恋と落とし穴



 後輩の綾部喜八郎に告白された。「好きです、付き合ってください」あのマイペースな性格からは想像できないくらいのドストレートな告白に面食らったものの、返事は決まっていた。喜八郎のことはかわいい後輩だと思っているけれど、恋愛的な対象として見たことはない。

「ごめん。気持ちは嬉しいけど……」

 無難な断り方をしたら喜八郎は押し黙ってその場を去り、あっさり諦めてくれたと思っていたのだけれど、その日以来――。
 

「……アーーッ! この、また……っ、喜八郎ーーッ!」

 その日以来、喜八郎はほとんど毎日、わたしを落とし穴にはめてくる。
 いやまあ、毎度引っかかるわたしも悪いんだけど! でも喜八郎の落とし穴はプロの忍者にも通用するレベルで、そんな天才トラパーが本気で作った落とし穴を忍者のたまごが簡単に回避できるわけがない。
 転がり落ちた穴の底。苦い顔をして空を見上げてまもなく、ふっと太陽の光が遮られた。ひょっこりと穴を覗き込むのは、予想通りに喜八郎。「おやまあ」と言いたげな顔で見下ろす彼が、

「先輩、また落ちちゃったんですかぁ?」

 小馬鹿にしているとも捉えられる声色で聞いてくる。

「誰のせいだと思ってんの!? いい加減にしてよ、喜八郎!」
「じゃあ僕のこと好きになりましたか? 付き合ってくれますか?」
「なってませんし、付き合いません! 前も言ったでしょ」
「じゃあ僕も落とし穴掘るのやめません〜」
「あ、こら待てっ。せめて穴から出るの手伝っていけ……!」

 目くじらを立て声を張り上げるわたしに飄々とした態度を崩さず、喜八郎はひらひらと手を振って姿を消してしまう。「喜八郎ー!」怒りに満ちた声が穴の中に響き渡る。そのこだまが聞こえなくなってから、長くため息を吐いた。
 告白を断られた喜八郎は、わたしが彼を好きになるまで――「付き合っていい」と返事をするまで、わたしを落とし穴に落とし続けるつもりらしい。告白の翌日、穴に落とされて文句を言うわたしを引き上げながら、そんな腹積もりを暴露した喜八郎には正直呆れた。

「脅しじゃん、余計『好き』からは遠くなるって……」

 思わず呟いてしまい、わたしの腕を掴んでいた喜八郎の手はぱっと離された。「ぎゃー!」情けない悲鳴とともにわたしは再び穴の底まで落っこちて、「そんなこと言うならひとりで頑張ってくださぁい」という彼の声を全身に浴びることになる。
 そんな、腹立たしい記憶を思い出しながら。

「くそう……喜八郎のやつ……、絶対許さない……」

 ぶつぶつと文句を言って、泥の壁をよじ登っていく。穴の中から顔を出し、地面に両手をつき、ぐぐっと体を持ち上げる。よかった。やっと地上に立てた。ほっとして、さて委員会の活動に向かおうと勢いよく足を踏み出して。

「――は?」

 足元が、また、宙に浮く感覚があった。

「あああっ、またなの、もう最悪ーッ!」

 なんでこんな近いところに別の落とし穴があるの、本当に、最悪だ。悲鳴をあげて落ちるわたしを、どこかで喜八郎が「だぁいせいこう」と笑っている気がした。
 

 
 喜八郎との攻防は、一ヶ月経ってもまだ続いている。
 このころ、わたしは実践訓練として他国の城に忍び込むことになり、これがまあ、予想以上にキツかった。忍務は無事完遂したものの翌日は微妙に体調を崩して、でも委員会を休むわけには……、と活動場所を目指す途中。

「あっ」

 いつものように、落とし穴に引っかかった。
 背中がひやりとして、やばい、と思う。頭がぼうっとして反応が遅れて、いつものようにこの穴を掘ったであろう喜八郎への恨み言も出てこない。気づいた時には穴の底で泥をかぶっていて、立ち上がろうとしたら左足が強く痛んだ。

「いったぁ……、捻ったかな……?」

 いつもは上手く受け身をとって、こんなドジすることはなかったのに。恥ずかしい、と呟いていたらふと影が差すので顔を上げる。
 いつものようにこちらを覗き込む喜八郎の顔には、珍しく笑みのひとつも浮かんでいなかった。まじめな顔、というよりどこか曇っていて悲痛な表情。いつもみたいに小馬鹿にして笑ってくれたらいいのに。なんでそんな顔をしてるんだろうと思って、「また引っかかっちゃった」と呟いた声は思いのほか力がなかった。あれ、おかしいな。なんか体も重い気がする。
 喜八郎が無言で穴の中へと飛び降りて、「先輩、すみません」弱々しい声で謝りながら、わたしの体を持ち上げた。
 あっけにとられてすぐ、年下の少年に担がれることへの羞恥が広がる。「大丈夫だからおろして」と言っても、喜八郎は聞く耳をもたず、わたしの体に回した腕の力をいっそう強くするだけで。
 運んでくれた先の保健室で手当てを受けている間も、彼はやっぱり黙りこくったままだった。



 ただの軽い捻挫は、保健委員からこんこんと言われた「安静に」を大人しく守っていたら、数日後にはすっかり治っていた。

「よーしっ。やっと動き回れる」

 久々に動けることが嬉しくて、先生のお手伝いだったり委員会の仕事だったりを忙しなくこなし、学園の敷地内を走り回るけれど、なにかが物足りないような……。
 首を傾げて、はたと気づく。
 今日はまだ一度も、喜八郎が掘った落とし穴に落っこちていなかった。
 珍しいこともあるものだと思って、いやでも今まで毎日毎日落とされていたことのほうが異常だったかも? と考え直す。たまにはこんな何もない日があったっていいし……、それに、こうやって油断させておいてふっかい落とし穴に嵌めるつもりなのかも。その手には乗るもんか。
 なんて、きりりと顔を引き締めて作業に移ったけれど、結局その日は穴に落ちることはなくて。
 しかも、それから数日たっても、一週間たっても、わたしは一度も喜八郎の落とし穴に足を滑らせることはなかった。それどころか、喜八郎の姿すら見ていない。

(……どこにいるんだろ、喜八郎)

 これまではよく穴に落とされていた、学園の裏庭で。むーっと眉を寄せ、彼が行きそうなところを思い浮かべていたら。

「あ」
「あ、先輩……」

 ちょうど喜八郎が通りがかって、互いにばちりと視線がかちあう。瞬間、彼はくるりと背を向けて逃げ出した。

「ちょ、待てコラ喜八郎……!」

 すっかり回復した足で力強く地を蹴り追いかける。

「なんで逃げるのっ」
「なんで追いかけてくるんですかぁ」
「あんたが逃げるからでしょ……!」

 懸命に追うけれど、筋力も体力もさすがに喜八郎のほうが上だ。差は徐々に広がって、このままじゃ逃げられる。ええい、こうなったら……!

「痛……ッ」

 短い悲鳴をあげ、左足を抑えながら座り込む。直後、喜八郎はびくりと肩を震わせて止まって、「先輩」と心配そうな声で戻ってきた。屈みこみ、こちらの様子を窺う優しい後輩。その腕を、わたしは力強く掴んで。

「……つかまえた」

 にっこり笑ってやったら、騙された喜八郎は「心配して損した」と言わんばかりの表情になる。逃げられないように掴んだ手の力をいっそう強くして、わたしは問いかける。

「なんで逃げたの、喜八郎」
「……べつにぃ」
「最近、落とし穴掘らないのはなんで?」
「掘ってないわけじゃないですけど……」そうだよね。今だって鋤担いでるし、服の裾に泥ついてるもん。どっかで穴掘りをしてたんだろう。でも、
「わたしには会いにこないよね」
「それは、まあ」
「どうして?」
「……」

 質問を畳みかけるわたしを、彼は一切見ようとしない。

「……こっち見てよ、喜八郎」

 我慢できずにそう言えば、喜八郎は観念したみたいにこちらを向いた。やや間があって、「だって」と言い訳するみたいに口を開く。

「……先輩見たら、穴に落としたくなるし。でも、それで前みたいに怪我させたくはないし。だから視界にいれないようにして、いろいろ我慢してるんですぅ」

 その告白に、わたしは驚く。
 わたしがドジを踏んだだけのあんな軽い怪我のこと、そんなに気にしていたんだ。たしかにあの後もずっと落ち込んでるみたいな様子だったけど。
 あんなの気にしなくてもいいのに、と言っても、喜八郎は「そういう訳にはいかないです」と踏み鋤の取っ手をきゅっと握りながらに言う。
 ほんとうに、調子が狂う。ていうか、それが原因でわたしのところに来ないって。もしかしてこれからずっとわたしを避けるってこと? そう思った途端、妙な気持ちになった。なんだろう。なんか、モヤモヤするというか、なんていうか。

「……そんなの、寂しいんだけど……」

 ぽつりと零した言葉に、喜八郎が目をぱちくり。
 わたしも、自分で言っておきながら驚いた。え、わたし、寂しかったの? 喜八郎から落とし穴に落とされなくなって、穏やかに過ごしてたのに?
 しばらく互いに無言で。
 沈黙を破ったのは、喜八郎からだった。

「……先輩。好きです。付き合ってください」

 ……は?

「え。なに急に。なんで今それ言ったの」

 まさかここでも告白されるとは思っていなくて聞き返したら、喜八郎はきょとんとした顔をこちらへ向けた。いやいや、不思議そうな顔したいのはこっちだよ。

「だって。先輩、僕にかまってもらえなくて寂しかったんですよね? それって、僕のことが好きだからじゃないんですか」
「……いやそれは……、飛躍してない……?」
「そんなことないですよ」

 たじたじになるわたしと反対に、喜八郎は確信めいた口調で詰めてくる。
 だめだ、逃げたしたい。
 喜八郎の腕を掴んでいた手の力を緩めるけれど、瞬間、今度は彼がわたしの服の裾をきゅっと握った。……逃げられない。喜八郎の端正な顔が、ぐいと近づく。この後輩は、こんなに大人びた顔をしていたっけ。やばい、なんか、心臓が。

「先輩。僕が避け続けて会えないの、嫌ですかぁ?」
「……」

 言葉に詰まるわたしを喜八郎がじっと見つめる。教えてくださいよ、と囁かれてしばらく、観念したわたしはとうとう口を開いた。

「それは、嫌、かも……」

 返事を受けて、喜八郎は笑った。嬉しそうに。満足げに。

「――きっとそれが答えですよ、せんぱぁい」



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