どんな状況だ笑えない!

「鶴丸国永!」

 呼んだものの返事はなかった。あの野郎、本当に主を置いて表通りの見物に行きやがって!
 遡行軍が距離を詰める。組紐のブレスレットをつけた右手を差し出すようにして護身法を唱えれば、遡行軍は電撃を受けたように一時的に動かなくなった。
 タオルを体に雑に巻き付け、湯からあがる。濡れた手で地面に陣を描き、再び呪文を唱える。簡易的なものにはなるけれど、何もしないよりはマシだ。レシートを霊符代わりにする人もいるくらいだし。
 陣からじりじりと距離を取るうちに、遡行軍が再び動き始めた。その脚が陣を踏むのと同時に手を打ち合わせ、一層強くまじないを叫ぶ。雷鳴のような光が轟く。けれど。

「――ッ!」

 所詮簡易な陣。所詮人のまじない。効果は薄かった。障気を纏った木の葉が腕を掠め、薄らと赤い傷ができた。遡行軍の不気味な瞳が真っ直ぐにわたしを捉える。
 どうしよう、逃げる?無理、避けきれない。鶴丸、ううん、彼はきっと来ない、ああもう、こんなことなら加州を――。
 目に映るものすべてがスローモーション。そうして、振りかざされた鈍色の刃に、死を覚悟したとき。
 ドッと鈍い音がして、遡行軍が頽れた。稲妻のように閃めく白刃。雪のような真白が神々しく揺れて、うつくしい黄金色の瞳がこちらを見下ろしている。

「つる、まる……」

 脱力し、へたへたと座り込んだわたしに手を差し出すこともせず、鶴丸は「こんなところにも遡行軍が現れるとはな」と物珍しげに呟いた。
 ひとまず助かったことに安心しつつも、もっと早く来いよとか、もう少し心配する素振りをしろとか、思うことはたくさんある。自然と反抗的な目になっていたのか、彼は肩をすくめると、「退屈しのぎだと言っただろう?」呆れたようにそう言った。
 がつん、と鈍器で頭を殴られたような衝撃が走る。鶴丸はきっと、主というものにさほど興味がない。愛着がない。これまでわたしの本丸に来てくれたどの刀たちよりも、神様らしい存在だった。
 ぎゅっと拳を握りしめるわたしを、鶴丸は相変わらず興味がなさげな目でじっと見つめて。それから、薄っぺらいタオルで肌を隠そうと足掻いている様子に、「そうしているのも理解できないな。余計なことに気を散らすから、術が上手くいかなかったんじゃないのか?」などと言ってのけた。
 これには恐ろしさや悔しさよりも、怒りが勝った。なるほどつまり、彼にとってわたしの裸はただの風景と同じだと。刀の付喪神とはいえ、成人男性の体で顕現した奴が言うには、なんというか、あまりにも。

(こいつ、この……、ちくしょうめ……!)

 さっさとその場を離れる背中を睨みつけながら、心の中だけで罵詈雑言の限りを吐き尽くす。



 政府への報告などに追われ、結局ゆっくり休むことができなかった一泊を終え迎えた翌日の会議は、帰らせてくれと泣きたくなるくらいにふらふらだった。
 そして、夕刻。

「主、宿に遡行軍が現れたって……!大丈夫……!?」

 本丸に戻ると、真っ先に加州が飛び出してきた。その側には安定もいて、心配そうにこちらを見つめている。

「大丈夫、何ともないよ」

 大袈裟だよと言わんばかりに、片手をひらひらとさせ返事をしたのに、加州は「待って」とわたしの右腕をしっかりと掴んだ。

「安定」
「うん」
「ちょっと待って、なになに」

 抵抗できずにいると、安定が器用に服の袖をたくし上げてきた。ぎくり、と思う。露わになった肌には遡行軍が襲撃した際にできた小さな傷があって、彼らはそれに目敏く気づいたらしい。嘘でしょ、完全に隠していたし、変な動きもしてなかったのにどうして。

「何これ」
「いや、ちょっと……、別に大したことないって」

 しどろもどろになっていると、いつのまにか他の刀たちも集まってきていた。縁側で猫と戯れていた大倶利伽羅や、厨で料理途中だったらしい光忠。
 その脇を、それまでじっと背後に控えていた鶴丸が通り過ぎていく。この一泊で彼の感情については何となく理解できたし、相変わらずだな、と思うだけだったけれど。

「……おい」

 意外にも、その背中に大倶利伽羅が声をかけた。さすがの鶴丸も足を止め、「何だい、伽羅坊」と振り返る。

「今回の同行者はあんただろう。ちゃんと見てやれなかったのか」

 ……!?大倶利……伽羅……!?
 待って大倶利伽羅、意外とわたしのことを心配して……!?いや違う喜んでる場合じゃない、これで不穏な空気になったりしたら。
 背中に冷や汗をかくわたしと裏腹に、鶴丸は相変わらず飄々としたままだった。

「見ていたさ。だからこうして、無事に帰ってきてるだろう」
「無事って、主怪我してるんだけど!」

 加州がムッとして、それに安定が同意する。わたしは慌てて、「ちょっと掠っただけだから!」と言うも、「でも俺たちと違って手入れで治らないじゃん」「それはまぁそうだけど!」というか、治ったりしたらそっちの方が怖い。
 言い合うわたしたちをちらりと見た大倶利伽羅は、もう一度鶴丸へと視線を向け、僅かに眉を寄せる。

「守る気がないなら、なぜ同行した?」

 鶴丸が薄く笑う。それから、わたしに対して何度も告げていた言葉を発した。
 ――退屈しのぎだ、と。
 ぴり、と辺りの空気が張り詰めたのが分かった。鶴丸は敵意はないというように両手を広げつつ、「まぁ」と続ける。

「突然の襲撃は多少驚いたし、審神者の術とやらもはじめて見たな。……失敗していたが。ああ、はじめて見たといえば……」

 と、何を思ったか、鶴丸はそこで言葉を区切った。わたしは一歩前に出る。そして、平静を保つように呼吸を整えて、

「……鶴丸は、退屈がしのげなくなったら、ここからいなくなるつもり?」

 と、尋ねてみるも、

「勝手に審神者の元を離れられるのかい?」

 逆に聞き返された。

「……どうだろう。聞いたことはないかな」
「だろうな。まぁ、あまりに退屈だったら考えるさ」

 だから精々飽きさせるなよ、と続く言葉が聞こえた気がした。
 鶴丸はひらりと身を翻し、呆然とする皆の前を通り過ぎる。が、ふと足を止めたかと思うと、「そうだ、さっきの続きだが」とこちらを向かぬままに呟いた。

「きみ、胸元に黒子があったんだな」
「……は?」

 訝しんで数秒。言葉の意味を理解したわたしは、勢いよく「ハァー!?」と叫んでいた。というか、悲鳴のような声はひとつじゃない。加州も安定も「なんで」「どういうこと」とわたしの腕を掴むし、「説明しろ鶴丸国永!」と殴りかかりそうな勢いだ。

「違、風呂場で!温泉に遡行軍が来ただけで!」
「何その遡行軍!?なんでわざわざお風呂の時間狙うの!?」
「それは知らん!」

 ぎゃあぎゃあと言い合うわたしたちに振り向く素振りひとつないまま、鶴丸はその場を立ち去る。
 収集がつかなくなりそうな状態に、喝をいれてくれたのは光忠だった。「そんなことよりも!」と手のひらをぱんと合わせて、ぴたりと会話をやめたわたしたちを見つめる。

「いや、そんなことではないかもだけど……。主は、その……、ンンッ、裸を、見られてるわけだし……」
「改めて言わなくて良いよ、羞恥が増すから」
「それならいいんだけど。……大丈夫?」
「裸見られたことなら大丈夫じゃない」
「だからそうじゃなくて!……鶴さんのことだよ。あんなこと言ってるけど、さすがに出て行ったりはしないと思うし……ええっと」

 彼なりに慰めようとしてくれているんだろう。大倶利伽羅も、様子を伺うみたいにこちらを見ている。
 わたしは「あぁ」と零して、「それなら大丈夫だよ」と一言。本心だった。なんというか、温泉で裸を馬鹿にされて以来、一周回って吹っ切れたし。あそこまで好感度がないというのなら、逆に開き直れる。

「たしかに出陣も遠征も当番も……来てすぐしてもらって以来、全然だったなって思ったし。要は退屈させなかったらいいんでしょ。俄然、燃える……!」

 鶴丸が立ち去った先を見つめながら、ぎゅっと拳をつくる。わたしの目はきっとやる気に満ち溢れていて、取り越し苦労だったと言わんばかりに息を吐いた大倶利伽羅が「あんた、意外と図太いな」と呟いた。



 それから、怒涛の日々が始まった。

「鶴丸国永、遠征!」
「鶴丸国永、畑当番!」
「次、出陣!」
「馬当番!そのあとはみんなで厩舎周りの落ち葉集めするよ、焼き芋のために!」
「料理当番!ちなみにわたしは今日、煮込みハンバーグの気分です!」
「鶴丸国永、釣り行くよ、釣り!」
「鶴丸、ラジオ体操の時間です!」
「鶴丸、今日は近侍ね。現世行くから着いてきて!」

 遠征に出陣、日替わりの当番から始まって、これまで一人でやっていたことにさえ彼を巻き込んだ。暫くしてから、三日月宗近や数珠丸しか起きていないような早朝に彼を叩き起こしたり。
 そうして彼とよく似た銀色に包まれた日々が過ぎ、生き物たちが息吹きはじめる儚い春を越え、照る太陽に目が眩みそうな青い季節を迎えて。それでもしつこいくらいに誘い続ける毎日に、鶴丸は「きみなあ……」といい加減呆れ顔だった。

「なに、退屈は嫌だってそっちが言ったんでしょ」

 文句は受け付けないぞというようにそう告げると、鶴丸は「まあ、そうだが」と頷きつつも、「こうも絡まれるとは思っていなかった」と零した。

「大倶利伽羅にも図太いって言われた」

 がりがりと氷を削るわたしの隣で、鶴丸が大量のフルーツを切っている。その先には「冷たくて美味しい!」と笑う安定、「溶ける前に写真撮ろ〜」と嬉しそうな加州、ほかにも、数え始めるとキリがないくらいの刀が集まっている。
 ちょうど一年前、鶴丸が顕現する少し前に、以前使っていたかき氷器は駄目になった。新しいものはついこの間買いに行ったわけだけれど、その時にも鶴丸についてきてもらっている。
 部屋の中を埋め尽くす賑やかな声の隙間を縫って、ちりんちりんと風鈴が揺れている。

「図太い、か。はは、そうなんだろうな」

 鶴丸は手元のかき氷に苺やマンゴーを盛り付けながら笑っている。昔と違って自然な笑みに思えた。彼がこんなふうに笑う度に、わたしはいつも擽ったい気分になる。
 フルーツが宝石のように彩られたかき氷を、彼はわたしへと差し出した。「いいの?」と両手で受け取ると、「ああ」頷いた彼は至極穏やかに、「最近は愉快だからな」その礼だと言わんばかりに目を細めた。
 ――そうしてまた、季節を越えて。
 鶴丸が顕現してから四年が経とうとしたころ、再び政府から招集がかかった。近く予想される大侵攻に関する対策会議としていくつかの本丸に協力要請を出したものらしく、やはり出席は半ば強制されたものだった。
 依頼書を確認し、思わず瞬きをする。会議の日程は奇しくも、今からちょうど四年前、鶴丸と初めて政府の会議に出席した日と同日だった。だから真っ先に、わたしは鶴丸に声をかけた。鶴丸が日程のことに気がついたかは定かでない。ただ彼は昔と同じように「いいのかい、俺で」と問いながらも、どこか誇らしげな表情だった。



 二日間の会議の合間を縫って、わたしと鶴丸は以前と同じように温泉地で一泊をした。前回とは違う旅館だったけれど、こちらも紅葉が見事だ。赤い太鼓橋を渡る鶴丸は空を覆いつくす鮮やかな葉を眩しそうに見つめ、「見ろ、きみ。随分といい景色だな」と語りかけてくれる。
 チェックイン後の彼は、四年前のように一人で散策に出かけようとはしなかった。「きみが出かけないなら残るさ」と畳の上に腰を下ろし、急須でお茶を淹れている。用意されていた温泉饅頭を二人で平らげて一服した後、「温泉に行ってくる」と告げれば「何かあったらすぐに呼んでくれ」と返された。

「たとえば遡行軍が出たり?」

 揶揄いのつもりで投げた言葉だったが、鶴丸は真面目な顔で「そうだ」と頷いた。昔は助けてくれなかったじゃん、と言える雰囲気ではなくて、わたしは「分かった」と返事をするだけだった。

(でも遡行軍なんて、そんなほいほい現れるもんじゃないしなぁ)

 熱い湯が背中の筋肉をゆるゆるとほぐしてくれる。息を吐き、ぐいっと伸びをしながら、政府官邸での鶴丸のことを思った。わたしの側に立つ彼は四年前よりも距離が近くて、周りの動向を注視してくれていた。昔と比べたら良い関係を築けていることな明白だ。明日は辺りを散策してから帰ってもいいかもしれないと、そんなことを考えて口元が緩んだ時。
 ドン!と背後で雷が落ちたような振動があった。ぎょっとして振り向くと、ばちばちと静電気のような光が怪しく散っていて、その中心には――、

(また遡行軍……!?)

 嘘でしょわたし、どんだけ運悪いの。どんだけ遡行軍に好かれてんの。
 苛立ち半分、焦り半分のまま立ち上がり、臨戦態勢を取る。それから、部屋で待機している彼のを呼ぼうと口を開いて。

「つる――」

 その名は途中で、「あるじ!」という鋭い声に遮られた。目前で白銀が閃き、その一瞬で遡行軍は地面に崩れ落ちる。
 ――驚いた。
 まさか、こんなにも早く駆けつけてくれるとは。
 真白の翼によく似た衣が翻る。「無事か、きみ!」と。動揺を隠そうともしない声でこちらを振り返った彼は、直後、「ウワーーーッ!?」と情けない悲鳴でその場にしゃがみ込んだ。自分の顔を、両手で覆い隠すようにして。

「は?」

 思わず低い声が出る。雪のような色をした髪の隙間から覗く耳が赤い。これはまさか、と思っていたら、「き、きみ……!はだ、すまん……!」と、鶴丸は支離滅裂に謝罪した。
 わたしは呆れて、

「鶴丸、昔も見たでしょ」

 淡々と言ってのけたら、「昔と今では訳が違うだろう!」と反論した彼が勢い余ってこちらをギッと見て、直後にまた「すまん!」と顔を逸らした。なんだかポンコツみたいになってしまっている。
 とりあえず顎まで湯につけて、肌をタオルで巻いて隠す。鶴丸はこちらの様子を伺いながら、「きみだって」と呟くように言った。

「きみだって、そうじゃないのか。だから今回も、俺を選んでくれたんだろう」

 薄く目を開く。
 はじまりは、審神者としての意地のようなものだった。あんな態度に負けてたまるかと、退屈なんかさせてやるかとムキになって、しつこく彼に声をかけていた。けれど、最近は。最近はただ、彼と一緒にいるのが楽しくて。

「……たしかに、そうかも」

 口元が緩む。溢れた言葉はひどく穏やかな音をしていて、それを受けて鶴丸も微笑んだ。頬に桜の花弁を乗せたような、柔らかな笑みで。



 それから、数日後。

「今日こそ聞いてくれ、伽羅坊!」

 気候の穏やかな午後。大倶利伽羅が自室でのんびりとしていたところ、勢いよく襖が開け放たれ、彼はうんざりとそちらを見た。柔らかな陽の光に真白が照らされ、まるで発光体のような鶴丸がいる。面倒臭そうにしながらも「……なんだ」ととりあえず聞き返した大倶利伽羅に、鶴丸は心底嬉しそうな笑顔になって「そうか、聞いてくれるか!」とずかずかと乗り込む。

「俺と主だが、非常にいい感じだと思わないか……!?」

 大倶利伽羅のすぐ隣に腰を下ろした彼が言う。脈絡のない話だったが、大倶利伽羅は(やはりそういうことか)と溜息をついた。鶴丸がそわついていることは、二人が会議から帰ってきた直後から気づいていた。というかその日のうちに、鶴丸は「伽羅坊聞いてくれ……!」と大倶利伽羅に突撃していたのだ。彼はそれを冷静に「聞かん。この後出陣があるし、明日も遠征だ」と跳ね除けて、そうして今に至る。「今日は一日休んでね」という審神者の気遣いはありがたかったが、果たして出願と鶴丸の相手、どちらが苦労するのだか。

「よく言う」

 と、大倶利伽羅は呆れたように言った。
 鶴丸が審神者に対して「退屈させるならきみの元を去る」などと、脅しのような言葉を告げたのはたったの四年前だった。忘れたとは言わせない。
 それに対して、鶴丸はぐっと言葉に詰まったものの、「昔は昔だ」とすぐに否定した。

「主も昔と今では訳が違うと。それにこう、お互い照れてだな……!」

 身振り手振りで、興奮した子どものように喋る彼は、そこでぴたりと言葉を区切った。話半分に聞いていた大倶利伽羅だったが、違和感を感じてそちらを向くと、分かりやすく顔を赤くした鶴丸がいる。

「……裸でも見たのか」
「はだ……っ、ば……ッ、なんて事言うんだ伽羅坊!」
「違うのか」
「違わないが!?」

 鶴丸が大倶利伽羅の胸倉を掴み、猫のようにだるんとした彼を乱暴に揺する。大倶利伽羅は特段抵抗もしないまま、「昔も見たうえに、全員の前で揶揄っただろうが」平べったい声で指摘した。「それ以上は言うな……!」と、鶴丸が懇願するように叫んだ時。

「あ、いた。二人で賑やかだね」

 なに話してるの、とにこにことしながら審神者が現れた。鶴丸は慌てて押し黙り、「こいつが……」と指差す大倶利伽羅の手首を勢いよく払い除ける。長々と馴れ合うつもりはなかったので、大倶利伽羅はすぐに話題は変えて、「探していたのか」と審神者に問いかけた。

「うん。鶴丸を」
「あ、ああ。何だい、きみ」

 平静を装いながら鶴丸が返事をする。そんな彼の前に、審神者は「見て、これ」と紙切れ二枚を差し出した。じっと見つめた二人は、程なくしてそれが旅行券であると気づく。

「どうしたんだい、これ」
「商店街で福引したら当たった!一等賞!」

 自慢げに笑った彼女は、「よかったな」「やるな、きみ」それぞれに声をかけられ、一層誇らしげにした。それから、「温泉なんだけど」と続け、手にしていた券の一枚を鶴丸へと差し出す。

「鶴丸、一緒に行く?」
「……え」
「え?」

 唖然とした鶴丸に、審神者は予想外の反応だと言わんばかりに瞬きをした。それから、「うそ、ごめん。温泉嫌いだっけ」慌てたように券を引っ込める。

「いや、嫌いではないが」

 と否定した鶴丸は、咳払いをひとつして、

「ふたりきりだぞ。分かってるのか、きみ」
「二枚しか当たってないからそうだね。でもこないだも二人だったし、みんなにもお土産はちゃんと買うから」
「違……っ、そうじゃなくてだな……!」

 どうやら彼女は、鶴丸が本丸の皆を置いて旅行に行くことに気を遣っていると判断したらしい。不思議そうな表情に、鶴丸は叫びたい気持ちをぐっと堪える。
 あんなことがあったというのに、またもや温泉旅行。仕事ならともかくプライベートで一泊となれば、最早デートだ。少なくとも、鶴丸はそう意識をせざるを得なかった。彼は現在の審神者との関係を、「非常にいい感じ」だと認識していたのだから。けれど。

「おい、全然意識されてないぞ」

 隣の大倶利伽羅にぼそりと指摘され、鶴丸は「言うな……!」と歯を食い縛った。
 それから、顔を青くしたり赤くしたりしながら、審神者の誘いを受けるべきか否か迷っている。同行して心臓が持つかと言えば自信がないが、審神者が別の刀を連れていくと言い出せばそれはそれで苦しい。いっそのこと、旅行券を切り刻んでなかったことにしたいくらいだった。とはいえ、それは鬼畜というもの。

「〜〜ッ、分かった!共に行こう!」

 結局鶴丸は、半ばやけくそに承諾するしかなかった。求めていた返事を貰えたことで審神者はパッと花を咲かせたように笑うと、

「じゃあ詳しい話はまた今度ね」

 弾んだ声でそう告げ、上機嫌に部屋を去る。
 その気配が完全になくなってから、鶴丸はずるずると畳の上で体を折った。

「伽羅坊ぉ……」
「知らん。自業自得だ」

 鶴丸を見下ろす大倶利伽羅が、何度目になるか分からない溜息をついた。かつてあれだけ厳しい態度を取っていたのだから、審神者もまさか男女としての好意を向けられているとは考えつかないのだろう。
 同じ部屋で一泊だぞ、とめそめそする鶴丸がいい加減面倒臭い。摘み上げて放り出してやろうかと思ったところで、「鶴さん」と光忠が現れた。彼は床にごろりと寝そべった鶴丸を珍しそうに見て、「どうしたの」と問いかける。
 か細い声で一連の流れを説明した鶴丸へ、光忠は苦笑したものの「でもね、鶴さん。今度は鶴さんが頑張る番じゃないかな」と膝を折った。

「俺が……?」
「そうだよ。鶴さんに邪険に扱われても、主はめげずに色んなことに誘ってくれたでしょ」
「……ああ」
「だから今度は、鶴さんから誘わないと。デートって意識してもらえるようにさ。大丈夫、主は鶴さんのことが嫌いなわけはないんだから」

 そう言う光忠の無駄に輝いた目をじっと見つめ。鶴丸は、「それもそうか!」と割と簡単に元気を取り戻した。

「恩にきるぜ、光坊!さっそく万屋に出かけないか聞いてこよう!」
「おい、買い物にはさっき行ったところだろう」

 冷静な大倶利伽羅の指摘は耳に入らなかったのか、鶴丸は勢いのままに部屋を飛び出した。真白がひらりと翻り、光の粒を残すように遠くへ消える。
 嵐が去った、と息を吐いた大倶利伽羅は、隣に立つ光忠をちらりと見上げ、「焚きつけてよかったのか」と問いかける。
 審神者が鶴丸のことを嫌っていないのは事実だ。けれど、良い刀であると信用していればしているほど。ただの好意以上のものを向けられたなら、動揺したり困惑したりした彼女に距離をとられるのではないか。あるいは、これまでの信用が崩れて近侍などを任せることがなくなるのではないか。
 そんな大倶利伽羅の不安をよそに、光忠は穏やかに微笑むと、「きっと大丈夫だよ」と答えた。その脳裏に、買い出しから帰ってきた彼女が、鶴丸の部屋の前で旅行券を片手に考え込んでいた様子を思い出す。手に収めた券をじっと見つめ、顔を赤くしたり口をへの字にしたりと百面相を繰り返していた彼女はしばらくして意を決したように顔をあげると、「鶴丸、いる?」と襖に手をかけて。
 審神者は鶴丸のことを特別な存在に思っていて、そして、多少なりとも意識しているに違いなかった。もちろん、本人がそのことに気づいているかは光忠にも分からないけれど。それでも、二人が特別な関係になる未来は、きっと、そう遠くない、はず。
 大倶利伽羅は、光忠が目にした一連の出来事をまだ知らない。それでも、彼のどこか確信めいた笑みを見て、「あんたが言うならそうなんだろうな」と、少しだけ口元を緩ませるのだった。



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