5月5日のやくそく



 誕生日パーティーも無事終わり、紙袋いっぱいのプレゼントを抱えて帰宅する。三日月が薄ぼんやりと浮かぶ空の下を、隣の彼はご機嫌に鼻歌を歌いながら歩いていた。それはもう、興奮冷めやらぬ、といったように。
 家に着いてからもそれは変わらず、テレビの前のソファに体を沈めた彼は大きな声で「楽しかった〜!」と笑った。そうしてすぐさま机の上のメモ帳とペンに手を伸ばし、次から次へと浮かんでくるメロディを書き留めている。
 その姿を見ていたら、思わず口元がゆるりと緩んだ。心地いい音を聞きながらキッチンへと向かって、
「れおくん、コーヒー飲む?」
 と聞いてみる。
「飲む!」すぐに元気な返事があって、わたしは「ん」と短く答えて了承を示す。
 お湯を沸かしながらコーヒーパックを選ぶ。もう夜も遅いし、カフェインが少ないやつがいいかな。自分用には角砂糖とミルクも。いつかブラックコーヒーを優雅に飲めるようになりたいなんて思っているけれど、まだまだ先は長そうだ。
 用意したマグカップは数年前から使っているお揃いのもの。セットしたドリップコーヒーのフィルターへお湯を注げば、ふわふわと湯気が立ってこうばしい香りが漂った。
「はい、どうぞ」
「ありがと!」
 ぱっと明るい表情を見せる彼の手元には、音符が連なったメモ帳が散らばっている。どれもこれも、最高に愉快そうなメロディだった。
 れおくんの隣に腰を下ろす。当たり前のように彼が肩を寄せてきて、それが嬉しかった。ちょこちょこと跳ねた横髪が首筋に当たるのが、少しだけくすぐったくて、心地いい。
「プレゼント、明日にはちゃんと整理しなきゃね」
「う〜、おれ、そういうの苦手」
「知ってるけど。わたしか勝手に開けてぽいぽいするわけにいかないじゃん」
 紙袋を横目に肩をすくめて、ふと思い出す。
「そういえば、宗くんが作った写真集ってどんな感じだったの? もう見た?」
「ううん、まだ! ちょっと待って、たしかこっちのほうに……」
 言いながら、ぐーっと体を伸ばしたれおくんが最低限の動きで紙袋を引き寄せる。なんだか猫みたい。
「あった、これこれ。表紙からお洒落で凝ってるよな〜? 売り物みたいだ!」
「宗くんの性格出てるよね。中見ていい?」
「うん! おれも見る!」
 二人の真ん中に写真集を持ってきて顔を寄せ合う。ページを一枚めくってすぐ、
「「すごっ!?」」
 思い切り、声が重なった。
 どこかの高台から撮ったのか、朝霞の中に佇むフィレンツェの街並を映した写真は、まさに『屋根のない美術館』そのもの。中世から残るうつくしい景色は、いつまで見ても飽きる気がしない。
「すご、いや、凄すぎない? そりゃ彼の手作りっていう時点でクオリティ高いだろうなと思ってたけど……。写真家じゃんこんなの……」
「わはは、あいつやっぱりすごいな〜!? ああ湧いてきた湧いてきた、インスピレーションが……!」
 ご機嫌に、れおくんが再びペンを滑らせていく。写真集から意識は離れ、あっというまに作曲に夢中になっているようだ。わたしはひとり、次のページをめくる。
 有名な美術館や宮殿に、歴史を感じる橋や塔。それだけではなくて、そこに住んだ人にしか分からないだろう静閑な小道や、石畳で伸びをするかわいらしい猫も収められている。料理屋さんの前は賑わいを見せていて、テーブルのうえには見たことがない煮込み料理らしきものが並んでいる。
(れおくんたち、ここに住んでるんだ)
 そんなことを思いながら、わたしは想像する。彼とともに、この美しい街を歩くことを。郷土料理を食べて、美術館で絵画や彫刻を見て。それから、広場から街並みを一望しながら、他愛もない話をして、れおくんが生み出す無数の音を隣で聴いて。……うん、きっと、すごく楽しい。
「……いつか行きたいな」
 言葉は心の中だけに留まらず、ぽつりと口から零れていた。
 必死に動かしていた手を止めたれおくんが真っ直ぐにわたしを見て、心底嬉しそうに笑った。
「うん、一緒に行こう。おれもおまえに見せたい景色がいっぱいあったよ」
「いっぱいあるんだ、楽しみ」
「わはは! 期待していいぞ、一ヶ月程度じゃ周りきれないくらいある!」
「あは、なにそれ。そんなに仕事休めないから厳選してよ」
 というかれおくんのほうが休みづらい仕事じゃん。と、言うより早く、彼が口を開いた。
「何言ってるんだ、何回でも行けばいいだろ?」
 なんて、当たり前のように。
 わたしは目を瞬く。「何回も?」問い返したら、彼は無邪気に「うん!」と笑った。
「毎年行ってもいいし? これからもずっと一緒なんだから時間はたくさんあるだろ。きっとそのうちまわりきれるぞ〜!」
 楽しみだな、と未来を語ってくれるその姿に、心臓がきゅうとなった。
「……れおくん」
「うん?」
「ぎゅってしても、いいですか」
 一瞬、不思議そうに目をぱちりとした彼だったけれど、すぐに嬉しそうな顔で「当り前だろ!」と頷いてくれた。
 年頃の男の子の中では少し華奢なのだろうその体に腕を回し、彼の鎖骨あたりにひたいをくっつける。彼もまた腕を回して、わたしの背中に優しく触れた。……あったかい。
「……なぁ。もしかして、泣いてる?」
「……泣いてないよ」
 嘘だ。実はちょっと泣いてる。だって、すごく嬉しくて、しあわせだと思ったから。この先もずっと一緒だと、当たり前のように言ってくれたことが、本当に。でも、そういうしあわせな涙だから、気にしなくていいんだよ。
「れおくん」
「うん」
「お誕生日おめでとう。隣で祝わせてくれて、ありがとう」
 涙まじりの掠れた声で告げた言葉に、わたしを抱きしめる力がひときわ強くなる。そうして、彼もまた少しだけ震えた声で言葉を紡いだ。
「おれのほうこそ、ありがとう。来年も再来年も、その先もずっと。おれの隣で、おめでとうって笑ってて」



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