雪やけの距離
目覚めると、部屋の外が真白に輝いていた。
「雪! 雪積もってるよ」
興奮した声で叫び、同室のくのたまの肩を揺する。「寒いよお……」くぐもった声で非難を示す彼女は、なおのこと毛布を深くかぶってしまった。冬ごもりの熊みたいだ。動く気配は全くない。今日は忍術学園も休みだし、日が高くなるまではこのままかも。
しかたがないので、ひとりで外に出ることにした。「風邪ひかないようにねえ……」「わかってる!」眠たげな彼女の声を背に、銀世界へと飛び出す。
ひやりとした空気が肌をさした。
さむい。つめたい。でも、きもちいい。
真っ白な地面にはまだ誰の足跡もついていない。わたしが一番乗りだ。わざとらしく踏みつけて、描かれる足跡ににんまりしてから、その場にばっとしゃがみこんだ。
これだけ積もっていれば、なんでもつくれそうだ。雪だるまに雪うさぎ。雪像のヘムヘムなんかができたら、学園長が喜ぶかも。あ、あと、かまくらつくりたい!
冷たい雪を素手でつかんで、思いつくままにぺたぺた、ぺたぺた。一心不乱に雪と向き合っていると、
「せんぱーい! おはようございます!」
元気のいい声がして、わたしはパッと振り返る。乱きりしんが、大きく手を振っていた。
「おはよう、乱太郎、きり丸、しんべヱ」
「これ、全部先輩が?」
乱太郎が呟き、わたしの周りにある雪だるまたちを見つめる。
「そう。すごいでしょ」
えっへんと胸を張ると、乱太郎たちは深くうなずいて、「ヘムヘム似てますね」とか「うさぎかわいい」と口々に言った。このかわいい後輩たちめ! わしゃわしゃと、頭を撫でる。
「今は何つくってるんです?」
「かまくらつくろうと思って」
「かまくら!」
鍬と鋤を両手に宣言するわたしに、乱太郎たちは高揚して、「私たちも手伝います!」と手をあげてくれる。
「よーし、やるぞー!」
「おー!」
そんなかわいい後輩たちと、大きなかまくらをつくって、雪だるまやら雪うさぎやらを大量にうみだしたまではよかった、のだけど。
「うう、手が、手がかゆいぃ……」
冷え切った雪に長時間触れていたせいで、いつのまにかわたしたちの指は赤く腫れて、痒さに悶えることになって。くしゃみまでしはじめた三人の首根っこを掴んで、保健委員である伊作へと泣きつくことになってしまった。
「すごい霜腫れ……。どれだけ雪遊びしてたの」
伊作は困ったように眉を寄せて苦笑する。
「あとで見て。わたしたちの傑作を……!」
「そんなにすごいのつくれたんだ? えっと、かゆみ止め、かゆみ止め……」
薬棚を覗き込んだ伊作が「あった」と呟くけれど、その顔はすぐに渋くなった。
「しまった。昨日も使って、もう残ってないんだった。四人……、いけるかなぁ……」
「じゃあ乱きりしんから使って。なくなったら、わたしは大丈夫だから」
「ええっ。でも、先輩が一番ひどいですよね?」
乱太郎に不安そうに見つめられ、わたしは苦笑する。
そりゃまあ、わたしは三人が来るより前から雪遊びをしていたわけだし……。でも、三人を巻き込んでしまったのはわたしだから。上級生としてそれなりの責任を取らないと。
「わたしは先輩だもん。これくらいどうってことないよ」
かっこつけた宣言にもまだ何か言いたげな表情をされたので、必殺の「先輩命令です」を使ってつーんとした。三人はとうとう「はぁーい」と返事をする。学園の上下関係は、けっこうしっかりしている。
治療を終え、退室する乱きりしんの背中をしっかりと見届けて。その姿が完全に見えなくなってから、わたしは「かゆい〜……」と、耐えていた言葉を零してめそめそする。
「かっこつけようとするから」
「だってさぁ……」
唇を尖らせるわたしに伊作は苦笑しながら、残った僅かばかりの薬を集めている。
「ほら、手出して」
「自分で塗れるよ」
「いいから、いいから」
優しい声なのに、有無を言わさない様子で、伊作がわたしの手を取った。「うわ、ほんとうに冷たい」驚きの声をあげる彼の手は、熱いくらいにあたたかい。
「伊作、冷えちゃうよ」
「大丈夫だよ」
伊作の手は存外大きくて無骨だと思う。同い年なのに。昔は同じくらいの大きさで――というかむしろわたしのほうが大きいくらいだったのに。
骨ばった指が優しく触れてくるのが思いのほか気持ちよくて、じっと黙ったまま動かずにいると、彼はおもむろにわたしの両手に顔を寄せて、そして。
「はぁー……っ」
「ワァー!?」
「わっ」
熱い吐息をふきかけてくるので、思わず叫び、力いっぱいに手を引いた。なに、いまの。なに。手に、息、当たって……っ。
混乱するわたしに、伊作は「ごめん。あったまるかと思って、つい……」と呟いた。
なるほど、つい。言われてみればたしかに、乱きりしんに薬を塗り終わったあとも、彼はこうやってたんだった。うわ、なんであんなに過剰な反応しちゃったんだろう。馬鹿、恥ずかしすぎる! 伊作に限って、他意なんてあるはず……。
ぐるぐる、ぐるぐる。いろんなことを考えて、とにかく「わたしのほうこそごめん」って言わなきゃと、口を開こうとして。
けれど、ちらりと見た伊作までもが、耳をじんわり赤くさせて「ほんとに、その。ごめん。そんなつもりじゃ……」と動揺していたから、ぐっと口を噤んでしまった。
どうしよう、なんだこれ。心臓がうるさくて、痛い。さっきまで外で雪風を浴びていたというのに体が熱い。
「く、薬! それ、片づけちゃうね」
「あ、いや、僕が」
気恥ずかしい空気を振り払うように声を張って立ち上がる。たしか棚の上にあったから……、すぐ傍にあった踏み台を引いて、乗り上がったら、
「え」
「危ない!」
踏み台の脚がちょっとおかしくなってたみたいで、ぐらついて、視界が反転して、背筋がヒヤリとして。
痛みを覚悟して、思わず目を閉じた直後、鈍い衝撃音が響く。それなのにわたしの体に痛みはなくて、ていうかなんかあったかいし、柔――。
至近距離で目が合う。自分がとんでもない体勢になっていることに気づく。伊作を押し倒している、のはまだマシだ。柔らかいの、これ、唇が。
「あ……」
どちらのものか分からない囁きが零れ、互いに距離を取って硬直した。
うそ、いま、絶対、くちにる重なってた。
どうすればいいのか、何を言えばいいのか分からない。見下ろした伊作は瞬きもせずにわたしを見つめていて、わたしも、不思議と視線が逸らせない。彼の喉仏がこくりと動いたのがわかった。
「……もういっかい」
伊作の目にわずかばかりの熱っぽい色が浮かんだ。
もう、いっかい。
告げられた言葉を反芻する。
どうしよう。嫌じゃない。
肯定も否定もせずにいると、伊作の指が髪を掬いあげて、そっとうなじを撫でた。そのまま、引き寄せられるように唇が近づいて――。
「伊作ー! いるかー!」
底抜けに明るい声がした。響き渡ったその声に、わたしたちがびくりと跳ね上がって離れるのと、部屋の扉が無遠慮に開かれるのがほとんど同時だった。
「ん? 二人して何してるんだ?」
「な、なにも……」
ばくばくとうるさい心臓を押さえつけ、現れた人物――小平太を盗み見る。まるっこい目をぱちぱちと瞬かせた彼は、不思議そうな表情でわたしと伊作を交互に見つめる。いたたまれない。勢いよく立ち上がり、「わたし、帰る!」と叫んだ。
「伊作、薬ありがとうね」
「あ、待っ……」
伊作が何か言いたげにしたけれど、耳を傾けている余裕はなかった。
部屋を飛び出すと、外ではまた雪が舞っていた。顔に張り付くのも構わず、女子寮へと走って、あつい、と思った。雪も、風も、こんなに冷たいのに。体の熱がいっこうに引かない。至近距離で見た伊作の顔と、たしかに熱を孕んだ瞳と、重なった唇の感触とが思い出されて、どうしたって消えてくれない。
ようやく女子寮の自室に戻ると、同室のくのたまはさすがに起きていた。「おかえり〜」と言った彼女は振り返り、わたしを見てぎょっとする。
「どうしたの。雪まみれじゃない。それに顔も赤すぎ……、もう、だから風邪引かないようにって言ったのにい」
呆れと心配が入り混じった声で言い、手招きをする彼女に、わたしは首を振る。
「風邪じゃない……。風邪なら、よかった……」
「ええ?」
眉を寄せて困惑する彼女をよそに、わたしは自分の唇に触れる。不思議と、あの熱がまだ残っている気がした。
……もういっかい、したかったな……って、ちがうちがう、何考えてるの!
浮かんでしまった欲を振り払う。ああもう、明日から、どんな顔をして彼に会えばいいんだろう。
・
伊作とともにいた彼女が逃げ出すように部屋を出て、その姿を完全に消したあと。
小平太は、改めて伊作へ問いかけた。
「伊作、もしかして私邪魔だったか? 何してた?」
げほっ、と伊作が咽る。
「な、なんで?」
なんとか取り繕おうと試みた彼に、小平太は「二人とも様子がおかしかっただろ。顔も真っ赤だし」と冷静に告げる。
「……なにもしてないよ」
「本当か?」
「本当だよ」
小平太が「うーん……」と唸った。まだ納得ができないらしい。
「なら伊作、私の目を見ろ」
「え? うん」
言われるがまま、まるっこい瞳を見つめ返せば。
「……いかがわしいこと、してないのか?」
「いかが……っ」
一拍のあとでそう続けられ、伊作は悲鳴みたいな声を上げる。同時に、脳裏にあの一連のできごとがありありと蘇った。
わずかに潤んだ瞳。紅潮した頬。触れた肌も、重なった唇も、おどろくほどに柔くて甘く、つい「もういっかい」などとねだったけれど、彼女に嫌がる素振りはなくて――。
思い出し、再び顔を朱に染める伊作に確信して、小平太は叫んだ。
「してるんじゃないか!」
「頼む、それ以上は言わないでくれ……!」
詰め寄られ、泣きそうな声で懇願すれば、小平太は存外素直に「わかった」と頷いた。けれど、ほっとするのも束の間で、好奇心が抑えられないらしい彼は「口、吸ったか」などと、これまた直接的な表現で問いかけてきて――。
「小平太ぁ……!」
やっぱり泣きそうな声をあげながら、伊作もまた、彼女同様に考える。怒ってはないだろうか、嫌われてはないだろうか、そして、明日からどんな顔をして会って、話をすればいいのだろうか、と。
2025.01.29