どろりの夜間遊泳
しくじった。完全に、しくじった。
絵画が飾られた木造りの壁に背中を預け、体の震えを抑えつけようと掴んだ掌に力を込める。けれど、指が食い込むくらいの痛みを肌に与えても震えはちっとも治まらない。
荒い息を零して、ビリヤード台の近くに転がった男の死体を恨みがましく睨みつける。その傍には割れた小瓶のガラスが散乱し、不気味なピンク色で着色された液体がどろりと零れていた。
裏社会で流行っているらしい、新種のドラッグだ。性的興奮を一時的に高めるもの。いわゆる媚薬の類。液状の飲み薬という風に聞いていたから、「飲まされないこと」に重きを置きすぎた結果がこのザマだ。
(気体化したの吸い込んだだけでコレとか……、ほんっと、信じられない……!)
普通に生活していても性に対する欲をコントロールできない人間もいるというのに、こんなものが出回ってしまえば日常が狂う。
襟元を乱雑にたくし上げ、少しでも空気を吸わないように移動する。この室内にいた人間は全員処分できたものの、追手はまだいるはずだ。こんな状態で鉢合わせてしまえば、何をされるか分かったものじゃない。
神経毒や麻痺性の成分が含まれていなかったことはせめてもの救いだろう。頭が少しぼうっとすることを除けば、体はしっかりと言うことを聞く。
気配を殺して、ゆっくりと扉を開ける。真っ直ぐ伸びた廊下には誰もいない。体を滑らせ、音をたたないように廊下を抜ける。かなり大型の豪華客船だからか、揺れはそこまで感じなかった。突き当たりの角を曲がり、階段を駆け上がる。
――ガシャン。
頭上から音が聞こえ、素早く視線を向ける。シャングリラにぶら下がるようにして、敵が二人。下のラウンジには一般客がいる。拳銃は使えない。
投げられたナイフの内ひとつを奪い、頸動脈めがけて振り下ろす。ビュッと鮮血が散り、二人とも一瞬で気を失った。力の抜けた体がラウンジへ落ちないように階段側へと投げ飛ばし、その音に気づいた一般客が上を見上げる頃にはわたしも廊下の奥に姿を隠す。
大丈夫、まだ動ける。動けるけれど、いい加減キツイ。どのくらいで熱が治まるのか、全く情報がないのも苦しかった。
マスターキーで自分の部屋を開け、転がるように入り込む。
(とりあえず、コレ何とかしなきゃ……)
そんなことをぼんやりと考えながらその場に蹲る。自分で慰めるのは正直言って屈辱だった。純粋にそういう気分になるならまだしも、マフィアが造った違法なドラッグで弄ばれるみたいで気分が悪い。
ただただ時間が経つのを待つか。そう結論をくだして息を吐いた時、
「ンッ!?」
突然クローゼットから腕が伸び、羽交い締めにされてしまう。警戒を怠ったつもりはないが、いつもより反応が鈍っている。
「お前、薬を飲んだな」
下品な笑い声が耳元でして、背中に寒気が走った。肘打ちで抜け出そうとするけれど、意外にも男の力は強い。そのまま服が引き裂かれ、ごつごつとした手が肌に触れる。
「ーーッ!」
びくり、と身体が跳ねた。
自分自身の反応に絶望する。今のわたしの体は、こんな男に触れられて快感を感じるレベルになっているのか。
「いい反応だなァ。楽しもうぜ……」
「殺す……ッ」
精一杯に呪詛の言葉を吐き、声など上げないように唇を噛み締める。男の舌が耳を舐め、首筋を這う。気持ち良くなんか、なるもんか。そう強く思うのと反対に、体の力がどんどん抜けているのを感じる。
こうなったらいっそのこと、舌を噛み切って死んでやろうか。そんな風に思い、肩で息をした時だった。
パシュッと肉が裂かれる音がして、肌に生温かい液体が飛び散る。同時に拘束が緩み、わたしの後ろにいた男は音もなく崩れ落ちた。男の顔は、まだ生きているみたいに目を見開いたまま。
「あれ〜?どうしたの、大変なことになってるね」
「な、ぐも……ッ」
飄々と現れたのは、背の高い美青年。彼は今しがた人を殺したと思えないほどの笑顔でこちらに近づき、わたしの様子をしみじみと観察すると、
「飲まされちゃったの?」
油断したね、と言わんばかりにそう尋ねた。
「ちがう、瓶が割れて吸い込んだだけ……」
体の震えを何とか抑えながら立ち上がり否定する。薬のせいで危機的な状況に陥っていることに変わりはないけれど、飲まされるほどに弛んではいない。
わたしの返答に、南雲も少しだけ驚いたらしい。
「ふうん。想像以上に効くヤツだったんだ」
薬の性能に感心して、そんなことを言う。
それから徐にわたしの元へと近づくので、
「ちょ、何して…っ」
「え?だって苦しいんでしょ。楽にしてあげる」
言うや否や、彼は裂かれた衣服の隙間をぬって乱雑に下着をたくしあげると、固く尖った胸の先を指で摘んだ。
「ひ、ぅぁ……っ♡」
堪らず声が出て、がくがくと膝が震える。
「あは、かわい〜♡なんか興奮するね、普段からは想像できないや」
「ぁっ♡あ♡あ♡やぁぁっ♡」
きゅぅっと摘みあげられる度に刺激が背中を走って、身体を仰け反らせて悦んでしまう。それなりに気心の知れた仲だからか、純粋に彼の顔がそこそこ好みだからか――不思議と不快感はなくて、襲ってくる快感に声があがる。ちがう、ちがう、ちがう。全部薬のせいだから、普段はこんなに弱くない…!
「ほら、イキなよ。イッたらちょっとは楽になるでしょ……っ」
「ぁっ♡あっ♡あっ♡だめ、だめだめ、そんな、吸っちゃぁぁっ♡」
南雲の舌が器用に胸の先を吸い上げて、わたしは霰もない声をあげて達してしまう。体全部に刺激が走って、快感の渦に呑まれていく。気持ちがいい、頭がぼうっとする。
「……南雲、まだ……っ、まだ、体熱い……っ」
甘ったるい声で、そんなおねだりをしてしまう。一度達して楽になるどころか、体はもっと快感を求めていて。
熱い息を零しながら腕を掴んだわたしに、南雲は僅かに怯んだ。年頃の男性にしては幼く見えるその瞳が、一層子どものように見開かれている。
「……っ、ほんと、すごい薬だね。んじゃ、今度はこっち触ってあげる〜」
「ぁっ♡」
そう言ってわたしのスーツのズボンに手をかけた彼は、ぐしょぐしょに濡れたショーツにくつりと笑うと、遠慮なく長い指を滑り込ませた。
「ひぅ……っ♡ぁ、す、ご……っ♡」
南雲の骨張った指はすぐに敏感なところを見つけて、くるくると掻き混ぜるようにしていじめてくる。
「わ〜、とろっとろ……♡気持ちいい?」
「んっ♡気持ちぃ……♡それ、好きぃ♡」
「なんか気持ち悪いくらい素直だね〜。嬉しいような悔しいような……」
ぶつぶつと独り呟いた南雲は不意にその場にしゃがみ込むと、
「ね、ここ舐めてもいい〜?」
ぐちゃぐちゃになった蜜つぼに息を吹きかけ、そんなことを聞いてくる。
普段だったら、ふざけるなと蹴り飛ばしていたと思う。ただ、今まで快感を与えてくれていた指が引き抜かれ、もう達することしか頭になかったわたしはコクコクと頷いて、「何でもいいから、ちょうだい……っ♡」そんな、淫らなお願いをする。
「ん、分かった♡」
嬉しそうに頷いた彼が、ちゅうとわざとらしく音を立てて溢れる蜜を舐め上げる。生温かい舌が這い上がって、「ひぁ♡」背中が弓なりにしなる。
指の方が、奥まで届いていたと思う。ただ、視線を下に落としたら、わたしよりもずっと大きな男(しかも顔が好みの)が一生懸命わたしの秘部を舐め上げていて、そのことに堪らなく興奮する。
「な、ぐも……っ♡わたし、もぅ……っ」
「ん♡またイキそう?いいよ、好きなだけイッて……っ」
喋るたびに息が吐きかかり、膝ががくがくと震える。駄目、立っていられない。
「ひ、ぁっ♡ぁ〜〜ッ♡」
泣きそうな声で喘ぎ、南雲の黒髪や肩辺りのシャツをぐしゃりと握りしめてしまう。きっと痛くしただろうに、彼は文句のひとつも言わなかった。「イッた?」とでも言わんばかりの瞳がこちらを見上げ、わたしは何度も首を縦に振る。
それで多少は落ち着くと思ったのだろう、立ち上がった南雲が「もうちょっとしたらまた合流しよ〜」と手をひらりとさせる途中。わたしはその腕をぎゅうと掴み、ふるふると首を左右に動かした。
「南雲、やだ、もっと……っ」
ぎょっとしたように、彼が動きを止める。珍しく少し困ったような表情で、
「まだ薬の効果切れないの?」
「分かんない、けど、南雲の、ほしい……っ」
熱い吐息と潤んだ瞳で嘆願したわたしに、南雲は低く唸った。
「……あのさあ……」
それから、自分を落ち着かせるように、長く息を吐いて。羽織っていたコートをぐるりとわたしに被せると、軽々と横に抱えて部屋を出た。乱暴な足取りで廊下を進み、上の階の角部屋を雑に開ける。
綺麗に整理された部屋だった。おそらく南雲の宿泊場所であるそこは、わたしの取った部屋よりも一回りほど大きく豪華で、給与とか待遇の差を思い知る。
一瞬体が宙に浮いたと思ったら、皺ひとつないダブルベッドの上に転がされた。ぎしりとベッドが軋む音がして、影が差す。
南雲は性急に事を進めて、わたしはあっという間に一糸纏わぬ姿にされた。骨張った指が腰のラインをなぞって、生温かい舌が鎖骨から胸元までを這う。
「あっ、ぅ……っ♡」
触れられた箇所はどこもかしこも熱を帯びて、身体が跳ねる。
その内、南雲は無遠慮に指を蜜つぼに押し進めて、ぐちゅぐちゅとナカを掻き乱した。
「ひゃぁ……っ♡ぁ、ぁっ♡」
相変わらず蕩け切っている。いつでも彼の熱を受け入れる準備はできていると言わんばかりだと思っていたら、同じことを考えていたのか、彼は「もう挿れるね」と囁いた。
明らかに情欲に塗れた、余裕のない声だった。
どくりと心臓が鳴る。どろどろに溶かされていく思考の中で一瞬ゴムの心配をして、視界の端で彼がそれをきちんと付けてくれたことに安堵して。直後、熱が秘部を貫いて、考えていたあれそれは快楽の渦に呑み込まれる。
「ひ、ぁぁっ♡」
太い、硬い、奥、すごい。
ちかちかと視界に花火が飛ぶ。彼が動くたびに、繋がった部分から淫靡な水音と肌と肌がぶつかり合う音がする。
ちょっと乱暴なくらいだ。でもどうしたって気持ちが良くて、それは薬のせいなのか、ただわたしが南雲に抱かれることに悦んでいるだけなのか。その内本当に壊れてしまうんじゃないかと怖くなってきて、
「ぁ、あっ♡や、まって、南雲、それ、やだぁ♡」
泣きながらそう告げると、「は?」と少し怒ったような声が降ってきた。
「何言ってんの〜?君が言ったんだよ、僕のが欲しいって」
「んぁっ♡ぁ、あっ♡」
「まさか嘘だったの?傷つくな〜」
ちっとも傷ついていそうにない声で、彼は相変わらず腰を揺すり続ける。
「……っ、ね、嘘じゃないよね?僕が嘘嫌いなの知ってるもんね〜?」
大きな体で覆い被さった南雲が、焦らすように腰を動かした。自分で「やだ」と言ったくせに、今度は南雲が与えてくれる快感が欲しくて堪らない。気持ちよくなれるところに当たるように腰を浮かすと、骨ばった手がそれを制した。「ひ、ぁ……っ♡」なんで、と目だけで訴えかけるわたしに彼はにこりと笑って、相変わらずじっくりと腰を押し当てる。こんなの拷問だ。
溺れかけの赤ん坊みたいに南雲にしがみついて、わたしは必死に「許して」と零す。「なにが〜?」わざとらしい、のんびりとした声音が返ってくる。
「……っ、も、言ったぁ♡ほしいって言ったの、嘘じゃない、からぁ♡」
「え〜♡じゃあどうしてほしいの?」
「ぁっ♡ぁ♡〜〜ッ♡」
「ほら、喘いでばっかじゃなくてちゃんと教えて?僕にどうされたい?」
「んっ、も、あぁっ♡ひ、ん……っ♡お、く……、もっと、奥まで、突いて、ほし……、あ、あぁっ♡」
よく言えました、と言わんばかりに南雲が腰の動きを激しくした。ずぶずぶと彼の熱が深く挿入されて、頭の中が気持ちいいことしか考えられなくなってくる。
(すごい、すごい……っ♡さっきより、もっと、気持ちいいのきちゃう……っ)
もう自分が声を上げているのかもあやふやだ。すぐそばで南雲の微かな息遣いが聞こえて、それが尚のこと情欲を満たした。
「あ、も、ぅ……っ♡〜〜っ♡」
声にならない声とともに、体中に電気が走る。視界に火花が散って、頭が真っ白になる。
荒い息を零して快感の波が引くのを待つ最中、ぴったりとくっついた彼の体も小刻みに震えていることに気づいてまた熱くなった。大きな背中に力一杯回していた腕を緩めて、そろそろとその肌をなぞると、「……ちょっと」くすぐったいのか、少しだけ震えた声が降ってきた。
南雲の顔はいつもより紅潮している。額から汗がぽたりと流れていて、それが妙に艶めかしい。
南雲もイッたのか聞こうとして、何だか恥ずかしくてやめた。今更ではあるのだとうけれど。ただ、目線をうろうろさせてしまったわたしに南雲は薄く笑って、「一緒にイッちゃったね〜」と囁いた。
「……大丈夫?」
ぼうっとしたままのわたしに、労わるような声が落ちる。それから、ごつごつした手が頬を優しく撫でてくれる。なんだか安心して、「……大丈夫。すごい、気持ちよかった……」無意識の内に、そう呟いていた。
わたしに触れていた彼の手がぴたりと静止する。急にどうしたのかと視線を向けた時、太腿辺りに硬いものがまた押し当てられた。ぎょっとして体を起こす。
「わっ。急に何〜?」
「待っ、さっきイッたって……!」
「うん、イッたよ〜」
「じゃあなんでこんなすぐ、もしかして……、南雲も薬盛られて……!?」
だとしたら自分の情けなさに涙が出てくる。南雲も薬で苦しかったのに、自分ひとりだけ楽になろうと縋ったりして。先程までの行いを振り返り自己嫌悪に陥っていると、
「あのね〜」
明らかに怒りを押し殺した声で、南雲がわたしを押し倒した。「ヒッ」と、短く悲鳴が上がる。南雲は笑顔だった。いつも通りにこにこしている。それなのに、こめかみに筋が立っているのが見える気がした。怒ってる。なんで。
「僕があんな連中に薬飲まされると思う?」
「それは、確かに……。でも、だって」
彼の言う通り、薬を飲ますどころか傷ひとつつけられる想像ができない男だ。そうは言っても、薬を飲まされたわけでないとしたらその勃ちあがっているものにどう説明をつけるんだろう。ぐるぐると思考を巡らせるわたしに、南雲は一周回って呆れたらしい。
「なんで分かんないかな〜」
「あっ、ちょっと、やだ……っ」
「かわいいな〜好きだな〜って思ってる子に蕩けた顔で『気持ちよかった』とか言われてさ〜、反応しない男とかいないよね〜」
「え、ぁ……っ♡」
精一杯股を閉じていたはずなのに、彼の熱はいとも簡単にわたしのナカへと侵入した。あんなに激しくされた後だというのに、身体がまた悦びに震える。
それよりも、だ。さっき、南雲、わたしのこと好きって言った……?
問いかけるような瞳をしていたのだろうか。南雲はわたしの手を恋人繋ぎで絡めとると、「かわいい、好き。ほんっと、かわいい」枷が外れたみたいに何度も零しながら腰を振る。
わたしはというと、彼の言葉が耳に届くたび、いじらしく体が反応してしまう。
「ごめん、ちょっと体勢変えよ」
「んぁ……っ♡」
腰と背中に腕を回され、ぐいと引き上げられる。ベッドの上に座った南雲と向き合う形で、体を揺すられる。
「あは、胸すっごい揺れてるの、かわいい〜」
「や、ぁ……っ♡見ない、でぇ……っ♡」
「いや無理でしょ〜」
愉しそうに笑って、彼はぷっくりと膨らんだ蕾を口に含んでしまう。ぢゅうと吸い上げられて、「んんっ♡」背中に電気が走る。
そうやって何度も愛されている内に、半開きになった口からは「気持ちい」とか「もっと」とか強請るような言葉がぽろぽろと零れるようになってしまう。
「んぁ♡ぁ、なぐも、それぇ♡」
「うん、何?気持ちいい?これ好き?」
「んっ♡好き、ぁ♡ひゃぅ……っ♡」
「んっ、ほんっと、かわい……♡僕も、好きだよ。だぁいすき♡」
甘えるように言われて、熱を孕んだ瞳と視線が交わる。そのまま、まるで引き寄せられるように、唇が重なった。小鳥が啄むようだった拙いキスは、段々と呼吸ごと奪うような激しいものに変わっていって、南雲の舌がわたしの口内を器用に犯していく。上も下も、繋がった部分からくちゅくちゅと水音が響いていて、どうしようもない程に劣情が煽られる。
「キスしながらするの好き?ここ、ぎゅ〜ってなってる〜」
「ん、ぁ♡好き、どっちも、気持ちぃ♡」
「うれし〜」
「ひゃぁっ♡あっ♡あ♡やぁ♡も、また、激し……っ♡っ、ぅ〜〜っ♡」
「ん……っ、はっ」
どくん。繋がったところが、大きく脈打ったと思った。巡る血液と一緒に鋭い快感が全身を駆けあがる。歯を食いしばるようにしている南雲の表情が霞んだ視界の中にぼんやりと映った。普段の子どもみたいな顔とも、殺しをしている時の冷酷で美しい顔とも違う。ただの男だった。セックスに快楽を感じている、ただの男。
南雲の熱が、ずるりと引き抜かれる。ぴったりと重なっていた体温も離れていくのが惜しくて、「なぐも」拙い声で名前を呼ぶと、彼が「なあに」と言わんばかりに微笑んだ。甘えるように腕を伸ばして、「きす」そう零すと、「もしかして煽ってる?」彼の大きな手がわたしの肩を包み、シーツめがけて優しく押し付けられる。
南雲が、食むように唇を重ねた。自ら口を少し開けて探るように舌を絡める。
「……ヤバい。またシたくなってきたんだけど〜」
唸りながら体を起こして、南雲は散らかったコートやズボンをごそごそとしている。財布を開けたりして何をしているのかと思ったら、「でももうゴム無くなっちゃったんだよね〜」と残念そうに呟いた。
それから、円な目がこちらをじっと見る。
「このまま挿れていい?」
「馬鹿!」
ぱしん!と乾いた音が響いてぎょっとする。避けようと思えば簡単に避けられただろうに、南雲はその頬にわたしの平手打ちをもろに食らった。じんわりと赤くなった頬が少しだけ痛々しいのに、彼は楽しそうに「男前にしてもらっちゃった〜」と一言。
あ、とか、う……、とか。口をぱくぱくさせていると、「やだな〜、こんなので怒ったりしないよ」と嘘か本当か分からないことを言ってくる。とりあえずその目が穏やかなままであることを確認して、小さく安堵の息を零した。
南雲はわたしの横にどさりと寝転ぶと、
「何もしないから、ぎゅってしていい〜?」
そう言って、甘えるように身を寄せた。何だか大型犬みたいだ。肯定の代わりに、おずおずと両腕を伸ばして抱き締めると、彼はくつりと喉を鳴らす。
船が港に着くまでの短い時間を、わたしたちは恋人みたいに身を寄せて過ごした。客船は定刻通り朝日が昇る頃に着港して、即座に船を後にする。下腹部に鈍い痛みが残っていたけれど、そのことは絶対に言わないよう唇を固く結び続けた。
不測の事態が起こり大変な目に遭いはしたが、任務は完遂。束の間の平穏に身を休めようと思っていたのだけれど。
「……あのさ、なんか距離近くない?」
「え?」
先程から、ぴったりと体を寄せてくる南雲に堪らず口を開く。元々距離感がおかしいところがある男だったけれど、今日はやけにくっついてくる。他の男に牽制でもしているような雰囲気すらあった。
わたしの問いかけに、南雲はきょとんとした目をして、
「付き合うんだからこのくらいいいでしょ?」
「え!?」
「え?」
お互いに、「何言ってんだコイツ」という表情で向かい合った。「……待って」額を手で押さえながら、わたしから疑問を投げかける。
「付き合うの?恋人的なあれってこと?」
「的も何もそのまんまだけどな〜。というか何で付き合わないの?」
「いやだって、南雲わたしのことほんとに好きなの?」
ピシ、と彼の周囲の空気が張り詰める。相変わらず笑顔のままだけれど、確信する。これは、怒っているやつだ。
「……僕、散々好きって言ったよね〜?」
力任せに身体を引かれ、その胸板にもつれ込む。南雲はわたしの腰を撫でて、わざとらしく下腹部の――子宮が眠る場所辺りをぐいと押さえつけたりして。昨日のことを思い出して黙りこくっていると、
「君も嬉しそうに好きって言ったくせに」
そう、耳元で囁かれた。
猫のような叫びをあげ、頭突きをしてその腕の中から抜け出す。
「あ、あれは」
「うん」
「何かこう、その場のノリ的なやつかなと……」
「へぇ〜?」
あ、これは、駄目だ。言い訳をしようとすればするほど、南雲の逆鱗に触れている気がして仕方がない。現に今だって、にこにこと口角を上げてはいるくせに、その目はちっとも笑っていない。
「あんなに大好きって言ったのにな〜。あれじゃ伝わらなかったんだ〜」
「いや、あの、えっと……」
「僕は本気だったのに、君はその場のノリだったんだ〜」
「うぅ……」
「あ。コンビニ」
と、南雲が不意に足を止めた。お腹でも空いたのだろうか、確かに昨日の昼から何も食べていない。意識すると唐突に空腹が襲ってきて、わたしも彼を追いかけて店の中に入る。
南雲は買い物かごの中に馬鹿みたいな量の食料を詰め込んでいた。よくそんなに食べるなと若干引きながら、「これも」とおにぎりを差し出した時、わたしはソレに気づく。
「ちょっと待ってなにこれ」
「え?ゴム。この後するでしょ?」
「一応聞くけど、誰と誰が?」
にっこりと、南雲が笑って。喉の奥から小さな悲鳴が零れる。
よし、逃げよう。
瞬時に判断するも、地面を蹴るのと同時に彼の腕がわたしを羽交い絞めにしては無理だった。そりゃそうだ、絶好調の時ですらわたしは彼に攻撃ひとつ当てられたことがない。
「ちゃんと僕が本気だって分かるまで、何回でもするからね〜」
彼の言葉にハッとする。本気だって分かるまで、ということは。もう本気だと分かったと認めれば、とりあえず回避ができるのでは。言葉遊びのようではあるものの、我ながら名案とばかりに、
「もう分かった、本気だって分かったから」
「え、ほんとに〜?」
「うん、ほんとに分かった」
「じゃあ付き合う?」
「付き合う!」
「そっか、嬉しいな〜。じゃあ……」
半ばヤケクソに返答するわたしを覗き込むようにして。南雲はにっこりと、「恋人同士、いちゃいちゃしようね〜」それからかごの中のゴムを一箱も取り出すことなく、レジに向かってすたすたと歩いていく。
その背中を見ながら、絶望する。逃げ場がない。悔しいけれどあいつの方が、一枚も二枚も上手だ。唸りながら頭を抱えていると、会計を終えたらしい彼がわたしを呼んだ。
「お待たせ」
と、手が差し出される。「恋人だからね」有無を言わせない笑顔で強調した彼に、わたしはもうヤケクソだった。これでも食らって多少は動揺しろ!と言わんばかりにその腕に縋りつく。一瞬、彼の体が強張った。おそるおそる視線を向けた先ではその頬が珍しく朱に染まっていて。
「待って待って、ちょっと見ないで」
「……かわいい」
「うわ、嬉しくない〜」
拗ねたように眉をひそめた彼にくすくすと笑っていると、噛みつくようにキスをされた。抵抗はしなかった。単純だと笑われるかもしれないけれど、先程の彼の様子に不覚にもときめいて、彼の本気という言葉を信じきってしまったのだ。ただ。
「君の方がかわいいって、たくさん教えてあげる」
それとこれとは別である。昨日の今日だ、体がもたない。とはいえこの状況で逃がしてくれるとも思わない。
「やだ、せめて一回」
「え〜、少ない〜」
「それが嫌ならしない」
「も〜、わかったよ〜」
ぶつくさ言いながらも了承してくれた南雲に安堵する。否、安堵していたのに。
「ぁ、んっ♡やだ、一回だけって、言ったのにぃ♡ぁ♡ぁ♡それ、それ、だめぇ♡」
「あは、だめだめ言いながら自分で腰振ってるのエッチだね〜♡んっ♡」
「ひゃぁ♡んぁ♡ぁっ♡ぁ♡や、また、またぁ♡ぁぁ♡ひっ♡なぐも、んっ♡も、おかしくなる、からぁ♡」
「いいよ、おかしくなって〜♡ほら、また一緒にイこ?今日はいっぱいゴムあるから、まだまだできるよ〜♡」
「ん、ぁっ♡ぁ♡ぁ♡だめ、だめだめ、〜〜ッ♡イク、またぁ、また、イッちゃぁ♡」
「〜〜ッ♡」
わたしは結局、あの手この手で優位に立った南雲にどろどろに溶かされる。休息は、暫くできそうにない。
2023.03.06