夜闇ピエロ



 任務が終わってすっかり陽が落ちたころ、ふらりと立ち寄ったコンビニ前にその子はいた。お酒の缶やおつまみが大量に入ったビニール袋を片手に下げ、俯いたまま煙草を蒸かすその目はずいぶんと暗い。「何してるの〜?」声をかけたらようやく僕の存在に気づいてくれたらしく、かさついた唇が「南雲」と名前を呼んだ。

「それ。一人で飲むの?」
「んー……、飲むかも。わかんない」
「ヤケ酒とかやめたほうがいいよ〜?」
「分かってるだけどね」

 彼女の呼吸に合わせて、白い煙がぷかぷかと浮かぶ。その様子を見ながら、あの男と別れたんだろうなぁと察した。ついこの間まで、彼氏が嫌がるからと煙草はやめていたはずだった。

「南雲、暇?」
「うん。もう帰るとこ〜。明日も仕事休みだし」
「じゃあ付き合って」

 ビニール袋をがさりと揺らして彼女が言う。お酒はあまり得意じゃないし好きでもないけれど、彼女からの誘いとあれば断る理由はなかった。

「いいよ〜」

 にっこりと笑って、小さな手が提げたビニール袋をするりと奪いとる。「いいのに」と彼女は言ったけれど、聞き入れずに「いいから、いいから。ほら、帰ろ〜」「……ありがと」
 コンビニ前の年季が入って薄汚れた灰皿に煙草を押しつけ、隣に並び立った彼女からは懐かしい匂いがした。学生時代の彼女は煙草を吸うのがやたらと下手くそで、赤尾や坂本くんを真似ては咽ていた様子を、ふと思い出した。



 彼女の部屋は僕からしたらなんで? って思うくらいに荷物が多くてあいかわらず生活感に溢れている。ベッドには薄っぺらいスウェットが脱ぎ捨てられていて、枕元には学生時代に買ったサメのぬいぐるみと栞がはみ出た読みかけの小説。本棚の漫画とラックにあるCDはまた増えているし。
 床に置いてあった仕事で使っている鞄を雑に押し退け、「適当に座って」と彼女は言う。荷物が多いとはいえそれなりに掃除はしているようで、クリーム色のふかふかしたカーペットは綺麗だった。
 楕円形のローテーブルの前で片っ端からビールやチューハイの缶を開けた彼女は、すっかりできあがったころになってようやく「彼氏と別れた」と報告した。知ってる、とは言わなかった。「へえ」ビールを片手に相槌を打ちながら、

「名前なんだったっけ?」
「ヤマダ」
「そうそれ〜」

 大して強くもなさそうな奴だったよね、と言ってみると、彼女は苦笑した。

「間違ってないけど」
「けど?」
「南雲と比べたら大概の奴は強くないでしょ」

 間違いない。殺し屋界の最高戦力であるORDERに属しているのだから、そこらの殺し屋とはランクが違うことは自覚している。とはいえ、その指摘は若干不服だった。自分と比べて、ではなく、あくまで一般論としての意見を述べたつもりだったから。

「あれは君より弱そうだったけどな〜」
「あれとか言うな」
「え〜、でも実際そうだったよね」
「そうだったけども」

 と、彼女はやっぱり苦笑した。形の良い眉が八の字に歪んでいる。
 それから、「だから駄目だったのかなあ」と何かを諦めるように零した。

「浮気してたみたいなんだけど」
「……うん」
「ちっさくて可愛くて自分よりも弱そうで、一生守りたいって思ったから仕方なかったんだって。わたしはひとりで大丈夫らしい」
「え、それ直接言われたの」
「言われたの」
「え〜、最低〜」

 思い切り口をへの字に曲げて非難すると、彼女は少しだけ愉しそうに笑った。そうでしょ、最低でしょ、と同調の言葉を口の中で繰り返し転がしている。
 僕はというと、お皿に盛られたチーズおかきをポリポリと食べながら、「そんな奴、痛い目見るから大丈夫だよ」と続けた。

「そうかな」
「そうだよ」
「だったらいいなあ」

 いいな、というくせに、その目の奥には少しだけ寂しそうな色が隠れている。酷いことを言われたのに、まだ心残りがあるらしい。それなりに長い年月を過ごしたから情がわいちゃったんだろうけど……、そんなもの、早く捨てちゃえばいいのに。
 何本目か分からない缶を空にした彼女が、また別のチューハイに手を伸ばした。トロピカルな柄が特徴的な鮮やかな缶だった。初めて見たな、と思っていると、商品名の横にNew!の文字が刻まれている。

「それ美味しい?」
「んー、甘い」
「ふうん」

 目を細めて答えた彼女に、徐に覆いかぶさる。それから、柔らかな唇を舐めるように塞ぐと、びくりと彼女の肩が強張るのが分かった。

「……何してるの」

 唇を離したら、すっかり酔いが醒めたとでも言わんばかりの表情で彼女がこちらを見つめてきた。

「ほんとだ、甘いね」
「聞いて」
「嫌だった?」

 珍しく真面目な顔をして見つめ返すと、彼女はバツが悪そうに口籠った。視線を逸らし、「わたし彼氏……」零された言葉に間髪入れず、「いないじゃん。別れたでしょ」「そうでした」
 再び体を寄せると、今度は口元を両手でガードされてしまった。本気を出せば押し倒すことも全部暴くこともできる自信はあるけれどそれはせず、何か言いたげな彼女の言葉をじっと待つ。

「ほんとに何、酔ってるの」
「理性飛ぶほどは酔ってないよ」
「今まで一回もこんなことしてこなかったのに」
「だって彼氏いたじゃん」
「彼氏いなかったらするつもりだったの」
「そうだけど」
「え」

 淡々と答え続ければ、彼女の目に動揺の色が浮かぶ。さすがにいつもと様子が違うこと、僕の発言が本気であることに気づいたらしい。
 左手は自身の口元を覆ったまま、細い右腕を『それ以上近づくな』というようにこちらに差し出して彼女は後退る。

「ちょっと待って、ちゃんと話そう」
「話すのはいいけどさ〜……」

 渋々了承しながら、彼女の掌に優しく触れる。小さくて、柔らかい。一本一本、指を絡めると、彼女は大袈裟に驚いて腕を引こうとした。離して堪るかと力を込め、「……嫌?」体を寄せながら囁くように尋ねる。

「わたし、今日別れたばっかなんだけど」
「知ってる。だから何?」
「いやだから、その……まだ未練があるというか……?」
「そんなの、したら忘れる」
「言い切れるの怖いよ」

 そう言う頃には彼女の背中はベッド脇にぴったりと密着していた。逃げ場を失った彼女は視線を忙しなく動かしていたけれど、「本当に嫌なら殺していいよ」と笑ったら、一瞬目を丸くして、すぐに眉尻を下げて薄く微笑んだ。

「……殺せないよ」

 それが、心情的に無理だと言いたかったのか、物理的に無理だと言いたかったのかは分からない。どっちでもよかった。
 もう一度、彼女の唇に触れる。柔らかくて、不思議と甘く感じる。徐々に深く、舌をねじ込んで呼吸を奪うように口づける。
 唇を離せば、荒い息を零す彼女の目はとろりと潤んでいて、堪らず「気持ちよさそう」と揶揄ってしまう。少しの間のあと、「女遊びしてる奴のキスだ」と投げかけられた。「うるさいなあ」元彼と比べられたかのような気に陥って何だかムカつき、余計なことなんて言えなくなるようにまた唇を奪う。気持ちいいとか、好きとか、もっととか。そんなかわいいことしか、言えなくなってしまえばいい。



 微かな寝息に合わせて、彼女の小さな肩が規則正しく揺れている。その白い肌の至る所に赤い花が咲いていて、目尻にもうっすらと涙の痕があった。

(無理させちゃったな〜……)

 優しく目元に触れながら、少しだけ申し訳なく思うけれど。でも、これでやっと手に入れた。学生時代からずっと焦がれていた子を、やっと。
 暗い部屋の中、ベッド脇に置かれた時計で時刻を確認する。深夜二時を回っていた。僕も寝ようとシーツを引き上げた時、床に転がしていたスマートフォンの画面が光る。メッセージが入ったらしい。
 短く息を吐き、内容を確認した。最近会った男からだ。彼女と飲み始めた頃にも何度か送られてきていたメッセージは、『話したいことがある』とか『今から電話できない?』とか、くだらないものばかり。

『もう会えません』

 簡潔に、それだけを打ち込んで。
 おそらく電話もくることを見越し、床に散らばせていた衣服をひっぱりあげて簡単に身に纏い、すっかり寝入っている彼女を起こさないようにベランダの戸を開ける。
 ちょうど外に出たところで、相手から電話が入った。あまりに想像通りの行動に思わず笑いそうになったのを堪えて、通話ボタンを押す。

「もう会えないって、どういうこと」

 焦る男の声はやたらと大きい。ちらりと部屋の中を見て、彼女が全然起きてこないことにほっとする。「俺何か悪いことした?」「君のことを思って、彼女とも別れたのに」そう捲し立てる男にたった一言、

「『さようなら』」

 いかにも男ウケしそうな・・・・・・・・・・・かわいらしい女の声・・・・・・・・・でそう告げて。
 即座に通話をぶつ切りし、男の連絡先をブロックした。呆然としているだろうその顔を思い浮かべながら、僕はゆっくりと息を吐く。冷たい目を遠くへ向けて、薄く笑う。

「――痛い目見ちゃったね、ヤマダくん」

 零した言葉は、すっかり闇に包まれた街の中へと沈んでいった。


2023
2025.02.25 一部修正



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